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絶体絶命悪役令嬢  作者: 8D
番外編
52/74

絶体絶命婚約令嬢 後編

 誤字報告ありがとうございます。

 修正致しました。

「あなたは?」


 私の前に立つアリシャ様に、リューゲ様は怪訝な表情で訊ねる。


「アリシャ・プローヴァ。トレランシア国、第二王子の婚約者ですよ」


 アリシャ様はリューゲ様に向き直って答える。


「これは我が国の問題だ。他国の人間、それも王子の婚約者が口を出すような事ではない」

「そうはいきません。彼女自身は、犯行を否定しています。犯行を示す証拠も、あなたの証言だけ。決め付けるにはまだ早い」


 リューゲ様を相手に一歩も退かず、アリシャ様は毅然とした態度で言い放つ。

 私から見える彼女の背はあまりにも小さな物であったが、そこには大きな頼もしさがあった。


「人が無実の罪によって追い詰められているかもしれない。だとすれば、それを助ける事は国や立場など関係なく、正しい行いではありませんか」

「私の話を聞いていなかったのか? 彼女は間違いなく罪を犯した罪人だ。悪行を成した人間を庇う事の何が正しい行いだというのだ」


 リューゲ様は、不快そうな態度を隠さずに答える。


 そんなリューゲ様の言葉を受け止めたアリシャ様は、しばし沈黙すると陛下へ向き直った。


「陛下、恐れながら」

「申してみよ」

「今回の事件、彼女を犯人として決定付ける物はリューゲ王子の証言だけです。調査も一切行われていない。これだけで判断するのはあまりにも早急で、横暴な事ではないでしょうか?」


 問われ、陛下は黙り込み……。


「このまま判断を下してしまえば、身内贔屓で人の罪科を裁量したと捉えられかねません。この国の公正さが貶められる事になるかもしれませんよ」


 今日は、他国の使者が多く集っている。

 そして使者達は、国へ帰れば今起こっている事を全て自国へ報告する。

 この場で起こった事は、すぐさま他国の知る所となるだろう。


 その顛末がどのように受け取られるか、それは国にも寄るだろうが望まぬ結果になる事も十分に考えられる。


 アリシャ様は私の罪を量るという目的だけでなく、他国の人間に対する体裁を保つという目的を陛下に提示し、そして課したのである。


 それに気付き、私は感嘆する。

 たったの一言で、この人は陛下がおいそれと判断を下せないようにしたのだ。


 なんという話術、交渉能力の高さだろう。


「良いだろう。なら、これから調査させよう」


 陛下は答える。

 ああ言われては、そう判断せざるを得ない。


 でも、よかった。

 私は、安心から胸を撫で下ろして吐息する。


 しっかりと調べてもらえば、私が無実である事はすぐにわかってもらえる。


「父上!」


 しかし陛下の決断に、リューゲ様が声を上げる。


「実の息子である私の言葉が、信じられぬというのですか?」

「そういうわけではない。それだけでは足りぬという事だ」

「彼女の犯行を見たのは、私だけです。それ以上の証拠など、探した所で出てくるとは思えない。私の言葉を不十分と断じるのなら、この事件を解決する事はできないでしょう。罪人をみすみす逃がし、咎める事ができなくなってしまいます!」


 リューゲ様は、強い調子で陛下に主張する。


 そんな……。

 リューゲ様は完全に私を犯人だと思い込んでいる……。


「では、あなたの証言が唯一の証拠だと、そう言いたいわけですね?」


 そんなリューゲ様に、アリシャ様はそう訊ねた。


「勿論だ。これが唯一の証拠であり、絶対的な証拠だ」


 リューゲ様は自信に満ちた様子で答え、アリシャ様はそれを受け止めて一息吐いた。


「……わかりました。では、その証言を今一度ここでお願いします」

「何?」


 思ってもみない提案だったのか、リューゲ様は訊き返した。


 私自身、アリシャ様の考えを量り兼ねる。


 私は陛下に調査してもらう事が、アリシャ様の目的だと思った。

 ならば、当然リューゲ様の証言は跳ね除けるべきものだ。


 だというのに、それを今ここで吟味するという。

 どういう意図を以って、彼女はそう言ったのだろう。


「他にないと言うのなら、その唯一の証拠を精査する以外にないでしょう。できるなら次は「見た」という話だけでなく、状況も含めてもっと詳細に証言していただきたい」


 アリシャ様は、リューゲ様へ手を差し出して証言を促す。

 彼女の表情は余裕に満ちており、そこには一片の不安も見出せなかった。

 それに対してリューゲ様は、表情を強張らせている。

 気圧されているようにも見えた。


 しかし、すぐさまその表情に自信が満ちる。


「いいだろう。証言してやる」

「……あ、少し待ってください」

「何だ?」


 勢いを殺がれ、不機嫌そうにリューゲ様は訊ねる。


「先に、確認しておきたいので……」


 そう言って、アリシャ様は私に振り返った。


「この城に来てから今までのあなたの行動を全て教えてください」

「わ、わかりました」


 そう乞われて、私はここに来てからの事を話した。


「そうですか。わかりました」


 少し考え込む仕草を見せると、アリシャ様はすぐにリューゲ様へ振り返る。


 その間際、彼女の表情が変わった。

 その瞬間を私は目の当たりにする。


 それは私へ向けた柔和な物ではない。

 瞳の色に相応しい、厳しく冷ややかな顔つきだった。

 私に向けられた表情ではないのに、思わず息を呑んでしまうほどの強い威圧感を覚えた。


「確認できましたので、どうぞ証言を」

「ふん」


 不機嫌そうに鼻を鳴らすと、リューゲ様は証言を始めた。


「私はラティオに会うため、彼女の控え室へ向かった」

「それは何時頃いつごろの事でしょうか?」


 アリシャ様が質問を挟む。


「時間は覚えていない。だが、ラティオが城に来たという話を聞いて、三十分ほどしてからの事だ」

「何故、三十分の間を置いたのですか?」

「私もすぐ会いに行きたかったがね。パーティの仕度がある。すぐに訪れる事は失礼であろう」

「それは確かに……」


 アリシャ様は手で示し、証言の続きを促す。


「そして彼女の控え室が見える所まで来た時、私は部屋から出て行くシージャを見た」


 そんなはずはない。


「私は、城に来てから一度もラティオの部屋に行っていません」


 私はそう弁明する。


「口でなら何とでも言える。それを証明できるのか?」

「証明……」


 証明は……できない。


「証明できていないのはあなたも一緒ではないでしょうか?」


 リューゲ様に対して、アリシャ様は言葉を返す。


「何が言いたい?」

「あなたがシージャさんの犯行を立証する証拠として用いている物は、あなたの目撃証言だけです。証拠能力としては、シージャさんの証言と大差ありません」

「私の言葉が信じられないと?」


 リューゲ様の問いに対し、アリシャ様はしばし間を置いてから答えた。


「……信じられるかどうかはともかく、王族の証言です。証拠能力としては高いでしょうね」


 確かに、公爵令嬢の私と王子では信用されるのは王子の方だろう。


 アリシャ様の答えに、リューゲ様は満足げな表情で笑う。


「それで?」


 アリシャ様は先を促し、リューゲ様が証言を再開する。


「その時は、シージャが友人に会うために部屋へ訪れただけだと思った。ラティオはすでにホールへ向かっていたらしくそこにはいなかった。だから私もホールへ向かい、ようやくラティオを見つけた。彼女はその時、シージャと一緒にいた」


 落ち込んだラティオを慰めていた。

 あの時だ。


「私は声をかけて……。ラティオは気分が優れないようだったので、控え室へ連れて行った。控え室で休んでいた彼女はしばらくして、部屋に置いていたはずのロケットがない事に気付いた。そして私にその事を告げたのだ」


 そこまで言うと、リューゲ様は私を睨みつける。


「その時に、私は事の真相を理解した。私が見たあの時のお前は、ロケットを盗み出すために無人だったラティオの控え室へ入ったのだ、と。だから私はすぐにここへ戻り、その罪を告発したというわけだ」


 リューゲ様が証言を終えると、静寂が場を支配し……。

 それも束の間に、ざわめきがホール中から聞こえ始めた。


「それで終わり……ですか?」


 アリシャ様は訊ねる。


「ああ。その通りだ」


 リューゲ様は自信に満ちた表情で答えた。


 今の証言……。


 何の矛盾も、おかしな部分もない。


 少なくとも、私が聞いた限りでは私に否定できる事はない。

 ラティオの部屋には行っていないが、先ほどそれを一蹴されたばかりだ。


 その部分を証明できない以上、私はそれを否定できない。


 これでは、私が犯人と思われても当然……。


 このままでは、私は本当に犯人とされてしまう。


 絶対……絶命……。

 それ以外に、今を表す言葉がない。


 不安に思いつつ、私はアリシャ様を見た。

 彼女の隣に移動して、その表情をうかがう。


 そして、驚いた。


 彼女は、笑みを浮かべていた。

 何も問題ないというような、自信に満ちた不敵な笑みだった。


 この状況で、どうして笑えるのだろう?


「どうだ? 何も言えまい」

「それは……どうでしょうね? まだ、あなたには語っていない事があると思います」


 リューゲ様の問いに、アリシャ様は口元をさらに歪めて言う。


「それは何だ?」


 その態度に、リューゲ様は怪訝な表情で問い返す。


「リューゲ王子は、去っていくシージャさんを見たのですよね? なら、それは当然後姿だった。違いますか?」

「……そうだが?」

「では、はっきりとその顔を見たわけではないのですね?」


 アリシャ様が問うと、リューゲ王子は小さな動揺を見せた。

 しかしすぐにその表情を消して答える。


「婚約者である私が、シージャを見間違えるわけがない。たとえ後姿であったとしても、な」


 そう、なのだろうか……。

 そこまで、リューゲ様は私の事を解ってくださっているのだろうか……?


 リューゲ様は、私に対して心を向けていなかった。

 自嘲的にそんな事を考えてしまう。


「はっきりと、言い切れるのですか?」

「ああ、言い切れる。あれは、シージャだった。間違いない」


 リューゲ様は、なおも言葉を続ける。

 アリシャ様は黙ったまま、その言葉に耳を傾け続けた。


「今でもはっきりと思い出せる。揺れる髪、その髪形と色、あおいドレスの色も、はっきりと……」


 その光景を思い出すように虚空を眺めながら、リューゲ様は語る。


「……ふっ。ふふふ」


 すると、今まで黙り込んでいたアリシャ様が、不意に笑い出した。


「何がおかしい?」

「今言った事は、確かな事ですか?」


 リューゲ様の問いに答えず、アリシャ様は逆に問い返した。


「……間違いない。絶対的な事実だ」

「なら、やはりおかしいですね」


 そして、少し遅れて問いに答えを返した。


「わかりませんか? あなたが絶対的だと断言した証拠が、たった今崩れ去ったんですよ」


 崩れ去った?

 どういう事だろう……。


「何?」


 顔を顰めるリューゲ様。

 そんな彼を前に、笑みを浮かべたドリルの令嬢は再び問いかける。


「藍いドレスの色を思い出せる。確かですね?」

「くどいぞ! これは間違いようのない、絶対的な事実だ」


 リューゲ様が答える。


 そして私は、アリシャ様の言葉で理解した。


 アリシャ様の言う、絶対的な証言が内包した矛盾……。

 それが何であるか、気付いてしまった。


 アリシャ様は人差し指をリューゲ様へ突きつけ、声を張り上げる。


「でも、それはありえないんですよ!」


 その指先に気圧されるように、リューゲ様は一歩退いた。


「何だと?」

「私は、騒ぎが起こる前にシージャさんとホールで会っています。シージャさんから聞いた話によれば彼女はその時、ラティオさんとリューゲ王子を見送った直後だったようです。その時の事はあなた自身も証言している」

「ああ。そうだ。シージャは盗みを働いた後、何食わぬ顔でラティオと会っていたのだ。つらの皮の厚い事だ」

「違います」


 アリシャ様は否定の言葉を発する。


「重要なのはその点ではありません。あなたがシージャさんをラティオさんの部屋で目撃したのがそれ以前だったという点です」


 リューゲ様の証言を元にすれば、私はラティオの部屋へ盗みに入り、その後ホールへ向かってラティオと会った事になる。


 するとリューゲ様の発言に、ある矛盾が発生するのである。


 そしてその矛盾を「あの時」一緒にいたアリシャさんは把握している。


「あなたの証言が確かならば、少なくとも私がシージャさんと出会う以前に盗みが働かれていた事になる。しかし、それはありえない」

「何を根拠に――」

「単純な話です。その時シージャさんは、藍色のドレスなど着ていなかったからです」

「は……え?」


 リューゲ様の口から、奇妙な声が漏れた。


「当初、シージャさんは桃色のドレスを着ていた。しかし、ある事情から着替えなければならなくなった。今着ている、藍色のドレスに」

「そ、それがどうした!」

「わからないんですか? 私とシージャさんが出会う前に犯行が起こなわれたという事は、あなたが目撃した犯行時のシージャさんは桃色のドレスを着ていなければならない。つまり、藍色のドレスなど、絶対に着ているわけがないんですよ!」


 そう、それこそが最大の矛盾である。


 私が着替えたのは、アリシャさんと会った後。

 リューゲ様が私の犯行を目撃したという時には、桃色のドレスを着ていなければならない。

 しかしリューゲ様は、犯行の時に私が藍色のドレスを着ていたと証言した。


「何かの、間違いだ……! 私は確かに、そのドレスを見た。彼女はずっと、その藍色のドレスを着ていた!」


 リューゲ様は反論する。


「……それは、ないと思います」


 そう口を挟んだのは、ラティオだった。


「私も、あの時の彼女が桃色のドレスを着ていた事を憶えています」


 おずおずと、ラティオは証言した。


「ラティオ。何故、そんな嘘を言う?」

「嘘じゃありません! 私は、はっきりと憶えている。むしろ、リューゲ殿下こそ何故そんな嘘を吐くんですか!」

「嘘、だと? 私は嘘など吐いていない! お前こそ――」


 リューゲ様は激昂し、怒鳴る。


「ともかく!」


 そんな時、アリシャ様が声を張り上げる。

 その声に、リューゲ様は口を噤んでそちらを向いた。

 他の者達の視線も、否応なくアリシャ様へと注がれる。


「これで証明されましたね。あなたの証言が、正確ではなかったという事が」


 アリシャ様に言われ、顔を強張らせるリューゲ様。

 やがて彼は、か細いで反論する。


「……いいや、違う。嘘などではない。これは……ただ、記憶違いをしてた……だけだ」


 今まで自分の主張を絶対的な物としてきたリューゲ様が、自分の証言が正確でなかったと初めて認めた。


 その表情には焦りの色が濃く、疲弊した様子にも見えた。


「そうですか。だとしても、私の証明は揺るぎません」


 そんなリューゲ様に、アリシャ様はさらに畳み掛けた。

 無情なまでに容赦なく追撃する。


「何?」

「少なくとも、あなたの証言は絶対的な証拠になりえない。その点だけは、証明できたはずですから」


 不敵に笑い、告げるアリシャ様。

 その言葉を聞いて、私は全てを察した。


 恐らく、このアリシャ・プローヴァという令嬢は、私の前へ立った時から全てを察していた。

 事件の全貌を見抜いていたのではないだろうか。


 あの時、陛下に再考を願い出た彼女は、調査ではなくリューゲ様の証言を訊く方向に話を誘導した。

 それはこうなる事をあらかじめ想定していたからだ。


 この方は議論の前にこう言った。


「では、あなたの証言が唯一の証拠だと、そう言いたいわけですね?」


 そしてリューゲ様は……。


「勿論だ。これが唯一の証拠であり、絶対的な証拠だ」


 そう答えた。


 これら一連の流れは全て、この時のため……!

 彼女の目的は、彼の持つ目撃証言の証拠能力を殺すためだったのだ。


 そのために陛下の判断を惑わせ、それに焦ったリューゲ様から自分の証言こそが絶対的な証拠であるという言質を取った。

 その言葉によって、リューゲ様を追い詰めていたのだ。


 さながら、蜘蛛が獲物を絡め取るように、周到に罠の糸を張り巡らせ……。

 そして、追い込んだ。


 たった一つの武器を壊された今、もはや王子に成す術はない。


 そしてアリシャ様は、そのたった一つの証拠《目撃証言》。

 そのあまりにもわずかで頼りない判断材料を以って、この答えを導き出し……。

 今、私の無実を証明したのだ。


 すごい……。

 なんて人だ……。

 その恐るべき深慮に触れた私を得体の知れない感覚が襲う。

 それは畏怖であり、驚嘆、そして尊崇が混じり合った不思議な感情の坩堝。


 やがてその坩堝は、私の中で憧れを形成し始めていた。


「これが、私の証明です。それでも藍色のドレスを着た人物が犯人だというのなら、それはシージャさんではありませんし……。絶対にシージャさんが犯人だったと主張するにしても、あなたの証言に証拠能力はない」


 アリシャ様の強い口調がホールへ響くと、周囲が静寂に包まれる。

 聴衆のざわめきも嘘のように、今はない。

 彼女の気迫が、全てをかき消してしまったかのようだった。


「……いや」


 そんな中、声を漏らしたのはリューゲ様だった。


「犯人はシージャだ……!」

「では、その証拠をお示しください。あなたの証言以外で」


 なおも食い下がるリューゲ様に、アリシャ様は冷静に返す。


「あれは確かにシージャだった。それだけは間違いない。上手く説明する事はできないが、長年の付き合いでわかるんだ」


 リューゲ様はまくしたてるように、そう答えた。


 私が犯人である。

 リューゲ様はなおも、その主張だけは変えないつもりのようだった。


「ああ、そうだ。お前の言う通り、私は嘘を吐いた。しかしそれは、この漠然とした直感のような理由では説得力がないと思ったからだ。あれがシージャだった事は間違いないんだ! それだけは、変わらない事実だ」

「自分の主張を通すためだけに嘘を吐く人間を私は信用できません」

「だとしても! 私はこの一点において嘘を吐いていない!」


 アリシャ様の言葉に、リューゲ様はなおも食い下がる。


「何より、彼女が犯人でないとするならば誰が犯人だというのだ!」

「それを証明する必要はありません。彼女が無実であるという事さえわかれば十分です」

「罪人を見逃せというのか? そもそも、私の証言一つだけで事を判断するには、あまりにも心許ない。さらに調査を続けるべきではないのか?」

「自分の証言以外に、証拠は何も出てこない。そう言ったのはあなたですよ」

「それは……」


 アリシャ様に次々と主張をあしらわれ、リューゲ様は言葉を失った。


「逆に、あなたは何故そんなに犯人を明らかにしたいのですか?」


 そんなリューゲ様に、アリシャ様は問い返す。

 リューゲ様は何かを答えようとしたが、言葉が出ないようだった。

 アリシャ様はさらに続ける。


「あなたは、シージャさんを犯人にしたいだけなんじゃないですか?」


 私を、犯人に?


「な、何を言っているんだ! そんな事は、絶対にない!」

「『絶対』、ですか。あなたの言う『絶対』という言葉はとても軽い。信用できませんね」


 リューゲ様は悔しげな表情になる。


「犯人は見つけなければならない……。そ、そうだ。ラティオのロケットがなくなったままだからな」

「彼女のロケット、ですか?」

「そうだ。彼女は、あのロケットをとても大事にしていたんだ。取り戻さなければ……」


 それは、確かに……。


「あの、犬の絵が入ったロケットを」

「「えっ?」」


 私と同時に、誰かが同時に声を上げた。

 見ると、声を上げたのはラティオだった。


 同じく彼女もこちらを見て、私達は自然と顔を合わせる形になる。


 彼女も驚いた……。

 という事は、彼女にとっても予想外の言葉だった。

 つまり……。


 そう、なのか……。

 そういう事なのか……。


 この事件の犯人が、わかってしまった。


 アリシャ様は、この事実《事件の犯人》も見抜いていたのだろうか?

 表情をうかがっても、その真偽はわからない。


 そして私は、その犯人をどうするべきなのだろう?


 私はアリシャ様に今日の出来事を話したが、あの事だけは伝えていない。

 あの秘密は、今も私とラティオだけのもの。

 そのはずだ。

 ついさっきのラティオの驚き方から見ても、間違いないだろう。

 ならば、私が口を噤んだままである限り、その矛盾は明らかとならないだろう。


「犬の絵、ですか?」


 アリシャ様は不思議そうに首を傾げる。


 たとえ事件の全てを見抜いていたとしても、武器がない以上アリシャ様にはこれ以上何もできない。

 できるとすれば、恐らく私だけだ。


 彼女に対して、私はどう答えるべきなのだろう。

 何も答えないべきなのか……。


 しかし答えるならば何を答えるべきなのか、それはとうに決まっている。

 ただ、それは……。

 その言葉を口にするという事は、あの方との決別を意味している。


 私は多分、今でもあの方が好きなのだ。

 たとえどのような方でも、私の事をどう思っていようと、私にとってあの方は特別なかただった。


 でも……。


 私は一度俯き、考え……意を決する。

 アリシャ様に向けて口を開く。


「アリシャ様、それは本当の事です。リューゲ様の証言は信用できないとあなたは言いましたが、少なくともその証言だけは……真実、です。ラティオのロケットには、犬の絵が描かれているんです」

「そうなんですか?」

「はい。短毛の小型犬の絵です」


 そんな私の言葉に反応して、リューゲ様が喜悦に満ちた声色で口を挟む。


「やはりお前は嘘吐きだ。ロケットに描かれているのは小型犬ではないし、もじゃもじゃの長毛種だった。お前の言葉こそ信用できないものではないか!」


 得意げに、リューゲ様は言う。


 私は一度、リューゲ様と顔を合わせた。

 その表情からは、余裕を一切感じられない。

 必死さだけがある。

 その必死さが、この迂闊うかつさを招いたのだろう。


 失った信用を取り戻そうとして、取り返しのつかない事を口にしてしまった。


「リューゲ様……」


 ラティオに名を呼ばれ、リューゲ様はそちらを見た。


「何故、それを知っているのですか?」

「え?」

「それを知っているのは、私とシージャだけなんですよ?」


 ラティオのその言葉に、リューゲ様の表情が次第に絶望へと歪んでいく。


「そ、そんな事はないはずだ……。ほら、前に見せてくれたじゃないか。な?」

「……いいえ。私はこのロケットを他人に見せないよう、気をつけていました。だから、見せていないと断言できます」

「嘘だ……」


 リューゲ様は冷や汗を浮かべた顔で、一言呟く。


「嘘を吐いているのは、あなたでしょう?」


 アリシャ様が言い、リューゲ様は弱弱しくも睨みつける。


「本来なら知るはずのないロケットの中身をあなたは知っていた。では何故、その中身を知っていたか……。あなたが盗んだから、ですね?」

「ち、違う」


 否定するリューゲ様。

 しかし、アリシャ様はさらに続ける。


「そしてあなたは、嘘を吐いてシージャさんに罪をなすりつけようとした。違いますか?」

「違うと言っているだろう!」


 リューゲ様は怒鳴るように答えた。


「何故、私がそんな事をしなければならない? 私には、盗みを働く理由などないはずだ」

「動機、ですか……。そうですね……」

「ほらみろ、答えられないじゃないか」


 リューゲ様は人差し指でアリシャ様を差し、疲弊した表情に笑顔を作る。

 彼にとってそれはわずかばかり見えた、光明だったのだろう。

 しかし……。


「……その動機なら、あなた自身が語ったのではないですか?」

「な、何だと?」


 アリシャ様の言葉が、リューゲ様の笑顔をすぐさま打ち消す。


「あなたはラティオ様と愛し合っていた。そう言いましたね」

「ああ。そうだ」

「なら、それが動機です。あなたは、ラティオさんと添い遂げたいと思った。だから、今の婚約者であるシージャさんが邪魔になったんです。違いますか!」


 強い口調で発し、アリシャ様は人差し指を突きつける。


「そ、そんな事は……わ、私はラティオと愛し合ってなどいない」

「じゃあ、それも嘘なんですか?」

「嘘など吐いていない!」

「ならそれを証明してください!」

「証明だと? 証明……それは……! で、できない」

「それでも信じろと言うんですか? あなたの語る言葉には、信じる価値のある物など何もないというのに!」


 強い口調でアリシャ様が告げる。

 リューゲ様の表情が、哀れなほどに情けない物へ変わった。


「あなたには犯行を働いた証拠も、動機もある。それらを否定する証拠はありますか? 証明する事はできますか? どうなんです? 答えてください!」


 そんなリューゲ様に、アリシャ様は次々に言葉を浴びせる。


 リューゲ様の逃げ道を一つ一つ塞ぐかのように……。

 発せられる彼女の言葉は容赦がなく、無慈悲にすら感じられた。


「ぐ、く……」


 リューゲ様はそれに反論しようとして……。


「うう……」


 何も答えられずに俯いた。


「あなたはシージャさんに、自分の婚約者である価値がないから婚約破棄をすると言った。でも、本当に価値のない……婚約破棄されるべきだったのは、あなたの方だったようですね」


 そんなリューゲ様をアリシャ様は汚らわしい物を見るかのように見下ろし、静かに告げた。




「リューゲ。ロケットはどうした?」


 陛下がリューゲ様に訊ねる。

 するとリューゲ様はポケットからロケットを取り出す。

 それをラティオへ差し出した。


 ラティオは歩み寄り、それを受け取る。

 そんな彼女に、リューゲ様は顔を向けた。


「私はただ、君が好きだっただけなんだ……」

「だったとしても、友人を傷つけた人を私は好きになれません」

「……こんな不運さえなければ、君にそう思われる事もなかったのに」


 リューゲ様は搾り出すように、悔しげな声で言った。

 そんな言葉をアリシャ様が否定する。


「違いますよ。あなたは別に、不運ハードラックダンスってしまったわけではありません」


 そんなアリシャ様に、リューゲ様は顔を向ける。


「あなたが彼女に関心を示さなかったからです。あなたのために着飾った彼女を、あなたがしっかりと心に留めていたなら……。その嘘も露見しなかったでしょう」

「……いいや、違う。お前だ」


 リューゲ様はそう言って、アリシャ様に人差し指を突きつけた。


「お前さえいなければ、全てうまくいっていた。お前さえ、いなければ……!」


 その言葉をアリシャ様は平然とした様子で受け止める。


「黙れ、リューゲ。部屋に戻っていろ。此度の事、追って沙汰を下す」


 陛下の言葉を受けて、リューゲ様はアリシャ様に背を向ける。


「この屈辱と恨みは、忘れない……」


 そう言い残し、リューゲ様はホールから出て行った。


「すまなかったな。シージャ。日を改めて、正式に謝罪させてもらう」

「そんな、恐れ多い」


 陛下にそう言われ、私は恐縮する。

 そして陛下は次に、アリシャ様へ向いた。


「それに、アリシャ嬢。苦労をかけたようだ」


 陛下はアリシャ様に向かって言う。


「え、あー。こちらこそ、申し訳ないと思っています。この場を騒がせてしまって……」


 アリシャ様も先程までの不敵さがどこへ行ったのか、恐縮した様子で答えた。


 陛下は一つ息を吐き、「そうだな」と小さく呟いた。

 周囲へ向けて声を発する。


「使者たちよ。騒がせて申し訳ない。引き続き宴を楽しみ、できるなら一時でも先ほどの醜態を忘れてもらいたい物だ」


 そして、陛下はその言葉でパーティを仕切りなおした。


 しかし、他国の使者達の話題は、リューゲ様の事で持ちきりである。

 周囲から聞こえる話から、それはうかがえた。


「アリシャ様、ありがとうございます」


 私はアリシャ様に頭を下げて礼を言った。


「そんな、私こそ出すぎた真似をしてしまって。騒ぎになってしまいました」


 本当に申し訳なさそうにアリシャ様は答えた。


 確かに、大変な醜聞を他国の人間に知られてしまった。

 これは国の威信に関わる問題だ。

 事が事だけに、リューゲ様にも重い罰が下るだろう。

 王位継承権を剥奪されるかもしれない。


 そして、一歩間違えば私にはその罪を背負う可能性があった。


「あなたがいなければ、私は濡れ衣を着せられて罰を受けていたかもしれません。あなたはそれを助けてくれた。私には感謝以外に、あなたへ向ける感情は何もありません」


 答えると、アリシャ様は表情を綻ばせた。


「なら、よかった。では、私は行きますね」

「はい」


 アリシャ様は、私に背を向ける。


「……あの」


 その背に私は声をかけた。

 その場から離れようとしていたアリシャ様が足を留める。


「また、会えるでしょうか?」

「わかりません。でも、十分にそれはありえる事だと思いますよ。またこの国にお呼ばれする事もあるでしょうし」

「そうですか」


 私は多分、それが嬉しかったのだろう。

 知らず、表情が笑顔を作っていた。


「引き止めて、すみません」

「いえ。では、また」


 そう言って、今度こそアリシャ様はその場から去っていく。

 彼女の行く先には、トレランシアの王子が居た。


「アスティ。なんだか、今回はずっとおとなしくしてましたね」

「いや、ちょっとね。事の顛末を見ていたら、少し心が痛くってさ」

「何にそこまで動揺してるんです? 口調が変わってますよ?」

「んんっ……。あの時の事を思い出してな。自分と照らし合わせてしまったんだ。そしたら、何もできなかった」

「……私との婚約を破棄しようとした時の事ですか? あれは私自身の行いが悪かったからですよ。気にする事じゃありません」

「だがお前はあの時、これほど悲しく悔しい事はなかったと言ったじゃないか」

「? 言いましたっけ?」


 そんなやり取りをしながら、二人は歩き去っていく。

 その姿が私には羨ましく思えた。


 けど、目を背けたいとは思わない。

 今はむしろ、それをずっと見ていたい気分だった。


「シージャ」


 ラティオが、私に声をかける。


「私は、リューゲ王子に想いを寄せていたわけじゃない。ただ、言い寄られてはいただけで……。それでもこんな事を言えば、シージャが傷つくんじゃないかと思って……」


 だから言えなかった。

 そうラティオは、弁明する。


「うん。本当は多分、私もわかってたんだ」


 リューゲ様がラティオに想いを寄せていた事。


 それにラティオは、私を裏切らないという事……。


 わかってたんだ。

 そんな事は……。


「でも、私は自分の感情でその目を曇らせていたんだと思う……。だから、あなたを信じられなかった。ごめんね。ラティオ」

「私の方こそ、あなたを少し疑ってしまった。……ねぇ、シージャ。私はあなたとまだ、友達でいていいの?」

「それは、私も訊ねたい事だった。ラティオこそ、私をまだ友達だと思ってくれる?」

「ええ。もちろんよ」


 そう答え、ラティオは笑みを浮かべた。

 今日、初めて見た彼女の笑顔だった。



 目を背けなければ、もっとできる事があったかもしれないのに。

 こんな事にはならなかったのかもしれないのに。


 私は、証明する事をしなかったんだ。


 だから私は愛情を失った。

 けれど、友情を失わずに済んだ。


 あの人が代わりに証明し、助けてくれたから。


 だから私は、あの人のようになりたい。

 あの人のように、真実を証明して人を助けられる人になりたい。


 その時は漠然と、しかし強い気持ちでそう思った。




 半年後。


 ラティオが私の家へ訪れたのは、私が安楽椅子で本を読みふけっている時の事だった。

 一度本から顔を上げ、前髪の一部にセットした小さなドリルの出来を確かめていると、使用人が彼女の来訪を告げた。


 部屋に通すように言うと、ラティオは一人の女性を伴って部屋へ入ってきた。


「ごきげんよう。ラティオ。そちらの方は、クライエント伯爵令嬢かな?」


 私はそう訊ねた。

 それに対して、ラティオとクライエント伯爵令嬢は驚きを見せた。


 伯爵令嬢と私は、今まで一度も話をした事がない。

 驚くのも当然だろう。


「どうしてわかったの?」

「話をした事はないけれど、あなたという人物の話は聞いた事があるからね」


 彼女自身の事はわからないが、彼女の知り合いは何人か彼女と面識がある。

 その知り合いから聞いた話と彼女の特徴を合わせて、私は彼女の正体に行き着いたわけだ。


「そしてあなたは今、困っている。身分違いの恋がその原因かな?」

「何故それを?」


 先ほどよりも強い驚きを見せ、クライエント伯爵令嬢は訊ねた。

 私は、自分の胸を示して答える。


 その動作で察したように、クライエント伯爵令嬢は自分の胸元にあるブローチへ触れた。

 タンポポをモチーフとした小さなブローチだ。


「タンポポはこの国の貴族社会においては下賤とすらされる花。

 打って代わって庶民の間では、親しまれている花でもある。

 それをモチーフに作られたブローチは庶民向けに作られた物だろう。

 なら送り主は貴族ではない、庶民の出だ。

 状態からも大事に使っている事がわかる。

 これは誰か、大事な人に貰ったから。

 大事な相手となれば、やはり恋人ではないか、と思ったのだけど……」


 違うかな?

 と私は視線で問いかける。


「……はい。あなたのおっしゃる通りです。私はある身分違いの方を慕っています。そしてその方は今、大変な状況に陥っています。だからラティオ様に紹介され、ここに来ました」

「お聞きしましょう」

「我が家で盗難事件が起き、その犯人として私の想い人が犯行の容疑をかけられてしまったのです。でも、あの方はそのような事をする方ではありません。だから……」

「ふむ……。わかりました。私にどこまでできるかわかりませんが。力になりましょう」


 私が答えると、彼女は強張っていた表情を和らげた。


 盗難事件、か。

 まるであの時のようだ……。


 あの人のようになりたい。

 私はそう思い私は、困っている人の話を聞くようになった。


 自分にできる範囲の協力を惜しまず、いくつかの悩みを解決していった。

 やがて、こうした事件への協力を依頼されるようにもなったけれど……。


 少しはあの方に近づけただろうか?

 困っている誰かを助けられる、そんな人になれただろうか?


 いや、違うね。

 そうなるだけではダメだ。

 そうあり続ける事がきっと大事なのだ。


 そんな事を思いつつ、私は安楽椅子から立ち上がった。


「じゃあ、行きましょうか」


 ただ私は、求められる限り証明し続けよう。

 あの日、私を信じて証明してくださったあの方のように。


 あの方に追いつけるまで。

 そして追いついても、ずっと……。

 できるだけ短くするため、トリックを単純に、犯人を雑魚に、と心がけて書きました。

 早めに投稿したかったからだったのですが、結局時間がかかってしまいました。


 あとテンポアップのために出番を削ったら、アスティがメンタル弱い子みたいになってしまった……。


 おまけ


 今回のアリシャの内心について。


「……わかりました。では、その証言を今一度ここでお願いします」

(状況ようわからんけど、とりあえず証言聞いておかしな所探ってみたろ)


 彼女は、笑みを浮かべていた。

 何も問題ないというような、自信に満ちた不敵な笑みだった。

(あかん。証言がシンプルすぎて付け入る隙がない。絶体絶命や。でも、それを悟られたらやりにくいから不敵に笑っとこ)


「それは……どうでしょうね? まだ、あなたには語っていない事があると思います」

(そや、適当にいちゃもんつけて揺さぶってみたろ)


「嘘を吐いているのは、あなたでしょう?」

(別に犯人当てるつもりなかったけど、なんか自爆したみたいやから追及しとこ)


 場数を踏んだアリシャは余程驚かないと表情を崩しませんが、内面はいつもいっぱいいっぱい。

 いつも絶体絶命のピンチです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かったです。 アリシャの一本気さがかっこいい。 ブローチを大切にしているところが、可愛くて愛しいです。 [気になる点] アスティがマッチョ設定の割に、立ち回りがなかったのが気になりまし…
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