十一話 最後の証拠
バルコニー。
俺はアリシャへと、さらに踏み込むように問いを発する。
「まだ、答えてもらう事がある」
「なら早く、言ってください。聞いてあげます。そして、聞いた上で全て論破してあげますよ」
彼女は小さくため息を吐くと、小さなドリルを人差し指で玩び始めた。
もはや、この議論から興味を失せさせているようにも見える。
その余裕の姿を見せ付けられると、自分ではどうあっても彼女の気持ちを証明する事ができないような気がしてくる。
だが、俺は止まらない……!
どれだけ困難な道であろうと、歩みを続けて彼女の気持ちを証明する!
それが俺の望むものであっても、望まないものであっても構わない。
俺は、彼女の事を知りたいのだ。
だから、次だ。
「お前はアオイとテクニカから、求婚されたな」
「ええ。まぁ」
「しかし、それをお前はどちらも断った。何故だ? 俺に対して、愛情を抱いてくれているからじゃないのか?」
「……ちょっと待ってください。テクニカくんはともかく、どうしてアオイくんとの事を知っているんですか? あの時、あの場所には私と葵くんしかいなかったはずですよ!」
問うと、アリシャは軽く驚いた様子で問い返した。
「……すまない。隠れて盗み聞きしてた」
そう、あの時俺は、二人の話を聞いていたのだ。
ヒノモトの言葉ではあったが、俺はその言語を習得している。
だから、二人の会話の内容を理解する事ができた。
「人の会話を盗み聞くなんて王族として……人としてどうなんですか?」
「すまない……」
強い口調で非難するアリシャ。
全面的に自分が悪いので、俺はそんなアリシャにただ謝る事しかできなかった。
「それは俺が悪かった。……だが、答えてもらうぞ。どうして、求婚を断ったのか」
「そんなの、婚約者がいるのに応じるなんて不誠実極まりないじゃないですか」
「……それだけか?」
「どちらもそう言って断っていたはずですが?」
まぁ、そうだった。
「ただ、今となってはそれだけじゃありませんが」
「何? ならどういう理由で?」
一抹の希望を覚え、俺は聞き返す。
すると、彼女は周囲に目をやってから俺だけに聞こえる小さな声で答えた。
「赤頭巾」
彼女は一言告げる。
その一言で、彼女の言わんとする事を察した。
その名は、他の人間に聞かれるわけにいかないものだ。
「その存在を知っていいのは王族だけ。本来なら、王族でないにも関わらずその名を知っている私は処分されるはずだったんです。それでも見逃されているのは、王族の婚約者だからです」
王族の、と言いながらアリシャは俺を指差した。
「そう、釘を刺されたんですよ。私は」
そうだったのか……。
「だから、私が命を永らえるためにはあなた以外の相手を選べない。そういう事です。断じて、あなたが好きだから求婚を断った、なんて恥ずかしい勘違いはしないでくださいね」
彼女は言いながら、人差し指をドリルから離して俺の方へ差し向けた。
ぐっ……。
あの人差し指で差されると、謎のダメージがある。
純粋に告げられた言葉からダメージを受けただけかもしれないが……。
もう、部屋に帰って布団で丸まってしまいたくなってきた……。
いや、駄目だ。
まだ諦めないぞ。
傷ついても、前へ……。
一歩でも前へ……。
「……じゃあ、あの日。昼食に誘ってくれたのは何故だ?」
「昼食? ……ああ、あの時の」
そう。
少し前、俺は彼女から昼食に誘われた。
何故、誘ってくれたのか。
それは、俺に愛情を感じてくれているからじゃないのか。
そう思ったのだ。
「あの時にも言ったはずですよ。アサリの出汁は好きだけど、アサリの身が好きじゃないから、と。アサリの身を食べてくれる人なら、誰を誘ってもよかったんです」
「なら、俺でなくともよかったはずだ。それこそ、レニスを誘ってもよかった。なのにどうして、俺を誘ってくれた?」
「王子の言う通り、誰でもよかったんですよ。思い立った時、たまたま目の前に王子がいたから誘っただけです。その時、目の前にレニスかアオイくんがいたらそっちを誘ってました」
うーん。
もっともな話だ。
反論の余地がない。
その時にレニス嬢ならともかく、アオイを誘っていたらショックを受けていたかもしれない。
つ、次だ……。
次……。
次……。
次は……ない。
言葉が出なかった。
「もういいでしょう?」
アリシャは俺に告げる。
「私が王子を愛しているかどうかなんて、そんな事……。どうあっても、私達は結婚する事になるんです。……まぁ、あなたがそれを望めば、ですけど」
そう。
俺達は、婚約者同士だ。
愛情を確かめ合う必要もなく、結婚する事が決まっている。
なら、本当にこの議論は無駄な事なのかもしれない。
でも俺は、どうしてもその気持ちを確かめたかった。
確かめたいと思ってしまっているのだ。
それは俺が……彼女を……いるから……。
……しかし。
本当に、全て論破されてしまった。
もう、何もない。
俺が気持ちを確かめたいと思ったとしても、その手段が既にない。
どう足掻いても、もう彼女の気持ちを確かめる事ができない。
もう、進めない。
進むための道が……ない……。
俺とアリシャとの間には、もう歩むための道《根拠》が何もない。
あるとすれば、二人を別つ断崖だけ。
おしまいだ。
もう、議論は続けられない……。
やはり、俺の勘違いだったのだろうか?
彼女が俺を愛してくれている。
そんな物は、俺の中だけにある妄想だったのだろうか……。
確信があったはずなのに。
それが今は揺らぎ、とても儚くなっている。
俺はうな垂れた。
「終わり、ですね」
彼女が無慈悲に告げる。
手すりから体を離し、バルコニーから出て行こうとする。
彼女の背が、離れていく。
届かない。
俺では、彼女に歩み寄る事すらできないのか……。
「待ってくれ」
そんな彼女を、俺は呼び止めていた。
「何ですか?」
振り返り、彼女は訊ね返す。
もう、何もない……。
……本当にそうなのか?
本当に俺は、全てを出し切ったか?
いや、そんな事はない。
俺はまだ、日和っていたのかもしれない。
一つだけ、あった。
彼女の気持ちを確かめられるかもしれない方法が……。
論理も証拠も通じないのなら、残るのはハッタリだけだ。
切れる身はまだある。
それを俺は、躊躇っていたのだ。
その躊躇いも、今捨てる時だ。
「いや、このまま終われない」
「まだ、何かあるんですか?」
アリシャは溜息を吐いて返した。
「ああ。これが最後だ」
彼女はドリルに指を絡めたまま、小さく「ふむ」と唸る。
「じゃあ、聞きましょう」
呼吸を整える。
そして、俺は言葉を紡ぎ出した。
正直に言えば、これを口にする事は勇気と覚悟がいる。
それはこの議論を切り出した時以上のものだ。
だが、俺がアリシャに勝るためには、身を切る覚悟が必要だ。
そしてこれこそ、俺が切れる身の最後の一切れだ。
「思えば、お前とは長い付き合いになるな」
「そうですね」
「俺は、お前が婚約者になったその時から、お前の事を理解しようとしていた。でもそれは婚約者であるから、という部分があったからだ」
「そうですか」
俺の言葉を適当にあしらうように、アリシャは言葉を返してくる。
それでも俺は、構わずに言葉を続けていく。
「けれど、本当の意味でお前を心から知りたいと思うようになったのはこの半年足らずの間だけだったかもしれない」
「……」
「その時間で、お前を心から知りたいと思い、お前の事を知っていくと……。知れば知るほど、俺のお前へ対する気持ちは変化していった」
「で、結局何が言いたいんです?」
痺れを切らしたように、アリシャは素っ気無く訊ね返してきた。
「ああ。そうだな。こんな前置きなんて、いらないんだ。お前に言いたい事は、ただの一つ」
俺は、大きく息を吸い込んだ。
そして、告げる。
「アリシャ……! お前の事が好きだ! 婚約者かどうかなんて関係ない! 一人の人間として……そして一人の女性として、この世界の誰よりもお前を愛してる!」
思えば、俺は彼女の愛情を問うばかりで、自分の愛情を示す事をしなかった。
でも、それこそが必要だったのだ。
俺は、彼女の気持ちを確かめたかった。
それは、俺が彼女の事を愛しているからだ。
俺は今まで、アリシャの気持ちだけを明らかにしようとしていた。
だが、それではいけなかった。
一方的で、不公平だ。
だから俺は、彼女の気持ちを明らかにする前に、自分の気持ちを明らかにしなければならなかったのだ。
「はぁ? 何、恥ずかしい事言っているんです?」
アリシャはそう答える。
さきほどまでと変わらず、辛辣な言葉が返ってくる。
けれど、そんな彼女を見たからこそ俺は確信した。
俺の考えは、間違っていなかったのだと。
「これが証拠だ」
俺は、ポケットからコンパクトの鏡を取り出した。
控え室で、母上から受け取った物だ。
その鏡面をアリシャへ向ける。
鏡面には、彼女の今の表情が映し出された。
真っ赤に染まった、恥ずかしそうなその表情が……。
よほど驚いたのか、奇妙なポーズまで取っている。
その際に玩んでいたドリルから指が離れ、その拍子にドリルが一瞬で解けてしまっていた。
今まで形を保っていたのに、どうしてそんなすぐゆるふわストレートになる?
どうなってるんだ、お前の髪質……。
まぁ、それはともかく。
「その赤面、そして動揺が証拠だ。気のない相手から告白されたとしても、そうはならない」
「乙女心は複雑なんです! 気のない相手からでも、異性から告白されたら顔ぐらい赤くなります!」
「だがお前は以前、アオイからも告白されている。それに今日だって、テクニカから求婚された。だがそのどちらも、赤面する事などなかったじゃないか」
それはしっかりと目撃している。
しかも動揺するどころか、アオイにもテクニカにも可哀想なくらい即答して断っていたじゃないか。
「ぐ、がが……」
アリシャが令嬢にあるまじき声で呻いた。
「お前が今示した真実は、俺がお前にとって特別だからという事の証明になるんじゃないのか?」
俺は、そう告げて人差し指を突きつけた。
さぁ、どうだ?
これ以上は、もう何もない。
本当に、最後の証拠だ。
これで駄目なら、俺に彼女の気持ちを証明する術はない。
俺は、アリシャへ強い眼差しを向ける。
彼女もまた、赤面しながら俺の目を真っ向から見返す。
両者共に一言も漏らさず、静寂が辺りを包む。
しかし、互いの間には強い緊張感が張り巡らされていた。
そんな中、彼女の小さな口がかすかに動く。
その様に不安と焦りを覚えつつ、彼女の言葉を待つ。
息を吸い込み、そして……。
「くしゅっ……」
可愛らしいくしゃみが、静寂を破った。
「ふっふっふ」
彼女の口から、不敵な笑みが響く。
彼女は得意げに言葉を続ける。
「ふふ、私の顔が赤い? そうですね。それは当然ですよ。だって、熱がありますからね」
「ん?」
思いがけない言葉に、俺は気の抜けた声を出した。
俺は彼女に近づき、その額へ手をやる。
「な、お前、凄い熱だぞ!」
「いやぁ、こんな季節に寒中水泳なんてするもんじゃありませんね。見事に風邪を引いたみたいです」
あの時か……。
彼女は証拠を探すため、庭の池へ入っていった。
冬の寒さで冷え切った、池の中へ……。
「だから、顔が赤くなるのも当然、でしょう……?」
今得意げに言う事か!
そうこうしている間に、彼女の顔色がさらに赤みを増す。
羞恥による赤面ではない、茹ったような顔の赤さだ。
「大丈夫か、お前!」
「ちょっと、くらくらして、視界が奇妙な事になってきましたね……」
「大丈夫じゃないな!」
言うと、彼女の体が傾いだ。
「おっと」
倒れてくる体を受け止める。
彼女の体の熱が、伝わってきた。
「ああ……冷たい外気が気持ちいいにゃ……」
言いながら、彼女は目を閉じた。
語尾がおかしい。
相当にまずい様子だ。
「アリシャ? アリシャ!」
返事がない。
意識を失ったらしい。
しかし……。
「なんて追求のかわし方だ……」
これでは俺の頑張りも、最後の証拠も意味がない。
「酷い奴だな……お前は……」
俺は寒空の中、ため息を吐き……。
彼女の軽い体を抱き上げた。
力を失い、体を預ける彼女。
無防備な彼女の姿。
荒い呼吸に上下する胸。
息を吐く唇……。
俺はそんな彼女の……額に口付けする。
「そして俺は、卑怯で臆病だ」
そう呟くと、城内へ戻っていった。
アリシャは真実を得るために進み続け、アスティは歩み寄るために歩き続ける。
ブローチはもう落とさないように、家で大事に保管しています。




