九話 たった一つの決定的な証拠
私は……。
結果として、音を消す手段を思いつく事ができなかった――。
けれど、それは音を消す手段に思い至らなかったというだけに過ぎない。
消す事ができなければ、隠せばいい。
その手段には思い至った。
「花火」
私は笑みを作り、彼女へ一言告げた。
「何?」
「ご存知の通り、今夜王城では花火が催されたんです。そして、守衛の二人が証言していましたね。発砲音が聞こえたのは、花火が終わった後の事だった、と」
私はシヤンさんを見やる。
その表情から、感情の色は読み取れない。
何を思い、私の言葉を聞いているのか……。
もしかしたら、私の推理は的外れで、だから何も動じていないのかもしれない。
そんな不安を覚えさせる表情だ。
思えば、彼女が見せる表情。
そこから見出せる感情は、怒りだけだった。
冷たい無表情と熱い怒りの感情。
それだけが、私の中にある彼女という人間の全てだ。
得体の知れなさを覚える。
そんな彼女を前に言葉を紡ぐ事に、私は不安を拭い去れない。
それでも、私は口を噤むわけにはいかなかった。
勇気を振り絞り、一言一言を発していく。
「つまり、その発砲音が聞こえるまでの間、現場では花火の音が響き続けていたという事です。そしてその花火の音は、現場で発せられた音を全て隠してしまっていた。些細な物音も――」
私はシヤンさんに、強い眼差しを向けた。
「銃の発砲音ですら」
言葉を向ける。
しかし、シヤンさんは答えない。
彼女は腕を組み、私の言葉を聞いていた。
「あなたの犯行は、花火の上がっていたその最中に行われたんです」
そう、花火の音は大きく、双子の守衛の耳にも入っていた。
そんな中でなら、多少の物音も誤魔化せるし、銃声を隠す事もできる。
発砲音が聞こえたとしても、それは花火の音として誤認させられる。
つまり、事件の全容はこうだ。
サクレ外交官から合図を受けたシヤンさんは、この部屋の直下にある部屋へ向かった。
下ろされた縄梯子から二階へ上がり、出迎えたサクレ外交官を射殺。
この時には花火が上がっていて、その際の発砲音は花火の音に紛れて誤魔化す事ができた。
殺害後、サクレ外交官に眠らされたアスティを入り口の方面へ運び、遺体の左胸へアスティの剣を刺した。
サクレ外交官の遺体に銃を握らせた状態で入り口側の壁を銃撃。
その発砲音で守衛が室内へ入ってくる前に、ドアの内側へ身を隠した。
そして彼女は、人が集まってきた後でその混乱の中姿を現した。
これが私の証明。
事件の全景だ。
「どうですか? これなら十分にこの犯行は可能ですよ」
私は強い口調でシヤンさんを追及した。
が、シヤンさんは動じた様子もなく私の目を見返した。
「小賢しい……」
「え?」
シヤンさんは小さく告げ、私は思わず訊き返す。
「確かに筋は通る。しかし、お前の推理には証拠がない」
「それはあなたの推理も同じ事です」
「その通りだ。どちらの推理も筋が通るだけで証拠はない。同じ事だ」
確かに、そうだ。
私は彼女の犯行である可能性を提示した。
けれど、それを真実として断定できたわけではない。
彼女の語った推理もまた、否定できる物ではないのだから。
そのための証拠を出したわけではないのだから。
そう、証拠だ。
真実を解き明かせるだけの証拠を、私達は互いに持ち合わせていない。
「ティーカップの中の茶が残っていれば、白黒着いたかもしれないがな」
でも、それは残っていない。
どちらも飲み干され、なくなってしまった。
全てカップに注がれたためか、ティーポットの中にも何も残されていなかった。
「レセーシュ王子。液体の乾いた跡から薬の有無を調べる方法ってありませんか?」
私はレセーシュ王子に訊ねた。
「……聞いた事がない」
しかし、彼は無常にもそう答える。
睡眠薬の有無を証拠にする事はできない。
「なら、証明はできないな。それとも出せるのか? 他に、決定的な証拠を」
「それは……」
……何も、ない。
証拠が、何も……。
私は答えられなかった。
これでは、アスティの無実を証明できない。
でも、このままでもいいかもしれない。
アスティが絶対的な犯人ではなくなったのだから。
疑いは残るかもしれないけれど、私の推理を信じてくれる外交官も何人かはいるだろう。
だから、ここで終わっても……。
本当に、そう?
自問自答する。
その答えはわかっている。
わかっていながら、私は自分に問いかけた。
私は、アスティが無実だという事を知っている。
なのに、謂れのない罪で疑われるという理不尽が、私には許せない。
私自身、それが辛い事だと知っているから。
やはり、真実が必要だ。
彼を助けるために、真実が欲しい……!
誰よりも、私は真実が欲しい!
諦めたくない!
本当に、もう何もないのか?
私の推理を決定付ける証拠が……。
考えろ……!
もっともっと考えろ!
私!
考えている内、気付けば私は右手の人差し指で自分の髪をくりくりと巻いていた。
指を抜くと、巻かれた髪の毛がその形のまま外れた。
小さいけれど、縦ロールのようになっている。
こんなんで固まるとか、私の髪質はどうなってるんだろう?
そう思うと、少しだけ笑えた。
ちょっとだけ、心にゆとりができる。
小さくとも、これがあれば貫き通せなかった真実にも、到達する事ができるかもしれない。
真実へ向けて、掘り進んでいく事ができるかもしれない。
さぁ、本当に証拠はないのか?
何か、忘れている物はないだろうか?
私の推理の中で、まだ証明されていない事がなかっただろうか?
あるはずだ。
私の推理とシヤンさんの推理。
その二つで、決定的に違う部分。
あるはずの物がなくなっている。
そんな気がする。
「はっ」
そして私はある事を思い出し、声を上げた。
サクレ外交官の遺体へ目を向ける。
「待ってください」
「何だ?」
「証拠なら、あるかもしれませんよ。決定的な物が」
恐らくこれが最後の証拠。
それも、真実を暴くための決定的な証拠となる。
「言ってみろ」
言われ、私が指したのはサクレ外交官の遺体だった。
「証拠はそこにあります」
「サクレ様、だと?」
「正確には、その体の中……。左胸の傷口に!」
私は強い口調で言い放った。
そのまままくし立てる。
「彼の背中には、傷がありませんでした。剣も銃弾も、何も貫通していない。つまり、彼が銃殺されたのだとすれば、その銃弾はまだその体の中に残っている可能性がある」
そう、取り出す事はできなかったはずだ。
銃弾を取り出すには傷を広げなければならない。
出血が増え、その返り血を浴びる可能性もあった。
なら、下手な事はできない。
だから、剣を突き刺した。
それはアスティへ罪を着せるためであり、銃殺である事を誤魔化すためであり、そして何より銃弾が体の中に残っている事を誤魔化すためという三つの理由があったからだ。
つまり、銃弾はまだサクレ外交官の体の中に残っている。
彼女は、この国の人間の手による現場検証を頑なに拒否し続けていた。
それは遺体を調べられれば本当の死因である銃弾が出てくるから。
そういう事なんじゃないだろうか。
「どうですか? 彼の遺体を調べれば、全てがはっきりしますよ」
これが私の証明だ。
このたった一つの証拠が出てくれば、恐らく彼女の罪を立証できる。
私は彼女の表情をうかがった。
そんな時だった。
彼女はかすかに笑った。
優しさすら感じさせるような、そんな微笑。
不意の笑顔に、意表を衝かれる。
「なるほど。言いたい事はわかった。……ならお前は、その推理に命を賭けられるか?」
「どういう意味ですか?」
「お前の推理によれば、サクレ様の銃弾は守衛を呼ぶために放たれた。つまり、私がサクレ様を殺害するためには、もう一発の銃弾が必要になる」
シヤンさんは、自分の拳銃を手に持った。
その銃口を私の額へと向けた。
「つまり、私の銃の銃弾だ」
彼女の笑みが深まる。
「ははは……」
口角が上がり、そして……。
縫い合わされていた口端の傷が、解けた。
口が笑みの形に裂ける。
氷のように冷ややかな無表情と炎のように激しい怒り。
その二つだけを見せ続けた彼女の顔が、今また別の様相を呈していた。
それは笑み。
しかし、それはアンバランスで禍々しい。
狂気を感じさせる物だった。
「この銃に銃弾は入っていない。お前はそう言っている。なら、ここでお前の頭を吹き飛ばしても構わねぇな? そういう事だよなぁ? ええ? はーはっはっは!」
なるほど。
そういう事か。
サクレ外交官の遺体を調べ、銃弾が発見されればそれは証拠になる。
けれど、サクレ外交官の遺体を調べるまでもなく、それを証明する手段が存在する。
彼女の銃を調べる事だ。
サクレ外交官と彼女の銃には、一発ずつしか銃弾がなかった。
そして、私の推理が正しければ彼女の銃に銃弾は残っていない。
それは決定的な証拠になる。
その証拠を今得るために、彼女は私に命を賭けろと言ったのだ。
ここで彼女が銃を撃てば、彼女の銃に銃弾が残っているかどうかが判明する。
私の推理が正しければ、銃弾は出ない。
でも、私の推理が間違っていた場合は……。
引き金を引かれた瞬間、私の頭は吹き飛ばされる事となるだろう。
私は自分なりに正しいと思い、推理を展開した。
けれど、実際に銃口を向けられ、引き金を引かれる事のなんと恐ろしい事だろう……。
推理を撤回し、すぐにでも謝りたいくらいだ。
そう思いつつ、私は答えた。
「……ええ、構いませんよ。つまりそれは、この銃に弾が入っていなければ自分の罪を認めるという意味ですよね?」
「ああ、認めてやるよ」
シヤンさんの言葉を聞き、私は銃口を掴んだ。
自分の額に強く押し当てる。
「じゃあ、撃ってくださいよ」
すると、背後から声が上がる。
「やめろ! アリシャ! 危険だ!」
声の主は、アスティだ。
「王子は殺していないんでしょう?」
振り返らず、私はアスティに問うた。
「殺していない。だが……」
「だったら、大丈夫です」
彼が息を呑む。
その喉の音が聞こえた。
「はっはっは。イカレてるな!」
そんな楽しげな声が聞こえてくる。
これは恐らく陛下の物だろう。
「勇ましい事だな」
シヤンさんが言う。
「いいえ。私はただ、王子を信じているだけです。王子は殺していない。それを証明するだけです」
「そうか……。なら、これで終わりだ。さようなら、アリシャ・プローヴァ。お前の事は忘れないよ」
撃鉄が引き上げられ、ゆっくりとシリンダーが回る。
彼女の指によって、引き金が引き絞られる。
そして……。
……カチッ……。
撃鉄の空を切る、呆気ない音が……。
静かな室内へ響き渡った。
銃弾は……なかった。
証明されたのだ。
彼女の罪が。
「……はっはっはっは……ははっ、はははははははっ!」
沈黙を破ったシヤンさんの笑い声は次第に大きくなり、そしてその笑い声はしばらく止まなかった。
それからしばらくあって、シヤンさんの笑い声は治まり……。
彼女は城の守衛によって拘束された。
その後、サクレ外交官の遺体が調査され、その傷口からは銃弾が発見された。
フリントロック式ではない、リボルバー用の弾である。
それは彼の死因を証明すると同時に、使われた銃がシヤンさんの銃から放たれた物である事を証明する確かな証拠でもあった。
「あなたにとって、サクレ外交官は大事な主だったはずだったのではないのですか? 国に命じられたからと言って、殺す事に躊躇いは覚えなかったのですか?」
私は、連行されようとしていたシヤンさんに訊ねた。
彼女の顔の下半分には、裂けた口の手当てのため包帯が巻かれていた。
その状態でも、彼女の表情はうかがえる。
今の彼女の顔からは笑みが消えていた。
厳しさのある硬い無表情だ。
そんな彼女が立ち止まり、答えた。
「一つ、お前は勘違いをしている。私は命じられて今回の事を成したわけではない。私はただ、主のために何かしたいと思っただけだ」
彼女は顎を上げ、虚空を見やる。
それは、ここではないどこか遠くを見やるようにも見え……。
「サクレ外交官のために?」
「いいや、あのような俗物を主と仰いだ事はない。私が奴を守り、傷を負ったのも本当の主を思っての事……。私は主に受けた恩を返すためならば、何であろうとして差し上げたかった。それだけの事だ」
彼女が誰を想い、そう語ったのか……。
私にはわからなかった。
事件は終わりましたが、もう少しだけ続きます。




