表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
絶体絶命悪役令嬢  作者: 8D
絶体絶命第二王子
44/74

七話 利点

 池の中を探索した私は、その水底から縄梯子を見つけ出した。


「やった……」


 思わず、歓喜の声が上がる。


 その喜びは、一時いっときだけ寒さを忘れさせてくれた。


 でも、本当に一時。

 いや、一瞬だけだ。


「…………っ!」


 見つけたからには、こんな場所に長居はしたくない。


「寒い!」


 あまりの冷たさと寒さに、強く声を上げて池の外を目指して進む。

 けれど、動くたびに揺れる水面が、一層の冷たさを体に伝えてきて、なおかつ水中の歩き難さもあって急いで出ようにもなかなか池の外へ出る事ができなかった。


 なんとか池から出るも、次に感じたのは外気の冷たさだ。

 濡れた服を風が撫でると、更なる寒さが私を襲う。


 歩く度に一層冷たくなったスカートの裾が足に当たり、歩幅を狭めた。


「凍っちゃう凍っちゃう凍っちゃう……」


 私はそんな事を言いながら、小刻みに歩を進めた。

 その間も濡れたドレスと夜風は、容赦なく体温を奪っていった。


 でも、こんな事言っている間は、まだ余裕だな。

 手がかりを見つけて、心に余裕ができたからかもしれない。


 私は一度振り返り、上を見上げた。

 二階のベランダだ。

 そこには、こちらを見下ろすシヤンさんの姿がある。

 その姿は、二階の部屋の明かりに照らされてよく見えた。

 ただ、後光になっているのでその表情はうかがえない。


 私は彼女へ、縄梯子を掲げて見せた。


「おい」


 そんな時だ。

 レセーシュ王子が私に駆け寄ってきた。

 その手には、毛布が握られている。


「お前は何をやっているんだ」


 そう言って、レセーシュ王子は私の体に毛布をかけてくれた。


「証拠を見つけましたよ」

「それはたいしたものだ。だが、とりあえず着替えて来い。風邪を引くぞ」

「はい」


 お言葉に甘えさせてもらおう。

 この姿のままずっといるのは耐えられそうにない。




 控え室で服を脱ぎ、水を拭ってから服を着替えた。

 城へ来た時に着ていた自前のドレスだ。

 髪の毛が完全に乾かないまま、私は控え室を出る。

 縄梯子と手すりの傷が合うのかすぐにでも確かめたかったので、気が急いてしまっていた。


 控え室の前では、レセーシュ王子が待っていた。


「待っていてくれたんですか?」

「誰だお前は?」


 問いかけると、怪訝な顔で問い返された。


「アリシャ・プローヴァですが」

「ああ。いつもと違うから一瞬わからなかった」


 濡れた髪を拭った時に、私の髪はセットが崩れていた。

 今の私は金髪を素直に流している。

 よって、ドリルがない。


 どうやらレセーシュ王子は、私の事を髪型で認識していたようだ。


 存在を憶えてもらうためには、やっぱりインパクトが大事らしい。


「それより行きましょう」

「ああ」


 サクレ外交官の部屋へ向かう。


「お待たせしました」


 そう言って部屋へ入る。

 シヤンさんがこちらを見て、その表情を顰めた。


「誰だお前は?」

「アリシャ・プローヴァですが。何か?」

「……髪がないから気付かなかった」


 無い事は無いよ。

 ドリルが無くなっただけだよ。


 どうやら、この人も私を髪型で判断していたようだ。


 個人の存在感を超えるインパクトって必要かな?

 そんな疑問に囚われてしまった。


「目つきも悪くなったからな」


 ああ、メイクも落ちていたらしい。

 元々の目つきの悪さをメイクで誤魔化していたので、それがなくなるとどうしても目つきが悪くなる。


「そんな事より、今は事件の話をしましょう」


 言って、私は縄梯子をシヤンさんへ見せた。


「これはこの部屋の下にある池から見つかった物です」

「ああ。見ていた」


 彼女と言葉を交わすと、私はベランダへ向かった。

 縄梯子のフックと、ベランダの手すりに付いた傷の間隔を合わせる。


 縄梯子の金属フックを二つの位置と手すりに残った傷の位置が、ぴったりと一致した。


 やっぱりだ。


 私は背後のシヤンさんに向き直った。


「ご覧の通りです。縄梯子のフックと手すりの傷が一致しました。つまり、この縄梯子はこのベランダから使われた、という事になります」

「そのようだな」


 よし、納得してもらえた。


「縄梯子がどのようにかけられたのか、それはわかりません。ですが、ここで使われた事は確かです。第三者……恐らく真犯人は一階から侵入した。それは明らかになりましたね」

「そうだな。少なくとも、二階と一階の行き来が想定されていた事は確かだ」


 シヤンさんが言う。

 どこか、含みのある言い方だ。


「……それで?」

「それで……とは?」


 問われ、私は訊ね返す。


「確かに、三階から二階へ侵入したという可能性はなくなった。王族の関与もほぼ無いと見ていい。だがしかし、それであの男の疑念が完全に晴れたわけではない。いや、むしろ私の中でその疑念は強くなった」


 そう言って、シヤンさんは室外にいるアスティを指差した。


「何故ですか?」

「本当に第三者がいたのか、そこに疑わしさを覚えているからだ」


 シヤンさんは答え、さらに続ける。


「ずっと考えていた。お前が池の中から縄梯子を見つけ出し、ここへ戻ってくるまでの間……。この階から縄梯子がかけられたのだとして、それはどのように使われたのか……。何故、縄梯子は池へ投じられたのか……」

「それは、証拠を消すためだったのではないか、と……」

「その通りだ。私もそう思う」


 シヤンさんは私の言葉に同意し、言葉を続ける。


「しかし、それはそのまま第三者の侵入を示唆する物ではない」

「……! どういう意味ですか? 第三者の侵入がなかったというのなら、この縄梯子は何のためにかけられたのです?」


 私は問う。

 が――


「そもそも何故、サクレ様が殺されたのだと思う?」

「それは……」


 逆に問い返され、私は言葉に詰まる。


 サクレ外交官の殺害理由?


「……わかりません」


 答えると、シヤンさんは小さく頷いた。

 改めて考えても、わからない。


「目的……利点のない殺人は存在しない」


 さっきも彼女が口にしていた言葉だ。

 それを今一度、彼女は繰り返した。


「殺人には、必ずそれで利を得る人間がいるのだ。なら、サクレ様を殺して得をする人間こそが犯人だろう。そして、その条件に合致し、犯行が可能だった人間は王家の関与を除外した今、一人しかいない」

「……」


 彼女の言わんとする人物。

 なんとなく、察しがつく。


「それは、その男。アスティ・N・トレランシアだけだ。奴がサクレ様を殺した、と私は改めて言っている」


 シヤンさんはそう告げると、アスティを指差した。

 アスティの表情が強張る。


「そして、そいつを犯人と仮定して考えると、その動機と事件時に起こった事も推察できる」

「待ってください。利点のない殺人は存在しない。そう言いましたね。ですが、今のアスティが利を得たようには思えません」


 現場が発見され、身柄を拘束され……。

 全ての状況が、アスティを容疑者だと証明していた。

 そんな状態に陥ったアスティが、利を得たようには思えない。


「ああ。そうだ。利点のない殺人は存在しない。なら、この殺人にも確かな利があった。ただ、その目論見が失敗しただけで、な」

「それはどういう――」

「聞け……」


 静かに、しかし力強い声でシヤンさんは告げる。


「私の推理を」


 そう言われ、私は黙り込んだ。

 彼女の推理に、耳を傾ける事にした。


 彼女の考えを聞いてからの方が、矛盾を見つけやすいはずだ。

 それを矛盾を指摘すれば、真実を解き明かす突破口になるかもしれない。


「奴はサクレ様のもとを訪れた。そこでサクレ様に茶を持て成された」


 部屋には、確かにティーカップが二つあった。

 カップは両方とも空になっているが、どちらにもお茶を淹れた形跡がある。


 だから、この部分はありえなくない。

 むしろ間違いない部分だろう。


「だがそこで、奴はおもむろに剣を抜いた」

「剣を?」

「もちろんそれは、サクレ様を殺害するためだ。サクレ様は逃げようと入り口側へ後ずさったが、それよりも速く奴はサクレ様を刺したのだ。そのため、サクレ様は今の形で倒れる事になった」


 後ずさった、か。

 熊と出会った時も、目を合わせたまま後ずさって逃げるべきだと聞く。

 アスティは熊じゃないけど。


 確かに、それなら倒れた方向の矛盾も解決する。

 けれど、この推理は新たな矛盾も生み出している。


「待ってください。それでは、入り口側の弾痕に説明がつかなくなります」


 私はその矛盾を指摘する。


 サクレ外交官は、襲いくる相手に反撃するため発砲した。

 それが私と彼女の共通見解だった。


 しかし彼女の言うように、テーブル席からサクレ外交官を追いかけて殺害したというなら、そのような暇がない。

 反撃する前に、刺されてしまっているのだから。


「聞けと言ったはずだ。無論、その理由にも見当が着いている。あれは、反撃のために撃たれた物ではなかったのだ」

「反撃のためではなかった?」

「そう。あの銃撃は、外へ助けを求めるための物だった」

「あ……」


 そう言われると、確かに筋が通る。


 実際、その銃撃によって室外の守衛は異常に気付いた。


「むしろでなければ、明らかにおかしな部分がある。よく考えてみろ。お前の推理を元にした場合の時間的な猶予を」

「時間的な猶予?」


 私の考え……。

 第三者による殺人である場合。

 まず、アスティはサクレ外交官に襲い掛かり、その反撃を受けて入り口側の壁に弾痕ができた。

 何らかの理由でアスティは気を失う。

 そしてその後、ベランダから進入したサクレ外交官を刺し……。


 あ……。


「気付いたようだな」

「外の守衛は、サクレ外交官の発砲によって中の異常に気付いた」


 それをきっかけにして、守衛達は部屋の中へ踏み込んだのだ。


 そして私が提示した推理の場合、発砲から守衛達が踏み込むまでのわずかな間に犯行と複数の工作が行われた事になる。


 銃声から踏み込むまで、実際にどれだけの猶予があったかはわからない。

 部屋への声かけや逡巡によって、タイムラグはあったかもしれない。

 けれど、少なくとも……。


 サクレ外交官を殺害し。

 アスティから剣を奪い。

 サクレ外交官に剣を刺し。

 部屋から脱出した後に縄梯子を回収する。


 などという事はできるはずがない。

 それをする時間がない。


「何より、脱出が不可能だ」


 そしてトドメとばかりにシヤンさんは告げる。


 その言葉の意味を考え、私はすぐに察した。


「縄梯子は、この二階から投げ捨てられたと見ていい。縄梯子がこの階から使われたとすれば、脱出後に回収ができないからな。そしてそれはそのまま、犯人が現場から脱出できなかった事を意味する」


 その通りだ。

 脱出のため、一階へ垂らされた縄梯子を二階から投げ捨ててしまえば、降りる事などできなくなる。


 縄梯子の隠し場所を考えるあまり、その事を失念していた。

 どうやって進入したか、という事は考えていたが脱出についてまでは頭が回らなかった。


 そして、縄梯子を見つけてしまった今、それは確実な事実となってしまった。


 縄梯子を見つけた時から、私の推理は破綻していたというわけだ。


 どうして、気付けなかったんだろう……。

 少し考えれば、わかる事だったのに……。


「だから言っている。第三者の介入は不可能だった、と」


 シヤンさんは静かに告げた。

 私はそれに反論できず、黙ってそれを聞く事しかできなかった。


 そして、彼女は言葉を続ける。


「続けるぞ。刺された後も、サクレ様には意識があった。だから、銃撃によって助けを呼ぼうとした。そしてその想定外の行動によって、奴の目論見は潰えた」

「目論見とは?」

「サクレ様殺害の隠蔽だ」


 隠蔽?


 シヤンさんはさらに推理を続ける。


「そう。奴はサクレ様を殺害した後、縄梯子によってその遺体を下の階へ運ぼうとしていた。遺体を隠すためにな」

「では、縄梯子は王子が用意した物だと?」


 訊ねると、シヤンさんは頷いた。


「待ってください。どうやって持ち込んだと言うのですか?」


 私は彼女の答えに反論する。


「服の下。胴に巻きつければ、どうにか隠し持てるだろう。体格が良い上に、着飾っているからな。どうにでも誤魔化せる」

「……王子は、広間へ入る前にボディチェックを受けています」

「広間を出た後に調達する事はできるだろう」

「あなたは、ボディチェックをしなかったんですか?」

「……サクレ様から、早々に通すよう仰せつかっていた。その暇はなかった。その意向に逆らってでも、調べるべきだったと今は後悔している……」


 悔しげに顔を歪め、彼女は答えた。


「では、王子の目的は何だったのですか? サクレ外交官を殺した所で、利点があったようには思えません」


 そんな彼女に私は問いかける。

 彼女は再び、視線をこちらへ移した。


「あるさ。大きな理由が」


 そして、淀みなく答える。


「奴自身、サクレ様を嫌っていた様子だったが……。殺害に至るには理由が弱いだろう。この男も公人だからな。行動するにはやはり、それなりの理由がある。それは恐らく、明日の会議だ」

「会議?」

「そう。サクレ様は明日の会議で、新型拳銃の特許を申請するつもりだった。それを阻止するため、奴はサクレ様を殺したのだ。居なくなれば会議には出られないからな」


 それはそうだけど。


「でも、人が殺害されたとなれば会議どころではなくなると思います。何より、王子以外に容疑者がいない状態でそんな事をすれば、間違いなく容疑者にされてしまうじゃないですか」

「そうだろうな。だから、死亡ではなく行方不明という状況を作ろうとしていたんだ」


 行方不明?


「そのための縄梯子だ。二階から一階に遺体を運び、再び二階へ戻る。そしてその後、お前が示した方法で縄梯子を処分する」

「同じ事ですよ。アスティがサクレ外交官の部屋を訪れた事は、目撃されていたんです。たとえそれが成功しても、殺人事件の容疑者から誘拐事件の容疑者に変わるだけです」


 だとすれば、遺体を隠蔽してもあまり意味はない。


「いや、死亡と行方不明では状況が大きく変わる。少なくとも、今のようにこの国の信用が失墜する事はなかっただろう。疑念だけは残るだろうが、事件の追及に関心を持つのは我が国だけだったはずだ」


 言われて、私は室外にいる外交官達を見やる。

 彼らは一様に事件の顛末、シヤンさんと私の議論に注目している。


 確かに、こんな事がなければここまで彼らがこの事件に注目する事はなかったかもしれない。


 一国の王子が、外交官を殺害した。

 その真偽がかかっているからこそ、今この場にいる者達は事の顛末に注目している。


「奴に「サクレ様は突如錯乱して窓から飛び出して走り去った」などと言われてしまえば、疑わしかろうが積極的に否定する事はできなかっただろうからな」

「ここは二階です。窓から飛び出して無事に済むとは思えませんが」

「池があるだろう。無事に済むかもしれない」


 なるほど。

 このやりとりで、疑わしかろうがいくらでも言い様がある事は理解できた。


 確かに、隠蔽する動機として納得できなくはないか。


「しかし、奴は失敗した」


 シヤンさんは続ける。


「サクレ様が最後の力を振り絞って発砲し、守衛が部屋へ入ってくる事になった。もはや、遺体を下の階へ隠す時間もない。だから奴は、一計を案じる事にしたのだ」

「一計、ですって?」

「そうだ。縄梯子を池へ落として証拠隠滅を図り、自分自身も気を失ったフリをして入り口側に倒れた」

「そんな事をしても、あまり意味がない気がしますが。現に、容疑者になっています」


 一計とは言うが、それが機能しているようには思えない。


「そうだな。ゆえに失敗している。悪あがきにしか思えない。しかし……奴にとってはそれなりの勝算があったのかもしれないな。お前という勝算が」

「私、ですか?」

「そう。現にお前はこの状況に矛盾を見出し、第三者による犯行の可能性を説いた。それはその男が、お前ならそのように推理すると想定していたからだ」


 つまり、アスティは私がそう推理すると思って、この事件現場を作った。

 彼女はそう言いたいのか。


「これはサクレ様を殺害し、その遺体の隠蔽に失敗した奴が最後の悪あがきに仕組んだ巧妙な罠だったというわけだ。これが私の行き着いた答えだ」


 そう言って、シヤンさんは推理を締めくくった。


 私は、彼女が語った事を頭の中で整理する。

 順を追って、思い起こす。


 まず、アスティがサクレ外交官の部屋を訪れた。

 アスティは茶を持て成されていて、その最中にアスティは剣を抜いて襲い掛かった。

 サクレ外交官は後ずさって離れたが、そんな彼をアスティは刺した。


 アスティの目的は、サクレ外交官の殺害と遺体の隠蔽。

 動機は、明日の会議でサクレ外交官に新型拳銃の特許申請をさせないためだ。

 ただし、自分が疑われる可能性が高いため、殺人ではなく注目度の低い行方不明事件に仕立てる必要があった。


 だから、サクレ外交官を刺した後、あらかじめ用意していた縄梯子を使って遺体の隠蔽をしようとした。

 が、サクレ外交官は瀕死ながらも生きていて、銃撃の発砲音で室内の異常を外へ知らせた。


 アスティは守衛が中に入ってくる事に焦り、最低限できる事をした。

 それは縄梯子を池へ投げ落とし、自分自身は入り口側に倒れて気を失っているフリをするという物だ。


 これが彼女の言う、事件の全景だ。


「何か言いたい事があるか?」

「……はい。これが計画的な犯行であったという話ですが……。部屋へ呼び出したのは、サクレ外交官だったはずです。私は、王子が使用人から言伝を聞いて部屋へ向かった所を見ています」

「元々、会う約束をしていたのではないだろうか。時間が出来次第、部屋へ呼ぶようサクレ様に伝えていたのだ。その場面を見ていたお前に、さも突然呼び出された様子を装って」


 なるほど、ね……。


 少なくとも、彼女の推理には筋が通っている、か。


 ……反論できない。


 というより、否定できない。

 否定するための根拠も証拠もない。


 ただ、肯定する事もできないが……。


「あなたの話はわかりました。でも、それは全てあなたの推測です。何の証拠もない」

「かもしれん。だが、筋は通る」

「……」


 彼女も理解している。


 決定的な証拠がないこの状況では、説得力のある説を論ずる事しかできないのだ。

 たとえそれが、憶測の域を出ない物であったとしても……。


 私がアスティを信じているように、彼女はアスティを犯人だと疑っている。

 だから、彼を犯人だと思わせられればそれでいい。

 他国の外交官達に、そう思わせられれば……。


 そう、彼女にとって説得力さえあれば、真実はどうでもいいのだ。


 それがまかり通るのなら、私もまた筋の通る推理を披露すればいいのだが……。

 そうするには、足りない物がある。


 それは、犯人の存在だ。


 彼女は、アスティが犯人であるという前提で推理した。

 特定の人物以外に犯行が不可能であったという、消去法から犯人としてアスティを割り出している。


 それは犯人の存在を特定する方法として、とてもシンプルで大きな説得力がある。


 アスティ以外が容疑者に挙がっていたなら、私だって信じていたかもしれない。

 なら、室外の外交官達も彼女の推論を真実として認識していてもおかしくない。


 犯人の存在。

 それを示す事が、この現状を打破するために必要不可欠な事なのだろう。


 なら私も、そうするべきなのだが……。


 しかし私には、その犯人の像が見えない。

 誰が何のために、この殺人を行ったのかすら把握できていない。

 そんな犯人像があれば、私にも反論する事ができるかもしれないのに……。


 私に解るとすれば、アスティが犯人ではないという事と別の犯人がいるという事だけだ。


 けれど私には、その犯人像がない。

 犯人を特定する手段もない……。


 …………。

 ……。


 ……いや……本当に何もないのだろうか?

 今までで見知った事に、その手段はないだろうか?


 シヤンさんは犯行が可能な人間から、犯人を割り出した。

 それがアスティだった。

 それとは別の手段で、犯人を割り出す方法はないだろうか?


 私は思考を巡らせる。


 今までにあった出来事を思い出す。


 アスティ以外の犯人がいるとして、それは誰だろう?


 それを特定する事は困難だ。

 アスティのように一番疑わしい人間を犯人とするのと違って、何の手がかりもないまま犯人を特定するのは難しい。


 利点のない殺人はありえない。


 ふと、そんな言葉を思い出す。


 シヤンさんが言っていた事だ。


 そうだ。

 サクレ外交官を殺害したのなら、そこに利点を見出した人間がいたはずだ。


 つまり、動機。

 そこから、犯人を割り出せないだろうか?


 警備の厳重なこの王城で行われた殺人だ。

 そんな困難な状況で行われたのだから、そこには大きな理由が存在するはずだ。


 なら、その理由とはなんだ?

 どんな利点が、犯人にはあった?

 どんな動機があれば、この殺人を実行するに足る?


 サクレ外交官を殺害する事で利を得る人間……。

 得をする人間がいる。

 その人物こそが、犯人だ。


 私はさらに、思考を巡らせる。

 さらに……さらに深く今日起こった事を思い出していく。


「どうした? もう何も言う事は――」


 声をかけてくるシヤンさんを手で制する。

 彼女は言葉を中断し、怪訝な顔をした。


 そういう事だったんだ。

 いるじゃないか。

 その動機を持つ人間が……。


 この事件の犯人は……。


 私の中に犯人像ができあがるのと同時に、今までに得た情報が一つの真実へと形を成していく。

 バラバラだった断片的な手がかりが組みあがり、私の心に一つの全景を作り出した。


「聞いてください」


 私は有無を言わせぬように、そう告げる。

 彼女は、言いかけていた事を遮られ、そのまま口を閉じた。


「今度は私の推理を」


 そんな彼女へ向けて続ける。


「まず結論から言います。サクレ外交官を殺害したのは、あなたですね? シヤンさん」


 言葉を向けられたシヤンさんは、無表情だった。

 しかし、わずかに傷のある口元をヒクリと動かした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ