表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
絶体絶命悪役令嬢  作者: 8D
絶体絶命第二王子
43/74

六話 極寒の探索

 私の推論は思わぬ事態へ発展し、悪化したと言ってもいいだろう。


 室外からは、他国の外交官達のざわめく声が聞こえる。

 その内容は、トレランシア王家への不審が多くを占めていた。


 そして、怒りをあらわにして私を睨みつけるレセーシュ王子。


「貴様、よく考えて物を言え……」


 彼の低く、怒りに満ちた声が向けられる。


 彼ですらそうなのだ。

 陛下に至ってはもっとお怒りなのではないか……。


 と思って陛下を見たが、当の陛下は特にそんな様子ではなかった。

 涼しげな表情で髭を撫でておられる。


 しかし、それはただ表情に出していないというだけで、心中はわからない。


 そう思うと、感情を素直に出しているレセーシュ王子よりも恐ろしく思えた。


 このままでは、この事件がトレランシア王家による計画的な犯行と見做されてしまう。

 他国からの信用も失墜する。


 うう、今の私の発言をなかった事にしたい……。

 今の言葉をどうにか訂正できないか……。


 ベランダから進入した第三者などいなかった、と……。


 そこまで考え、思考が切り替わる。


 ……いや、違うな。

 訂正しては、アスティの無実を証明できない。


 王家の人間が共犯者であったかどうかはともかく。

 第三者が居た事、それだけは確実な事なのだから。


 気付けば、私の視線は下を向いていた。

 顔を上げ、視線をシヤンさんに向ける。


「……第三者が王族の人間だったとして、どうして王子を放置したのですか? あまつさえ、王子の剣を使って罪を擦り付けるような事をして」


 そんな疑問を呈する。

 共犯関係にあるというのなら、そのような事はしないはずだ。


「どうせ第二王子だ。王家からしてもさして大事な存在ではない。捨て駒にはもってこいだろうさ。なら、それを利用してでも目的を果たす事を選んだ。それだけの事だろう」

「……その目的とは?」

「さぁな。見当はつかない」


 シヤンさんは素っ気無く答える。

 しかし、焦った様子はない。


 そのまま続けた。


「だが、利点のない殺人など存在しない。どのような殺しにも利点はある。それが感情的に行われた突発的な殺人であろうと、自分にとって邪魔な人間を排除できるという点では利点だ。社会的制裁を考えれば割に合わない、というだけでな」


 利点……。

 何事にも目的がある、か。


「だから、何か目的があった事は間違いない。案外、継承権争いが原因かもしれないな」

「……王子は継承権第二位ですが」

「それ以下の継承権を持つ者にとって、上にいる人間は全て排除する必要がある。第一位を排除した所で、手っ取り早く王位に着けるわけではないからな」


 確かに。


「そいつを唆し、意識を奪って放置したという事かもしれないな」

「違うと思いますが」

「かもしれないな。それもただの一考にすぎない。それより、これからどうする?」

「どうする、とは?」

「王家の連中は、お前がこれ以上事件の調査をする事に賛成できないようだが」


 確かに、レセーシュ王子からは「そうしろ」という重圧が放たれている。

 陛下はわからないが、そう思っている可能性が高い。


 私が調査を続ける事は、王家の意向を無視する事になる、か。

 このまま第三者の存在を口にし続ける事は、ある種の反逆行為と取られるかもしれない。

 発言の撤回をしなければこの現場検証の結果がどうあれ、後々陛下から罰を下されるかも……。


 私にとっては、婚約破棄の時と同様に勘当案件だ。

 下手をすれば家から追い出されるな。


 いや、それ以前に赤い頭巾の人からアサシネイトされる可能性もある。


 でもここで立ち止まってしまえば、これ以上の進展はありえないし……。

 それにアスティの無罪は証明できず、王家への疑念も晴れる事はない。

 それは最悪だ。


 そうだ。

 よく考えれば、今は既に絶体絶命なのだ。

 最初の状況も絶体絶命に思えたが、それ以上に今の状況は悪い。

 私が何をしようとこれ以上に、状況が悪くなるという事はないだろう。


 訂正した所で、少なくともアスティは助からない。

 トレランシア王家に対する、他国の疑念も拭えない。

 だから、ここで進むのを止めるという選択肢は最悪の結末しかもたらさないのだ。


 真実を暴いて現状を打破する以外に、最上の解決はない!


 そして何より、私自身がそうしたいと思っている。


 真実を明らかにできなくなる事。

 彼を助けられなくなる事。

 それは――


「だとしても……。私は、さらに事件を追及するべきだと思います!」


 許されない……!


 私はシヤンさんに視線を向け、強い口調で告げる。


「貴様!」


 レセーシュ王子の怒声。

 そして……。


「ははっ!」


 同時に、背後から楽しげな笑い声が聞こえた。


「父上?」


 困惑したようなレセーシュ王子の声。

 なら、今の笑い声は陛下の物だろう。


「面白い」


 心底楽しそうな口調の陛下の声が聞こえてくる。

 それどころか、「くっくっく」と忍び笑うような声が聞こえる。


「皆に聞いていた通りだ」


 陛下は、心底楽しそうに言った。

 その様子に、困惑する。


「アリシャ嬢」

「はい!」


 急に呼ばれて、私は居住まいを正しつつ答えた。

 声が上ずる。


「アスティと、そしてこの国の命運。そなたに託すぞ。思う通りにするといい」

「は、はい」


 国の命運。

 改めて言われるとあまりにも重い荷物に思えるが……。


「なぁに、どんな結果になったとしても咎めはしないさ」


 そんな私の気持ちを察してか、陛下はそう言ってくれた。


 少しだけ、気が楽になった。


 躊躇いも消える。

 余計な事を考えず、突き進む事ができる……!


 私は、シヤンさんに改めて向き直った。


「では、現場検証をしましょう。ベランダを調べさせてもらいます」

「そうだな。可能性は提示された。私も、もう少し付き合ってやろう」


 告げると、シヤンさんは表情を変えずに頷いた。

 彼女が何を考えているか、その表情からは図れない。


 そんな彼女の横を通り、ベランダへと出る。

 シヤンさんもそれに続いた。


 シヤンさんはベランダへ足を踏み入れると、その入り口の壁に背を預けた。

 ここに調べる物はないと思っているのかもしれない……。


 いや、彼女は上を見ていた。

 ベランダの真上には、三階のベランダがある。

 彼女も調査をしているという事だ。


 なら、私は私で調査をしよう。

 でも、私は上を調べない。


 上からの進入を証明しても、私にとっては意味がないから。

 王家の共犯説を補強するだけだ。


 上を調べないなら……。

 下、かな?


 ベランダからは、城の庭園が見渡せた。

 そう、見渡せるほどの広い庭だ。

 彫刻や植木、茶会を開くためのテラスなどが庭にはある。

 学園にある庭園も広いが、あれを小さく感じられるほどのさらに広大な庭園だ。


 私はベランダの手すりを持ち、下を見る。

 下の階のベランダが見える。

 そして、さらにその下。


 地上。

 そこには、大きな池が広がっていた。

 夜の闇を映す水面は風に揺れて、月明かりを反射してキラキラときらめいている。


「ん?」


 ふと、そんな時、水面の煌めきとは違う煌めきを見た気がした。

 表面ではなく、水中からの光……。


 よく見えないので、ちょっと身を乗り出す。

 手すりは身長の低い私にとって高すぎるので、足を完全に浮かせた状態になった。


「あぶないぞ」


 そんな声と共に、背中の布を掴まれて引き戻された。

 引き戻したのは、シヤンさんだった。


「ありがとうございます」


 礼を言う。


 結局、池の中はよく見えなかった。

 どれだけ目を凝らそうと、夜空を映す池の中を見通す事はできなかっただろうが。


 さて、ベランダの直下には下の階のベランダがあったわけであるが……。


 そこから、このベランダへ進入する事は難しいだろう。

 ベランダの広さは、恐らくこの階のベランダの広さと同じ。

 普通の梯子なら立てかける事ができないかとも思ったが、同じ広さでは立てかける事もできない。


 地上から梯子をかける事も難しい。

 地上から二階のベランダまでは距離があるし、何より池がある。 


 となれば、やはり下からの侵入は難しい。

 上から侵入したと考えた方が自然だ。


 でもそれでは、第三者が王族の誰かという事になってしまう。

 だから私は、下から進入する方法を立証する必要がある。


 そう思い、ベランダをくまなく調査する。

 床の隅から隅まで、どんな小さな物も見逃さないように。


 何度かゴミを拾いつつ、探索を続ける。


 ベランダの手すりも、じっくりと眺めていく。

 部屋から漏れる明かりを頼りに、視線で手すりをなぞっていく。


 何もありゃしない……。

 何も見つからないんじゃないか……。


 何度もベランダを見て、何度もそんな事を考える。

 その都度、私はその考えを振り払った。


 ここで何か見つけなければ、それで終わってしまうのだ。

 最悪の現状が、結果として確定してしまう。


 アスティと国の命運がかかっているのだ。

 諦めるわけには、いかない。


 そう思い、私はベランダを調査し続けた。


「何もわからないな」


 ふと、シヤンさんが呟く。


「上に行かなければ……」

「それは許されない」


 シヤンさんの言葉を聞きつけて、レセーシュ王子が言う。


「この上は王族のみの立ち入りを許された区画。例外は認められない」

「それは本当の理由か?」

「……何が言いたい?」

「見つかってはまずい物が置かれているからじゃないのか? 進入に使われた縄梯子とか、それを使った痕跡とか……」

「そんな物はない!」

「どうだかな」


 その二人のやり取りで、室外の外交官達もざわめく。


「どう思う?」

「殿下のおっしゃる事はもっともな事だ。城に王家のみの区画を設けるという慣習、この国に長年あるものでもある」

「しかし、それを利用しての犯行であったとしてもおかしくはない」

「どうであれ、怪しい部分はあるな」


 今のやり取りで、トレランシア王家への疑念が強まったようだ。


 まずい……。

 でも、証拠のない反論は意味がない。

 むしろ、それが疑念を強くする事は今のやり取りからも証明された。


 トレランシア王家へ向けられた疑念を晴らすには、やはり明確な証拠しかない。


 せめて何か……。

 そう、シヤンさんが言ったように、縄梯子か痕跡が見つかれば……。


 そんな時だった。

 ふと、ある物に気付く。


 手すりを指でなぞっていた時だ。

 わずかながら、他の場所とは違う感触が伝わった。


 部屋の明かりが当たるように体を動かし、その場所を照らす。

 そして見つける。


 あまりにもかすかな痕跡。

 部屋の明かりだけを頼りにしたこの薄暗いベランダで、それを見つけられた事は奇跡に近かった。


 ベランダの手すり。

 そこにあったものは……。


 一見、ただの擦り傷に見える一本の線。

 縦にまっすぐ伸びる傷の線。


 何かの拍子に、軽く何かを擦り付けてできるような物ではある。

 その傷だけでは、ただの傷だ。

 でも、それだけじゃない。


 同じ傷が、少し離れた場所の同じ高さの位置にもう一本走っている。


 左右に間隔のある、同じ高さにある傷。

 それも、傷の長さだってほぼ同じだ。


 それが偶然にできた傷だとは思えなかった。

 この一致は、作為的な何かである気がする。

 何をどうすれば、こんな傷ができるか……。


 思いつくのは一つ。

 縄梯子だ。


 縄梯子をかける方法は、手すりにフックをかけるという物だと思われる。

 縄梯子は、両端を固定しなくてはかけられないはず。

 だからフックは少なくとも二つ必要なはずだ。


 傷も丁度二つある。

 なら、この傷跡はそのフックによるものなんじゃないだろうか?


 そして、縄梯子がここに引っ掛けられていたのだとすれば……。

 犯人の侵入が上からではなく下の階からであるという事の証明にもなる。


 どうやってここへ縄梯子をかけたのか、という疑問は残るが……。

 実際にその痕跡があった以上、この痕跡が縄梯子の物であると証明さえできればその方法は問題じゃない。

 一階からの進入が可能だったという事実を証明できるからだ。


 三階からの進入ではなく、一階からの進入だとすればトレランシア王家への疑念も晴らせるだろう。


 ……けれど。

 それはあくまでも憶測だ。

 その域を出ない。


 本当にかすかな傷なので、偶然だと言われてしまえばそれまでのような気がする。

 いや、シヤンさんなら間違いなくそれを指摘してくるだろう。


 誰がどう見ても疑いようがなく、一通りの見え方、考え方しかできないような。

 そんな証拠がなければ、どうとでも可能性は提示できるのだ。


 なら、何が疑いようのない証拠と成りえるのか……。


 それはやはり、縄梯子《現物》であろう。

 縄梯子を発見し、実際手すりにかけてみる。

 見つけた傷の位置とフックの位置が合えば、それはこの階で縄梯子が使われたというこれ以上ない証拠と成りえるはずだ。


 私は縄梯子がここで使用されたと確信している。

 つまり、ここには縄梯子があったのだ。


 今私がすべき事は、その縄梯子《現物》を見つける事だ。

 それが、アスティの無実を証明するための鍵になるだろう。


 でも、それが存在したのならどこに消えたのだろう?

 探せば、この部屋のどこかにあるのだろうか?


 探そう。

 私は思い立ち、室内へ入る。


「どこへ行く?」

「探し物です」


 シヤンさんに問われ、答える。

 すると、彼女も黙って私の後に続いた。


 私は部屋の中を探す。


 クローゼットやベッドの下。

 縄梯子が隠されていそうな場所を探して回った。


 そのついでに、部屋の状況も把握しておく。


 その中で目を引いたのは、入り口側の弾痕。

 そして、ティーセットの乗ったテーブルだ。


 弾痕は覗き込んでも闇があるだけ。

 小さく綺麗な円形。

 銃弾があるかはよく見えないのでわからないが、彫ってできるような穴ではない。

 銃弾によって開けられた物に間違いはなさそうだ。


 そしてテーブルの上。

 カップは二つ。

 二つとも中身は空で、持ち手が同じ方を向いている。

 向いているのは入り口側だ。

 ティーポットの蓋を開けて見ると、中身は空っぽだった。

 茶葉の出涸らしすら残っていない。

 あとは茶葉の銘柄が書かれた袋……。


 あれ?


 違和感を覚える。

 しかし、結局その違和感の正体に気付く事はできなかった。


 それよりも、今は縄梯子だ。

 違和感の正体を探る時間よりも、今は縄梯子を探す時間の方が大事だ。


 そうして室内を探し回った私だが……。


 ない……!


 縄梯子が、ない!


 隠せそうな場所は全て改めた。

 けれど、どこにも縄梯子はなかった。


 大きな焦りを覚える。


 縄梯子がなければ、現状を打破できない。

 思わず、両手を強く握り込む。


 縄梯子はどこへ消えた?


 ……それとも、私の考えが間違っていたの?

 手すりの傷はただの偶然についたもので、縄梯子なんて始めからなかった?


「探し物は終わったようだな」


 シヤンさんに声をかけられ、私はそちらを見る。


「……いいえ」


 少し迷い、答える。


「余す所なく見たように思えたが?」


 それは確かにそうだ。

 でも……見つからなかった。


「シヤンさんこそ、どうなんです?」

「何も見つからなかった」


 安堵する。

 なら、まだ時間はある。

 彼女も証拠が見つかるまでは検証をやめないはずだ。


「だから、そろそろ探し物は切り上げるべきだろう」

「どうして!?」


 シヤンさんの言葉に驚きの声を上げる。


「これだけ探しても新たな証拠品が出ないという事は、もはやここには何の証拠品もないという事だ」


 それは……確かにそうかもしれないけれど……。


 それではまずい。

 証拠品が出ないという事は、何の進展もないという事。


 現状が変わらないという事だ。


「もし、ベランダからの進入があったのだとすれば、それに使用された道具はここではなく三階にあるだろうからな」


 それは……。

 確かに、この部屋にないという事は彼女の言うように別の場所へ隠された可能性も考えられる。


「それはどうでしょう」


 けれど、それを認めるわけにはいかない。

 このまま縄梯子が見つからなければ、彼女の言葉通り三階に縄梯子があるという認識を周知されてしまうかもしれないからだ。


 外交官達の心証を考えれば、縄梯子を見つけ出すか、彼女の主張を崩す必要があるだろう。


 手すりの傷について、今話してしまおうか……。

 何もしないより、マシかもしれない。


 少し逡巡し、そう決心する。


「この部屋のベランダには、かすかではありますが縄梯子を使用した形跡がありました」


 確証とはならないが、縋り付くように私は見つけた証拠を提示する。

 それでも、言われっぱなしになるよりはいいはずだ。


 言いながら、私はベランダに移動して手すりの傷を指し示して見せた。

 シヤンさんが私の示した場所を見る。


「そう見えなくもないが、確実にそう見えるとも言えない。それに、たとえそれが縄梯子をかけた痕跡だとして、その縄梯子はどこにある?」

「それは……」


 やっぱり、そこを衝いてくるか。

 でも、反論できないわけじゃない。

 彼女が口にしていたじゃないか、ある可能性を……。


「下の階に隠されているかもしれません」


 彼女は、証拠品が三階にあるいう可能性を示した。

 ここではなく、別の階にあるかもしれないと。


 それは、何も三階だけの話ではない。

 下の階にあるという可能性もあるのだ。


「この部屋の直下にある階を調べるべきです。三階とは違って、そちらなら調べられますから」


 答えると、シヤンさんは小さく「ふむ」と唸った。


「それができない事はもうわかっているはずだが?」

「下から縄梯子を投げれば、どうにか引っ掛けるという事ができるかもしれません」


 彼女の否定に、私は反論する。

 対して、シヤンさんはさらに反論を重ねる。


「それができたとして、犯人は逃げた後どうやって梯子を回収したというのだ?」

「あっ……」


 私は彼女の言わんとする事を悟った。


 それはそうだ。

 木の梯子なら、立てかけられるから下からでも回収できる。

 でも、縄梯子はそういうわけにいかない。

 一階に下りてしまえば、二階のベランダから垂れ下がった縄梯子を回収する事などできない。


「大きく揺らすなどして、どうにか無理やり外す事ができるかも」


 私は反論を試みる。


「その手すりの痕跡が縄梯子の跡だとして……。そのように無理やり外せば、そんな綺麗が一筋の傷で済むはずはない」


 しかし、シヤンさんはそれをさらりとかわした。


 確かに……。

 無理に外そうとすれば、手すりの傷もあんなかすかなもので済まないはずだ。


 く……。


 これが三階からなら、逃走経路は上になる。

 上った後に回収する事もできる。


 だが、一階からでは縄梯子をかける事も外す事も困難だ。


「犯人としては、縄梯子が見つかる事は避けたかったはずだ。なら、絶対に探されない場所へ隠すだろう。そして、その条件に合致するのは……」


 そう言って、シヤンさんはちらりと上を見た。

 三階の区画なら、それに合うと彼女は暗に言っているのだ。


「少なくとも、この部屋にあるとは思えないな」

「それは……そうかもしれませんが……」


 彼女に反論する言葉を私は用意できなかった。


 私が探した限りでは、何もなかった。

 一階にあるという線も、回収できないという点を考えれば無いと思う。


 なら、やはり三階にあるのだろうか?


 彼女の言葉が正しければ、確かに縄梯子は三階にあるだろう。

 そこがもっとも安全な隠し場所だからだ。


 でも、本当にそこだけなのだろうか?

 犯人が縄梯子を隠せる場所は……。


 考えろ。

 私なら、どうする?


 一階からの進入。

 私はそれを証明しなくてはならない。


 方法はどうでもいい。

 縄梯子さえ見つけられれば、このベランダの手すりにそれが掛けられていたかどうかがわかる。

 それが解れば、少なくとも三階からの侵入を否定できる。


 私はそれを証明したい。

 それ以外の事は、今考えなくていい。


 一階からの進入と縄梯子の回収が可能だったとして、縄梯子をどこへ隠す?

 三階を除外すれば、どこがもっとも見つかりにくい。


 ふと、ある事を思い出す。


 ベランダの下を覗いた時。

 夜を写す水面。

 その奥に煌めいた物……。


 そうだ。

 縄梯子、とても簡単な処理方法があるじゃない。


 池の中へ落とせばいい。

 この二階のベランダから、真下へ放り投げるだけで簡単に処理できる。

 それだけで、縄梯子は隠せる。


「少し……時間をいただいてもよろしいでしょうか? 探したい場所があります」

「これ以上は時間の無駄だと思うが?」

「一箇所だけです。何なら、ここで待っていてください。ここからでも、何をするかは見えるでしょうから」


 言い残し、私は部屋を出た。

 室外の廊下にひしめく他国の外交官達が道を開け、私はその間を通って廊下へ出る。


 廊下を行く。

 その歩みが、その歩幅を次第に広げて行く。

 歩む足が次第に速くなり、そして駆け足になった。


 向かうのは一階。

 サクレ外交官の部屋下にある部屋。

 そのさらに下だ。


 外へ続く入り口を出て、目的の場所へ向かう。


 私は、その場所……。

 庭園の池へ辿り着いた。


 水面を揺らす風が、私の体を撫でていく。


 その風の冷たさは、フリルで着膨れた私の服装を容易く貫通する。

 ここまで走ってきた私の呼気は、外気に触れると濃い白に色を変えた。


 私はこの池の底に、何かの煌めきを見た。

 もしかしたら、それは縄梯子のフックだったのかもしれない。


 また、それは勘違いでまったくの別物かもしれない。

 だとしても、もはやここを調べる以外に調べるべき所はない。


 私は池の中へ足を踏み込んだ。


 池の水は、吹き付ける風以上に容赦なく身を凍えさせた。

 まるで、突き刺さるような冷たさだ。


 とても冷たい……。


 思いながら、私はもう一歩を踏み出した。

 さらに一歩、もう一歩と歩を進める。


 あの煌めきは、池の中央……。

 池の一番深い場所に見えた。

 そこまで進まなくてはならない。


 池は奥へ向かうにつれて少しずつ深くなっていた。

 最初足首程度だったが、一歩を刻む度、少しずつ足の浸す範囲を上へ上へと広げていく。


 そして目的の場所まで来ると、その水位は私の腰あたりを浸していた。


 多分、この辺りだった。

 ……はず。


 一度深く息を吐く。


 一瞬の躊躇い。

 その後、水面へ手を伸ばす。

 顔を水面に付ける。

 そうしなければ、池の底を手でさらう事はできなかった。


 顔を付け、目を開けても何も見えなかった。

 夜の闇と舞う砂が視界を奪っていた。

 それでも、手探りで池の底へ触れていく。


 手が硬い物に当たる度、握ってその形状を確かめる。

 触れる殆どは、小さな小石だった。

 それを確認すると、また手探りで探す。


 途中で息が切れて、何度か顔を上げた。

 その都度、大きく息を吸い直し、再び水中へと顔を付けて手を伸ばす。


 幾度かそれを繰り返し、そして……。


 左手がまた何か硬い物に当たった。

 一瞬だけの感触。

 一度それを掴み逃し、その辺りを探り、掴みなおす。

 改めて手にすると、それが小石とは違う大きさの物であると察する。


 それは握っても手の平に収まる物ではなかった。

 硬さがあり、そして何か長い物が伸びていた。


 私はそれを引き上げた。


 水底より姿を現したそれは、金属のフックが二つある縄梯子だった。


 私は求めていた証拠を見つけたのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ