一話 パーティの夜
この話だけ妙に長くなっています。
その日の王城では、国王主催のパーティが開かれる予定になっていた。
それも普段、定期的に行われる国内貴族間の繋がりを深めるための物ではなく、さらに大掛かりで規模の大きな物だった。
というのも、今日は国内の貴族だけでなく、国外……周辺諸国からの主賓を招待した国際的な会合だからである。
つまりこれは政治的な意味合いの強いパーティなのだ。
普段行われる国内だけのパーティも、政治的な意味合いは強いのだが。
今回の重要度は、その比ではない。
各国の使者を招待しているため、力が入っているのだろう。
何せ、ふとした事がきっかけで国同士の関係が悪化する可能性もある。
だから、細心の注意が必要となる大事なパーティなのだ。
招待される国内の貴族も、厳正に選ばれた者達だけとなっている。
そんなパーティに、私はお呼ばれする事になった。
もちろん、それは王子の婚約者としてである。
そして今、私は数多ある控え室の一室である方と一緒にいた。
「まぁ、よく似合ってるわ。可愛いわよ、アリシャちゃん」
そう花のように笑う女性は、私にそう言って詰め寄った。
「そ、そうでしょうか?」
訊ね返す私は、この女性が私のために特注してくれたドレスに身を包んでいた。
その態度からは、私に対する好意が溢れ出ている。
それがわかるからこそ、私は彼女が苦手だった。
彼女は、私が今着ているドレスとほぼ同じデザインのドレスを着ていた。
ほぼ、というのは胸元付近の部分が地味に違うからだ。
二着とも、胸元にはフリルがあしらわれているのだが……。
私の方だけフリルの層が厚い。
そして彼女の方は、胸元が開いているのに対して私のドレスは胸元が開いていない。
この違いの意味する所は……。
止そう。
これもこの方なりの気遣いだろうから。
あと、私の着ている物と彼女の着ている物は色が違う。
私のドレスは白で、彼女のドレスはピンクだ。
髪型も普段の私と同じ、ドリルである。
「ええ、もちろんよ」
その女性は、答えると私を抱きしめた。
「こんな可愛い子が私の娘になるなんて、とても素敵な事だわ」
その女性は、嬉しそうに言った。
この方は、イルネス・ノモス。
アスティのお母さんである。
若々しい肌、少女のような可愛らしい童顔、普段の私と同じドリルを巻く赤髪。
しかしながら、グラマラスなスタイル。
下手をすれば私と同じ歳にも見えるような容姿をしていらっしゃるが、しっかり成人している。
……そして、経産婦である。
いったい、こんな小さな女性からどうしてアスティのようなマッチョマンが生まれてきたのか……。
本所七不思議めいた怪異の類ではなかろうかと思えてしまう。
「ありがとうございます。イルネス様」
「いやね。お義母様って呼んでって言ってるでしょ?」
「あー、はー……そうでした。……お義母様」
やや躊躇いつつ、私は彼女をそう呼ぶ。
実の所、そう呼ぶ事には抵抗があるけれど……。
というのも、私が彼女と初めて出会った時の事があるからだ。
私が初めて彼女と出会った時、それはある社交会の最中だった。
まだ幼かった私は、その日初めてアスティと出会い――
一目惚れした。
そして、このイルネス様に言ったのである。
「アスティ様を私にちょうだい!」
拙い言葉。
敬語すら使えず、ただ言いたい事だけを言葉にするだけで文脈も何もない言葉。
ただただ気持ちをぶつけるだけの言葉だった。
どれだけ自分がアスティを好きか。
どれだけ一緒にいたいのか。
それを必死に告げたのだ。
子供の戯言と一笑されるようなそれらの言葉を、イルネス様は微笑みながら全て聞いてくれた。
そして……。
「いいわ。じゃあ、あなたにアスティをあげる」
そう、イルネス様は笑顔で了承してくれたのである。
それがその場限りの嘘でなかった事は、私とアスティの今の関係が物語っている。
つまり私は自分の胸にある思いの丈をぶつけ、その熱意を以ってイルネス様を口説き落としたのである。
そういう経緯があるため、今の私は彼女が苦手だった。
何せ、今の私は「アスティ様をちょうだい」と熱く語ったあの頃のアリシャではない。
今の私は、アスティの事などまったく愛していないのだから。
その心変わりに気付かれ、責められやしないかと思うと私は少しばかり彼女と接するのが怖いのである。
「アスティ、入ってきなさい。あなたのお嫁さんの可愛い姿を見てあげて」
イルネス様は、扉越しに部屋の外へ声をかける。
少しして、その扉が開かれる。
アスティが入室した。
着替えている間、外へ出されていたのだ。
かと言って、「お嫁さんを置いてどこかへ行かないように」とも言われていたので廊下でずっと待たされていたわけである。
今日のアスティは、普段とは違う煌びやかな礼装だ。
その腰には剣を佩いていて、柄には王家の紋章を彫刻された珠玉が埋め込まれている。
アスティは私に目を向ける。
彼は、無言でじっと私を眺めた。
「どう、ですか?」
沈黙したまま眺められる事に耐えられなくなり、私は訊ねた。
「アリシャ、だよな?」
「そうですよ」
何でちょっと懐疑的なんです?
「ドリルじゃないお前を初めて見た気がする」
ちょっと奇妙な言い回しに思えるが……。
この世界において、ドリルは髪型の一つなので特に間違った言葉遣いではない。
今の私は着替えるために、その髪型を解いてナチュラルヘアにしていた。
元々癖が強いので、下ろすとウェーブのかかった髪質が目立つ。
「あなた、もっと気の利いた事が言えないの?」
アスティの感想をイルネス様は嗜める。
「最初に目に付いたのがそこなんだ」
アスティはイルネス様から視線を外して答える。
「あなた、もうちょっと女心を勉強なさいな」
私に接するのとは違う、母親らしい口調でイルネス様は言う。
「部屋の鍛錬用具《筋トレグッズ》を捨てて、女心を勉強するための本でも集めたらどう?」
「一冊ぐらいは持ってる」
母親とのやり取りであるためか、アスティもちょっといつもと違う口調で返す。
なんとなく、私の持っている彼の印象と雰囲気が違う。
「勉強しているというのなら、せめて自分の身だしなみから気をつける」
そう言うと、イルネス様はアスティへ何かを放り投げた。
それをアスティは受け取る。
小さな円形のコンパクトだった。
アスティがそれを開く。
「鏡、か」
「髪の毛、跳ねてるわよ」
イルネス様が自分の頭を指しながら言うと、アスティは溜息を吐いて部屋から出て行った。
「お嫁さんを前にして、素っ気無い子ね」
ぷんすか、という様子で軽い怒りを言葉に含ませ、イルネス様は小さく息を吐いた。
「ごめんなさいね。うちの子が……」
「いえ、王子は素直なだけだと思います」
素直だから、最初に思った感想を口にしたのだろうと思う。
「あの子はどうも、女の子の気持ちという物がわからないみたいで……。もう、こうなったらパスタに髪の毛を入れて食べさせちゃいましょ」
ええ……?
強い困惑を覚える。
何それコワイ。
どうしてそんな話に?
「自分の体の一部を入れる事で、あなたと一つになりたいという気持ちを表現するのよ。そうすれば、あの子だってあなたの気持ちを理解して、アリシャちゃん好き好きぃってなるわ」
ならんと思う……。
「……あの、それは嫌がられませんか?」
少なくとも私はそんな事をされると逆に引く。
「それを嫌がる男なんて、その程度のものなのよ。本当に度量の広い男は、その気持ちをしっかりと汲み取って受け入れてくれるものなのだから」
そう言うと、イルネス様はうっとりとここにはいない誰かを想うように顔を上気させた。
イルネス様の男性に対するハードルはとても高いように感じられる……。
それを超えられる男性が……いるからアスティが生まれているわけか。
「本当に、男の子って何を考えているのかわからないわね」
イルネス様の話を聞いている限りでは、女の子も何を考えているのかよくわからなくなってくるが……。
そんな事を思っていると、イルネス様は手を叩いて私を見た。
「さ、仕上げにドリルをセットしましょうか。はい、座って」
「……はい。お願いします」
私は勧められるまま椅子に座り、髪の毛をセットしてもらう。
イルネス様の指が、私の髪の毛を梳く。
「でも、改めて良かったと思うわ」
「何の事ですか?」
「あなたをアスティのお嫁さんに選んだ事」
「はぁ……」
どう答えて良いのかわからず、生返事が出る。
「私はね、アスティに……。自分の事を一番愛してくれている女の子をお嫁さんにしてほしかったの。だから、今日改めて見て、あなたをお嫁さんに選んでよかったと心底思ったわ」
「そうですか……」
「私の目に狂いはない」
多分、狂いはあると思われる。
私は、アスティをちっとも愛していないのだから。
けれど、イルネス様の眼差しには迷いがなかった。
その目は、普段の彼女と同じ人物とは思えぬほどの鋭さを持っている。
「アスティの事、お願いね」
「……はい」
私を純粋に信頼するその眼差しに、ただそう答える事しかできなかった。
少しして控え室にアスティが戻ってくる。
鏡を見ながらセットしたのだろう。
アスティの髪の毛の跳ねは直されていた。
「そうだ。アスティ。今日は八時から花火が上がるそうよ。アリシャちゃんと一緒に見なさいな」
「ああ、存じている。そのつもりだ」
アスティの答えに、イルネス様は少し意外そうな顔をした。
けれど、それをすぐに笑みへ変える。
「ならよかったわ」
アスティは部屋に置かれた柱時計を見る。
「そろそろ時間だ。行くぞ」
そう言って、アスティが腕を差し出す。
珍しい事だな、と思う。
婚約者なのでパーティに同席する事は少なくないのだが……。
たとえ、パーティの時でもアスティが私に腕を差し出す事はなかった。
むしろ、私が無理やりに腕を組もうとする事はあったが。
「はい」
私はその腕へ、控えめに手を添えた。
「ふふふ」
楽しげな笑みが聞こえる。
見ると、イルネス様がふやけた笑顔を向けていた。
「私は部屋に戻りますね」
そう言って、イルネス様は控え室から出て行こうとする。
「参加なされないのですか?」
「だって、お邪魔でしょう?」
逆に問い返される。
別にそんな事はないと思うけれど……。
「それに、公式の場で王妃様とご一緒する事はなるべく避けるようにしているのよ」
王妃様。
レセーシュ王子の母親か。
「私は陛下を愛していますが、王妃様も愛していますからね。ふふふ」
再び楽しげに笑うと、イルネス様は部屋を出てドアを閉じた。
部屋の中の人間は、私とアスティだけになった。
「行きましょうか」
「ああ」
言葉を交わし、控え室を後にした。
パーティ会場となる二階の大広間へ向かう。
「そういえば、イルネス様はトレランシアの姓じゃないのですね」
ふと、浮かんだ疑問を口にする。
彼女の息子であるアスティはトレランシア姓を名乗っているので、ちょっと気になった。
アスティは呆れた表情で私を見た。
「お前は普段驚くほど博識なのに、どうしてたまに非常識な事を口にするんだ?」
「おかしな事を言いましたか?」
「簡単に説明すれば、ミドルネームは王族のみに許されている。そしてトレランシアを名乗っていいのは、王の配偶者と実子だけだ。母上は寵姫であるが、妃ではないからな」
「へえ」
知らなかった。
……あれ?
「ドリル・ホリス・スーム伯爵夫人は?」
トレランシア姓じゃない上に、伯爵夫人だから明らかに王族じゃないんですけど?
「……」
アスティは答えない。
聞こえなかったのかな?
「ドリル・ホリス・スーム伯爵夫人は?」
「聞こえている」
じゃあ何で無視しようとしたの?
「伯爵夫人は境遇が複雑なのだ。あれは百年以上前の事だ」
結構昔の人物なんだな。
「まだ国家連合もなかった頃。各国が領土を求めて戦に明け暮れていた戦乱の時代だな」
国家連合。
名前の通り、この大陸にあるトレランシアを含めた複数の国々が参加する連合である。
共通の条約に則り、経済的な協力や悪化した国家同士の調停などを互いに行う事で、それぞれの国の繁栄を目指すという目的を持って作られた関係である。
ただ協力関係にあるとはいえ、一つの国というわけでなく国の寄せ集めであるため、それぞれ自国の利益を優先する傾向はあるが。
それでもアスティが言うように、無かった頃は戦争も度々起こる戦乱の時代だったらしいので今の方が断然に良い状態と言えるのかもしれない。
「当時、トレランシアと戦争状態にあったホリス国が和睦のために人質として輿入れさせたのがドリル・ホリス第五王女だった。そして、その時の戦いで最も戦果を上げた当時のスーム伯爵への報償として嫁がされたわけだ」
「身売り同然で引き渡された上に、自国で最も暴れまわってた人に嫁がされるとかあまりにも扱いが酷いじゃないですか」
思っていた以上に、悲劇的な身の上の人だったんだ。
「戦争を仕掛けてきたのがホリスだった上に、当時の王の友人が命を落としている。そのため、王家に迎える事を忌避したそうだ。だから、スーム伯に嫁がされた」
まぁ、そういう経緯なら致し方ないのかな……。
どちらかと言えば、そんな相手の和睦を受け入れられるのは凄い事だろう。
為政者としては感情を殺したが、それでも個人的な恨みは忘れられなかったのかもしれない。
ドリル王女からすればとばっちりかもしれないが。
「しかし、その後のスーム伯爵の伝記を読む限り、伯爵は愛妻家だったらしくてなぁ。ドリル王女は、恐らく境遇への反発のために珍妙な髪型で社交界へ出るようになったのだろうが……その髪型が流行って一躍人気者になったらしい」
言いながら、アスティは私の方をチラリと見る。
それがこのドリルか。
「そして、六人の子供と二十人の孫達に見送られ、穏やかな顔で大往生なされたそうだ。その死は、彼女を慕う多くのドリラー達に惜しまれたという……」
思っていた以上に幸せそうな人生!?
「まぁ、伯爵家へ嫁がされたとはいえ、王族には違いない。礼を欠かぬよう、彼女にのみホリスの名を名乗る事を許したという話だ。今、この国でホリスの名を持つ者はいない」
「へぇ」
「そういう過程で生まれた髪形という事もあって、ドリルはこの国特有のファッションとして定着している。他国にはまず存在しない」
「……つまり他国の人から見れば、私のこれはとても変な髪形なのでは?」
「インパクトが強いから、存在を忘れられる事はないと思うぞ」
それ、フォローのつもり?
…………。
……。
「……何でこんな話してたんでしたっけ?」
アスティはしばらく黙り込んだ後、口を開く。
「だから母上は、王城の三階には出入りできない」
そしてそう告げた。
どうやら、強引に話を戻すつもりらしい。
えーと、本当に何の話してたっけ?
ああ、そうだ。
トレランシアの姓は王の家族だけが名乗れるという話だったか。
「三階? 何故?」
小さく溜息を吐かれた。
「三階は王族だけの立ち入れる区画だから。入れるのは王の血筋のみで、使用人まで全員が王の血族だ」
「そうなんですか」
これも多分、常識的な事なんだろうな……。
これでは何か、さっきからまるで私は何も知らない馬鹿みたいじゃないか。
それを誤魔化すように話を変える。
「配偶者と実子だけって事は……。陛下が代替わりしたらどうなるんですか?」
レセーシュ王子かアスティが戴冠した場合、兄弟なのだからそれに含まれなくなる。
「母方の姓を名乗る事になる。そういう都合もあって、王家の人間には区別のためのミドルネームがあるんだ」
アスティ・N・トレランシア。
真ん中には、母方の姓であるノモスが入るというわけだ。
「現王の家族である事を明確にするための制度だ。これは学園で習うまでもなく、親に教わるような事なんだが……」
怪訝な表情でアスティは言う。
誤魔化そうとして、さらに非常識さを露呈してしまった……。
いや、問題なのはそんな事を今まで一切気にしてこなかったアリシャの方だ。
今の私が悪いわけではない。
……と思う。
二階に上がり、大広間へ至るまでの廊下には、等間隔で守衛が配置されていた。
確か、一階はこれほど厳重ではなかったように思える。
「なんだか、二階は警備が厳重ですね」
私はアスティに訊ねた。
「今回のパーティは各国の外交官を招いての物だ。間違ってもこちらの不備で何かあっては困る。二階にはパーティ会場である大広間はもちろん、外交官の滞在する客室もあるからな。二階に警備を集中させて、有事に備えているんだ」
警備対象も護衛も一箇所に集める事で、効率化を図っているという事か。
「他がおろそかになっている可能性はあるが……。優先度を考えれば致し方ないだろう」
大広間へ繋がる扉の前まで来ると、二人の守衛が私達を一度引き止めた。
「殿下。失礼ながら、ボディチェックをさせていただきます」
扉の前には守衛の他に、数人のメイドがいた。
その一人が声をかけてくる。
恐らく女性をボディチェックする場合もあるので、ボディチェックはメイドに担わせた方が都合良いという事だろう。
アスティがボディチェックされる。
メイドさんの豊満なバストがアスティの体に押し当てられた。
「申し訳ありません、殿下」
ボディチェックをしたメイドさんが謝った。
「いや、構わない」
アスティは目を瞑り、口を真一文字に閉じた気難しい表情で答える。
それ、どういう心境の時の表情?
よく見れば、扉の前にいるメイド達はみんなスタイルがいい。
もしかしたら、快くボディチェックを受けてもらえるからこそこの人選なのかもしれない。
「失礼します」
今度は私がメイドさんからボディチェックを受ける。
身長差の違いから、顔面にメイドさんのバストが押し付けられた。
「申し訳ありません。アリシャ様」
「いえ……」
なるほど。
こういう心境か……。
「アリシャ、それはどういう心境の時の顔だ?」
アスティが訊ねてくる。
「悟りを開いた気分です。これが羅漢の境界ならば、羅漢を喜んで作家を嫌う事になるでしょう……」
「ふぅん」
よくわかっていない様子でアスティは言葉を返した。
私もよくわかってないけど。
しかし、大人数が詰めているにも関わらず、それでも窮屈さを感じさせないのだからこの城の廊下はとても広い。
というより、城全体の規模が大きいというべきか。
「ボディチェック、終わりました」
メイドが告げると、守衛が敬礼してドアを開けてくれる。
そのドアの先の光景に、圧倒される。
何度かここへ入った事はあるが、前世の記憶を取り戻してからは初めてである。
だからこそ改めて思う。
恐らく、ここはこの国で最高の贅を凝らした空間だろう。
調度品はどれも高級品ばかりで、金属製の物は言わずもがな、木製の物まで丁寧に磨かれて輝いている。
だから全体的に眩かった。
そして、何よりも広い。
広さを形容する事は難しく、とにかく広いとしか言いようがない。
参加人数が少ない事もあってか、その広さはより一層に際立っている。
人のいない空間が勿体ないと思ってしまう。
このパーティは、王家が参加者を厳選して招待した者だけが参加を許される物だ。
王子の婚約者枠として招待された私は別として、他の参加者は王家が今もっとも有力と判断した家の者達ばかりである。
選ぶ枠には爵位の程度など関係なく、男爵から公爵まで幅広い爵位の人達が集っている。
ちなみに、私の両親は呼ばれていない。
そして、それら国内の貴族に加えて、今回は他国の外交官が招待されている。
大広間を見れば、タキシードや燕尾服、もしくは各国の礼装に身を包んだ方達が散見された。
それでも、この広間を使うにはあまりにも人数が少なかった。
そんな広間を前にすると、少し心細く感じた。
自分が、とてもちっぽけな存在に思える。
だから、知らずアスティに寄り添ってその手を掴む力を強くしてしまう。
アスティが「んっ」と小さくうめき、その事に気付いた。
「ごめんなさい。痛かったですか?」
「大丈夫だ。痛くない。……陛下に挨拶しよう」
「……はい」
アスティと寄り添う形で、私は広間の奥へ向かう。
奥には二つの玉座がある。
王の席と王妃の席だ。
二つの玉座には、陛下と王妃様が座していた。
その前まで、私達は歩み寄る。
陛下は、見るからに気難しそうな表情をした中年の男性である。
眉間に皺を寄せたその表情は、アスティとその兄であるレセーシュ王子にやはり似ている。
撫で付けられた髪に、整えられた髭。
頭頂の冠、複雑な細工を凝らされた服装、朱色の生地に金糸の刺繍を施されたマント、宝玉をあしらわれた錫杖。
それらが一体となって、王者としての貫禄を醸し出している。
圧倒されるような威厳がある。
対して、その隣に座す王妃様のいでたちも陛下に負けず劣らずの煌びやかさである。
シンプルではあるが、生地の質の良さと細やかな刺繍が施されたドレスは品が良い。
髪はレセーシュ王子と同じ白に近い金髪で、それを後ろでまとめている。
王妃様の名は、ソーン・R・トレランシア。
レセーシュ王子の母親にあたる方だ。
顔立ちはどちらかというと可愛らしい感じなのだが、表情は気難しい物を作っている。
どこか刺々しく、ツンとした印象のある方だ。
私を見る目にも厳しさがあり、怒っているようにも見える。
イオニス様とは対照的な方だな、と私は思った。
イオニス様の口元は常に上弦の月のように笑みを湛えているが、ソーン様は常にへの字口だ。
両名の前で、アスティと私は跪いた。
「アリシャ嬢。招待に応じ、よく参られた」
陛下が私にそう声をかけてくれる。
「はい。ご機嫌麗しゅう、陛下。王妃様。お招きに預かり、光栄です」
私がそう答えると、陛下は満足そうに頷いた。
王妃様もかすかに頷く。
アスティを向いた。
「アスティ、お前も婚約者としての務めをしっかりと担っているようだな」
「はい。そうであれば良いのですが……」
アスティは答える。
「イオニスは?」
ソーン様が訊ねる。
「部屋に戻ると言っていましたが」
「そうですか」
アスティが答えると、ソーン様はそっけなく返した。
その声色からは、彼女がどのような感情を持っているのか察する事はできない。
「堅苦しい挨拶も終わりとしよう。さぁ二人で、この宴を楽しむと良い」
陛下が言う。
「ありがとうございます」
深く礼をして、私とアスティは陛下の下から離れた。
「緊張しました。陛下は威厳のある方ですね」
恐らく、緊張の原因はソーン様にもあると思うが……。
「……」
何気なく言うと、アスティは何か言いたげな表情で私を見た。
「何です?」
「……いや、何でもない」
大広間には、多くの料理が並んでいる。
ダンスを踊るような人はいないが、常に楽団の奏でる音楽が広間には響き続けていた。
それをBGMに、多くの人達が料理の載った小皿を手に談笑を楽しんでいた。
ただ、それが表面上だけの事である事は明らかだった。
パーティという物は、情報の収集、交換の場として機能する物である。
それは同国内の貴族同士であっても変わらない。
人によって統治方法がそれぞれ違い、経済状況や特産物も違えばそこに差異が出てくる物だ。
先代の跡を継いだばかりの若い貴族がベテランの貴族から教えを請う事もあれば、他領の内情を探って利益を得ようとする者もある。
それがパーティという物だ。
楽しげな会話の裏では、相手の話から出来うる限り情報を引き出そうとする駆け引きが行われている。
そしてこれが外国の使者を招いての物となれば、その情報戦も熾烈を極める事となる。
大広間には、どことなくこの国とは違う服装の人達がいる。
それが他国の使者達であろう。
私も気をつけないといけない。
他愛のない話から、致命的な情報を引き出されてしまう事もあるのだ。
まぁ、私に声をかけてくる他国の使者などいないだろうが。
「これは、アスティ殿下ではございませんか」
私にはいなくても、アスティにはいるか……。
声をかけたのは、柔和な笑みを浮かべる老人だった。
身長は低く、全体的にふっくらとしている。
失礼かもしれないが燕尾服を着ているというよりも、中にぎっちりと詰め込まれているように見える。
腰には剣を佩いていた。
アスティもそうだが、こういう場で剣を佩くのは礼装としての意味合いがあるのかもしれない。
真っ白な髪は全体的にカールしており、ふわふわとしていた。
鼻には小さな鼻眼鏡がかかっている。
「これはオネットの大使殿。お久しぶりです」
オネット。
このトレランシアの隣にある国の一つだ。
北方に位置し、領土だけを見ればトレランシアよりも広いという。
トレランシアとは良好な関係を築いており、何代にも渡って同盟関係にある友好国だ。
……ったと思う。
記憶を取り戻す前の私が勉強に熱心ではなかったため、あまり自信はない。
大使という事は、この国に駐在している方なのだろう。
「そちらのお嬢さんは?」
オネットの大使は、私に目を向けて訊ねる。
「私の婚約者です」
「ほう。これはこれは……」
体型と同じくふっくらとした顔をさらに笑みでふやけさせ、オネットの大使は言う。
「私は、オネットの大使を務めさせていただいております。シャルル・グローブという者です」
そして自己紹介した。
「あ、これはご丁寧に。アリシャ・プローヴァと申します」
私も頭を下げて返す。
「ほっほっほ。可愛らしいお嬢さんだ」
「ありがとうございます」
そのやり取りがあって、シャルルさんはアスティへ向き直った。
「そういえば、今回の会議。陛下の議題について何かお聞きになっておられますかな?」
「その件ですか」
会議、というのは明日行われる予定の会議だ。
これは国家連合に所属する国々の間で行われる会議である。
今日のパーティは、各国の使者にご足労くださった事への慰労という意味合いもある。
だからこのパーティは、明日のための前座なのだ。
この国へ外交官達が招かれたのは、議題を提示したのがトレランシアだからである。
恐らく、その内容についてはまだ明らかとされていないのだろう。
「聞けば、リュゼも何か発表したい事があるとか」
「それも関係した話なのですが……。恥ずかしながら。実は、我が国の技術が他国へ流出した疑いがありまして……」
「なんと」
シャルル様は軽い驚きを見せる。
私もそれと同じ気持ちだった。
そんな話は初めて聞いた。
「それもどうやら他国の者が我が国の貴族に取引を持ちかけての事だったようなのです」
この国の貴族と他国の人間が取引?
どこかで、そんな話を聞いたような気がする。
あれは……。
そうだ。
前の事件の……。
「その国とは?」
「それは――」
アスティが答えようとした、まさにその時だった。
「これはこれは、第二王子殿下」
芝居がかった大仰な口調で、豪華な礼装姿の男性が話しかけてくる。
男性は長身痩躯、初老の中年だった。
整髪料をべったりと着けて整えたであろう、てかてかと輝いた髪。
そして、サルバドール・ダリを思わせる尖った髭が特徴的な人だった。
そして彼の背後には、もう一人。
女性が付き従っていた。
髪色は白く、肌は褐色である。
身長は高く、その表情は硬い。
そして何より目を惹くのは、その口である。
彼女の口端、左側には大きな傷が伸びていた。
縫い合わされてはいるが、とても目立つ傷跡だ。
彼女の服装は、一緒にいる男性と違って飾り気の一切ない……恐らくは軍服。
であるなら、軍人。
けれどトレランシア兵の軍服とは意匠が違うので、この国の軍人ではないだろう。
黙したまま男性の傍に佇む姿に、物静かな印象を受けた。
しかし、不思議と穏やかさは感じられなかった。
そんな彼らの登場に、アスティの眉根が寄った。
そのかすかな表情の変化で、アスティが彼らを快く思っていない事が理解できた。
「リュゼの外交官殿……」
低い声で、アスティは彼らをそう呼んだ。
かつて思いつきで書いた人物が、思わぬ所で掘り下げられてしまった……。
この後の物は唐突に書きたくなっただけで、本編に一切関係しないので読まなくても構いません。
VG-07 アリシャ
索敵に特化した偵察型の機体。
高感度のセンサー類、高性能演算装置を最大限に活用した情報収集を目的としている。
それら偵察用装備を充実させた結果、機体重量が重くなり、その上で機動性を確保するため装甲類は最低限の物となっている。
武装も頭部掘削用ドリル二つのみである。
機動性は高くなく、白兵専用超大型重機体アスティとの連携運用によって最大限のパフォーマンスを発揮する。
なお、実戦運用試験の際にアスティは敵勢力に鹵獲されており、同時に実戦運用試験中だったアリシャと戦闘。
テストパイロットの機転によりこれを撃破。
武装の不足した偵察型機体という不利を背負いながら、勝利を収めてアスティを取り戻している。
VG-07-KAI フルアーマー・アリシャ
アリシャを強化改修した機体。
偵察のみに留まらず、単機による戦闘行動を可能とした改修を施されている。
貧弱であった胸部装甲を波状柔性金属(通称フリル)によって覆う事で防御力を強化。
同装甲を多用した脚部防衛機構(通称スカート)にはパニエ・ダブルフレームシステムが採用され、重装甲でありながら足回りの動作は安定している。
そして四本に増設されたドリルには多数の推進器がつけられており、それらの推進器によって重量を増した機体でありながら高いバランス性と姿勢制御、高機動性を維持する事が可能となっている。
ドリルの推進器は攻撃時に一斉稼動させる事によって回転力を生み出し、増設されたビーム発生装置によって貫通力は増している。
遠距離への攻撃手段として、五本指マニピュレーターの人差し指に高出力のビーム兵器を搭載している。
一介の偵察機であるこの機体に何故このような改修が施されたのか。
また、誰がこのような機体を作ったのか。
どういうコンセプトなのか。
運用の記録と設計図は存在するが、実機は残っていない。
そもそも本当に存在するのかすらわからない。
謎の多い機体である。




