悪役令嬢風スパゲティ
番外編。
本編はまだしばらく待たせてしまいますが、お許しください。
トリックなどはありませんが、一応謎を解く話です。
休日を明日に控えた学園での事。
放課後。
家へ送るため、彼女を迎えに行った時の事だった。
「王子。よろしければ明日、当家で昼食をご一緒しませんか?」
正直、俺はその申し出に驚きを禁じえなかった。
彼女の名は、アリシャ・プローヴァ。
俺の婚約者である。
金髪、碧眼、整った顔立ち、高い声、小さな体格。
躊躇いなく美少女と呼べる容姿をしていて、だからこそ王族である俺の婚約者に選ばれたという部分もある。
少なくとも、容姿だけで言えば欠点がないと思っていた。
が、最近はその印象も少しばかり変わっている。
というのも、今眼前にいる彼女の『目』を見ての事である。
大層、目つきが悪い。
細く、鋭く、見る者には睨みつけているかのような印象を抱かせる物だ。
思えば、かつては目を大きく見せるよう努力していたのだろう。
目が大きく見えるように化粧を施し、あえて大きく目を見開くようにしていた。
少なくとも、俺の前では……。
自分を可愛らしく見せる努力をしていたのだろう。
しかしあるきっかけを経て、彼女はそうしなくなった。
化粧は最低限に済まし、身に纏うドレスは貴族として最低限のラインを満たす程度の質素な物になった。
かつての彼女を一言で言い表すならば、典型的な貴族主義の令嬢。
権力を使う事に躊躇いは抱かず、権力に奉仕する。
立場が上の者には心からの敬意を抱くが、下々の者は全て自分に奉仕する者であると心から信じている。
もし、下の者が逆らうような事があれば、それを攻撃する事に何の容赦もしない。
そんな令嬢だった。
概ねの貴族令嬢がその様に教育を施されるため、彼女の性格にはある種の純粋さがあったと言える。
が、俺はそんな彼女からまとわりつかれる事に嫌気が差していた。
立場の低い人間を人として見ないような彼女の在り方が、俺は気に入らなかった。
とはいえ、彼女を婚約者とする事は父の決めた事であり、何より母の強い要望があったため彼女を無碍にする事もできなかった。
だから、俺は自分の気持ちを押し込めて、彼女を婚約者として扱い続けていた……。
けれど、それにも限界があった。
ある日、彼女はある事件を起こした。
その彼女のしでかした事に、俺は我慢ができなくなり……。
俺は、彼女へ婚約破棄を迫ったのである。
そして彼女は……。
「異議あり!」
その一言と共に変わった。
あの日以来、彼女が俺に対して過剰に向けていた愛情表現が止み、今はむしろそっけない態度が目立つ。
「私の手料理になりますが」
「手料理……」
彼女からは幾度となく誘われたが、手料理を振舞うと言われた事はなかった。
そもそも、彼女は今まで誰かに何かを与えるという事がなかった気がする。
与えられる事が当たり前である、彼女はそう思っていた節がある。
とはいえ、今の彼女を見るに、そんな俺の人を見る目も節穴だったのではないかと思えてくるが……。
「メニューはアサリのトマトソースパスタです。どうします?」
彼女は訊ねてくる。
今まで、俺は彼女からの誘いを殆ど断っていた。
しかし、彼女が変わってから執拗だった誘いも鳴りを潜め……。
不思議な物で、こうして久しぶりに誘われると申し出を受けたいと思えた。
「……その申し出、受けさせてもらおう」
「では、明日の昼食時に」
「ああ」
彼女はニコリと笑った。
彼女を馬車で自宅に送り、そして王城へと帰る。
自室へ戻る際に、俺は思案する。
それにしても、まさか彼女から食事に誘われるとは思わなかった。
彼女が変わって以来、彼女の俺へ対する態度はそっけない物となった。
それどころか、向こうから「婚約破棄しないのか」と話を振る事もある。
彼女はあの時の事件で、俺に愛想を尽かしたのかもしれない。
それはそれで致し方ない。
俺は、彼女を裏切ったのだから。
ただ、正直に言えば俺は彼女の態度が変わった事に軽いショックを受けており……。
今まで向けられていた好意と愛情、それらを疎ましく思いながら、それが向けられなくなった途端に惜しく思うとは……。
なんとも、勝手な話だとも思う。
まぁ、それはいい。
俺自身の心の問題だ。
それよりも今は……。
そんな彼女が何故今更、俺を誘う事にしたのか、という事だ。
愛想を尽かしたというのなら、わざわざ誘う事もないだろうに。
そこにはいったい、どんな意図があるのか……。
「……おい。聞いているか」
不意に、その声と共に後ろから肩を掴まれた。
振り返ると、そこには兄貴がいた。
第一王子、レセーシュ・R・トレランシアである。
どうやら、先ほどから声をかけてくれていたらしい。
俺はそれに気付かなかったのだろう。
「兄貴か……。すまない。少し考え事をしていた」
普段から気難しそうな兄貴の表情が、顰められてさらに渋くなる。
「お前は決して愚かな人間ではないが、あまり考え事には向いていない」
「考え事を不得手としている事は自分自身でも理解しているつもりだ。ただ、考えずにはいられない事という物もある」
「ふむ……。それは何だ?」
兄貴が問いかける。
少しばかり、話すべきか悩む。
悩んだ結果、話す事にした。
「実は……」
俺は、兄貴にアリシャからの誘いについて話した。
「なるほど。あの女の企みが何か……。それを察する事ができずに悩んでいるわけか」
兄貴はアリシャの事をあの女と称する。
それは、彼女が変わる以前から変わらぬ部分だ。
兄貴もまた、アリシャの事を嫌っていた。
しかし、わずかながら前とは違う。
前はその言葉に侮蔑が混じっていたが、今はまた違った感情が混じっているように思える。
嫌いな人間が、いけ好かない人間程度には変化したという所だろう。
言葉の節々にアリシャへ対する軽い悪意のような物は今もある。
「企みなどとは言っていない」
「いいや、あの女の事だ。何かしらを企んでいるぞ」
人の婚約者を何だと思っているんだ?
兄貴はアリシャに対しての警戒心が強すぎる。
恐らく前の事件があっての事だろう。
前にあった事件において、兄貴はアリシャを相手に議論を交わし手痛い反撃を受けている。
それを今でも苦々しく思っているのだろう。
「あの女は、私の目を以ってしてもその本性を見抜けなかった。それほどに、胸中を隠す事に長けている。そして策士だ。今回の誘いにも、隠された企みがあろう」
確かに、ある種の奸智に長けているという部分では確かに策士と言えるかもしれない。
「企み、か。……毒でも盛ると?」
「有り得るかもしれんな。お前は一度、あの女を酷く責め立てた上に婚約破棄を迫った事もあるのだから。恨まれていたとしてもおかしくない」
ぐっ……。
他人からそれを言われると思った以上に辛いな。
あれは、自分でも短絡的だったと思っている。
後悔もしていた。
「まさか……」
苦笑し、否定する。
「いや、わからんぞ。今までの態度が、この昼食会一点に絞られた布石だったという可能性はある」
「……」
正直に言えば否定したい。
アリシャがそんな事をするとは思えない。
とはいえ、俺の目が節穴である事はあの婚約破棄を迫った日、事件の真相と共に証明されてしまった。
何より、アリシャを相手に知恵比べで勝てる気がしない。
「まぁ、それは冗談だ」
「そうなのか?」
「あの女は策士だ。そんなあからさまな方法で殺そうとするなどありえない。あの女が本気で人を殺そうと企んだとすれば、少なくとも現場とは別の場所で絶対的な所在証明を作っているだろうさ」
なるほど。
ならば、手料理などという一番疑われるような品に毒を仕込む事などないだろう。
「なら彼女の意図は何だと言うのだ?」
「ふむ」
兄貴は黙考する。
「そうだな。たとえば、あの女の目的が当初から一切変わっていないのだとしたら?」
どういう意味だ?
兄貴の言いたい事がよくわからない。
「当初?」
手始めに、特によくわからない部分を訊ね返す。
「そう。彼女が、お前を見初めた時からだ」
「なら、目的とは?」
続いて訊ねた。
「お前の心を掴む事だ」
俺の心を掴む?
「事実、最近のお前はあの女の事が気になって仕方ないだろう」
「そんな事は……」
否定しようとするが、言葉を続ける事はできなかった。
「今だってそうだ。ただ昼食に誘われただけでいらん事を考えて上の空だ」
「それはそうだが……」
「わからんか? 今のお前は、見事に心を掴まれているではないか!」
兄貴の指摘に、俺は衝撃を受けた。
「あの事件でお前のあの女へ対する印象は変わった。そして、それと共に関係は逆転したと言える」
「逆転、だと?」
「追う者と追われる者の関係だ」
「追う者と追われる者?」
兄貴の言葉を鸚鵡返しする。
「そうだ。恋愛においては、追うよりも追わせろという格言がある。そして今までのお前は、あの女に追われていた。しかし、今のお前は逆にあの女を追っているではないか」
確かに……。
兄貴の言葉には、説得力があった。
何も言い返せない……。
俺が彼女を追っている?
……そうだな。
その通りだ。
俺は、彼女を追っている。
きっとこれは、好意という感情からだろう。
彼女が変わる前の俺からは、考えられない心境の変化だ。
なるほど……。
それが彼女の目的か。
もしこの心境の変化すらも彼女の企みだったとするなら、確かに恐ろしい事だ。
全てが彼女の計画通りに進んでいる。
「全ては、あの女の計画通りなのだろう」
兄貴は、まるで俺の考えを読んだかのようにそう言った。
「性格の豹変も、あの事件ですら……」
「あの事件まで?」
「恐ろしい事だが、可能性はある。少なくとも、お前の関心を惹くという点において、あの事件はあの女に利する形で収束している」
「……かもしれない」
「そして、あの女は最後の締めに入ろうとしているのだ」
「締め、だと?」
問い返すと、兄貴は頷いた。
「あの女は、この昼食会でお前の心を完全に掌握する何かを用意しているはずだ」
「それは?」
「……わからない。だが行けば最後、お前の心は完全に彼女の手中へ落ちる事となる。そんな、得物を仕留めるための必殺技に違いない」
必殺技……。
ごくり、と唾を飲む自分の喉の音が聞こえた。
「この昼食会は追い込んだ獲物を捕らえるための物に違いない。そう、あの女が仕掛けた最後の罠というわけだ」
さながら、幾重にも張り巡らされた蜘蛛の糸のように、俺は彼女の思惑に絡め取られたという事なのだろうか?
「お前達、こんな所で何をしている?」
不意に、思わぬ所から別の声がかかる。
見ると、こちらに近づいてくる人物の姿があった。
俺と兄貴は、畏まって頭を下げる。
綺麗に整えられた赤に近い茶色の髪と顎鬚を蓄えたその人物は、シャツとズボンだけというラフな格好をしていた。
そんな服装を見咎めてか、兄貴は顔を顰める。
それもそのはずである。
その人物は、俺と兄貴の父親。
この国の王、レクス・K・トレランシアなのだ。
今の父上は、王として相応しい格好とは言えなかった。
とはいえ、これは父上にとって珍しい事でもないのだが……。
「ここが王族のみの私的な区画とはいえ、もう少し王者に相応しい威厳のある格好をしていただきたい」
兄貴が忠言する。
「そんな物は謁見の時だけでいいだろう? 細工の凝った服の装飾も、金糸を編んだマントも、用途不明の錫杖も、外へ見栄を張る以外に必要ないじゃないか」
父上はかすかに笑みを浮かべて返す。
「本当なら、謁見の時すらこの格好でいいとすら思っているくらいだ。見た目に拘る時間があるなら、仕事に割いた方が有意義だからな」
「それはなりません」
「わかってる。みんなそう言う。それより、お前達は廊下の真ん中で何を議論しているんだ?」
そうだな。
この際、父上にも意見を訊いてみようか。
「実は……」
俺は、父上に事の経緯を話した。
「なるほど。よくわかった」
父上はそう言ってうんうんと頷いた。
「恐らく、そのパスタの中には彼女の髪の毛が練り込まれているぞ」
話した内容をぶった切るように、父上がよくわからない事を言い出した。
「はぁ?」
あまりにもよくわからなかったので、そんな声が思わず出る。
「父上、人の話を聞いていましたか?」
「ああ。もちろんだ。私も食べた事がある。髪の毛の入ったパスタを。作ったのはお前の母親だったよ」
「そうなのですか?」
母上……。
何をしているんですか……。
「ああ。丁寧に一本一本練り込まれていたんだ。その労力を考えると関心するな」
普通に怖いんですが……。
実の息子が……いや、実の息子だからこそ怖気を生じる程の母の蛮行。
俺はそれに狂気を覚えながら訊き返す。
「母上は何故そんな事を?」
「さぁな? 私が愛されていたからだろう。あいつは愛情表現が変な方向に向いているからなぁ。あいつが林檎を剥いている時に他の女の話をしたらナイフが飛んできた。あれは怖かった」
俺の知る母上と、父上の語る母上の話がかみ合わない。
俺に対してそんな姿を見せないだけで、母上は父上に対してだけそうなってしまうのだろうか?
いや、この父上の事だ。
適当に嘘を言っている可能性もあるか……。
「しかし、お前の母は優しい女だ」
「今の話のどこにもそんな要素がないように聞こえたのですが?」
「あらゆる激情を内包しながら、その行き先の全てを私に向けていた。私の周囲にいた女性達には一切の害意を持ち合わせず、な。相手を攻撃せねば気の済まない人間だっているが、少なくともお前の母は誰かを傷つけるような事をしなかった」
「父上は酷い目にあっていたように思えますが?」
「言ったろう?
それは愛情表現なんだ。
お前の母は、ただ不器用に自分の気持ちの全てを素直にぶつけてきただけだ。
方法に難があったとしても、深い愛がそこにはある。
私にはそう思えた。
彼女の私に対する行動の全てが私に向けた物であり、それら全てに愛が込められている。
一人の女の愛情を独り占めできるというのはそうない事だぞ。
それは素敵な事じゃないか」
まったく共感できない。
「アリシャ嬢は、そんな彼女が選んだ婚約者だ」
そう、アリシャを婚約者に選んだのは母上だ。
社交の場で出会い、いたく気に入ってそのまま婚約者にしたいと父上に進言したのだという。
「その判断基準はわからないが、何かしらの共感性を覚えたという可能性もある。だから、アリシャ嬢の行動が、お前の母に似通う可能性はある。安心しろ。彼女なら、きっとお前を超愛してくれるぞ」
そういう話に繋がるのですか。
あと、その話が本当だったら安心できない……。
「まぁつまり、彼女もまた愛情表現をしたいだけかも知れないという話だ。というより婚約者なのだ。好意を示す以外に何がある?」
もっともではある。
しかし、今の俺と彼女の関係は以前と変わってしまっている。
「むしろ、髪の毛が入っていなければまずいぞ。もはやお前に欠片も愛情を持っていないという事だ」
「髪の毛の有無が愛情の有無のように話さないでいただきたい」
とはいえ、今のアリシャに俺へ対する愛情があるかと問われればわからないと答える他ない。
しかし、何だったんだろう?
父上から聞かされた話は……。
そもそも、どうしてこんな話になったのかすら忘れそうになった。
「ちなみにレセーシュ。お前の母親は普段きつい態度で接してくるくせに、構わないとすぐしおらしくなってしまうという――」
「私の母の話はご遠慮します」
「ふむ、そうか」
兄貴に止められて、父上は残念そうにしながら話を中断した。
俺も父上が何か言い出す前に断ってしまえばよかった。
「で、参考になったか?」
父上が訊ねてくる。
少し考える。
正直、どう答えていいかわからない。
二人は、俺の疑問に自分なりの考えで答えてくれた。
けれど……。
「はい。二人の言い分を聞いて、一つわかった事があります。どちらにしろ、実際に行ってみない事には何もわからないという事です」
結局、ここで何かを語り合っても答えは見つからない。
それがわかった。
アリシャなら、こんな時立ち止まって考え続ける事をしない。
考えてわからないなら、とりあえず進むだろう。
何も良策が浮かばぬとも、とりあえず何か行動を起こす。
それが、アリシャという令嬢だ。
かつてがどうであったとしても、それが今の俺にとっての真実だ。
その行動に、俺は好感を持っている。
なら、それに倣う事にしよう。
明日、直接訊いてみる事にした。
翌日の昼食。
俺は小さな丸テーブルをアリシャと囲っていた。
目の前にはパスタがある。
トマトの赤い色をしたアサリのパスタだ。
ニンニクの良い匂いがしていて、食べずともそれが美味い物だろうと予想がつく。
一口食べると、その味は予想を裏切らなかった。
赤ワインの酸味とアサリの出汁が調和した味わい深い一品だ。
……少なくとも、髪の毛は入っていなかった。
毒も多分、入っていない。
今の所、俺の心を掴むような必殺技が飛び出す気配もない。
二人の考えが外れた以上、真実を知るには自分でそれを探求する他ないだろう。
「アリシャ」
パスタを食べる手を止めて、対面でパスタを食べるアリシャに声をかける。
「何ですか?」
彼女は訊ね返した。
「どうして、俺を昼食に招待してくれたんだ?」
「……今日、両親が出かけていて、夜まで帰ってこないんです」
必殺技かな?
と思ったが、彼女はそのまま言葉を続ける。
「一人の食事は寂しいでしょう」
「本当にそれだけか?」
彼女が答えるまでに、少しの間があった。
それ以外に何かあるのではないか、と思って問い返す。
すると、彼女は溜息を吐いて白状した。
「……実は私、アサリの出汁は好きなんですけど、アサリの実は嫌いなんです」
「アサリ?」
彼女が何を言いたいか理解できず、訊ね返す。
「だから、誰かに食べてもらえないかなぁ、と……」
なんじゃそりゃ?
思っていた以上にくだらない理由だった。
「嫌いなら、アサリだけ捨てればいいだろう」
「もったいないじゃないですか」
なんとも、貴族令嬢らしからぬ事を言う。
「というわけで、どうぞ」
そう言って、彼女は自分の皿から次々にアサリを俺の皿へ移していった。
……まぁ幸い。
アサリは好きである。
謎を解いた事になるのかなぁ?




