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絶体絶命悪役令嬢  作者: 8D
絶体絶命留学忍者
34/74

十話 跪け!

「言いがかりだ!」


 セルドは台を叩いて怒鳴る。


 まぁ、そう言うよね。


「それは別の事件の証拠品だったんだ。その事件の当時から、すでにナイフはったかもしれないだろうが!」


 む、考えもしてなかった。

 確かに、その可能性はある……かな?


「それはないと思います」

「何故そう言い切れる?」


 根拠、か。


 言わなかっただけかも知れないけれど、アルティスタくんからそんな話は聞いていない。

 それに……。


「この像の作者であるアルティスタ・シェルシェールは、恐らくこの空洞に気付いていません。もし気付いていたならば、この位置にサインはしないでしょう」

「サインの位置、だと?」

「このサインは、木像の空洞を塞ぐ蓋を跨いで刻まれています。空洞に気付いていたのなら、こういうサインの刻み方は避けるはずです」


 そう言って、私は像と蓋をそれぞれ両手に持って見せた。


 アルティスタくんが空洞に気付いていたならば、こんなサインの入れ方はしないだろう。

 何せ、蓋を開けてしまえばさっきみたいにずれてしまうから。


 だからふたの部分を避けて刻むはずだ。

 そしてサイン入れは最後の工程だから、それ以上は手を入れない。

 アルティスタくんが空洞に気付いていない可能性は高い。


「では何故、像に空洞があったと言うのだ? 作者が空けた物だからじゃないのか?」


 そもそもこの空洞は、いつからあった物なのだろう?


 アルティスタくんが知らないというのならば……。


「加工される丸太の状態から既に空洞はあったのではないでしょうか?」


 そうとしか考えられない。

 それを知らずに、アルティスタくんは木像に仕立てたのだ。


 そういえば、アルティスタくんは木材が重かったと言っていた。

 しかし空洞があったのなら、逆に軽かったはず……。

 もしかして、丸太の段階で空洞の中には既に何か入っていたのかな?

 木材よりも重い、何かが……。


「なら、その時からナイフが入っていたんじゃないのか?」


 どうなんだろう?


「それもないと思います。私はアルティスタ・シェルシェールから、証言を得ています。この木像を削りだした丸太は、普段よりも重かった、と。でも、私が持った感じでは、この木像は見た目よりも軽かったんです」

「そんな物は、人によって感じ方が違うだろう」

「確かにそれはあります。でも、別の考え方もできます。たとえば、中に入っていた物が摩り替わっていた、とか」


 私は言って、セルドの顔を見据えた。

 セルドは、憮然とした表情で私を見返す。


 その表情は、少し焦っているように見えた。


「馬鹿馬鹿しい……。所詮、憶測ではないか」

「そうですね。でも、可能性はあります」

「貴様は今、何を証明しようとしているのか、わかっているか?」

「被告の無実です」


 セルドは首を左右に振った。


「いいや、それだけじゃない。お前は、俺がこの事件の犯人であると告発したのだ」

「ええ。被告の無実を証明する上で、必要な事だからです」


 答えると、セルドは不敵に笑んだ。


「いいだろう。貴様がそのつもりなら、受けて立ってやる。だが覚悟しろ。この俺を犯人呼ばわりしたんだ。それが間違いだとわかった時は、お前を逆に告発してやる!」

「な! どうしてそうなるんです?」

「名誉毀損だ。貴様は公爵家だったな。司法と言えど貴族の権威には多少威光を失うが……。俺の手腕なら、財産の半分程度はふんだくってやれるだろうな」


 まじで……。


「だが、今告発を取り下げれば無かった事にしてやる」


 勝ち誇ったように笑い、セルドは言った。


 家か。

 友情か。


 どちらかを選べ、という事か……。


 私は小さく溜息を吐き――


「いいえ、取り下げません!」


 声を張り上げて答えた。


 選ぶまでもない事だ。


 そんな事されたら、うちの親の事だ。

 私は家を追い出されるかもしれない。


 婚約破棄された娘を容赦なく追い出すような親だし。

 可能性は高い。


 でも、それはここで止まる理由にならない。

 そんな事より私が今恐れているのは、葵くんを助けられない事だ。


「何だと!」

「取り下げないと言ったんです」


 聞き返され、もう一度強く答える。


「ふ、後悔するなよ。では、示してもらおうか。俺が犯人である証拠を」


 証拠……。


「少なくとも俺は、このナイフに見覚えなど無い。触れた事すらないのだ」

「それを証明できますか?」

「違うな」

「え?」

「証明するのは貴様だ」

「俺は司法長官だぞ! この地位だけで、既にその発言は証明されているような物だ」


 むちゃくちゃな言い分を言い切った!?


 でも確かに一理ある。

 司法長官と公爵家の娘では信用できるのは司法長官の方だろう。


 なら、証明しなくちゃならないか。

 どんな立場であろうと言い逃れできないような、決定的な証拠ってやつを。


「で、どうなんだ? 俺とそのナイフの関連性を証明する証拠はあるのか?」


 ニヤニヤと嘲笑し、セルドは問う。


 証明する証拠か……。

 ……それはない。


 でもそれは、私が気付いていないだけかもしれない。

 証拠の中に、答えはないだろうか?


「アリシャさん」


 そんな時、ルーが私に声をかけた。


「そろそろそれを放したらどうです?」

「それ?」


 何の事か解からず、私は問い返した。


 放せ、という事は手に何か持っていただろうか?

 そう思って手を見ると、私は証拠品のナイフを握っていた。


「あっ」


 私は慌ててナイフを台へ置いた。


 議論に熱が入っていたためだろう。

 握られた柄には、私の指紋がくっきりと残ってしまった。

 銀製なので余計に目立つ。


「あーあ」


 この国に指紋鑑定があったら、大問題になる所だ。

 というか、指紋鑑定があったら、このナイフの指紋を調べれば一発で犯人がわかるのに……。


 私の指紋の横には、薄っすらとした赤黒い指の跡がある。

 この指紋を調べれば……。


 あれ?


 私は改めて指の跡を見て、違和感に気付いた。

 私の指紋と指型の血痕を見比べる。


 しばし眺め、その正体に気付いた。


「もしかして……」


 私は証拠品を漁り、一枚の資料を取った。

 それは現場のスケッチである。


「ルー。新聞、持ってたよね」

「ええ」

「貸して」

「何に使うんです?」

「確かめたい事があって」


 私はルーから新聞を受け取るや否や、紙面に親指を擦りつけた。

 私の親指が新聞のインクで真っ黒に染まる。


 スケッチにはセルドの親指の跡が残っていた。

 それは新聞のインクが指についたせいで残った物だ。


 そして今、私の親指も同じ状態にある。

 私はその指をスケッチの空白部分に圧し付けた。


 抓むようにして強く圧し、ゆっくりと紙から指を離す。

 するとそこには、くっきりと親指の指紋が残った。


「やっぱりだ」


 私は自分の考えが正しい事を確信する。

 思わず、笑みが零れた。


「貴様、何をしている! それは証拠品だぞ!」


 セルドが私の行動を見咎め、怒鳴りつけてくる。


 先にやらかしたのはそっちなのに?


「あなたに言われたくありませんが……。ともかく、これで証明されました」

「証明? 何の事だ?」


 私はふふん、と不敵に笑う。

 そして、答えた。


「もちろん、あなたがこの事件に関わっているという事実です」

「ハッタリだ! そんな物など、存在するはずがないのだからな!」


 怒鳴るセルド。


「そう思うのでしたら、静聴願いましょうか」


 私は動じる事無く、そう告げた。

 セルドは不機嫌そうに顔を顰める。


 それでも文句が出ないという事は、一応聞いてくれるという事か。


「知っていますか? 指の皺は、その形が人によってそれぞれ異なる事を」

「知らんな」

「そしてこのナイフ」


 言って、私はナイフを摘み持って示す。


「これには、犯人の物と思しき指の跡がありました。なので、これと同じ指の形を持つ人間が犯人である可能性が高い。そして奇しくも、それと同じ指の形が証拠品の中に紛れていました」


 言って、私は現場のスケッチをセルドへ見せる。


「それは、ここです」


 スケッチの一部を指す。

 そこは、セルドが誤って親指の形にインクを付けてしまった場所だ。


「これはあなたの指が付けたインクです。そして、この指の形はナイフに残っていた物と一致するのです。つまり――」


 言いかけた私の言葉が、ドンという音で中断させられた。

 セルドが台を叩きつけた音だ。


「それがどうした?」


 威嚇するような低い声で、セルドは問う。

 そして私がその問いへ応じる前に、彼は言葉を続けた。


「人の指の皺がそれぞれ異なるだと? そんな物は貴様だけが言っている事だ。そんな妄言が証拠になるか!」


 確かに、まだ指紋鑑定のないこの世界では、眉唾に近いものだろう。

 だが……。


「いえ、そうとは限りません。少なくとも、今回に関しては」

「何だと?」


 訊ねるセルドへ答えず、私は係官を呼ぶ。

 そして、裁判長へスケッチを持って行くよう頼んだ。

 スケッチが裁判長の手へ渡る。


「裁判長。スケッチに残った指の跡を見てください。上は私、下はセルド司法長官です。何か、違いがあると思いませんか?」

「ふむ……」


 裁判長はスケッチを……正確にはそこに付着した二つの指紋を見比べる。


「……指にある無数の皺。紋でしたか」

「はい」

「それがあなたのには刻まれているのに対し、検事の指には刻まれていないように思います」


 裁判長がそう答える。


「見ろ。これでは証拠にならないじゃないか!」


 その答えに、セルドは勝ち誇ったように嬉々として言った。


「いいえ。そうはなりません」

「何?」


 私は新聞を手に、セルドへ見せた。


「私は、あなたと同じ条件で指の跡を付けました。その結果、私の指の紋はくっきりと残った。つまり、むしろ残っていない方がおかしいのです」


 私はそこで言葉を止めず、畳み掛ける。


「そして証拠品のナイフ。こちらに残った指の跡にも、指の紋がない……。血がべったりと付着していたならいざ知らず、薄っすらと残った血で指跡をつければこちらにも紋が残っていないのはおかしな事。つまり……」

「な、何が言いたい!」


 戸惑う様子で、セルドは怒鳴った。

 顔には汗が滲み、不安を押し隠しているようにも見える。


「この指の跡をつけた人物は、恐らく先天的に指の紋を持っていないという事です。そう、あなたの事ですよ! セルド司法長官!」

「ぶひぃ!」


 なんて声……出してやがる……。


「何を証拠に!」


 奇妙な声を漏らしたセルドが、すぐに立ち直って反論する。


「スケッチの事もそうですが。あなたは言いましたね。紙を捲る時に指を舐めるのは、そうしないと捲れないから。そして、それは生まれつきの事だと……」

「……! い、言ってない!」

「なら、実際に見せてもらいましょう。その指を! 今! さぁ!」


 私は強い口調で求める。


「そ、そんな事は……」

「裁判長!」


 私は裁判長を呼ぶ。

 それで察したのか、裁判長は一つ頷いた。


「係官。至急、検事の指を改めるように」


 その令によって、係官がセルドへ近付いていく。


「待て! やめろ!」


 言いながら、セルドは後ずさる。

 係官はそんなセルドの手を強引に掴み、指を改めた。


「……指の紋。確認できません!」


 係官は声を張り上げて告げた。

 その声が法廷に木霊する。


「放せ!」


 セルドが係官の手を振り払う。


「明らかになりましたね」

「……何が……わかったと言うんだ……」


 彼の表情には、焦りを通り越して疲労が見え始めていた。

 それでもまだ戦意は喪失していないのだろう。

 その目には闘志が見える。


「あなたが血に汚れた手でナイフを握った、という事です」


 私ははっきりと告げた。


「……いいや。これはたまたま、事件後に転んで削れてしまっただけだ。血はその時の物……。指の傷は治ったが、指の紋は戻らなかった」

「それはありえません。何故なら、その紋様は一生形が変わらないからです。たとえ怪我をしても、怪我が治れば同じ紋様に戻ります。それほど、絶対的な物なんです」

「ぐぬぬ。……だから、どうした! 指に紋のない人間が俺だけとは限らないだろう!」


 往生際悪く、セルドはなおも言い募ろうとする。


「確かにその通り。ですが、詳しい鑑定をせずとも指の紋がない人間を探すだけなら簡単です。それも、事件に関わる人間に絞れば手間もかからないでしょう」


 指紋のない人間というのはとても珍しい。

 日本では、国民の一パーセントに満たない人間しかいないらしい。


 だから、この指紋はほぼセルドの物で間違いないだろう。


 さぁ、このナイフとセルドの関係は証明できた。


 けれど、まだ足りない。

 追い詰めるには、まだ……。


 だから、私はまだ止まらない。


 ナイフとセルドの関係が立証されても、セルドと被害者の関係がまだ立証されていない。


 でも、これ以上の証拠は多分出ないだろう。

 待っていても良い方へ向かうとは思えない。

 こちらから向かって行かなくては……。

 真実へ向けて、突き進んで行かなくては!


 だから相手が体勢を整える前に、ここで一気に畳みかけよう!

 言葉で揺さぶって、決定的な証拠を出させてやる!


「あなたは一度もこの像の中を改めていないと言った。では何故、あなたの指紋がついたナイフがここにあったのか。そして何故、それを隠匿しようとしたのか。答えは明白です」

「違う!」


 否定するセルドを無視して、私はまくし立てる。


「それはあなたが、被害者を殺害したからです。あなたの執務室で! そして、あなたは被害者の遺体を公園へ運んだ。違いますか!」

「俺はそんな事など――」

「あなたも共犯なんですか?」


 私はセルドのそばに控えていた部下へと訊ねた。


「はえっ?」


 急に矛先を向けられて、部下は戸惑った声をあげる。


「あなたは遺体を発見したと詰所に通報しましたね。セルド司法長官の話によれば、あなたは彼と一緒に行動していたという事です。そしてあなたはそれを肯定した!」

「え、あ、はい……」


 私に言われ、戸惑い、セルドの部下は生返事をする。


「私は、その時こそ遺体を運搬している最中だったのではないかと思っています。遺体を運搬し、椅子へ座らせ、それを発見させるためにセルド司法長官は詰所へあなたを走らせた。違いますか?」

「そ、それは……」


 セルドの部下は言いよどむ。


「黙れ……! ただの言いがかりだ、惑わされるな……」


 セルドは怒鳴る。

 しかしもはや声からは威勢が殺がれ、先ほどまでとは雲泥の差である。


 それに構わず私は続ける。


「つまりあなたは、殺人と死体遺棄の共犯者という事になるんですよ!」

「共犯……?」

「答えてください。あなたは罪を犯したのですか? セルド司法長官と同じく、罰せられる事をしたのですか?」

「罪……罰せられる……?」


 呆けているようにも見えた彼の表情が、みるみる内に青ざめていく。


「いいえ! 違います!」


 そして、弾けるように叫んだ。


「よせ、やめろ! 何も言うな……!」


 制止するセルドの声。

 しかし、その声は彼の言葉を留めるに到らなかった。


「私はあの夜、司法長官と行動を共にしていません! 司法局の建物で司法長官に命じられて、そこから詰所へ走っただけです! それから公園に憲兵と駆けつけて、司法長官と合流しました。その間、司法長官が何をしていたのか私は一切知りません!」


 セルドの部下は、必死に弁明する。

 彼が語る言葉の中には、今までの証言が覆る部分があった。


「それは、本当ですか?」

「はい。誓って!」

「では、何故あんな証言を?」

「一緒にいた事にしろ、と司法長官が仰ったからです!」


 セルドの部下は叫ぶように答えた。

 それを聞き、セルドが顔を覆う。


「つまりセルド司法長官は、司法局から外へ出る前から事件が起こっていた事を知っていた、という事ですね」

「あ、確かに、そういう事になりますね……」


 なるほど……。

 私は思わず笑みを浮かべた。


「裁判長」

「何でしょう?」

「被害者が殺されたという事実。それをただ一人、セルド司法長官だけが逸早いちはやく知っていた……」


 私はそこで一拍置いた。

 次に吐き出す言葉のために、私は小さく息を吸った。


「何故知っていたのか? 簡単な話です」

「それは?」


 裁判長に問われ、私はセルドへ視線を移した。

 同じく、人差し指を突きつける。

 声を張り上げた。


「彼こそが、その殺人事件の犯人であるからに相違ありません!」

「ぐおぉ!」


 セルドは悲鳴じみた声をあげ、一歩退いた。

 それを防ごうとしたのか、彼は前のめりになって台へ両手を付いた。

 その際に俯いた顔を上げ、私へと視線をやり……。

 しかし私がまっすぐに見返すと、表情を歪めて隣に立つ部下へ視線を移した。


「貴様! 貴様ぁ! よくもそんな事を言ったな! 貴様のせいで、貴様のせいで俺は……」

「ひぃ、申し訳ありません! 司法長官!」


 今にも殴りかからんばかりに、セルドは部下へ迫った。


「黙りなさい!」


 それを見かねて、私は声を張り上げる。


「ぴぎぃっ!」


 だから何? その悲鳴。


「今、あなたの罪が立証された事。それは全て、あなたの罪科によるものです。人のせいにするのはおやめなさい」

「ぐぅぅ……」

「葵くんに罪を着せ、今は部下のせいにしている。思えばあなたは、あらゆる事を人のせいにしてきた。押し付けてきた。その押し付けてきた物が、あなた自身に返ってきた。その責を今度はあなたが償う番です!」

「俺は……俺は……」


 セルドは言葉を探しているようだった。

 きっと弁明の言葉だろう。

 今、必死にこの場を打開するための理屈を考えているに違いない。


 でも、このまま立ち直らせてたまるか!


「殺人を犯すような異常者は、自分が助かるためならどんな嘘だって吐く……。でしたか? まさしく、その通りでしたね」

「違う……! 違う……俺は……! やってない……!」

「この豚野郎!」

「プギィッ」


 私の一声に、セルドは悲鳴を上げる。


「罪を認めて跪け!」


 そして私はさらに強い口調で言い放った。


「ブヒヒィッ! お、お許しください女王様!」


 セルドは言葉に圧されて仰け反る。

 そんな事を口走り、そのままバランスを崩して後ろから床へ倒れた。


 シンと静まり返る法廷。


「女王様……?」


 遠く離れた場所から、アスティの呟き声が聞こえた。




 倒れたセルドはそのまま失神し、どこかへと運ばれていった。

 そのタイミングで休廷となり、一度裁判官達は席を立った。

 恐らく、今までの議論を元に判決を下すためだろう。


 そして検事不在のまま、裁判が再開され、結果が申し渡されようとしていた。


 裁判長の放つ言葉。

 固唾を呑み、私はそれを待った。


「では、判決を……と言いたい所ですが、それを下す事はまだできないと我々は判断しました」

「え?」


 私は思わず驚きの声を上げた。

 法廷の静けさがあって、私の声は思った以上に響いた。


「静粛に」

「……はい」

「弁護人の論証には確かに説得力があります。司法長官の様子からも、それが真実に近い事は間違いないでしょう」


 裁判長は私へ向けて語りかける。


「ですが、あやふやな部分も多い。完璧な立証とは言えないでしょう。あなたは、新たな可能性を示したに過ぎません」


 そんな……。

 じゃあ、葵くんはどうなるの?


「裁判官の判断は、人の一生を左右する物です。おいそれと軽々しく下す物ではありません。なので、事件の再捜査を要求する事になりました」


 再捜査……。


「今回の事件は被告の周辺と現場の捜査しか行なわれていないため、司法長官の罪を立証するには証拠が足りないと言えるでしょう。なので、詳細な事がわかるまで判決を保留とする事としました」

「じゃあ……」

「被告の判決については、その調査の結果次第。あなたの立証に正当性があると明らかになれば、被告への訴えは棄却される事となるでしょう」


 つまりそれは、裁判自体がなくなるという事か。


 その事を理解すると、今までの緊張が解れる気がした。


「やりましたね」


 ルーが私に言う。

 振り返ると、彼女は笑顔を作っていた。


「うん」


 私は返事をして、頷いた。


「では、本法廷を閉廷します」


 裁判長が宣言し、この裁判は幕を閉じた。




 その後、改めて調査が行なわれた事で、私の立証を裏付けるいくつかの証拠が見つかった。


 執務室からは巧妙に隠された血痕。

 公園で見つかった荷車が司法局の備品であった事。

 そして、遺体を隠していたと思しき大型のトランク。

 そこに残った髪の毛、血痕。


 それらの証拠が見つかり、セルドが事件の犯人であったと判断されたようである。


 葵くんが釈放となったのは裁判から五日後の事だった。

 この国の司法が絶体絶命です。

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