八話 絶体絶命
三話「自己保身と友情」を一部加筆修正しました。
「あなたが、事件現場を見た目撃者だというのですか? 司法長官!」
「名前と肩書きで呼べと言ったはずだぞ!」
私の問いに、セルドは怒鳴り返す。
この高圧的で理不尽な態度……。
どうやら、完全に立ち直ってしまったらしい。
「ふん。まぁいい。俺は司法長官だ。俺ほど、目撃者として信用のおける相手はいない。違うか?」
「個人的に信用できません!」
「黙れ、小娘!」
黙るもんか。
「あなたが目撃者だというのなら、何故今までそう名乗り出なかったのですか?」
今までセルドは、目撃者の正体について隠そうとしていた。
それは何故なのか?
「それは当然の事だ。俺は今回の担当検事だからな。その俺が証言者として証言する事は、公正さに欠ける。だから、証言者として法廷に立ちたくなかったのだ」
もっともらしい事だ。
本当だろうか?
なんとなく疑ってしまう。
「では何故、不完全な証言を?」
セルドは、あえて証言していない事があると言った。
「さっきも言ったが、俺は嘘の証言をしたわけじゃない。ただ、言っていない事があるというだけでな」
「何故、そんな事を?」
「必要のない証言だと思ったからだ。全てを話さなくとも、被告の罪は立証できる。そう思っての判断だ。俺も忙しい身だからな。無用な議論で時間を費やしたくなかった」
「そのせいで余計に時間がかかっているようですが?」
「貴様のせいだ! 貴様が鬱陶しく指摘してくるからだ!」
理不尽っ!
「じゃあ、その語っていないという部分を語ってください」
彼の口から、どんな証言が飛び出すかわからない。
けれど、それがどんな物であっても、葵くんの無実を証明しなくては……。
「いいだろう」
セルドは不敵に笑うと、証言を始めた。
「俺はその日、こいつと一緒に夜の町で酒を飲んでいた」
セルドはそばに控えていた部下を示して言う。
部下はそれを肯定するように、頷いた。
「被告を見たのは、自宅への帰り道を歩いている時だ」
「帰り道? 公園ではなく?」
「そうだ。奴は、人気の少ない夜の道を歩いていた。荷車を引いて、な」
「荷車……」
嫌な予感がする。
「荷車の上には布がかけられていて、中をうかがえないようになっていた。俺はそれを見て直感した。奴は遺体を運んでいるのだ、と」
「とてもダイレクト過ぎる直感ですね」
「俺は司法長官だからな」
セルドは得意げに答えた。
まさか、その役職だけで何でも通ると思ってない?
「だから俺は奴を密かに尾行したんだ。そして自分の直感が当たった事を知った。奴は荷車から布を取り、中から遺体を運び出した」
「ソンナコト、シテイマセン!」
葵くんが声を上げた。
「と、言っていますが?」
私はセルドに訊ねる。
「犯罪者の戯言だ。殺人を犯すような異常者は、自分が助かるためならどんな嘘だって吐くものだからな。実際に現場付近では、遺体の搬送に使ったと思しき荷車が見つかっている」
「被告が罪を犯したとはまだ証明されていません」
「なら今の言葉を取り消そう。それでいいか? 言葉を正そうが、時間の問題だとは思うが」
「……はい」
葵くんの事は信じているけれど、反論する余地がない。
今は、何も言えない。
できる事と言えば、葵くんの不安が少しでも和らぐように微笑みかけるくらいだ。
私は葵くんに笑いかけ、大丈夫、と口だけ動かして言った。
葵くんにそれが伝わったのか解からないけれど、一つ頷きを返してくれた。
「で、だ」
セルドが声を上げる。
証言の続きを話し始めた。
「それを目撃した俺は、こいつに憲兵を呼びに行かせた」
セルドは部下を示して言う。
「その人だけに? あなたは?」
「俺は、犯罪者が逃げないよう見張っていたんだ。司法長官だからな」
なるほど。
「マーリ軍曹。詰所に来たのは、その人ですか?」
私はセルドの隣にいる部下を指して、マーリ軍曹に訊ねた。
「はい。間違いないと思います」
少なくとも、そこに嘘は無い、か。
「あとはもう、すでにご存知の通りだ。犯行後、現場で立ち尽くしていた被告が駆けつけた憲兵によって捕らえられた。これが、事件の全貌だ」
そう言って、セルドは証言を締めくくった。
不敵な笑みを浮かべたセルドはさらに続ける。
「これは一部始終を目撃されていた犯行だ。それも、社会的に信頼のおける立場の人間二人によって、な。本来なら、議論の余地もなく犯行を立証できる事件なのだ。もはや、何の反論もできまい?」
私は腕を組んで、思案する。
……困ったな。
セルドの言う通りだ。
追加された証言だけで、全ての矛盾が消えてしまった。
付け入る隙がないほどに……。
いや、不自然な所はあるけれど。
「被告は現場で立ち尽くしていたのですよね?」
「それがどうした?」
「証言によれば、これは計画的な犯行です。ですがあなたの主張では、被告は突発的に被害者を殺害したために呆然と立ち尽くしてしまったという事でした。この矛盾はどう証明するのですか?」
遺体の運搬が本当に行なわれたのなら、そこには計画性が見出せる。
少なくとも、突発的な犯行とは言いがたい。
「その証明は、必要あるか?」
「なんですって?」
セルドの問いに、私は思わず訊き返した。
「俺はずっと現場を見ていた。実際に、遺体をベンチに置いてその場に留まる被告を見たのだ。被告が何を考えたかは知らん。だが、確かに被告はその場でじっと立っていた。大事なのは事実だけだ。被告が何を考えていたかなど関係ない」
くっ……。
その通りだ。
そう言われてしまえば、もう何の反論もできない。
そもそも葵くんは、荷車を運んでいないと言っている。
だからこれは、セルドの嘘なのかもしれない。
でも、通報した人間がセルドの部下である事は事実で、葵くんが現場で憲兵に逮捕された事は事実だ。
虚実が複雑に絡み合っているようで、わけがわからない。
今の私にできる事は、少しでも多くの情報を集めておく事ぐらいか。
「被告に質問があります」
「認めます。被告、証言台へ」
私が発言すると、裁判長が告げる。
葵くんが証言台へ立った。
「あなたが現場にいた事は間違いありませんか?」
「ハイ」
訊ねると、葵くんは素直に答えた。
「何故、そんな場所へ?」
「レイさん……ヒガイシャにアウタメデス」
「どうして、その人と?」
「ソレハ……イエマセン」
言えない理由?
こんな状況でも彼が隠そうとする理由……。
「もしかして、お師匠さん関係?」
私はヒノモト語で訊ねた。
「え! どうしてそれを!」
葵くんもヒノモト語で驚いた。
それなら言えないのも納得だ。
しかし、この子はよく口が滑るなぁ……。
「おい! 解からない言葉で喋るな!」
セルドが怒鳴った。
「あまり、不透明なやりとりはしないように」
裁判長からも注意されてしまった。
「失礼。ちょっと訊きにくい事だったので」
「何を訊いた? 密談は許さんぞ」
「葵くんの今日の下着の色を訊いたんです。教えてくれませんでしたが。それが知りたいなんて、破廉恥ですね」
「破廉恥なのは貴様だ! 法廷で何の話をしているんだ!」
よし、誤魔化せた。
「弁護人。あまり法廷に相応しくない話はしないように」
裁判長に叱られた。
そうなるとは思っていたけど。
「何を訊いているんですか?」
ルーにまで呆れた声で言われてしまった。
「はい。気をつけます」
私は素直に謝った。
しかし……。
これはどうしたものか。
まったく反論する余地がないように思える。
今までの証言や証拠の中に、この状況を打開できるものは無いだろうか?
私は法廷での出来事を思い返してみた。
………………。
…………。
……。
考えた末、私は顔に手をやって俯いた。
ダメだ。
何も思いつかない。
セルドの証言には、矛盾がない。
怪しい部分はあっても、突き崩せる根拠を私は見出せない。
私には、どうする事もできない。
絶体……絶命だ……。
でも、諦めるわけにはいかない。
私がここで諦めてしまえば、葵くんの罪が事実になってしまう。
まだ、何かあるはずだ。
葵くんが犯人じゃないなら、どこかに間違いがあるはずなんだ。
それを見つけなくちゃ……。
「今までなら、そろそろ口を挟む頃だ。しかし何もないという事は、もはや反論の余地もないと見えるな」
セルドが私に向けて、得意げに語る。
憎たらしい笑顔だ。
でも……。
本当に何も無い。
少なくとも今手元にある情報では、反論できない。
「ふん。では、長かった審理もここで終わりだ。裁判長」
セルドが言うと、裁判長は左右の裁判官と言葉を交わす。
しばしあって、一つ頷いた。
「議論が出尽くしたというのなら、これ以上の審理は不要と判断します。被告への判決を下しましょう」
「待ってください!」
私は声を上げた。
「何かありますか? 弁護人」
「それは……」
裁判長に問われ、私は言葉に詰まった。
声は上げたけれど、何も言う事はない。
何も言えない。
「ふん。何も言う事は無いだろうさ。こんな小娘の言う事を一々取り上げていては、この裁判はいつまでも終わらない。無視して判決を下せ」
セルドが裁判長に言う。
「事件に関する全てを見聞きし、公正な判断を下すのが私達の仕事です。……しかし、これに関しては検察側の言う通りでしょう。はっきりとした根拠を示せない以上、あなたの言葉には応じられません」
「くっ……」
「では今度こそ、判決を下しましょう」
裁判長が、手に持った木槌を振り上げた。
ああ、ダメだ……。
私じゃ、あの木槌を止める事ができない。
誰か……。
誰か、あの木槌を止めて……。
判決を止めて……。
「待てっ!」
その時だった。
高らかな叫びと共に、入り口のドアが開かれた。
裁判長の木槌が止まる。
その時、法廷にいる全ての注目が入り口のドアへ集まった。
注目の先にいたのは、アスティだった。
「アスティ?」
私は思わず呟いた。
「殿下。何の御用でしょう?」
セルドが訊ねる。
「ああ。そういえば、弁護人は殿下の婚約者でしたね。助力に来たというわけですか」
セルドは納得した様子で言う。
「しかし如何に殿下と言えど、法が遵守されるこの場で権力を振りかざす事はできませんよ」
「わかっている。ただ、俺はある物を弁護人へ託しに来ただけだ」
「ある物?」
「この裁判に関する証拠品を一つ。ここへ持ってきた」
そして観衆の見守る中、アスティはそう告げる。
手に持ったある物品を高く掲げた。
「そ、それは……」
それを見たセルドは、戸惑いの声を上げた。
アスティの持ってきた証拠品。
それは、一体の木像だった。




