五話 めんどくさい豚
「被告が被害者を前に、逃げる事もなく憲兵が来るまでその場を離れなかった事は不自然です」
私は検察側の不可解な点を指摘した。
しかしセルドは、特に怯んだ様子もなく私の反論を受け止めた。
「恐らく、突発的な理由で殺してしまい、呆然としていたのだろう」
セルドは平然と返す。
「突発的な理由? 被告が突然見ず知らずの人を殺す人間だとは思えません」
葵くんはそんな人間ではない。
「見ず知らずではないとすれば?」
「え?」
思わぬ問い返しに、私は小さく訊き返した。
「被告。貴様は、被害者と交友があった。そうだな?」
セルドは威圧的に、被告席の葵くんへ問い掛けた。
葵くんは戸惑いつつも、口を開く。
「ハイ。ホントデス。ボク、レイさんとはシリアイデシタ」
片言で、葵くんは答える。
それを聞くとセルドは満足そうに笑い、私の方を向いた。
「聞いての通りだ。見ず知らずの人間を突発的に殺すというのは殺人鬼の所業だが、見知った人間を殺すという事は普通の人間でもありふれた事だ」
「あ、ありふれた事だとは思えませんが」
戸惑いながらも反論する。
「これでも俺は司法長官だ。この王都で起こる事件はほとんど把握している。その俺が言っているんだ。ありふれた事だよ」
その真偽は兎も角として、司法長官という立場を出されると説得力がある。
……司法長官になって一ヶ月も経っていないくせに。
「そしてそういう事件は往々にして、痴情のもつれに起因している。その例に倣えば、この事件もそれに当てはまるのではいか?」
「違います!」
セルドの言葉へ反論したのは、被告人席の葵くんだった。
彼はヒノモト語で叫んでいた。
「僕と彼女は知り合いですけど、そんな関係じゃありません」
葵くんは私の方を見て、強い剣幕で弁明した。
私に言ってもあんまり意味はないよ?
「何だ? ここはトレランシアだ。言いたい事があるならこの国の言葉で喋れ!」
セルドは忌々しそうに葵くんを睨み、怒鳴りつけた。
ああ。
この国の言葉じゃうまく説明できないから、説明してって事か。
「本人は違うと主張しているようです」
私はセルドに、葵くんの言葉の意図を伝える。
「ふん。わかるものか。殺人を犯すような異常者は、自分が助かるためならどんな嘘だって吐くだろうさ」
言って、セルドは「ふん」と鼻で笑った。
「あなたの主張は理解しました」
私はセルドに告げる。
「納得したならわかるだろう。これ以上の議論は無意味だ、と」
セルドはしたり顔で言った。
だけど、私はその言葉を肯定しなかった。
「いいえ、そうは思いません」
「何ぃ?」
「確かに、あなたの主張は理解しました。でも、それはあくまでもあなたの憶測でしかない。違いますか?」
「減らず口を叩くんじゃない!」
セルドは力任せに台を叩いて怒鳴る。
ふん。
そんな威嚇で私がビビるものか。
普段から王子から怒鳴られ、最近では伝説の忍者からも脅されたのに。
私はセルドを無視して平然と続ける。
「それに憲兵の証言なら確かに証拠として申し分ないと思います……。けれど憲兵が駆けつける前、何があったのかについては目撃者の証言に頼らざるを得ない。逮捕時の状況に疑わしい部分がある以上、目撃者の証言をしっかりと検証するべきだと思います」
「目撃者が信用できないとでも言うのか?」
セルドは問う。
「はい。少なくとも、素性を明かされないままでは信用に足り得ない」
はっきり答えると、セルドはあからさまに不機嫌そうな顔をした。
これで目撃者が入廷する事になれば、さらに詳しい事がわかるはずだ。
セルドが何か口にしようとして、忌々しそうに顔を歪めた。
何か言おうとして、止めたように見える。
今、何を言おうとしたんだろう?
「いいだろう。なら、別の証拠を示そう」
セルドは言う。
証拠……。
目撃者の素性を明かさないつもり?
もしかして、さっきの態度……。
目撃者の素性を語ろうとしたのではないだろうか?
そして躊躇った。
なら、何を躊躇ったんだろう?
目撃者の素性を明かすと何か問題があるのかもしれない。
ここは付け入る隙かもしれない。
「証拠品よりも、目撃者から直接証言を聞きたいと思います」
「……ダメだ。裁判長、弁護人は不必要な尋問を要求している」
セルドは裁判長に向けて言葉を放った。
「検察側。意図を明確に」
裁判長はそう答える。
セルドは舌打ちをした。
「目撃者はこの法廷での証言を極力避けたいと言っている。その考えを尊重するためにも、召喚は議論の余地がなくなった時の最後の手段としたい」
「わかりました。尊重しましょう。弁護側の要求を却下します」
頑なだ……。
どうあっても、目撃者を明かしたくないようだ。
なら仕方ない。
「わかりました。では、その証拠品を見せていただきましょう」
セルドは不機嫌そうに鼻を鳴らすと、部下に「おい」と声をかけた。
控えていた部下が「はい」と返事をして、資料の束をセルドに渡す。
セルドはべろりと親指を舐めて、資料の束を選り分ける。
あ……。
あれ多分こっちに渡ってくる資料だ……。
「あの、指を舐めずに資料を捲れませんか?」
指が資料へ触れる前に、私はそう訊ねた。
「こうしないと捲れないのでな」
「指の水分が少なくなるのは老化現象の一つですよ」
こう言えば意地になって、舐めていない指で捲ってくれないかな?
と期待して告げる。
「生まれつきだ」
しかし、セルドは素っ気無くそう答えて、構わずに資料を親指で捲った。
その資料が係員を介して、こちらへ渡ってくる。
うわぁ、今どこ触ったっけ?
できるだけ触らないようにしたい。
台に置かれた資料を見ると、それはスケッチだった。
描かれているのはベンチに横たわる女性の姿。
足を曲げ、体を丸めたような体勢だ。
女性は髪が長く、ベンチの下へ流れるように黒髪が垂れている。
そして首にはT字の黒い線が入っていた。
このT字は……刃物の傷口とそこから流れる血だろうか?
横たえられた状態で刺され、流れ出た血は重力に従って長い線を描いている。
傷口は首の端にあるため、そこから流れ出た血はスケッチで見ると被害者の首に巻かれた黒い首輪のように見える。
そしてベンチと彼女以外に、周囲の様子が描かれている。
……のだが。
一つ、見逃せない異物があった。
「セルド検事」
「司法長官と呼べ」
「セルド長官」
「司法をつけろ! それにもっと丁寧に、だ! 目上の者を敬え、この小娘!」
面倒くさいな、この豚。
こういう細やかな威嚇も、彼の法廷戦術なんだろうか?
「それよりこのスケッチ、明らかにおかしな物が付いているのですが?」
私は言って、スケッチを見せる。
右下辺りを指して示した。
そこには、黒い楕円形の靄のような物が描かれている。
いや、これは描かれたというより……。
「ああ、それか。それは俺の指の跡だ」
セルドは悪びれた様子もなく答えた。
「今朝、そのスケッチを見る前に丁度新聞を読んでいてな。そのままそこを持って見たから、新聞のインクが指の形に付いてしまったのだ」
「これは大切な証拠品のはずです! 管理が杜撰なんじゃないですか?」
「ああ。まったくだ。部下にはいつも紙面にしっかりアイロンをかけろと言っているのだが、困ったものだ。この裁判が終われば、そいつは即刻処分するとしよう」
いや、そうじゃなくて……。
くっ、でもこのまま追求しても、彼の部下が何人か処分されるだけのような気がする。
「この部分には、何か描かれていたという事はありませんか?」
「さぁなぁ、何かあった気もするし、なかった気もする。議論が進めば思い出すかもなぁ」
セルドは意地悪な笑みを浮かべて答えた。
要領を得ない……。
これが意図的なのか、偶発的な事なのか……。
前者のような気がするけれど、それを証明する手段がない以上何を言っても無駄だろう。
しかし、折角手元に証拠品が来たのだ。
今は、これを吟味して矛盾を見つける方が先決だ。
私は気を取り直して、スケッチをもう一度見た。
やはり目を惹くのは被害者の遺体だ。
そこから目を離しても、特に怪しい物は見受けられない。
これは被害者の死に様が強烈な存在感を持っているから、というわけでなく単純に見るべき所が何もないという事なのだろう。
あと怪しいのは、セルドの指跡くらいだ。
もしかしたらここにこそ重要な手がかりがあって、あえて隠したのではないか、と意地悪な考えが首をもたげてくる。
「質問があります」
私はセルドに言葉を投げ掛けた。
「何だ?」
「被害者を殺害した凶器は何なのでしょう?」
「知らんのか? あれだけ豪語しておいて、把握していないと?」
セルドは、脂ぎった顔をてかてかとさせてにんまりと笑った。
くっ……。
「あくまでも確認です」
「ふん。いいだろう」
セルドが「おい」と部下に声をかけると、例によって部下が何かをセルドへ渡した。
「これだ」
そう言ってセルドは、人差し指と親指で抓むようにしてこちらへそれを見せた。
それは、一枚の手裏剣だった。
「あ……」
思わず、声が出る。
手裏剣は、ヒノモトの忍が使う武器。
この国の人間が一般的に持っている物ではない。
これを所持している人間がいるとすれば、葵くんぐらいのものだ。
本当にこれが凶器だとするならば、自然と犯人は葵くんという事になってしまう。
しかし、手裏剣には血の跡などついていないように見える。
本当に凶器なんだろうか?
「血が付いていないように見えますが?」
「恐らく、被告が拭き取ったのだろうさ」
それは確かに、できない事じゃないだろうけど……。
「おっと」
抓まれていた手裏剣が、滑り落ちて台に落ちる。
「落としただけで刺さるとは、たいした切れ味だ。これを使えば、さぞ簡単に首を掻き切る事ができるだろう」
ふふふ、と小さく笑いながらセルドは言う。
そしてさらに続ける。
「そうだ。思い出したぞ」
「え?」
「スケッチの指の跡。この下には、確かこの凶器が落ちていたのだ」
ハァッ!?
「異議あり! そんなの何とでも言えるじゃないですか!」
「疑うのか! 俺は司法長官だぞ!」
議論も何もなく、セルドは単純に自分の地位を笠に着て怒鳴った。
「他のスケッチはないのですか?」
裁判長が訊ねる。
「ああ。これだけだ」
「ふむ……」
裁判長は深く息を吐く。
「わかりました。とりあえず、その主張を認めましょう」
ええっ!
くっ……。
これ以上、この議論を続けても答えが出ないからか……。
なら、この事で私が何を言っても無駄だ。
これから出てくる証拠でそれを否定できればいいのだけど……。
私が黙った事に満足したのか、セルドは笑みを浮かべる。
「被告自身、同じ物を数枚所持していた。こんな珍妙な凶器を持っている人間など、この国にそうおるまい。これは間違いなく、被告の所持品だと断定できる」
そりゃ、持っているだろうね。
忍者だから。
そして、彼の言う事はもっともだ。
この国に忍者など彼とお師匠さんぐらいしかいない。
焦る私を尻目に、セルドは続ける。
「目撃者は、これで被告が被害者を刺したと話している」
刺した?
私は彼の言葉に違和感を覚えた。
その違和感を疑問として口にする。
「本当にこれで刺したと言ったのですか?」
「ああ。間違いない」
「それは、おかしいですね」
私はセルドにそう告げた。
「もう一度言えば引っ叩くと言っただろうが!」
セルドが怒鳴りつけてくる。
え、まだ引っ張るの?
怒声を無視して、私は論を口にする。
「これは手裏剣というヒノモトの武器です」
「なら、被告以外には持ち得ないという事だな」
セルドがすぐに食いついてくる。
「ですが、これの扱いを知る人間があえてこの武器で相手を刺すとは思えません」
「何だと?」
「これは投擲武器です」
「投擲、武器、だと……?」
セルドが困惑を見せる。
この機を逃すべきではない。
「そう。これは投げて使う武器なのです。これを手に、直接相手を刺すという事はまずありません! なので、目撃者の語る犯行は不自然極まりない!」
私が一気にまくし立てると、セルドは黙り込んだ。
ざわざわと傍聴席が騒がしくなる。
どうだ……!
私は笑みを浮かべ、セルドを睨みつけた。




