三話 自己保身と友情
加筆修正致しました。
教室に入ると、私はすぐに葵くんの席を見た。
しかし、そこには誰も座っていなかった。
葵くんはいつも私より登校時間が早い。
だから彼のいない朝の教室に、私は軽い違和感を覚えた。
教室に入ると葵くんがいる。
その光景が、最近の私にとっては日常の一部になっていた。
珍しい事もあるもんだ。
なんて思いながら、彼が来るのを待っていたのだけど……。
彼が教室へ姿を現す前に、担任教師の方が先に姿を現した。
朝のホームルームが始まる。
「ウエノインくんは欠席です」
担任教師は、連絡事項としてそう告げた。
ホームルームが終わり、私は担任教師のもとへ向かう。
「上乃院くんは、どうして欠席なんですか?」
私が訊ねると、担任教師は困った顔をする。
「それはちょっと先生にも言えないんです。申し訳ありませんが……」
担任教師はそう歯切れ悪く答え、私は求める答えを得られなかった。
葵くんの身に何が起こっているのか、詳しく知ったのは昼休みの事である。
その報せは、思いがけない人物によってもたらされた。
昼食に誘おうと、レニスの教室へ向かっていた時の事だった。
私は階段の前を通り過ぎようとした。
「アリシャさん」
そんな時、前方から声がした。
それも発せられたのはこの国の言葉ではなく、ヒノモトの言葉だった。
一瞬、葵くんかとも思ったが、明らかに声は違った。
少年の声には違いない。
しかし、葵くんの声ではなかった。
そちらの方向には、誰の姿も見えない。
ただ、階段があるために壁が途切れ、角になっていた。
その曲がり角の先に、声の主は身を隠しているのだろう。
それが誰か確かめようと歩む。
「おっと、そこで立ち止まってください。私の姿を見たら、それこそ命の保障はできなくなります」
思いがけず、物騒な言葉をかけられて私は歩みを止めた。
「あなたは?」
「あなたは私を知っています。殿下に、私の事を訊ねたでしょう」
そう言われて、私の背筋は凍りついた。
赤頭巾。
その名が頭を過ぎる。
「私を、殺し、に……?」
「本来ならば、そうするべきでしょう。ですが、今回は見逃しても良いと思っています」
たじろぐ私に、その声は言った。
「ただし、条件があります」
「条件?」
「私の弟子……葵を助けていただけませんか?」
助ける?
葵くんがどうしたと言うのだろう?
「どういう事?」
「葵は、殺人の容疑をかけられて逮捕されました」
「逮捕!?」
何があったって言うの?
それも殺人容疑で、なんて……。
「あまり、大きな声を立てぬように。葵の容疑は近日中に固まり、裁判を受ける事となるでしょう。あなたには、その場で葵の弁護を担っていただきたい」
「ちょ! ちょっと待って……」
また声をあげそうになり、少し抑えた声で答える。
「弁護って……」
「できるでしょう。あなたには実績がある」
「でもそれ、本物の裁判なんでしょう? 私だって葵くんの事は助けたい。でも、私は本物の裁判に出るための資格なんて持ってない」
私は一介の学生で、弁護士でも検事でもないのだ。
「よしんば裁判に出られたとしても、私は所詮素人なのよ? いくらこれまで裁判じみた事をしてきたと言っても、本職を相手に勝てるとは思えない。……私に助けられるとは思えない」
私に、そんな実力なんてない。
「私には、そう思えない」
けれど、赤頭巾は自信に満ちた声で言った。
「あなたには弁護士の資格はないが、それを可能にするコネクションがある」
……ルーさんの事を言っているのだろうか?
「そして私が見る限り、あなたには真実へ辿り着くための力がある。全ての偽りを暴き、真実へと突き進む強い力が……」
……ドリルの事?
私は自分の頭からぶら下がる巻き毛に触れた。
「違いますよ?」
赤頭巾が私の心を読んだように否定の言葉を告げる。
どうやってこっちの様子をうかがってるの?
そっちからもこちらは見えてないでしょう?
「どうであれ、見込み違いだと思うけど……」
「まぁいいでしょう。たとえ私の見込み違いだったとしても、司法局の用意した弁護人に任せるよりはマシです。彼らに任せれば、葵は間違いなく有罪の判決を下されるでしょうから」
何故、そんな事が言い切れるのだろう?
「どうあっても断わると言うのなら、それでもいいでしょう。その時は、あなたの命を……それからアスティ殿下の命もいただくとしましょうか」
アスティまで?
「どうして? 関係ないでしょ。私はアスティに聞いてあなたの事を知ったわけじゃない」
「存じておりますよ。けれど、私の任務を考えれば、軽々しくそのような事を秘匿されると困るのですよ。それも王族という立場でなされるというのなら、より一層その責任は重いのです。しっかりと償っていただかなければ」
私は息を呑んだ。
私のせいだ。
私がうかつな事をアスティに口走ってしまったから。
そのせいで、関係のないアスティの命が危うくなっている。
身が、震えた。
私の命が風前の灯となっている事ももちろん怖い。
しかし、私のせいでアスティを巻き込んでしまった事も怖かった。
そんな私の様子を知ってか知らずか、赤頭巾はなおも語りかけてくる。
「何、どうあっても無罪を勝ち取れというわけではありません。ただ、出てくれればいい。あの子の味方になってくれるだけでいい……」
そう言う赤頭巾の声には、憂いが滲んでいた。
落ち着いた口調だった今までと違って、その言葉は感情的に響いた。
彼は弟子《葵くん》を大事に思っているのだろう。
私だって、葵くんを大事な友人だと思っている。
だから、彼の弁護をする事には何の躊躇いもない。
ただ、私の実力が心配なだけだ。
罪の徹底的な証明を仕事にして、常日頃から弁舌を戦わせるプロの検事を相手に私のような素人が太刀打ちできるのか、それが心配なのだ。
「……葵くんは、無実なんだよね?」
心から疑っているわけではない。
ただ、確認しておきたかった。
「もちろんです。もし葵が本当に殺人を犯したのだとしたら、私が葵を殺している」
私には真実を暴く力がある、か。
それが本当なら、葵くんを助けられるかもしれない。
どうせ弁護するなら、彼を救いたい。
「わかった。私にできる限りの事をさせてもらう」
「ありがとう」
その一言を最後に、赤頭巾の言葉は途切れた。
しばらくしてから歩を進め、角を確認する。
そこにはもう誰の姿もなかった。
レニスに昼食を一緒できなくなった事を告げてから、私はルーさんの教室へ向かった。
その途中、なんとなく気になった事へ思いを馳せる。
葵くんが殺人事件の容疑者、か……。
なら、被害者は誰なんだろう?
なんとなく心当たりが……。
まさか、彼女が今度こそ……!
「あ、アリシャ様。こんにちは」
不意に、廊下で声をかけられる。
見ると、相手はジェイルだった。
「あ、ああ。こんにちは。元気そうだね」
「はい。私は元気です。じゃあ」
そう言うと、彼女は鼻歌を歌いながら廊下を歩いていった。
よかった……。
勘違いだったみたいだ。
教室へ辿り着く。
ルーさんは教室で、カインとお弁当を食べていた。
カインは相変わらず尖っている。
少し前までカインは婚約者であるルーさんを避けていたが、文化祭の一件以来一緒に行動する事が増えたようだ。
「おう、どうしたんだよ?」
カインが私に気付き、訊ねてくる。
「どちらかと言うとルーさんに用事が」
「何でしょう?」
メガネをクイッと上げながら、ルーさんは訊ね返した。
「葵くんが殺人の容疑で捕らえられた事、知っていますか?」
訊ねると、ルーさんは怪訝な顔で目を細めた。
「アオイ? ……ウエノイン氏の事なら、確かにその通りです。ですが、どうして知っているんです? まだ彼の情報は一般に公開されていないはず」
「人から聞きました。私と彼は友人なので、教えてくれる人がいたんです」
そうですか……とルーさんは一言呟いた。
「それで?」
「彼の裁判、私に弁護させていただけませんか?」
私が言うと、ルーさんは軽い驚きを見せた。
「確かに、起訴までは時間の問題でしょうが……。本気ですか?」
私の顔を見上げ、彼女は鋭い視線を向けた。
私の知り合い……。
目つきの悪い人間多いなぁ……。
多分ゲームの原画を務めた絵師のせい。
「はい」
私はルーさんの視線を真っ向から見据え、答えた。
ルーさんは即答せず、思案する様子を見せる。
やっぱり、ダメかな?
そう思った時、ルーさんは口を開いた。
「わかりました。一度、父に相談してみます」
「ありがとう」
「前例のない事ですので、望む結果にはならないかもしれませんが……」
「それでも是非、お願い!」
この弁護には、三人の人間の命がかかっているのだから。
「わかりました。では、どうなるかは後日伝えにいきます」
「お願いします」
はぁ、どうにかなりますように……。
ルーに相談したその翌日、葵くんの裁判が正式に決まった。
早急な事に、その裁判は明日だという。
その日は前日と違い、葵くんの話題が学園中に広がっていた。
裁判沙汰ともなれば当然だろう。
毎日を学園での平穏な日常で終える貴族の子弟達が、殺人事件の容疑者などという刺激的な話に食いつかないわけはなかった。
彼らの口から漏れる葵くんの話は、どれも憶測の粋を出ないものばかりであるが、その憶測には悪意も好意もあって……。
若干、悪意に寄った意見が多いように思えた。
私自身、友人を貶されている事に不満を覚え、だからそういった意見が印象に残ったというだけかもしれないけれど。
そんな時だ。
ルーさんが私の教室へ訪ねてきた。
「条件付きですが、なんとかなりそうです」
私が教室前の廊下へ出るなり、そこで待っていた彼女は口を開く。
その話が、葵くんの弁護に関する事だというのは間違いないだろう。
「その条件は?」
「資格を持つ人間を同席させればいいのではないか、というものです。司法資格の貸与と監督を目的とすれば、なんとか体裁は保てるのではないか、と」
なるほど。
前世の世界で弁護士にそんな制度があったかは不明だが。
調理師免許を貸与する事で、免許を持たない人間でも料理店を開けるという制度はあったはず。
それと同じ感じか。
「ただ……」
ルーさんは少し沈んだ声で続ける。
「現在の司法局にその申し出を受けてくれる弁護士はいないでしょう」
それじゃあ、意味ないじゃない。
「どうして?」
訊ねると、ルーさんは一度メガネを押し上げた。
「どうやらウエノイン氏の裁判。司法長官自らが検事を務めるそうです」
司法長官が?
「父に代わって、今の司法長官を担うのはセルド・アバリシアという方なのですが……。あまり、良い噂を聞かない方なのです」
「そんな人が司法長官なの?」
「彼は賄賂を惜しみなく使い、培った人脈で出世したと言われています。司法長官となったのも、それが大きいと思います。そして、地位を利用して下の者に賄賂を要求し、拒否した者には報復人事を行なう、とか……」
清廉を必要とするはずの司法の長が、そんな人間であるというのは気分が悪いな……。
「そういう理由もあって、彼の相手をする弁護士はいないと思われます」
確かに、勝っても負けても報復される可能性があるんだ。
名乗り出るにはとても勇気がいるだろう。
「……どうしよう。それじゃあ、弁護ができない……」
このままでは、私は……。
アスティは……。
まだ弁護すらしていないのに、こんな所で躓いてしまうなんて……。
私は俯いた。
「このままでは、長官の息がかかった弁護士が弁護にあたる事となるでしょう。そうなれば、ウエノイン氏は間違いなく有罪になります」
司法局の用意した弁護人に任せるよりはマシです。
彼らに任せれば、葵は間違いなく有罪の判決を下されるでしょうから。
赤頭巾の言った言葉を思い出す。
あれはそういう事だったのか。
私とアスティの事もあるけれど、葵くんを助けられない事も悔しい。
どうにかできないんだろうか?
「あなたが名乗り出れば、結果も変わるでしょうけどね」
「でも、出られないじゃないですか」
「大丈夫です。一人だけ、あなたに同席できる人間がいます」
「それは?」
ルーの言葉に顔を上げ、私は訊ね返す。
「私です」
ルーは自分の胸に拳を当てて答えた。
「え? 大丈夫なの? 相手は司法長官だし、検事としての活動を禁止されているんじゃ……」
「あくまでも私は監督するために同席するだけで、実際に活動するのはあなたですから。検事職には当たりません」
何それ。
「……はは、詭弁だ」
「詭弁も弁論には違いありませんから」
私が笑って言うと、ルーさんも小さく笑って答えた。
そんな彼女の表情が引き締められる。
真剣な面差しで、改めて私を見た。
「司法長官はきっと、今回の事で私から司法資格を取り上げる事でしょう。でも私は、もう司法に未練を残しません。私は罪を犯し、そしてあなたはあの方を助けてくれた」
あの方。
カインの事だろう。
「なら、私はここで全てを捧げるべきなのです。自分のしでかした事への贖罪のためにも、あなたへの恩に報いるためにも……」
「いいのですか?」
「はい」
「じゃあ、遠慮しませんよ?」
「はい」
ルーさんは答え、そして微笑む。
「それから、私にはもっと軽い態度で接してくれていいですよ」
「え?」
「これからは、一緒に戦う仲間……。いえ、純粋に私はあなたと友達になりたいんです」
そう言って、ルーさんは手を差し出す。
「受けてくれますか?」
「それは……」
私は、彼女に微笑み返す。
「それはもちろん。友達が増える事はとても嬉しいから」
言葉を崩し、私は答えた。
「よろしく、ルー」
差し出された手を取る。
私達は強く握手を交わした。
翌日、私達は葵くんの裁判へ赴いた。
そして話は冒頭に戻る。
ルー「トゥギャザーしようぜ!」




