二話 上乃院 葵
「あ、アリシャさん。おはようございます」
教室に入ると、それに気づいた葵くんが私に声をかけてくる。
「おはよう」
私も挨拶を返す。
手裏剣を届けた日から、葵くんはよく私へ声をかけてくるようになった。
彼と話をするのは主に教室内で、時折外で声をかけてくる事もあったがそれほど頻度は高くなかった。
朝と放課後の挨拶と日常会話が主だ。
言葉がわからなくて、意味を聞かれる事や会話に困って通訳を頼まれる事もあった。
私はこの教室、というより学園の生徒全般に嫌われているので、相手が嫌な顔をする事もあるが。
私達は、休み時間にわずかばかり話すだけの間柄だった。
でもお互い、積極的に会話をする相手が他にいない事もあって、そのわずかな時間は濃かった。
だから、親しくなるまでそれほど時間はかからなかった。
数日経った今では、多分友人と呼べる関係になったと思う。
そう思っているのが私だけだったらショックだけれど。
レニスとは昼休みくらいしか一緒にいられないので、教室で話のできる友人ができたのはとても喜ばしい事である。
ただ、心配なのは私と仲良くして葵くんが友達を無くしてしまわないかという事だが……。
彼も言葉の壁があって、友人らしい友人がいなかったらしい。
話せる相手ができて嬉しそうだった。
「葵くん。お菓子、食べる?」
教室。
私は自分の席に座る葵くんの前で、クッキーの入った袋を揺らした。
「え? いいんですか!」
葵くんは屈託のない笑顔を向け、言葉を返す。
クッキーの包みを受け取った。
「いただきます」
葵くんは包みを開いて、クッキーを嬉しそうに食べ始めた。
どうやら葵くんは甘いものが好きらしい。
そして、頬張ったクッキーをもぐもぐと咀嚼する所はとても愛らしかった。
私はそんな彼の姿を見るのが好きである。
なんだか癒される。
言っちゃ悪いが小動物のようだ。
こんなのを見せられればついつい餌付けしてしまうというものだ。
だからこの所、私は毎日彼にお菓子をあげていた。
「ありがとうございます。美味しかったです。こんなにおいしいクッキー、どこで売ってるんですか?」
「手作りだけど」
「え?」
「手作りだけど」
聞き返されたのでもう一度答える。
「……意外ですね」
「料理できないと思ってた?」
「違います違います!」
彼は慌てて否定し、手を振る。
「良家のご令嬢は料理などしないものだと聞いていましたから……」
「それは間違いじゃないけどね。人任せでは食べられない料理というのもあるから、私はたまに自分で料理を作るんだ」
たとえば、ペペロンチーノとか。
あれは材料と手間の少なさから絶望のパスタと言われていて、我が家のシェフに頼んでも作ってもらえない。
だから、こっそり作って食べる時がある。
「えーと、もしかして今までのお菓子も?」
「そうだよ」
「そうなんですか……」
答えると、彼は顔をやや俯けた。
どことなく、頬に赤みが差しているようにも見える。
「どうしたの?」
「いえ……。あの、異性に手作りの食べ物を貰うというのが少し気恥ずかしいと思いまして……」
そうなんだ。
私は別に、アスティから手作りの料理を振舞ってもらっても気恥ずかしくならないだろうな。
そもそもアスティは料理できそうにない。
できて肉に塩を振って焼くくらいしかできないだろう。
分厚い肉にさらさらと塩をまぶす姿はよく似合いそうだ。
私は特に気恥ずかしさを覚えないけれど、男の子ならそうなのかもしれないね。
昼休みの事。
私はレニスと一緒に、学食で昼食を取っていた。
本当は葵くんも誘ったのだが、断わられてしまった。
彼が言うには「女人が苦手だから」らしい。
一対一で接するならまだいいのだが、二人以上の女性と一緒にいると気恥ずかしいのだという。
というわけで、私はレニスと二人でパスタとオムライスをそれぞれ食べていた。
「あれ? アリシャさんじゃないですか」
そんな時である。
そう声をかけられて、私はそちらを向いた。
そこには、深緑のぼさぼさ頭が特徴的な美少年が立っていた。
「アルティスタくん」
アルティスタくんは前の一件で知り合った男の子である。
私の婚約者であるアスティの友達で、ゲームにおける攻略対象でもあった。
「僕もご一緒していいですか?」
「どうぞ」
彼は私達と同じテーブルに着いた。
「この前はありがとうございます。カインを救ってくれて」
この前、というのは文化祭の時にあった事件の事だろう。
「あれは王子に頼まれたから」
「でも、誰にでもできる事じゃありませんよ。本職の弁護士さんかと思いました」
よしてほしい。
私はただ、必死になって知恵を絞っているに過ぎないのだから。
あの事件だって。
自分にできる範囲で足掻けるだけ足掻き、その末で運に味方してもらえてようやく解決したのだ。
「それにしても、僕の像を盗もうとしたのは誰だったんでしょうね?」
「文化祭の事件の話?」
「はい。ほら、言っていたじゃないですか。誰かに頼まれて、像を盗もうとしたって」
「ルーさんが言うには、あれは嘘だったらしいよ」
「そうなんですか?」
「彼女はそう証言し直したらしい。ルーさんは、あんまり納得いってないみたいだけど」
ルーさんは、その証言を怪しんでいる。
嘘の証言だと思っているようだった。
でも、よく考えるとそれはおかしくないだろうか?
他者からの強要と自発的な窃盗では、後者の方が罪は重いと思うのだ。
彼女の罪は重くなるから、証言を変えてもデメリットしかない。
なら、証言を翻した意味は何なのだろう?
「その証言が本当だとしたら、やっぱり換金目的で盗んだって事になるのか……」
「アルティスタくんの像には価値があるからね」
「だとしても、彼女はどうしてわざわざあの像を盗もうとしたんだろう……。どれでもよかったなら、部屋の奥まで取りに行かなくてもよかったはずだ」
問題の像は、アルティスタくんのアトリエにある棚の中に納められていた。
棚は、二つの入り口から見て部屋の奥側にある。
今思えば、彼の作品は室内のそこかしこに置かれていた気がする。
だったら、入り口から近くの像を適当に盗るだけでよかったはず。
でも彼女はそうしなかった。
像を探すために長居していたから、ジェイルにも見つかったんだ。
そうまでしてあの像でなければならない理由があるなら、やっぱり換金目的の窃盗ではない気がする。
しかしその像はいったい、何なのだろう?
思えば一度も目にしていないので、ちょっと見てみたい気もする。
でも確か、押収されたままなんだっけ。
そして今、司法長官の執務室で証拠品として飾られている……。
「どんな像だったの?」
「これくらいの小さな像ですよ」
そう言って、アルティスタくんは手振りで大きさを示す。
彼の示した大きさは、二十センチくらいだ。
「ふぅん。……その像は、他の像と何か違ったの? 特別製だったとか」
「普通に丸太から削りだものですし、何より習作ですよ」
「練習で作ったもの?」
「はい。一応裏には名前を刻みましたが、出来には納得していませんね」
そんな物がどうして標的にされたんだろう?
彼女の証言通り、ただ手当たり次第に盗んだという話ならおかしくないのだが……。
だとしても、彼女の行動には納得のいかない部分がある。
謎は深まるばかりだ。
それにしても……。
彼の作る作品は一体で屋敷が建つくらいの価値があるらしい。
そんな芸術家として名を馳せる彼が、改めて何を練習するのだろう?
「新しい技法でも練習してたの?」
「ヒノモトから渡ってくる美術品の中に、木彫りの像があるんです。それに触発されて」
仏像などの類かな?
そもそも仏教がこの世界にあるのかはわからないけれど、それに類する像はありそうだ。
思えば、前に見た像も仁王さんみたいだったし。
葵くんに訊けば詳しくわかるかな。
「あ、でも、そうだな。作っている時に、ちょっとおかしいと思った事があります」
「それは?」
「いつもよりちょっと重かったんです」
重かった……。
「違和感程度の物だったんですが、いつも使っている木材なのでちょっと気になりました」
これは、何か関係があるんだろうか?
証言だけじゃよくわからないな。
実物を調べてみれば何かわかるかもしれないけれど、像は私の手の届かない所にある。
……まぁ、私がそれについて気を揉む必要もないんだけどね。
私はただの女子学生。
変わった所があるとすれば、悪役令嬢だというくらいだ。
そんな私が、事件の調査に関わる必要は無い。
そういう物は、本職の人がやるものだ。
前に関わってしまったのは、助けたい人間を助けようとしたからだし。
あの像の事で誰かが困っているわけでもないなら、今更躍起になる事もないだろう。
放課後。
私は、暇つぶしのために中庭を歩いていた。
日は翳って、もうすぐ暗くなりそうだった。
レニスももう帰ってしまい、他の生徒達も残ってはいないだろう。
だから、本当に私は一人っきりだ。
そうなってまでまだ学園に残っているのは、人を待っているからだ。
今日は、アスティと一緒に帰る予定である。
けれど、当のアスティは何やら用事があるらしく、私は一人待たされる事になった。
恐らく、アスティの兄であるレセーシュ王子と話でもしているのだろう。
レセーシュ王子は生徒会の人間で、遅くまで学園にいる事がある。
生徒会として、アスティに何か頼みごとでもしているのかもしれない。
だから私は中庭で暇つぶしをしている。
その音を聞きつけたのは、そんな時だった。
カッ、コッ、という音がどこからか響いてくる。
音の元へ向かうと、そこには葵くんの姿があった。
彼は何かを振りかぶり、投げる動作をした。
カッ、という音がまた、闇の中に響く。
彼が何かを投げつけた先には、板が一枚木から吊るされていた。
板には、三つの円が描かれている。
ダーツの的を簡略化したような物だ。
板には、手裏剣が数枚刺さっている。
中心の円を狙う物なのだろうが、一枚しか手裏剣が刺さっていなかった。
「誰だ!」
不意に、葵くんがこちらへ向く。ヒノモトの言葉で声を上げた。
その時、咄嗟に手裏剣を振りかぶったので、私は両手を上げて敵意がない事を示した。
「私だよ」
「アリシャさん?」
私に気付いて、葵くんは表情を和らげた。
手裏剣を下してくれる。
「どうして、ここに?」
「ちょっと人を待ってて」
「……アスティ殿下ですか?」
「うん。婚約者だから」
葵くんの顔が一瞬だけ俯けられた。
けれど彼は、すぐに顔を上げて私を見る。
「そうですか」
「葵くんは……特訓?」
「はい。もう、人もいなかったので」
「私がいたよ」
「そうなんですけどね」
彼は苦笑する。
「私に見られたのがバレたら、師匠に怒られちゃうんじゃない?」
彼は溜息を吐き、肩を落とした。
「……そうですね。届けてもらった手裏剣の件もバレてましたし」
あ、バレたんだ。あれ。
「師匠は何でもお見通しなんです。手裏剣を落した事も、今日アリシャさんからもらったお菓子の種類も」
なにそれ、こわい。
確か、師匠の名前は赤頭巾だったっけ?
葵くんは、木の的へ近づいた。
刺さった手裏剣を回収する。
「忍者って、あんまり正面切って戦うものじゃないんですよね。僕自身、あんまり強くないし……。だから本当はこういう武器の扱いよりも、先に隠密の技を覚えるべきなんです」
今も私に気付くのが遅かったからね。
見られたのが私じゃなかったら、どうするつもりだったんだろう?
「相手に知られずに事を成すのが上策だ、というのが師匠の口癖でもありますし。でもね、自分一人で訓練する時は、どうしても戦う術を優先してしまうんです」
「どうして?」
そう訊ねたけれど。
どうしてなのか、私は知っている。
この話は、ゲームでも語っていた話だ。
確か夜の中庭で、帰りの遅れたジェイルが彼の訓練風景を目撃するのだ。
その時に、この話をされる。
……まんま今の私やんけ。
「それは……僕が侍……武家の人間だから……」
少し迷ってから、葵くんは答えた。
ただ、それ以上彼は口を開かなかった。
言いたくないのだろう。
その理由もまた、私は知っていた。
「寂しくはない?」
知っているからこそ、私はそう訊ねてしまった。
「寂しさは……あります。でも、その寂しさは癒えるものじゃないでしょう」
当然だろう。
彼にはもう、孤独を癒してくれる家族がいないのだから。
彼の家は、ある藩に仕える侍の家だ。
そんな彼が遠いこの国で忍の修行をしているのには事情がある。
彼の父親は藩に仕える藩士だったが、ある日公金が不正に横領されている事実に気付いた。
それを上司に相談した葵くんの父親だったが……。
しかし横領に気付いた当の本人が、その犯人として捕らえられてしまった。
横領をしていたのは、相談した上司その人だったのだ。
弁明も虚しく、葵くんの父親は切腹を申し付けられる事となり……。
だが、事はそれだけに終わらなかった。
父親が切腹し、それから程なくして葵くんの家が賊の襲撃に合ったのだ。
偶然、屋敷にいなかった葵くんを除いて家人一切が皆殺しに合った。
殺された中には、葵くんの肉親である母親と弟も含まれていた。
生き残ったのは、彼一人である。
そして一人きりになった時、彼を助けてくれた者がいた。
それは代々、上乃院家に仕えていた忍の者である。
命を狙われる可能性を考えた忍は、留学するという名目で葵くんをこの国へ渡らせたのである。
そして葵くんは、この国で忍の修行をする事にした。
いつか、家族の仇を討つために。
そんな理由があるから、たとえヒノモトへ帰っても葵くんを迎えてくれる家族はいない。
彼は一人だ。
だから、彼が寂しさを癒せる場所は、もうどこにもないのだ。
「大丈夫だよ」
「え?」
私が告げると、彼は小さく驚いて聞き返した。
「この世に終わらないものはないから。今はきっと、雌伏の時というだけ。いつかその寂しさが消える日も来るよ」
ゲームの彼が、仇を討てたのかは知らない。
ただ、彼は攻略後のエンディングで、ジェイルを置いてヒノモトに帰ってしまう。
けれど、それから一年後にはこの国へ戻ってくる。
ジェイルと添い遂げるために。
その時の彼は、とても晴れやかな表情をしていた。
きっと、エンディングの彼は憂いと孤独を晴らす事ができたのだ。
この世界では、ジェイルと添い遂げられそうにないけれど……。
そのエンディングを見る限り、敵討ちは上手くいったのだと思う。
それに、恋仲の相手がいなかったとしても、この国で親しい人間が増えて行けばここが彼の居場所になるかもしれない。
孤独を癒すための場所に。
そんな未来があるから……。
だから今の寂しさは、無駄じゃない。
きっとこれは糧になる。
そう思うから、私は自信を持って言い切ったのだ。
「……ありがとう、ございます」
葵くんは俯きがちに礼を言った。
そうして上げられた彼の顔は、笑みを作っていた。
「ただ、最近はその寂しさを忘れる事が多くなりました」
「そうなの?」
「はい」
短く答えると、彼は気恥ずかしそうに笑った。
その笑顔を見ていると、私の表情も釣られて綻んだ。
もう、彼の居場所の片鱗は築かれ始めているのかもしれない。
……足音が、聞こえる。
こちらへ近付いてくる足音が。
「ここにいたか」
振り返ると、丁度足音の主がそう言った。
「王子」
そこにいたのはアスティだった。
「すまない。待たせたな」
「別に。友達と話していたので」
答えると、アスティは近くにいた葵くんへ顔を向ける。
アスティの前で、葵くんは跪いた。
「アオイ・ウエノインのモウシマス」
言い間違えながらも、葵くんは答える。
アスティは私と葵くんを見比べた。
その眼差しが、不機嫌そうに顰められた。
何かを見咎めたようにも見える。
「二人は知り合いだったのか?」
「友人です」
アスティに問われ、私は答えた。
アスティは一言「そうか」と素っ気なく返した。
葵くんへ顔を向けた。
「お前の事は聞いている。困難な事だろうが、励むといい。応援している」
アスティは答える。
彼は、葵くんの事情を知っているのだろう。
「ハイ。アリガトウゴザイマス」
葵くんは深く頭を下げた。
「行くぞ。アリシャ」
「はい」
答えて、私はアスティに近付いた。
「じゃあね。葵くん」
「ハイ。アリシャさん。マタ……」
別れの挨拶を交わす。
「ん?」
アスティが険しい目で私達を見た。
「何か?」
「いや……」
短く答え、アスティは背を向けた。
歩き出す。
私はその後を追った。
夜の闇の中を歩み、駐車場へ向かう。
待たされていた馬車に乗り込んだ。
馬車が走り出す。
「お前は、いつも彼を名前で呼んでいるのか?」
二人きりの車内。
少しして、アスティが訊ねた。
「そうですよ」
「……お前は最近、俺の事を名前で呼ばなくなったな」
そういえば記憶が戻る前まで、私はアスティの事をよく「アスティ様」と呼んでいたっけ。
あえてそう呼んでいた記憶がある。
王子、じゃなくて名前で呼びたかったからだ。
「それが何か?」
「別に……」
本当に……。
そんなのいいじゃない、別に。
あなただって、名前を連呼されて鬱陶しがってたでしょうよ。
私は車窓の外へ視線を投げた。
それからアスティが黙り込んでしまい、馬の駆け足と車輪が地面を蹴る音だけが耳を叩く。
ちらりとアスティの方を盗み見る。
彼の眉間には皺が寄り、目つきは険しかった。
怖い……。
何?
怒ってるの?
でも、目つきは普段から悪いから、そうとは限らないかも……。
実際はどうなのかわからない。
何なの?
ムスッとして……。
別に無言の時間に堪えられないわけじゃないけれど。
喋る事がないなら、ちょっと訊いておこうかな。
「王子は、赤頭巾という方を知っていますよね?」
それは、葵くんが師事する師匠の名前だ。
私が一言告げるとアスティは一瞬だけ驚きを見せ、半ば睨みつけるようにして私を見た。
彼の鋭い目つきには慣れた気でいたけれど……。
その眼光たるや、今まで私がどのような無体をしても向けられた事のないような厳しい物で……。
私は思わず息を呑んだ。
「何故その名を知っている?」
アスティは低い声で訊ねた。
「社交パーティで噂を……」
「嘘だな」
すぐに看破される。
「その存在について、知る事を許されたのは王族だけ。そして、その名を口にする事を許されたのは王一人だけだ」
……迂闊な事を聞いたかもしれない。
彼の言葉を聞いてそう思った。
赤頭巾は、葵くんの師匠。
そしてこの国の王家に仕える、秘密の存在の名でもある。
彼は影ながら、国のために暗躍しているという。
ゲームにおける葵くんのルートではそんな描写はなかったけれど……。
その秘密は、本当にごく一部の人間にしか知りえない事柄だったのかもしれない。
彼の言う通り、王家という極狭い範囲でのみ。
「たとえ公爵家の人間であろうと、知りえるはずはない。王家以外の者がそれを知れば、容赦なくその命を奪ってきたからだ」
それを聞いて、私は自分がしでかしてしまった事の大きさに気付いた。
赤頭巾はかつて、王に仕える護衛官だった。
彼は若い頃にヒノモトへ渡り、そこで忍の技を習得した。
葵くんが彼に預けられたのも、その繋がりがあるからだ。
本名を明かさない彼が、赤頭巾という呼称を得たのは、現王がまだ王太子だった頃の逸話が元になっている。
ある日、現王の乗った馬車が賊に襲われた。
大人数の賊に囲まれるという圧倒的な危機の中、彼は現王を守るため賊を迎え撃った。
そして彼は見事に現王を守りぬき、それどころか賊を全滅させてしまったのだ。
賊の遺体が散乱する中、元は真っ白だった頭巾は余す所なく返り血で染まり……。
夕陽を浴びてなお、その血の赤は濃く映えた。
曰く、それは赤い頭巾を被っているかのようだったからだという。
そして今は、王族以外が知らぬ秘密の存在として陰ながら国家を守っているらしい。
「あの人は、己の存在を秘するためならば王族であろうと弑する事を許されている。その権限を王より賜った唯一の人間だ」
「そ、んな……」
私は血の気が引く思いだった。
なら、それをよりにもよって王族へ話してしまった私は、殺されてしまうという事なんじゃないのだろうか?
私は思わず、アスティを見た。
多分、私の顔は酷く青ざめていたと思う。
アスティは険しい顔で私を見ていた。
が、その固い表情を崩して深い溜息を吐いた。
「俺は、お前の口から出た言葉を忘れる」
「じゃあ……」
見逃してくれる、という事か。
その意図を理解すると、緊張していた体が解れた。
私も彼と同じく溜息を吐く。
「だから、もう二度とその名を口にするな。命が惜しければ、な」
「はい」
王子なら素性を知っていると思って軽く聞いてみたが、えらい事になった。
今後は、ゲームの知識を語る事、慎重にしなくちゃいけないな……。
ゲーム中でも正体が明らかとされないのは、知ってしまうと殺されるからだったのかもしれない。
そんな存在だから、正体が不明だったんだ。
馬車が、私の家の前で停まる。
「ありがとうございます……」
「ああ。……それより、わかっているな?」
彼は念を押すように言う。
さっきの事だ。
私は何も言わずにただ頷いた。
私だって死にたくない。
「……それから、ウエノインにもあまり近付くな」
「え……どうして?」
「……なんでもない」
アスティは顔をそらして言うと、馬車のドアを閉めた。
馬車が走り出し、我が家の前から遠ざかっていく。
去り際。
アスティは何であんな事を言ったのだろう?
……ああ。
葵くんが赤頭巾の弟子だとアスティは知っているんだ。
葵くんと関わっていれば、私が赤頭巾を知っているとバレる可能性が高くなる。
それを懸念して、アスティはあんな事を言ったのだろう。
思えば、私と葵くんが一緒にいた所をアスティが見咎めたのも、彼が赤頭巾の弟子だと知っていたからかもしれない。
……少しは、心配してくれているのかな?
いや、私が赤頭巾の事を知っている事がバレれば、情報漏洩の元としてアスティが疑われるかもしれないのだ。
王族ですら手にかけるというのなら、アスティも暗殺の対象になる。
だから、それを警戒しただけかもしれない。
はぁ、本当に今度からは気をつけよう。
その翌日の事だった。
学園へ登校した私は、葵くんが殺人容疑で逮捕された事を知った。
アリシャ・プロ―ヴァ。
知り合った人物を容疑者に仕立て上げる魔性の女。
少し休憩してから今日はもう一話更新致します。




