八話 真実追求 前編
元の『真実追求』が長かったので、半分に割らせていただきました。
修正予定ですが、難航しているのでもう少し時間がかかります。
修正しました。
ルーの気絶によって一時騒然となった講堂。
しかし倒れたルーは憲兵によって速やかに保健室へ運ばれ、十分程度の休息を経て講堂内は落ち着きを取り戻していた。
その後再開された議論にて、一人の憲兵が証言台に立つ。
「あの日のプロキュール様は、確かに様子がおかしかったです。いつもは捜査の時も常に立ち合っておりましたが、その日のあの方はゴミ捨て場の時も美術準備室の時も捜査を憲兵に任せてどこかへ行っていました」
「なるほど。では、その間に偽装工作をしていた可能性がある、という事ですね?」
証言する憲兵に私は言葉を返す。
「……かもしれません。ですが、プロキュール様はそのような不正を誰よりも嫌うお方です。とても実直な方で、偽証などするとは思えません」
憲兵は彼女を弁護する。
彼女は憲兵から信頼されているようだ。
しかし、状況から見てあの手紙を書き、証拠の偽装を行なったのはルー以外に考えられない。
偽証した事は確実だ。
不正を嫌う人物に不正を働かせた心境とはどのような物だろうか……。
行動を見れば、なんとなくその目的はわかるけれど。
「この件に関しては、ルーさんが目覚めた時に改めて事情を訊くべきでしょう」
それよりも今は、先にこの事件の真相を暴かないと。
「ふふふ。どうやら、私の無実は証明されたようね」
憲兵が去り、一人残ったセイルは上機嫌な様子で言う。
先ほどと違って彼女は落ち着きを取り戻し、表情も晴れやかだった。
確かに。
ルーの論証が偽証によって展開されたものであるとすれば、彼女の疑惑は晴れる。
しかし……。
まだ終わってはいない。
論ずるべき事はまだある。
「いえ、そうとは限りません」
私はセイルに告げる。
彼女は私の否定に、不愉快げな表情を返す。
「どういう事かしら?」
「私はあくまで、ルーさんの偽証を暴いたに過ぎません」
「……同じ事ではないかしら? あの手紙が偽証なら、私が犯人であったという疑いも晴れたはずよ」
「いいえ。あの手紙がなくとも、被害者とあなたは現に美術準備室で目撃されています。とても、不自然な形で」
そう、二人の目撃証言にはおかしな部分がある。
それは、互いに美術準備室の出入りを目撃されていながら、そのどちらもあって然るべき証言が欠けているという事。
セイルは出た所だけを目撃され、ジェイルは入った所だけを目撃されている。
当時の美術準備室付近は、多くの人がいた。
その状況下においてそれは、かなり不自然な事である。
私が言うと、セイルは妖艶に微笑んだ。
「でも、ルー様の推理は破綻していた。あなたはそれも暴きましたわ。なら、私に疑いの余地はないでしょう?」
「それはどうでしょう? 少なくとも私には、まだ議論の余地が残っているように思えます」
私は不敵に笑い返した。
「どうやらあなたは、どうあっても私を犯人に仕立て上げたいようね」
「そうではありません。ただ、真実を証明するためにも妥協するべきではない。そのためにも、あなたには内に秘めた全てを明かしてもらう必要がある。そう、思っているだけです」
私は、含みを持たせるように言った。
さながら、お前の全てを見通しているぞ、という風に。
その口調に、セイルは怪訝な表情を返した。
正直に言えば、私の発言はハッタリである。
まだ、明確に事件の全貌が掴めているわけじゃない。
だけど、あの美術準備室での状況。
ルーが立証しようとしていた彼女の犯行は、全てが間違っていたわけではない。
そう思えてならないのだ。
ルーの立証には、まだ明かされていない何かがある。
その全てを明らかにするまで、結論を出すには早い。
少なくとも、真相には至らない。
セイルの行動には、不可解な部分が多い。
だから、私は彼女の謎を全て明らかにする。
そうすれば、真相に辿り着けるかもしれない。
まだ止まってはならない。
この勢いで突き進んでくべきだと、私には思える。
たとえ、今はまだわからない事ばかりでも議論は続ける。
その過程で、真相を掴んでやる!
「少なくとも、あなたによる犯行は必ずしも不可能ではなかったのではないかと思われます」
「どういう事かしら?」
「たとえば、そう……」
「何かしら?」
「たとえば、そう!」
勢いで突き進んだら、それ以上言葉が出てこなくなったでござる。
「勢いでどうにかしようとしないでくれるかしら?」
「そんなつもりはありません! ……えーと」
「言いよどむくらいなら、始めから文句をつけないでほしいものね」
反撃を食らってしまった。
うーん。
やっぱり、勢いだけじゃだめか……。
何か、矛盾はないだろうか。
彼女に問いただすべき何かが……。
考えていて、一つ思いついた。
「一つ、明らかにしておきたい事があります」
「何かしら?」
「あなたが、美術準備室へ訪れた理由です」
セイルは私の言葉の真意を測りかねるように目を細めた。
「どういう事かしら?」
「あなたは、アルティスタくんの壊した石像を片付けるために美術準備室へ訪れた。そう言いましたね?」
「……ええ。そうよ。何か問題が?」
「問題大ありです。何故ならその時にはすでに、他の部員達によって破片は片付けられていたのですから」
「!」
そう、それは『事件前の美術準備室』のスケッチによって証明されている。
それは彼女が像を壊す前であり、その時既に破片は片付けられていた。
「つまりあなたの語った理由は、嘘だったという事になる。これはどういう事ですか?」
問いかけると、セイルは私から視線を外した。
つまらなそうに、自分の髪をいじりながら答える。
「ええ。そうね。私、実の所一度も像や破片には触れておりませんの」
「では何故、そんな嘘を?」
「それは必要な事なのかしら?」
「え?」
逆に問い返されて、私は答えに困る。
「確かに、私は嘘を吐きましたわ。でも、だから何だと言うの?」
「嘘を吐いたという事は、そこにやましい事があったからなのではないですか?」
問い返すと、セイルは「ふっ」と小さく鼻で笑う。
「ありませんわ」
彼女はきっぱりと言い切った。
そして両腕を組み、カンッと床を踏み鳴らす。
「大事な事を間違えないでくれるかしら?」
私を睨みつけ、彼女は言う。
その迫力に若干ながらも気圧される。
「大事な、事?」
「私が美術準備室へ向かった理由が知れたとして、状況は何か変わるかしら?」
状況……。
状況は……変わら、ない……。
「何も変わらないはずよ」
私の考えを見透かすように、セイルは告げる。
「私に犯行が不可能だった事は、あなた自身が証明しましたのよ」
「言ったはずです。あなた自身には疑わしい部分があり、議論する余地はまだある、と」
「なら、今すぐにでも示してくださるかしら? その余地というものを」
「それは……」
私は言葉に詰まる。
まだ何も、その証拠を持っていないからだ。
この質問が、それを証明するための第一歩だったから……。
それが明かされなかったという事は、始めから何も状況が変わっていないという事だ。
何も言えるわけがない。
そんな私に、セイルは「ふん」と小さく鼻を鳴らす。
「どうしてもその理由を暴きたいのなら、私が犯人であるという決定的な証明を果たしてからになさい!」
ぐっ……。
完全に、やり込められてしまった。
彼女の証言からは、何も得られないかもしれない。
証言がダメなら、証拠から真実を暴く他にない。
でも、もう全ての証拠は出尽くしているはずだ。
これ以上、何も出てこないだろう。
ならば、今手元にあるものから真実に辿り着く道筋を立てるしかない。
そのためにも今までの証拠。
一度まとめておくべきなのかもしれない。
呼び出しの手紙は偽証だったので証拠から除外するとして……。
まず私とアスティが捜査して見つけた黒曜石の『拳』。
恐らくこれは、アルティスタくんが作っていた像の物だ。
彼が作り、自分で壊した物であり、この拳は原型を留めていた。
そして、手首の部分は鋭利に砕けていて、そこには固まった血のような物が付着している。
あとは、スケッチ。
『ゴミ捨て場』『事件後の美術準備室』『事件前の美術準備室』『一昨日の美術準備室』の四種。
ジェイルのペンダント。
円い円盤状のペンダントで、全体的に綺麗なピンク色をしている。
それらの証拠へ考えを巡らせている時、セイルが声をかけてくる。
「ちょっといいかしら?」
「何でしょう?」
「そろそろ、議論を終わらせるべきではないかしら?」
「ですが、まだ犯人について明らかになっていません」
「犯人は間違いなく、カイン様ですわ」
セイルはそう断言した。
「だって、私は彼がジェイル様を殴り倒す光景を見たのですから。あの方は、ジェイル様の胸ぐらを掴み、そして右拳で頭を殴ったのですわ。これは確かな目撃証言でしてよ」
そういえば、彼女は目撃者としてここに立っているんだった。
「あなたはただ、そんな私を犯人に仕立て上げる事で目撃証言そのものをなかった事にしたいのでしょうけれどね」
「違います。そんな事は考えていません」
セイルの言いがかりに、私は反論する。
「でも、私が犯人だと断定されれば、私の目撃証言も犯人の虚言であったと証明される。つまり、そちら側にとってはとても都合がいい。それも事実ではないかしら?」
「確かに、そうですね」
「だったら、カイン様の弁護を引き受けたあなた方が、それを狙って私に罪をなすりつける事だって十分にある。そう思いません事? 皆様方?」
セイルは講堂にいる生徒達を見回し、問い掛けるように言い放った。
講堂中がざわめき出す?
「おい、弁護側は無実の人間に罪をなすりつけるつもりみたいだぞ」
「プロキュール家の令嬢も偽証していたみたいだし、何だこの嘘まみれの議論は!」
「だって弁護人は、あのプローヴァの令嬢だもの。きっと始めからそのつもりだったんだわ」
今のセイル嬢の発言で、私達に対する聴衆の心証が悪くなったみたいだ。
これでは、こちらの立場が悪くなってしまう。
「もう、終わらせちまえよ」
「犯行が目撃されているなら、犯人はコレル様しかいないじゃない」
「議論なんて、時間の無駄だ」
聴衆達の声が聞こえてくる。
「プローヴァ」
レセーシュ王子が私に声をかけてくる。
「これ以上の進展が見込めないというのなら、議論を打ち切らざるを得ない」
「そんな……」
「不服ならば、証明するか……。もしくは、新たな事実を以って進展させろ」
くっ……。
何か、証拠はないのだろうか?
カインの犯行……。
もしくは、セイルの証言を覆せるだけの証拠は……。
私は、手元にある証拠を見る。
今私の手元にあるのは、『ゴミ捨て場』『事件後の美術準備室』『事件前の美術準備室』『一昨日の美術準備室』の四枚のスケッチとジェイルのペンダント。
あとは黒曜石の『拳』だ。
スケッチを眺める。
そして、おかしな事に気付く。
あれ?
これってどういう事だろう?
いや、でもジェイルは右側頭部を殴られている。
だったら……そういう事か。
……でもよく考えてみたらそれもおかしくはないだろうか?
この矛盾に整合性を持たせるには、どんな事実が相応しい?
「わかりました。では、進展させましょう」
私は、レセーシュ王子に答えた。
そして、セイルに向き直る。
「セイル様」
「何かしら?」
私の呼び掛けに、セイルは余裕たっぷりの様子で応じる。
「あなたの証言によれば、容疑者は被害者の胸ぐらを掴み、右手で殴ったという事でしたね? 間違いありませんか?」
「ええ。誓って間違いありませんわ」
「そうですか。なら、おかしいですね」
「何の事かしら?」
私が言うと、セイルは怪訝な顔で訊き返す。
「ルー様の話によれば、被害者が殴られたのは右側頭部です」
「それが何ですの? 何もおかしな所はないでしょう」
「そうはいきません。何故なら、胸ぐらを掴んで右拳で殴りつけた場合、その傷は左側頭部にできるはずなのですから!」
「なっ……」
セイルは驚いて仰け反る。
そう、胸ぐらを掴まれるという事は、正面から向き合った状態で殴られたという事だ。
その場合、右拳で殴られると傷は左側頭部にできる。
右側頭部に傷ができるわけがないのである。
「で、でも、右側頭部に傷があるという証言はルー様が仰った事よ。証拠を偽った彼女の事だもの。傷の場所だって偽った可能性がありますわ!」
「いいえ、それはありません」
「なんですって!?」
「このスケッチを見てください」
私は『ゴミ捨て場』のスケッチを見せる。
「『ゴミ捨て場』のスケッチ……。それが何だと言いますの?」
「注目するべき所は、ここです」
私は、そう言ってスケッチに描かれたジェイルの頭部を指差す。
彼女は顔の左側を向けた状態で倒れている。
つまり左側頭部をこちらへ向けた状態だ。
その頭部には、白い包帯が巻かれていた。
前の事件で負った傷を治療するためのものである。
「……何も、ないじゃありませんの」
「ええ。そうですね。だからおかしいのです」
「なんですって?」
セイルは怪訝な表情になる。
「話によれば、殴られた事でジェイルは出血していたとの事です。血が滲んでいないのはおかしな話です」
「……描き忘れたという事かしら?」
「いいえ、違います。実際に殴られていたのは、右側頭部。なら、左側頭部を描いたこのスケッチに血の痕がないのは当たり前です。このスケッチは暗に、殴られた場所が右側頭部である事を示しているのです」
「なっ……。で、でも、それだってルー様の――」
「これは、レセーシュ王子の描いたものです。そうですよね?」
私はレセーシュ王子に人差し指を向けて訊ねた。
「確かにその通りだ。……あと、こっちに指先を向けるな。落ち着かない」
それは失礼。
私はセイルに向き直り、続ける。
「あなたは、王子まで彼女の偽証に加担していたと言うのですか?」
「そ、それは……」
セイルは口ごもる。
何も言えまい。
これが国家権力の威力だ!
「異論はなさそうですね」
私が言うと、セイルは悔しげに私を睨んだ。
「何よ……。そんな事、瑣末な事じゃない……。見間違えただけよ。……そ、そう、あの時の被害者は、容疑者から逃げようとしたのよ。容疑者に背中を向けて。その時に殴れば、背中越しに殴った事になる。これなら右側頭部に傷が残ってもおかしくないはずよ」
確かに、後ろから右手で殴れば右側頭部に傷が残る。
彼女以外に目撃者がいない以上、言い逃れは十分可能だ。
しかし……。
「三度目ですね」
「え?」
「あなたが自分の目撃証言を変えるのは……。どうやら、あなたの目撃証言はずいぶんと正確性に欠けるようだ」
「あっ……」
「正直に言って、あなたの目撃証言は信用できません!」
もう逃がさない!
講堂中に響くように声を張り上げ、私は彼女に人差し指を突きつけた。
彼女は戸惑い、たじろぐ。
「おいおい。あの目撃者も嘘の証言をしていたみたいだぞ」
「本当に嘘ばっかりじゃねぇか! 何だこの議論はよぉ!」
「だって目撃者は、あのギュネイ家の令嬢だもの。絶対に嘘吐いてるわよ」
「じゃあ、犯人はどっちなんだよ!」
「やっぱり、ギュネイ家の令嬢が犯人なの?」
講堂の聴衆達が騒ぐ。
どうだ!
少なくとも、そちらも信用できない事を証明してやったぞ。
私も信用されてないがなっ!
「な、何よ! だからなんなのよ! だからと言って、私には犯行が不可能だった事は証明されたでしょう! あなた自身に!」
セイルが私に人差し指を突き付け返してくる。
私は腕組みしてその指摘を受け止める。
……確かに、その通りだ。
石像を倒してぶつけるという方法も、木箱に押し込んで運ぶという方法も、不可能な事を私は立証した。
でも……。
私は、彼女の推論が全て間違っていたようには思えない。
そう、少し考え方を変えればこれは重大なヒントになる気がする。
まず、石像を倒してぶつけるという方法。
これは手の形が『掌』になっていたから不可能だった。
それから、木箱によるゴミ捨て場までの運搬。
これは木箱の中が黒曜石の破片で満たされていたため、ジェイルの入る余地がなかったから不可能だった。
セイルの犯行が不可能だとされるのは、この二つのポイントがあるからだ。
でも、このポイントをクリアできれば、彼女の犯行を立証する事も可能である気がする。
石像の方についてだが。
これがもし、昨日壊された石像だったとしたら犯行も可能になる。
あの『拳』の像ならば……。
しかしその石像は既に壊された後だった。
だから、犯行は不可能……。
……いや、待て。
そうでもないかもしれない。
ああ、そうだ。
……どうやら私は心の中で否定しつつ、何だかんだで皆の考えを基準に考えていたらしい。
あの時、美術準備室には確かに『拳』の像が存在していた。
黒曜石の破片という形で。
バラバラだったけどあの場所にはあったんだ。
そして……。
私は証拠の一つである黒曜石の『拳』を見た。
ゴミ捨て場で、私とアスティが見つけた物だ。
私の考えを証明する証拠は、手元にある。
けれど、それが真実だったと仮定して、だったら何故二つ目の石像は壊されたのだろう?
本当に事故で壊した?
いや、あそこには敷物があった。
倒しただけではあそこまでバラバラに壊れないはずだ。
故意に強く押しでもしなければああはならない。
それはルーも証言していた事だ。
でも、事故じゃないとしたら……。
何故壊す必要があったのか?
………………。
…………。
……そういう事か。
今わかった。
やっぱりルーの推論は、的外れではなかったんだ。
ならやはり、この事件の犯人は彼女。
セイル・ギュネイだ。
恐らく今思い至ったこの考えが、真実。
私が目指すべきもの。
あとは、それを証明するだけ。
「それはどうでしょう?」
「何ですって?」
「私には、あなたの犯行が不可能であったとは思えません」
私の指摘に、セイルが動揺する。
「ここで、証拠品を一つ提示させていただきます」
私は、黒曜石の『拳』を提出する。
「これは、ゴミ捨て場で発見された物。形状からして、アルティスタ君が最初に作っていた石像の破片です」
「ゴミ捨て場? それに何の関係があるというのかしら。ただの破片じゃない」
「わからないんですか? この『拳』は、美術準備室からあなたが運んできた物なんですよ」
「!」
私はペチッと台を叩く。
「つまり、この『拳』はあなたが運ぶまでは美術準備室にあったんです。そしてこの『拳』こそが、被害者を害した凶器であると私は主張します」
「何を言い出すのかしら……。その『拳』があったとしても、像はすでに壊れていたのよ。だったら、像を倒して下敷きにする事なんてできないはずだわ」
彼女の反論に対し、私はすぐに答えなかった。
一拍置き、問い返す。
「……そもそも、どうして凶器が像の形を成していなければならないのですか?」
「え?」
「皆様、少し勘違いしているようですが。被害者……ジェイルはか弱い女の子です。確かに普通よりも頑丈かもしれませんが、石像を倒して当てなければ殺せないなんて事はありえません」
まったく、特定の方法じゃないと殺せないなんてどんなモンスターだ。
絶対に、そんな事はありえない。
……まぁ、私も少しそうしないと殺せないんじゃないかと思い込んでしまっていたけど。
でも、よく考えればそんな大層な事をしなくても十分にジェイルを殺す事は可能だ。
……まぁ、死んでいないけどね。
「もう一度言いますが、ジェイルはか弱い女の子です。少なくとも、石で思い切り殴りかかられれば意識を失う程度には、ね」
普通は死にそうだが……。
しかし私の発言に、セイルの表情が引き攣った。
「そう。像そのものがなくともこの『拳』を手で持ち、鈍器として殴りつければ十分に意識を奪う事は可能です。そして、この拳には血痕が付着していました」
「それが、被害者の血だとでも言うのかしら?」
セイルの問いに、私は首を左右に振る。
「いいえ、恐らく違うでしょう。これは犯人の血だと思われます。犯人は被害者を殴打する際、素手でこの『拳』を握ったのです。しかし、砕けた黒曜石は鋭利な刃物になる。当然、『拳』を握った犯人の手は切り裂かれ、出血を起こしたはずです」
ふと、気になったというふうに、私はセイルに訊ねる。
「……そういえばセイルさん」
「何よ?」
唐突に呼ばれ、困惑しながらもセイルは答える。
「その手袋、ずいぶんと色が変わりましたね」
「え……あっ!」
彼女の右手に着けられた手袋は、所々が赤く染まっている。
特に濃く染まっているのは、掌の部分だった。
「犯人の掌には、切り傷が残っているはずです。そして、私はその犯人こそあなたではないか、と思っています。だから……外していただけますか? その手袋を」
私の要請に、セイルは右手を庇うように左手で握る。
「い、嫌よ!」
「憲兵に調べてもらってもよいのですよ?」
強い口調で言うと、彼女は悔しげに顔を歪める。
「くっ……この……。わかりましたわよ!」
そして、渋々と手袋を外した。
現れた手には、包帯が巻かれていた。
掌の部分の包帯が、真っ赤に染まっている。
「……やっぱり」
「傷は……あるようだ」
私とアスティはそれぞれ言葉を漏らす。
包帯で隠れているが、出血から見てセイルの掌に傷がある事は間違い無さそうだ。
「これは、破片を片付けた時にできた傷よ……」
セイルが答える。
「一昨日、あなたは掃除に参加しませんでしたよね?」
「昨日、像を壊した時よ」
「あなたは、箱詰めされた破片を運んだだけだったはずです。床の破片には手をつけていない、とはあなた自らが証言した事ですよ」
そう、ついさっき彼女自身が証言した事だ。
「うっ、それは……」
「なら、床の破片を直接触れる機会はなかったでしょう。そして余程強く握りこまなければ、掌全体に傷が残るという事はありえません。もし本当に掃除の時の傷だったとしても、傷ができるのは指先くらいのものです」
現に、掃除に参加していた部長は、指を怪我していた。
怪我をするにしても、掌に傷が残るという事は不自然だろう。
……あ。
掃除の最中に転んで手をついた時に刺さった、という可能性もあるか。
これなら、掌にも傷が残る。
……黙っておこう。
その反論がないという事は、少なくともセイルの傷はそれでついたわけじゃないだろうし。
余計な事を言ってそういう事にされても困る。
彼女なら、そういう嘘も平然と言ってのけそうだ。
気を取り直すように、私はセイルに強い眼差しを向ける。
「これで、証明されたようですね。あなたが、被害者を殴った犯人だという事が」
決定的な証明だ。
言い逃れはできないはず……。
「……いいえ。まだよ!」
が、セイルは反論した。
そうして向けた眼光は鋭く、強い敵意を宿していた。
彼女の心はまだ折れていない。
どうやらまだ、終わる事はできないようだ。




