三話 友と婚約者
修正しました。
悲鳴の聞こえた先で、私達が目撃したのは倒れるジェイルと彼女のそばにしゃがみ込むカイン・コレルの姿だった。
「カイン様が! カイン様が、ジェイル様を殴り倒しましたわ!」
呆然とした様子でジェイルを見ていたカインは、そばにいたセイルの悲鳴じみた言葉で我に返った。
立ち上がり、セイルを見て、次に私達へ目を向ける。
焦った様子の彼は、その場にいる者の視線から逃げるように走り出す。
「待て! カイン!」
アスティが後を追い、そのまま現場から走り去っていく。
残される私達。
先ほどの悲鳴を聞きつけた野次馬も、徐々に姿を現し始めた。
レセーシュ王子がジェイルのそばへ駆け寄り、容態を診る。
脈を計り……。
安心したように溜息を吐いた。
どうやら、命に別状は無いらしい。
王子はすぐに彼女を抱き上げ、立ち上がる。
「彼女を保健室へ運び、憲兵を呼んでくる。あとは現場の維持を頼む」
「わかりました」
レセーシュ王子に言われ、私は頷いた。
王子がその場を去ると、私は現場を改めて見る。
そこはどうやら、ゴミ捨て場になっているようだ。
簡易の屋根があり、その下にはガラクタや袋が捨てられている。
文化祭の準備で出たらしきガラクタが大量に積まれていた。
そのゴミの中には、見覚えのある物が転がっていた。
黒く鋭い石の欠片だ。
これは恐らく、黒曜石の破片。
それが大量に、ゴミ捨て場へ捨てられていた。
黒曜石と言えば、アルティスタくんの石像が頭に浮かぶ。
これは、昨日壊された石像の破片ではないだろうか。
私はセイルを見る。
セイルはその場で座り込み、顔を俯けていた。
彼女のそばには台車があり、その上には箱が二つ並べ置かれていた。
箱は二つとも空っぽである。
彼女は美術部の部員だ。
もしかしたら彼女は、黒曜石の破片を片付けるためにここへ来たのかもしれない。
そんな事を考えていた時。
レセーシュ王子が憲兵を連れて戻ってきた。
丁度、アスティもカインを連れて戻ってくる。
カインは、アスティによって後ろ手を掴まれる形で連行されていた。
「捕まえたか。ご苦労だったな」
レセーシュ王子がアスティを労う。
「いや」
カインの身柄が憲兵に渡される。
「放せ! 俺は何もしてない! ジェイルを殴ってなんかいない!」
「だったら、何で逃げたんだ?」
「それは、あいつが俺を犯人だと言いやがったからだろうが!」
カインは、セイルを睨みつけながら叫ぶ。
セイルは怯えた様子でビクリと震えた。
「弁明は今から憲兵隊にじっくりと話すがいい。セイル嬢も憲兵から証言を要求されるだろう。素直に従ってもらおう」
「それは、私が引き継ぎます」
レセーシュ王子の言葉に、凛とした女性の声が返された。
声のした方に振り返ると、こちらに一人の女性が歩み寄って来ていた。
身長が高く、赤い縁の眼鏡をかけた女性である。
引き締まった体を男性用の制服に包んでいる。
それでも女性とわかるのは、後ろでアップに纏められた長い青髪と強く主張する体の起伏があるからだ。
「ルー・プロキュールか」
ルー・プロキュール。
乙女ゲームにおいて、三人いる悪役令嬢の最後の一人だ。
ふと、ルーが私に顔を向けた。
じろじろと私を眺める。
「あなたは、プローヴァ家の令嬢でしたね」
「はい。アリシャと申します」
ルーは目を細めた。
「一昨日のあなたと殿下の議論、拝聴させていただきました」
「あ、ありがとうございます」
咄嗟に言ってしまったが、お礼を言うような事か?
そう思い直す。
「素晴しい弁舌でした。本職の弁護士でも、ああはいかないでしょう。いずれ、法廷で見えてみたいものですね」
この国の司法長官の娘であり、彼女自身も学生でありながら検事の資格を持っている。
つまり、彼女は本職の検事なのだ。
私としては、そんな相手と議論でやり合うのはごめんである。
そして……。
ルーはレセーシュ王子に向き直る。
「今回の事件。今後は、私の方で取り仕切らせていただきます。……婚約者の起こした事件でもありますし」
ルーは、カインを見た。
眼鏡が反射し、どんな眼差しをそちらへ向けているのかはわからなかった。
「まさか、あなたがここまで愚かしく短絡的であるとは思いませんでしたよ」
ただ、その言葉は辛辣で冷ややかだった。
「やってねぇよ。俺は……」
「それは、捜査すれば明らかとなるでしょう」
カインの言葉に取り合わず、ぴしゃりと拒絶するように言い放つ。
「しかし、お前に任せてもよいものか?」
レセーシュ王子が訊ねる。
「私の実力をお疑いですか? 殿下」
「実力は疑っていない」
「しかし、お前はカインの婚約者だ」
「私が、手心を加えるとでも? 私は、司法に携わる者ですよ」
「いや、それは疑っていない。お前の評判は聞いている。それらを聞く限り、お前は信頼に足る者だろう。ただ……辛くはないか? 婚約者を疑うのは」
「関係ありません」
ぴしゃりと言い放つルー。
レセーシュ王子に向かってよくそんなに強く言えるなぁ。
「うむ……」
レセーシュ王子が短く頷く。
王子も態度の固いルー相手ではやりにくそうだ。
そこにカインが口を挟む。
「ああ。そうだろうさ。お前は俺を容赦なく犯人に仕立てあげるだろうさ。お前にとって、俺なんか親が勝手に決めた許婚でしかない。俺が犯人と決まれば、その約束も反故にできるんだからな」
罵倒するカインに、ルーは苦笑を浮かべた。
首を左右に振る。
レセーシュ王子はそのやり取りを見て、一度私を見る。
そして、またルーに向き直った。
何?
「いいだろう。あとの捜査は、お前に任せる」
「はっ」
「それで、今後はどうするつもりだ?」
「どう、とは?」
「カインの罪は、法廷にて論じるのか?」
「それ以外にありますか?」
ルーの言葉に、レセーシュ王子は一つ唸る。
「これは、学園内で起こった事件だ。学園自治を任せられた生徒会の人間として、司法の場へ送る前にまずは学園内での解決を図るべきだと思うのだが」
「なるほど……」
ルーが、ちらりと私を見た。
だから何よ?
「殿下がおっしゃるのなら、私に異存はありません。何より、一度議論しておけば後の公判もスムーズに進む事でしょう」
ルーは了承する。
「では明日。場所は講堂でこの件に関しての議論を行なう事とする」
「はっ。承知いたしました」
ルーはレセーシュ王子に恭しく頭を下げた。
「……容疑者とセイル嬢を連れて行きなさい。あとで事情聴取します」
憲兵達へ命令すると、ルーは再度レセーシュ王子へ向き直る。
「さて、殿下。現場検証のため、ご協力願いたいのですが。現場をスケッチしていただけますか?」
「私でいいのか?」
「殿下の絵の腕は、前の議論で拝謁させていただきました。証拠品として申し分のない腕前ですので、迅速な捜査のためご協力ください」
「うむ。わかった」
「ご協力、感謝します。ではこれより捜査を始めますので、他の皆様方には退去をお願いします」
ルーに命じられた憲兵達が、カインとセイルを連れて行く。
その様をアスティは複雑な表情で見送った。
その後、事件によって文化祭が中断されるという事はなく……。
ルーに促されるまま現場を離れた私達だったが、しかしあの事件の後では楽しむ気にもなれず。
何よりもアスティが沈み込んでしまっていたため、店を回る事もなく手頃なテーブル席で時間を持て余す事となった。
テーブルには飲み物や食べ物が置かれていたが、減りは悪い。
談笑もなく、ただ時間だけが過ぎていく。
そんな時だった。
アスティが口を開く。
「なぁ、アリシャ」
「何ですか?」
「頼みがある」
なんとなく、その頼みには見当が付いていた。
「カインを議論の場で弁護してくれないか?」
やっぱり、か……。
私は、すぐに答えずテーブルにあるお饅頭のようなお菓子を齧った。
中身はカスタードだ。
学生の作ったものだから、こんなものよね。
という感じの味がする。
不味くは無い。
レニスが顔を上げて私を見る。
どうするの? と問うているようだ。
「恐らく、兄貴が法廷ではなく学園内での解決を図ると言ったのは、それを見越しての事だろう」
「そうなんですか?」
だからチラチラ見てたのか。
「司法の場に出てしまえば、弁護士の資格がなければ弁護を引き受けられない。兄貴は、『カインの親友として助けになってやりたい』という俺の心を見越してそう提案してくれたんだろうと思う」
なるほどねぇ。
「本来なら、俺が成すべき事なのだろう。だが、俺にそんな力は無い。あいつを助けられるとすれば、お前しかいないだろう。あまり言えた義理ではないのだが……。どうか願いを聞き入れてくれないだろうか?」
アスティはテーブルに手をついて、頭を下げた。
「頼む。俺は、あいつを助けてやりたいんだ」
私に頭を下げてまで、彼を助けたいのか……。
そんなに大事なんだな。
「……それは、全然構わないんですけどね」
私が答えると、アスティは顔を上げた。
「じゃあ……」
「ただし」
私は、アスティが何かを言う前に言葉で制した。
今まで、私はアスティに迷惑をかけてきた。
だから、この件に関して快く引き受けてもいいと思っている。
けれど……。
「私が弁護を引き受け、たとえ真相に至ったとしても……。王子の思う通りにはならないかもしれませんよ?」
「どういう意味だ?」
「真実が、彼を犯人だと証明するかもしれないという事です。私は、真実を捻じ曲げたくありませんから」
もしも、カインが本当に犯人だったとしたら。
私は嘘を吐いて真実を捻じ曲げてまで彼を助けようと思わない。
あくまでも私は、真実を暴くだけだ。
だから、私が弁護に立ったとしても逆に彼の犯行を強固に裏付けてしまう可能性だってある。
アスティの望まない結果になる事だってあるのだ。
「真実を捻じ曲げるという事は、その裏で別の罪無き人間が泣く事になるかもしれないんです。私にはそれが、許せません」
その辛さを私はよく知っているから。
答えると、アスティの顔が苦渋に歪む。
「……わかっている。でもな、俺は信じているんだ。あいつは、そんな事をする人間じゃない、と。……長年あいつを見てきたこの目が、節穴じゃないと俺は信じたいんだよ!」
力強く彼は語る。
その言葉からは、彼のカインに対する信頼がうかがい知れた。
「だから、お前はただ真実を貫き通すだけでいい。それが、きっとあいつを助ける道になる。もし、あいつが犯人だったとしても容赦なく真実を貫き通せ。そのドリルで!」
「ドリルはともかく……。わかりました。そうまで言うなら、引き受けます」
私が了承すると、レニスが微笑んだ。
どうやら、彼女もカインを助けて欲しいと思っていたようだ。
無実でありながら、疑われる辛さ……。
彼女はその気持ちを知っている。
もしも無実ならば助けたいと思ったのかもしれない。
正直に言えば、もし本当に無実なら私だって助けてあげたい。
私もまた、無実のまま疑われた事があるのだから。
その無念さを知っている。
私達は、現場へと赴く事にした。
今まで議論をする時は、いつも当日の土壇場で事件の状況を知る事ばかりだった。
折角、前日から準備ができるのだ。
できるだけ私自身で捜査して、情報を得ておいた方がいいと思った。
現場には、ルーが一人で立っていた。
あれ?
一人だけ?
ふと、彼女が気付いてこちらに向く。
「アスティ殿下。何か御用でしょうか?」
「明日の議論のため、俺達にも現場を捜査させてもらいたい」
「議論……。参加するのは、殿下とアリシャ嬢とレニス嬢だという事でしょうか?」
ルーの鋭く細められた視線が、私とアスティとレニスを撫でた。
レニスがフルフルと顔を横に振る。
「いや、レニスは違う。俺とアリシャだ」
「そうですか。わかりました。そういう事ならば、捜査なさってください。恐らく何も残ってはいないでしょうが、新たな証拠を見つけた際は憲兵に届け出を行なってください」
「ああ」
不意に、ルーが私を見る。
その口元が歪む。
「思いがけず、すぐに機会は訪れましたね」
永久にそんな機会は来ないでほしかったけれどね。
「私はこれで失礼させていただきます。まだ、調べる所がございますので。では……」
ルーはそう言い残し、現場を去って行った。
他の憲兵達はもう引き上げているのに、何で彼女は一人で残っていたのだろうか?
少し気になったが、その時にはその疑問に対する明確な答えを出す事ができなかった。
彼女のいなくなった現場で、私達は捜査を行なう。
現場には、ジェイルの倒れていた場所に人型の白線が引かれていた。
それ以外は、先ほど私達が見た現場となんら変わらない。
正直、見るべき所はないかもしれない。
証拠があったとしても、憲兵達の捜査で目ぼしい物はすでに発見されていそうだ。
ふと、ゴミ捨て場の方が気になった。
黒曜石の破片が積まれている。
その黒一色の中、白い何かが見えた。
手を切らないよう注意しながら、その白い物を摘み上げる。
それは一枚の紙片だった。
紙には「美術準備室」という文字が確認できた。
そこから先に文字が続いているようだったが、半ばで途切れている。
一辺が綺麗な所を見るに、どうやら元は四角形の紙だったのだろう。
それを千切り取った物のようだ。
裏側を見ると、そこにも何か書かれている。
幾本かの線が走っていた。
文字ではなく、規則性も見出せない。
なんだろう、これ?
「なんだそれは?」
「紙ですね」
「それは言われなくてもわかる。俺が聞きたいのは、それが証拠品か否か、という事だ」
「どうでしょう。……ただ『美術準備室』と書かれ、黒曜石の破片と共に捨てられていたとなればこれが美術準備室にあったものではないか、という可能性は見出せます」
「そういえば、美術準備室にはアルティスタが壊した石像の破片が転がっていた。あれは、黒曜石だったな」
「はい」
「関係があるのか?」
「わかりませんけれど……」
一応、証拠品として持っておこうか。
「それから……」
私はゴミ捨て場の一部を見た。
そこには、黒い『拳』が落ちていた。
「『拳』?」
「見事に『拳』だけですね。手首から先がありません」
「これが昨日の石像の破片である事は間違い無さそうだな」
「そうですね」
私は黒い『拳』を手にとって見る。
裏返し、手首にあたる部分を見た。
「あ、王子。これ……」
「血……だな」
『拳』の裏側。手首に当たる部分には、鋭利な凹凸がいくつもあった。
その凹凸には、黒地のせいでわかりにくいが赤黒い物がついている。
固まった血だろう。
「事件に関係がある、か?」
「どうでしょう。昨日の片付けの時、部長は手を切ってしまったと言っていました。これは、片付けの時についたものかもしれません」
「だが、そうじゃないかもしれない」
「そうですね」
これもまた、証拠品としてキープしておこう。
「これらは、俺があとで憲兵に渡しておこう」
「はい。お願いします。……もうとくに見るものはないでしょうかね」
「そうか。なら」
「ええ。あとは、明日の議論で頑張るだけですね」
あとは、出たとこ勝負だ。
翌日。
早朝。
講堂には、多くの生徒達が詰め掛けていた。
皆、今からこの場で始まるカイン・コレルの議論を見に来た傍聴者である。
レニスもこの中のどこかにいるだろう。
そんな中、私とアスティは生徒達の視線が集まる講堂の中央にいた。
ルーとカインもこの場にいる。
カインは両手を縄で縛られた状態のまま、憲兵二人に挟まれる形で椅子に座らされていた。
講堂中央の片隅。
差し詰め、そこは被告人席といった所か。
カインの口には、猿轡を噛まされている。
レニスの時には、さすがにここまで強固な拘束はされていなかったはずなのだが……。
暴れたのでやむを得ずといった所だろうか?
また、別の場所ではアルティスタくん、セイル、美術部長が椅子に座っている。
人員から見るに、あれは証言者の席と言った所だろう。
そして、私とアスティのいる場所は講堂中央の正しくど真ん中に位置する場所だ。
そこには、二つの台が空間を挟んで互いに向かい合う形で置かれていた。
その一方の台を前に、私とアスティは立っていた。
「ついに台が置かれてしまったか……」
今までは、まだ対峙して言葉をぶつけ合っていただけだったのに……。
本格的に裁判じみてきたな。
ただ、あくまでも議論なので裁判官の類はいないのだが。
要は、対する相手や講堂中の生徒達を納得させるための話し合いだ。
しかし、折角の台だ。
とりあえず叩いておこう。
私は右手で思い切り台を叩いてみる。
ペチッ! という音がした。
案外難しいな。
手も痛いし。
何度か試してみるが、その都度ペチッ! ペチッ! という音がする。
バンッ! という迫力のある音を出したいが、私の腕力では出せそうにない。
「何をしているのですか?」
声のした方を見ると、向かい側の台に着いていたルーが冷ややかな視線を私へ向けていた。
「台があるので、使う練習をしておこうと思っただけです」
「その台は叩くためにあるわけではありません」
そうなんだ。
「では、どう使うのですか?」
「証拠品や資料を置き、確認のために使ってください」
そりゃそうか。
「まったく、何をやっているんだ」
隣に立っていたアスティが呆れた声で言う。
「いや。ここぞという時に良い音が出せれば、相手を威圧する時に役立つと思いまして」
「威圧してどうする」
議論に威圧は大事だと思うのだけどね。
「では、始めましょうか」
ルー・プロキュールの言葉に、私は背筋をピンと伸ばした。
こちらへ視線を向けるルーを真っ向から見詰め返す。
「これより、ジェイル・イーニャ殺人未遂事件について、議論を行ないたいと思います」




