ネットダイアリ-36-
グランソフトにいくと、エレベータ前に美柑さんが待っていた。
「待っていたわよ~」
いつものめがねをかけた美柑さんだった。もちろん、髪も下ろしている。背の高さは、恐らく靴の関係だろう。学校で会ったときより高く見えた。
「すっぴんの女性の姿を見たら、呪われるんだよ」
「僕ですか」
「そう、君だ」
「昴君。エレベータ開けなさい」
美柑さんは、機嫌はよさそうなのだが、命令しているということは、からかっているんだろう。
観念した昴は、
「はい」と短く言い、携帯を押した。
エレベータが開き、どうぞ、とする昴に、くびを立てに振り、先にエレベータに入る美柑さん。
「やっぱり、この匂いなんだよね」と思いつつ、口を開かぬよう気をつける。
「じゃあ、何で見つけたの」
もう仕方ないかと観念して、
「美柑さんのシャンプーの匂いかな。その匂いで気がついた」
昴の顔が赤くなっていく。
「昴君って匂いフェチ?」
いや、そんな趣味はないんですけど、女性に疎く美柑さんの匂いだけ覚えていた。なんて言えないし。
「いや~~。実は、匂いフェチでして」
なんて、いうセリフを言う度胸はない。
「あまり、シャンプーとか香水とか詳しくないんで」
「あ、ごまかした。私だって、そんなに知らないわよ」
「・・・・・」
「じゃあ、どんな匂い?」
困った。いろんな知識はネット上にあるものの、匂いの情報ばかりは、無理。
ネット情報は万能であると思っていた昴だが、意外なときに弱点を認識した。
「いい匂い」
ぷっと笑われた。
すでに、グランソフトの3階にいる。
「待って。ここで聞かせて」
昴は、拷問だ、と思った。
「昴君の言ういい匂いって、色で言うとなに色になる?」
匂いを色に変換したことなどない。昴は、そんなに小説を読むほうじゃないので、美柑さんのいう色のたとえが理解できない。
「そうね。森林の匂いが緑、海の匂いが青、とか、ありきたりでいいよ」
いや、言いたいことはわかるけど、美柑さんの匂いなんて、色で表せない。
「ほら、ほら」昴は、美柑さんに肘で小突かれる。
「あせらせないでくださいよ」
「うんうん、その感じもいいね」
「この前から気になっていたのですけど、美柑さんが言っている、その感じがいい、って何かあるんですか」
「イラスト描くときの表情の参考になっていいなってことよ」
「僕は、モデルですか」
「昴君は、そんなにかっこよくないから」
かっこいいわけがないことは、知っていたが、やはり、凹む。
「ごめん、ごめん。昴君は標準より上よ」
「気を使ってもらって、すみません」
「いや、いや、大丈夫よ。おねぇさんが保障する」親指を立てて、昴に見せる。
意図したわけじゃないが、話がそれているうちに、
「下に行きましょうか」
「待った~」
「逃げないでちょうだい」美柑さんは覚えていた。
「匂いは何色?」
「ギブです。色知らないんです」
「絵を描かない人には難しいかぁ~」
「匂いという言葉だけじゃなくて、何か表現できないかな。・・・はい、昴君」美柑さんは昴を指名する。
昴君と言われても困るが、また、突っ込まれても困る。
「花の匂いかな」
美柑さんは、腕で×印を出し、
「0点。それじゃ、いい匂いと変わらないでしょ」
「じゃあ、女性の匂いがする」エッチな響きがした。
「それが匂いフェチ。あ、違うか。匂いフェチならもっと匂いに対して表現豊かだよね」
「本当に、匂いフェチっているんだ」
「知らないわよ。まあ、いいわ。いい題材をもらえたから」
まあ、そんなところだろうと思い、昴は、地下へのエレベータを開けた。
地下作戦室では、いつもどおり、もくもくと働く従業員たちが、GNAを操作しているようだ。
「美柑ちゃんにバル君。昨日は悪かったね」おっちゃんが言った。
「解決したのですか」
「見てのとおり。しかし、何でここがばれたのだろう?」
「ここのサーバは、外から見えない仕組みになっているんですか」
「そんなところだ」
昴程度の腕のハッカーなら、普通のサーバくらいわけない。警察や政府、自衛隊などの重要施設は、さすがに厳しいらしい。らしいというのは、ネット上の話で「厳しい」とささやかれるのであって、昴を含め、実際に試そうとする人がいないだけである。よく、ドラマなどで出てくる、電話を逆探知されてしまう、様なことがあっては困るからだ。もちろん、逆探知も振り切ってサーバにたどり着く強者は賞賛されるだろう。
美柑さんと昴は、いつもどおり自分の作業を始めた。
少し経ってから、おっちゃんが昴を呼んで、3階へと上がった。
「昨日、美柑さんの使ったパソコンは、作業用パソコンの窓際か」
突然の質問に驚く昴だった。
「あそこにも、巧妙なウイルスの痕跡が残っていたんだ」
「・・・」
「攻撃を受けたのも、美柑さんが来てから。それも、自宅のパソコンで描いたイラストをここに持ってきたんだ」
「それじゃ・・・」
「考えられることは、美柑さんのパソコンがウイルスに汚染されているか、美柑さんの持っているメモリーチップがウイルスに汚染されているかだが・・・」
「美柑さんのパソコンは調査済みですよね」
今までのことを考えれば、自明の話である。しかし、メモリーチップにウイルスを仕掛けるのは、難しいはず。おっちゃんも同じように考えていたようだ。
「メモリーチップの可能性より、美柑さん本人の可能性のほうが強いと俺は思っている」
「あのDDoS攻撃の発信元は、やはり、ロシアですか」
「いろんな国から発信されているんで、はっきりしたことは言えないが、こんな手口をするのは、ロシアか中国だろうな」
次は、中国まで・・・。なんてゲームだ。
中国という国は、国民的にこのようなゲームが好きなようだ。また、個々人の技術力も高いので造作ないことではあろう。でもたかがゲームでと思う昴である。
「まさか、美柑さんがそんな国の工作員なんて」
実は、美柑さんが工作員という話がおっちゃんから出た時点で、昴はありえないと思っていた。
おっちゃんは、
「美柑さんには、注意しておくれ」
無言で昴は頷き、今日は、このまま帰宅した。




