序章
「あ~ こんなこともしたのか」
昴は、パソコンの画像を見つつ、コメントを考えていた。
「しかし、人の記憶って当てにならないな。これ覚えてないからコメントしようがない。評論でも書くかな」
下校途中、路地裏に入っていく自分の映像だった。
「ここは、山南町の佐藤さんのうちの近くだったかな。寄り道癖はいつものことだけど、なんだったんだろう。動物とかごみとか雑誌か?まあ、雑誌は無いだろう。ネットが発達している今、雑誌の情報の価値はあまり無いからな」
そんなことを考えながら、日記をつけていた黒野 昴だった。
小学校の3年から、日記をつけ始めた。もともとは、自分が勇者になるための指南書を作る計画だったと思う。現にそのころの日記には、勇者になるためには、頭を良くしたらいいか、運動力を高めたらいいかを自問自答している。テレビ番組にヒーローものの作品は、山のようにあるから、片っ端から見ていたからだと思う。
小学校の5年生から、教育上の観点からパソコンが与えられ、パソコンに魅入られると同時に、パソコンの知識、主にネットから得られる知識。そして、ネットを楽しむためのハードの知識を磨いていった。ネットの世界は、自分に大きな広がりを与えてくれて、人の知りたいという欲求が更なる知識を求め、培われていった。
そのころから日記には、カメラで撮影した画像を元に、そのときの様子や感想、気分を加えたり、第3者的な批評・批判を加えつつ、いつの間にやら、勇者への道程が消えていった。
無理も無いことだ。勇者を意識せずとも。ネットの世界で得た知識が自分の中に勇者を作り上げたからである。
中学校に入学し、コンピュータ研究部に入り、部員との交流によりさらにパソコン・ネットの知識が向上し、他のコンピュータを覗くことができる、いわゆるクラッキングまで出来るようになっていた。世間では、ハッキングとクラッキングをごっちゃにして使っているようだが、まあ、立派な犯罪行為である。それとも知らず、報道されているような映像から商店街で防犯カメラにピースをしている部員たちを撮っては保存し、写真部のようなことをしつつ、部員たちとコンピュータの知識を磨き、未来の世界を語る日々を過ごしていた。無邪気なものだった。
一方、自分の日記は、自撮りからクラッキングによる画像になり、町中のカメラから自分を探し出し、日記に貼り付けコメントするようになっていた。あらゆるところにカメラが設置されているから、ネット社会では、ありとあらゆるところで画像情報として残されている。顔認識システムの精度も上がり、自分を見つけるのが容易くなった。
そんなわけで、中学校のころから、ネット上の自分を探し、日記をつけるようになっていた。
クラッキングは、法律上の犯罪。よくわかっている。ただ、自分を見つけ、自分を記録している行為は、道徳上問題ないじゃないか。と自己弁護しつつ、高校生になってもネット画像による日記帳を続けていた。この日記帳を自分では、ネットダイアリと名づけている。
「ネットダイアリ」として、連載の形になりました。短編連発だったので読みにくかったと思います。すみません。序章が、ちょこちょこ変わりました。読んでくださった方には申し訳ありませんでした。