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雄吾がリュウと一夜を過ごした翌週の最初の出勤日、マネージャーが雄吾に聞いた。
「ね、ハマちゃん。来週の土曜の昼間って、空いてる?」
「はい?あ、別に何も予定はないですけど」
「あのさ、リュウって覚えてる?いつだったか、土曜の夜、店で会って皆で遊びに行ってたじゃない?」
覚えてるも何も、先週体を重ねた間柄だ。そうか、マネージャーは二人が親しくしていることを知らないのか。別に話してもいいのだろうが、リュウが何も言ってないなら、自分もそのことは黙っておこうと雄吾は思った。
「ああ…そのリュウがどうかしたんですか?」
「うん。今月いっぱいで店辞めるの。普通はボーイが店辞めるくらいじゃ何もしないんだけど、リュウはずっとナンバーワンで頑張ってくれたし、何よりスポンサーが見つかったからね。水揚げってやつだね。今どきそういうの珍しいから、パーティーでもやって送り出してあげようってことになったの」
「スポンサー…」
雄吾は、あの日リュウが自分を誘った理由が分かった。スポンサーというからには、「囲われる」のであろうことは、雄吾にも想像ができた。それがどういうものなのか―好きな相手と一緒にいられるわけではない。おそらくリュウもある程度は選べるのだろうが、そんなに贅沢は言えないのではと思われた。
「そう。あの子、結構苦労人なんだよ。事故で両親亡くして、遺産も家も親戚に取られちゃって。それでも大学に進学したくて、この世界に入って来たのよ。ま、大学出たら自由の身になれるのかな」
身の上話はリュウから聞いた通りだ。
「あ、この話は他の子には内緒ね。もちろん、リュウにも色々聞いちゃだめだからね」
それ以前に、雄吾は大体のことは知っている。わかりました、と形だけの返事をして、カウンターに立った。
その日の雄吾は何となく心ここにあらずという感じで、お客さんにも指摘されるほどだった。リュウの身の上を不憫に思ったという以上に、そういう世界が近くにあることにショックを受けていた。別に悪い意味のショックというだけでなく、何か違う世界の扉を開けたような気持ちもあった。
「スポンサーか…」
自分にそこまでお金を出してくれる人はいるのだろうか。また、自分にその価値はあるのだろうか。雄吾は改めて考えてみた。リュウにはその価値があるということなのだ。何だかよく分からないが、凄いことのように思えてきた。もちろん今の雄吾に、スポンサーは必要ない。しかし、どうせこういう店で働くなら、そのくらい言われてみたい気もする。実際、リュウ自身は複雑な気持ちの中にいるのだろうが、雄吾は、リュウを心から尊敬するようになっていた。
「俺の身の回りには、そこまで価値のあるヤツはいない…多分」
今までいた自分がいた世界は、一体何だったのだろう、そう雄吾は思ったのだった。
そうした気持ちを話したくて、翌日久しぶりに花岡弘子に電話をしてみた。そういえば最近、彼女に会っていない。夏休みに入る前に一度電話で話したが、何か忙しそうだったので、二言三言会話を交わして、すぐに電話を切った。まだ忙しいのだろうか、と思いながら電話をしてみたが、今度は「あなたがおかけになったお電話は、電波の届かない場所にあるか電源が入っていないためかかりません」というアナウンスが流れるのみだった。訝しさを感じながらも、その時はそれ以上電話をしなかった。
翌週の土曜の昼、予定通り店でパーティーが行われた。ボーイが五人と、マネージャーのごくささやかなものだ。
「今日のパーティーに呼んだ子は、僕が見込んだ子たちだけだよ」
とマネージャーは話した。マネージャーに見込まれて、雄吾もちょっと光栄であった。ただし、「リュウのお別れパーティー」としているだけで、リュウが辞める理由などについては話されなかった。その辺は暗黙の了解なのだろうか、他のボーイも特に何も聞かなかった。それに、パーティーと言っても特別なことをするわけでもなく、マネージャーの特別料理と、酒やカラオケを楽しむくらいであった。
雄吾は料理やカラオケを楽しみつつも、リュウを何度もチラ見していた。リュウの方はごく普通にパーティーに馴染んでおり、特に雄吾だけを特別扱いする様子もない。そのことに対して、雄吾が全く気にしていないといえば嘘になる。が、ここでベタベタし過ぎると、周りに怪しまれるだろうし、そもそももしかしたら体を重ねた相手は自分だけではないかもしれない。「思い出の夜」を何人かと過ごした可能性だってある。もしそうであれば嫉妬の一つもするだろうが、リュウの状況を考えると責めるわけにもいかない。そう思い、雄吾はその場をやり過ごした。
結局、「お別れパーティー」の割には、花束だのプレゼントだの、それらしいことは何もなく、ただ飲み食いして、歌ってお開きになった。まあ、最後の思い出づくりといったところか。やはり、スポンサーが見つかるというのは、めでたいことではあるが、それなりに切なさもあるのかもしれない。
店を出てしばらく歩いていると、リュウが雄吾の後をついてきた。雄吾は何と言葉をかけたらいいか分からなかった。やっとのことで
「店辞めるんだね」という言葉が出てきた。
「うん、まあね。理由は聞いてる?」
「うん…」雄吾の返事もどことなく歯切れが悪い。
「あのさ、変な風に取らないでほしいんだけど」
雄吾はリュウに、引っかかっていることを聞いてみることにした。
「ん?何」
「あの…ああいう風に一夜を共にしたのって、俺だけじゃない…よね?」
雄吾はあえて「他の男とも同じことをした」という前提でリュウに聞いてみた。その方が嫉妬していないと思ってくれると雄吾が踏んだからだ。
「ハマちゃんだけだよ」
期待してはいたが、まさか本当にそんな答えが返ってくるとは思わなかった。
「嘘!?」
「ホントだよ。あ、ハマちゃん、妬いてんのお?」
嬉しそうにリュウが聞く。雄吾は一応否定したが、多分意味がないことも分かっていた。
「そんな風に思ってくれてちょっと嬉しいかも。俺、マジでハマちゃんのこと、初めて見た時からずっと好きだったんだよ。あの日、俺の料理うまそうに食ってくれるハマちゃん見てさ、あ、俺、コイツに恋してホントに良かったって、思ったんだよね。俺の目に狂いはなかった、って」
それは紛れもなく告白だった。雄吾は、リュウのスポンサーの話を聞いてからは、自分とのことは「ほんの想い出づくり」くらいのことだと思っていたので、この告白には面食らった。雄吾はリュウの顔をまともに見ることができなくなった。今まで誰からも告白などされたことがなく、自分にはそんな価値はないのだと思っていた。多分、誰からも好きになってもらうこともなく、両親か会社の上司の勧めで見合いして、結婚。でも結局、定年退職と同時に厄介払いとばかりに、退職金を取られて三行半。年金だけで細々と老後を送る―そんな未来しか想像できなかった自分が今、告白をされている。しかも、相手は同性だ。しかし、雄吾はリュウのために何をしてやることもできない。スポンサーになれるような財力もないし、そもそも自分が同性を好きになることなどできるのかどうか、まだ自信がない。自分の無力さを思い、ただただうつむいているよりほかなかった。
「ねえ、ハマちゃん?」
リュウが無邪気に雄吾に聞く。リュウもまた、つとめて明るく振る舞っていた。自分はもうすぐ自由の身でなくなる。でも、それに対する切なさや遣る瀬無さを感じさせないようにしていた。
「大学卒業したら、また会ってくれるかな?友達としてでもいいから」
「当たり前だろ。いつでも連絡して来いよ」
雄吾は念のため、自宅の番号をメモし、リュウに渡した。
それからしばらくは、抜け殻のようになっていた雄吾だった。リュウがいなくなったことに対する喪失感は、思った以上に大きかった。その喪失感から、店を二回ほど休んでしまった。告白などされなければ、そこまで喪失感は大きくなかったかもしれない。雄吾はリュウのことが好きだったかと言われれば、それは分からない。告白というのは、するのも勇気がいるが、されるのもまた大変だ。望むと望まざるとにかかわらず、相手の思いを受け取ることになる。本当に好きなら、それも受け止められるだろう。リュウが大学を卒業するまで待ってみることもできるかもしれない。しかし、雄吾は今、リュウの気持ちを持て余していた。迷惑というのではない。ただ、告白されたのが初めてで、自分にその価値はないと思っていたところに降って湧いた話であり、リュウの気持ちと同時に、自分自身を持て余してもいた。リュウに好きになってもらうような人間なのか、と。
あまり店を続けて休むわけにもいかず、一週間後にようやく出勤した。気が付けば夏休みも終わりに近づいている。夏休みが終われば、リュウも本当に店を去ることになるのだ。しかし、久々に出勤した雄吾に、さらに追い打ちをかけるようなニュースが飛び込んできた。 店のボーイの一人が横にいる別のボーイと世間話をしていたのだが、
「そういえばさあ、木村さんって捕まっちゃったらしいよ」
「ああ、ヤクザ系のイベント会社の人ね。この界隈にクスリ卸してたんだよね。○○や××って店の従業員が顧客だったとか。じゃ、その子達もヤバいじゃん」
「いや。××の子が先に捕まって、ゲロったって話だけど」
「えー、怖い」
「でさ、一緒にいた女も捕まったらしいんだけど、まだ十七歳だって」
「へえ。若いのにね。変な男に騙されちゃったんだね」
雄吾はそこまで話を聞いてピンときた。その十七歳の女って、弘子だ。弘子の彼氏、というか、籍が入っているので正確には夫だが、彼の名前は確か木村、ヤクザ系のイベント会社―全て共通している。しかも、弘子とはここしばらく連絡が取れていない。おそらく、木村さんと弘子が捕まったということで間違いないだろう、と雄吾は思った。弘子と木村さんと三人でお茶をした時に、「ヤバい仕事している」みたいなことを言っていたが、クスリ関係だったのか。以前、三人で会った時、木村さんは「ヤバい物を扱っている」みたいなことを堂々と話していたので、おそらく弘子もそのことは知っているのだろうが、まさか弘子にまでそんなものに手を染めさせていたのかと思うと、雄吾は腹立たしくなった。弘子は「やっと幸せを見つけた」と言ってたのに…。
その時、ふと雄吾は思った。弘子が捕まったとすれば、自分のこともばれるのではないかと。手帳か何かに、雄吾の電話番号を書いていたとすれば、警察から何か連絡があってもおかしくないし、ひょっとしたらもう既に雄吾のことを調べているかもしれない。未成年がこんなところで働いてるとなれば、自分だけでなく、店や家族にも迷惑がかかってしまう。雄吾は「体調がまだすぐれない」とマネージャーに告げ、結局その日も仕事をせずに早退した。
「まずい…色んな意味で本格的にまずい…」
自分の部屋のベッドに横たわりながら、雄吾はつぶやいていた。
弘子から連絡があったのは、それから二日後のことだった。雄吾は電話に出るや否や「大丈夫だったか?」と聞いてしまった。
「そう聞くってことは、あんたも知ってんのね。私は大丈夫だったみたい。尿検査もシロだったし…。ま、使ってないから当たり前だけどね。販売にも関わってないってことで、釈放されたわ」
雄吾は胸をなでおろした。
「じゃ、ハナコは何もしてないんだね?」
雄吾は弘子のことを、「ハナコ」と呼んでいた。名字の「花岡」から来ている。
「そう。本当は一度だけ取引に同行したことはあったけど…でも、あの人は基本的にあたしにそういうことはさせなかった。前から言われてたの。『もしパクられても、私は何も知らないって言え』とね。事実本当に知らないの。扱ってるってことしか」
やっぱり木村さんは悪い人じゃない、雄吾はそう確信した。いや、もっとも初めからそんな商売をするべきではないと言われればそれまでだが、彼には彼なりの何か思うところや特別な事情があるのだろう。でも、最低限弘子を巻き込まないという線だけは、守っているようだということで、雄吾は少し安心した。
「とにかく私はもう大丈夫。こうやって連絡できるくらいにはなったし。もうあんたにも多分迷惑はかけないよ」
「そっか…ま、でも無理すんなよ」
「そういうわけにもいかない。あたしの帰る場所はここしかないし、あの人の帰りを待つのがあたしの役目だから」
弘子は腹を括っていた。あの人にどこまでもついて行く、まるで演歌の世界の女だ。ともすると時代遅れに見られるだろうが、雄吾にはそんな弘子がとてもカッコよく見えた。自分もこんな女と一緒になりたい。そんなことを考えながら、雄吾は弘子の話を聞いていた。
弘子の電話を切った後、雄吾は急に現実に戻されたような気がしていた。リュウも弘子も同い年だが、自分の人生のために腹を括っている。自分も腹を括るとはいかないまでも、せめて今後の人生についてだけでも真剣に考えなきゃ―そう考えていると、ふと机の上の紙に目が行った。「進路希望報告書」だ。夏休み前に学校からもらい、新学期の初めに提出しなければならない。それまで漠然としか考えていなかった自分の進路について、一応の希望を見せる時が来たのだ。
「東京の大学…」
雄吾はつぶやいた。地元にはあまりいい思い出もない。どこか知らない土地で新しく人生をスタートさせたいという気持ちは常々持っていた。そこで改めて気になったのが、法子のことだ。法子は高校から東京に行っている。なぜそうしたのか聞いたことはあるが、うまくはぐらかされていた。世間話程度のことであれば別にそれでも構わないが、自分の進路と関係があるとなれば話は別だ。高校から地元を出て東京に行けるなんて、どうやって親を説得したのか、どんな理由だからOKが出たのか、ぜひとも参考にしたいところだ。もっとも、地元を離れて東京に出るなら、高校からよりは大学からの方がずっとハードルが低いから、説得自体は楽だろうが。今日こそ本当のことを聞きたい。そう思って雄吾は姉に電話をした。
法子はすぐに出た。家にいるとのことだった。
「あ、姉ちゃん?実は相談があるんだけど…」
雄吾の問いかけに、何?と法子が答えた後、雄吾はちょっとだけ呼吸を落ち着け、話した。
「あのさ、今日こそ本当のこと教えて欲しいんだけど」
「何よ、声怖いよ。気合入り過ぎ」
「何で東京の高校に行ったの?どうやって父さん母さん説得したんだよ?」
やはり沈黙ができた。これは雄吾の想定内である。雄吾は臆することなく続けた。
「俺も進路希望出さなきゃいけなくてさ。東京の大学行きたいなと思って。まあ、大学から東京って方が、高校からよりはハードル低いだろうけど、父さん母さん説得する時の何か参考になるかなと思って」
すると法子が口を開いた。どこか安心したような口調で。
「そうか…そういうことね。雄吾もそんな歳になったか」
「ごまかすなよ。こっちは真剣なんだから」
またしばし沈黙があり、それから思い切ったような法子の声が聞こえてきた。
「あ…アイドルになりたかったの、私」
「は?」
あまりにも意外な答えに、雄吾は一瞬言葉を失った。
「だから…アイドルになりたかったの!あんまり何回も言わせないでね。私だってもう忘れたい過去なんだから。高校の間に芽が出なかったら諦めるって約束で…。芽は出なかったけど、大学の推薦は受けたから、そのまま東京の大学に進学はしたけど」
雄吾は何と返したらいいのか分からなかった。ただ、どうやら参考にならないことだけは分かった。アイドルの音楽は好きだが、自分が芸能人になろうと思ったことはない。
「へえ…そうだったんだ。でも、よく父さん母さんが許したね」
そう答えるのが精一杯だった。
「まあ、土下座もしたしね。はい!もうこの話は終わり!私よりあんたの方が絶対説得しやすいと思うよ。普通に大学に行きたいってだけなら、OKしてくれるんじゃない?」
法子はこの話をとにかく早く終わらせようとしていた。これ以上聞くのは無理だと悟った雄吾は「分かった、ありがとう」とだけ言って電話を切った。
何とも拍子抜けするような答えではあったが、それが本当であるならば、隠したい過去というのも分からなくはない。しかし、雄吾にはどこか引っかかる部分もあった。法子は確かに弟の雄吾から見ても、結構美人だとは思う。その気になれば、アイドルや芸能人にもなれないことはないだろう。しかし、そのためだけにわざわざ東京に行くのだろうか?雄吾たちの地元も一応政令指定都市だし、地元出身のアイドルや芸能人も少なくない。芸能スクールや地元の劇団だってあるし、そこからスターになった人も結構いる。所属事務所が決まっていたとかならともかく、何の保障もないアイドル志望の娘を、果たして父や母が東京に送り出すのだろうか?それ以前に、法子はそこまで向こう見ずな人間なのか?やはり雄吾には、法子のその答えには、納得し切れなかった。
その夜、法子はある男性に電話をしていた。
「あ、もしもし…私。今日、雄吾に何で東京の高校に進学したのかまた聞かれちゃって…いつもならごまかすんだけど、今度は自分の進路に関わるからごまかすなって言われたの。…うん、もちろん適当に話作っといたけど、何か納得してない感じだった。ねえ、そろそろ本当のこと言った方がいいんじゃない?私もいつまでごまかせるか…」
法子がそう言うと、相手の男性が答える。
「ああ…そうだな。分かった。ちょっと叔父さんにも相談してみるよ」
夏休みも最後の一週間になった。雄吾は、バイトには結局、弘子の話を聞いて早退した日以来行っていない。マネージャーには「しばらく休ませてください」と連絡していた。出勤日数が少ない割には人気のボーイだっただけに、マネージャーも残念そうだったが、別に借金があるわけでも、店の寮に住んでいるわけでもないので、強制するわけにはいかない、と休暇を快諾してくれた。雄吾は夏休みいっぱいくらいまでは出勤する気はなかった。弘子や木村さんの件で警察がまだ動いているかもしれないという不安もあったし、リュウがいなくなって、気が抜けてしまっていたこともあった。この数か月は、今までの雄吾の人生の中でも、非常に濃い数か月であった。それまで、ごく平凡な高校生として生きていたのが、いきなり劇場の舞台の真ん中に放り出されたような気分だった。いや、劇場はどっちだろう。むしろ芝居をしていたのはそれまでで、今の方が自分に正直に生きている気がした。このまま、九月から普通の高校生に戻れるのか―
進路の件、つまり東京の大学に行きたい、ということについては、雄吾はまだ両親に話していなかった。法子はすんなり許してくれると言っていたが、そうではないような気もしていた。以前母親に「雄ちゃんは地元の国立大に行くのよね?」みたいなことを言われたからだ。その時は特に何も考えず「そうだね」と答えたが、その時の母の言葉が、少なくとも母親に関しては、偽らざる本音だろう。法子のセリフを完全に信じているわけではないが、理由はどうあれ、長女に高校から地元を離れさせ、東京に進学させたことに対する後悔もあるのかもしれない。
大学の件についていつ親に話そうか考えていると、PHSに着信があった。法子からだ。雄吾が出ると、法子は何やら深刻そうな声で雄吾に話した。
「あ、今大丈夫?あの…今度の土曜って、うち来れる?」
考えてみれば、雄吾が行きたいと言って法子の家を訪ねることはあっても、法子の方から誘ってきたことはなかった。雄吾は今、改めてそれに気が付いたのだった。
「うん…別に暇だけど…姉ちゃんから誘ってくるのって、珍しくない?」
「そうかな?まあ、いいじゃん。で、ちょっと話したいことがあるんだけど…」
法子の声に緊迫感がある。何か重大なことなのだろうというのは分かったが、雰囲気に呑まれたくなくて、雄吾はあえておどけて見せた。
「何だよ、深刻ぶって。またあの話?アイドルになりたかったとかそういう」
しかし、法子はそれには乗らず、口調を変えずに返答した。、
「まあ…それならいいんだけどね。とにかく来れるんだったら来て。二時で大丈夫かな?」
法子が雄吾のおどけに乗らなかったので、雄吾もまじめに答えるよりほかなかった。
「分かったよ。じゃ、二時に」
「うん。よろしく」
法子のいつになく真剣な口調に雄吾は若干の動揺を覚えた。話って、何だろう。おそらく、法子が東京に行った本当の理由が話されるのだろうと雄吾は思った。それにしても、口調が重い。「それならいいんだけど」という発言から察するに、法子が東京の高校に進学した理由には、何か大きな裏がありそうだ。アイドルになりたかったというのが仮に本当だとしても、単純にアイドルに憧れてたとかそういう理由ではないのだろう。東京に行かざるを得なくなった、というか、「故郷を離れなければならなかった」ということの方が近いのかもしれない。法子は一体、何を背負っているのだろう―雄吾にとっては、聞きたいような聞きたくないような、そんな話であった。
土曜日、雄吾は約束通り二時に法子の部屋を訪ねた。その際、玄関に男物の靴が二足あることに気づいた。
何なんだ、これは―話があるというのは、どうも法子だけに関係することではないのか。どうやら思った以上にややこしい話があるようで、少し怖くなっていた。そしてリビングに入ると、意外な人物が二人いて、雄吾は驚きと同時に、ますます訳が分からなくなっていた。