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芝居が終わる時  作者: 井嶋一人
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 ある日、店に三十歳くらいのサラリーマンが客としてやってきた。その客が店に入り、雄吾を一瞥するとすぐに指名し、連れ出した。しかし、ホテルやその人の家には行かず、まず一緒に食事をしよう、とその客は誘った。何か好きなものはあるか、と聞かれ、雄吾は中華料理が好きです、と答えると、その客は雄吾を近くの中華料理屋に誘った。彼は長山丈雄と名乗った。それから食事をしつつも、なぜか黙ったままで話をしない。緊張しているのかと思った雄吾は、色々話題を振ってみるが、生返事をするだけで、どうにも会話が弾まない。結局ほとんど会話らしい会話もないまま、食事が済んだ。ようやくホテルかと思ったが、残りの時間があと四十五分しかなかった。雄吾はそのことを長山に告げると、今度は雄吾を近くのゲームセンターに連れて行き、二人でゲームを楽しんだ。といっても、雄吾がゲーム興じる姿を長山が見守っているだけであったが。そうこうしているうちに、既定の時間が来てしまい、そのまま別れた。別れ際に、チップだといって長山は雄吾に五千円渡した。

 長山は今までにいなかったようなタイプの客であった。性行為どころか、裸にもならず、いわゆるごく普通のデートのみ。確かに楽ではあったが、雄吾はもしかしたら何か気に入らないことをしてしまって、嫌われたのだろうか、と不安になった。そのことをマネージャーに相談すると、性行為なし、服を着たままでもいいという指名も、実は珍しくはないという。体だけの関係より、恋愛気分を味わいたいお客さんもいるそうで、そういう客は、初めての指名では性行為を行わないそうだ。

「また近いうちに指名あるよ、絶対に」

マネージャーは強調するように言った。しかし、

「でも、あのお客さん、どっかで見たことあるような気がする。まあ、あのくらいの歳なら、どこかしらで見ててもおかしくないけどね。この世界は狭いから。それにしても、どこでうちのこと知ったのかしら」

マネージャーがそう言った時、雄吾の胸にはある種の不安が芽生えていた。もしかしたら警察かもしれない、未成年が働いているという情報をどこかで掴んで、客の振りをして来ているのではないかと。雄吾はそうマネージャーに話してみた。

「あり得なくはないね。一応気をつけた方がいいかも。でも、ほとんど会話もなかったんでしょ?ならその可能性は低いと思うよ。警察ならいろいろ探りを入れてくるはずだし。それに、もし警察だったら、僕も臭いを感じるはずだから。僕も一応この世界長いし、そういう場面にも出くわしたことはあるからね」

そうあっさりと言った。この世界長いと言うが、実は雄吾は、マネージャーが何歳なのか知らなかった。見た目は二十三、四という感じだが、よく見ると目尻の辺りにちょっと皺もあり、実際のところはもう少し上のように感じさせるところもある。また、「この世界長い」の「長い」が具体的にどのくらいを指すのか個人差はあるだろうが、どっしりした貫禄も備えており、少なくとも十年はこういう世界にいるような雰囲気を醸し出していた。しかし店では、マネージャーの年齢については「禁句」らしく、雄吾が誰かに聞こうとすると、口の前に人差し指を当て、「秘密」という合図を送るのだった。


 さて、その一週間後もまた、長山という男は雄吾を指名した。今度は雄吾は長山の自宅マンションに連れて行かれた。軽く店屋物の食事をとった後、長山は雄吾に「一緒に風呂に入ろう」と誘った。二回目でセックスか、と思いきや、本当に風呂に入って、背中を流したりしただけで、またセックス無しだった。おまけに会話もほとんどなかった。そしてまた帰りにチップだと言って五千円雄吾に渡した。もはや雄吾も何が何だか訳が分からず、またマネージャーに相談すると

「うーん。もしかしたら本気で惚れちゃったのかねえ。そうなると、それはそれでめんどくさいね。付きまとわれたりするかもよ」

雄吾には、長山がそんな粘着質なタイプには見えなかったが、人を見る目ということで言ったら、人生経験豊富なマネージャーの方が確かだろう。雄吾は、ちょっと長山に対して警戒心を抱くようになってしまった。

 

それから二日後のことだった。雄吾が学校から家に帰ると、母親が何やら深刻そうな顔をして、ダイニングチェアに座っていた。雄吾が「ただいま」と声を掛けると、母親は気持ちのない声で「おかえり」と返してきた。いったい何があったのか、と雄吾が聞いた時、母親がテーブルの上の封筒と、現金十万円を見ながら首を傾げていた。

「お母さん、何なのこのお金?」

「うん…法子が送ってきたの。でもねえ…なんでこんなもの送ってきたのか、全く見当が付かないのよね…。あの子、今までうちに仕送りなんてしてきたことなかったのに」

「電話で聞いてみれば」

「うん、聞いてみたけど、『まあ、いいからいいから』としか言わないのよ。うちも別に困ってるわけじゃないし…もらうのも悪いし、どうしようかなと思って」

ふーん、と雄吾は興味なさげに答えた。自分が聞いてあげようか、と言おうとしたが、それでは雄吾と法子が親しくしていることがばれてしまう。いや、別に姉弟が会うくらいいいだろう、と思うかもしれないが、母親はなぜか、雄吾と法子が親しくするのを快く思っていない節がある。以前、何気なく、雄吾が法子の連絡先を聞いた時、教えてくれはしたものの、母親はものすごく嫌そうな感じであった。なぜそんなに嫌そうにするのか、雄吾には理解できなかった。母親と法子の間には、やはり何か確執がありそうだ。雄吾は、母親と法子の関係について、ちょっと詮索してみたくなった。


 その次の週末、雄吾は法子のところに行った。母親との確執も気になっていたが、まずは十万円の謎について聞くためにきたのだ。そこから確執のヒントが得られることも期待はしていたが。結局、あの十万円は、しばらくそのまま保管しておくことになった。確かに必要なお金ではないが、せっかく送ってくれたものを返すのも申し訳ないと思った母親は、その十万をどうするか、考えが決まるまで様子を見ることにしたのだった。

 雄吾が十万のことについて法子に聞くと、法子は逆に質問をしてきた。

「ねえ…家、大丈夫?」

雄吾は、姉の予期せぬ質問に、ちょっと驚いた。法子はどうやら、実家で何かがあって、それでお金が必要だと思っていたようだった。

「大丈夫って…何が?」

雄吾には特に心当りもない。

「お父さんとか…本当にちゃんと会社行ってる?ほら、最近不景気でリストラされるってよく聞くでしょ?要はクビってことだけど、でも、それを家族に言い出せなくて、いつものように出勤するけど、実は会社に行かずに他の場所で時間をつぶしてるっていう…」

そういう話は、雄吾もテレビで見て知っていた。しかし、自分の父親がそうだとは考えたことがなかった。父親は確かに普段通り出勤しているし、帰る時間はまちまちだが、それほど以前と変わった様子もない。

「どうだろう…。もしかして姉ちゃん、お父さんがどっかで時間つぶしてるの見た?」

「ううん、そうじゃないけど…何もないなら別にいいわ」

法子もそれ以上は聞かなかった。雄吾は、法子がなぜそんなことを考えたのか、全く見当が付かなかった。一つだけあるとすれば、雄吾のバイトの件だ。家庭が困窮しているから、息子がああいう店でバイトをしなければいけなくなったと考えるのは理に適ってはいる。ただ、非常に特殊な環境でのバイトゆえに、ばれたとは考えにくい。あるいは、実は今まで来た客の中に、法子の知り合いがいたのだろうか。可能性はゼロではないだろうが、弟である雄吾の顔まで知っている知人がいるとは到底思えない。おそらく、何らかの間違った情報が法子の耳に入ったのだろうということで納得させたが、雄吾は何となくすっきりしない気持ちのまま、その日は法子と別れた。


 その次の出勤日、また長山は雄吾を指名した。その日はピザレストランで食事をした後、カラオケボックスに行くことになった。またしてもセックス無しの指名に、雄吾は違和感を覚え、思い切って聞いてみることにした。

「あの…どうして何もしないんですか?」

それに対する長山の答えは意外なものだった。

「あ…実は僕、ゲイじゃないんだ」

その言葉を聞いて、雄吾もあっさり「そうですか」とは言えなかった、第一雄吾が勤めている店は、ゲイの男性が男の子を買う店だ。所帯を持ちつつも、その気がある男性や、まれに女性客はいるが、全くその気のない男性はまず来ない。雄吾は訳が分からなくなった。

「じゃ、どうしてうちの店に?」

雄吾はふと、「警察かもしれない」という考えが浮かんだ。ただ、仮に警察だとしても、自ら「警察だ」の名乗るかどうかはわからないが、とりあえず何か聞いておいて、その話の内容について、後でマネージャーに確認すれば、マネージャーなら、警察かどうか分かるかもしれない。雄吾がそう考えていると、長山は照れながらこのように答えた。

「実は、弟がいてね。十年前に亡くなったけど…。弟は病気がちで、子供の頃から入退院を繰り返してたよ。中学もほとんど行ってなくて、高校にも行けなかった…。いつも病室でさ、元気になったら遊びに連れてってくれって、そればっか言ってて。でも結局、実現しないまま亡くなっちゃったんだよ。そのことがずっと引っかかっててね。で、ある日、たまたま会社の飲み会の帰りに、店から出てきた君を見て…びっくりしたよ。弟にそっくりでさ。それで日を改めて店に行ったら、どうもそういう店だって分かって、入るの躊躇ったけど、弟にしてやれなかったことを君に出来ればいいなと思って、思い切って入ってみたってわけさ」

「なるほど…そうだったんですか。すみません、変なこと聞いちゃって」

雄吾も、長山のこの話を完全に信じたわけではない。ちょっと出来過ぎている気もしたし、それこそ身の上話から自分の本当の年齢を聞き出そうとする警察の手段かもしれないという気もしたからだ。ただ、長山と雄吾は目元など、顔立ちがどことなく似ており、雄吾もそのことには気が付いていた。雄吾が長山の亡くなった弟にそっくりなら、雄吾と長山も似ていて当然だ。長山の話はあながち嘘でもないのかもしれない、と雄吾は思った。それから長山は、このように続けた。

「ね、君『ハマ』って源氏名だったよね?それって下の名前由来じゃないよね?本当は下の名前なんていうの?」

来た。雄吾はやはり身元調査かもしれないと思い、薄れていた警戒感が再びよみがえってきた。

「あ、すみません。規則でそういうことは答えられないんです」

一応、ボーイ個人の情報は客に伝えてはいけないという暗黙の了解のようなものはあったので、雄吾はそれに従ってそう答えた。すると長山は

「じゃ、僕と会う時だけ、君を『ハル』って呼んでもいいかな?弟が『晴彦』って名前で、いつも『ハル』って呼んでたから」

「はあ、それは別に構いませんが」

確かにそういう規則はなかったはずなので、それは了解した。以後、長山の前では雄吾は「ハル」という名の、彼の弟を演じることになったのだ。こうして、長山は雄吾の固定客になった。


店に戻り、そのことをマネージャーに話すと、

「まあ、亡くなった息子の代わりを求めてボーイを買いに来る客はいたから、それの弟バージョンってことかね。弟に対してそこまで思い入れを持つってのはちょっとあれだけど、ずっと病気だったとかなら分からないでもないな。もっとも、僕にも弟がいるけど、そこまでの思いはないね。『コイツ、死ねばいいのに』って思ったことはしょっちゅうだけど」

雄吾には姉がいるが、物心ついた頃から別れてくらしていたので、実質一人っ子みたいなものだ。なので、そうした感覚はわかりづらい。でも、最後にマネージャーは一応こう付け加えた。

「個人的な情報は、教えないほうがいいよ」


      




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