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芝居が終わる時  作者: 井嶋一人
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 面接のその日から雄吾のボーイ生活が始まった。基本的な出勤日は火曜と金曜。土曜日曜は状況を見て決め、他の日でも指名が入って、予定がなければそれに応じるということになった。高校生なので泊まりは無理、九時退勤ということだが、雄吾の店では最低コースが一時間半なので、遅くとも七時半までに指名がなければ、そのまま帰宅、その日は「お茶を出す」、つまり、指名なしでギャラもなしということだ。両親には、大けがをして入院している友達の代わりに、ファミレスでバイトしている、ということにしている。一応、大けがをして入院し、バイトを休業しているクラスメイトがいるというのは嘘ではない。しかし、代打をしているのは雄吾ではなく、別の友人だ。ある程度まで事実に基づいた嘘は、意外にばれにくいものだ。突っ込まれても、余程詳細な突っ込みでない限り、きちんと返答できるからだ。もちろん、現場に行かれたり、電話などをされたらアウトだが、友人の名前や店の名前まではっきり出しておけば、普通は疑われない。中途半端に隠すから疑われるのであって、出せるところまでは出す、これが嘘がばれにくい秘訣だということを雄吾は経験から知っていた。もっとも、こうした親からの信用は、雄吾がこれまで両親の前で「いい子」を演じてきたことの結果だろう。この時は、中学時代に変に親に反抗しないでよかったと、心から思った。とはいえ、さすがに朝帰りするとなるとやはりまずいだろうから、遅くても十時くらいまでに帰っておけば、特に何も言われないだろうと、雄吾は踏んでいた。


元々、雄吾の両親は、門限などについてはそれほど厳しいわけではなかったが、ただ、男女交際については、やたら神経を尖らせていた。小学校高学年くらいから、父親も母親も「好きな女の子はいるのか」とかしょっちゅう聞いてきていた。中学校に入ってからはさらに聞いてくるようになり、外出するたびに、「女の子とデートするのか」と言われ、さらに「女の子の手を握ったことはあるのか」とか「キスをしたことはあるのか」とか生々しいことまで聞いてくるので、正直うんざりしていた。また、女の子からもらった手紙が両親に見つかり、ビリビリに破られて、あてつけのように勉強机に置かれてあったこともある。別にその子とどうのこうのというのはなく、単に「好きです」みたいなことが書かれたに過ぎないものであった。もちろん雄吾はその子に対しては何の感情も持っておらず、断りの返事をしようと思っていたのだった。先に述べた通り、雄吾は女の子と付き合ったことはおろか、女の子を好きになったことすらあったかどうかも怪しかった。雄吾が恋愛にあまり興味を持てなかったのも、こうした両親の過剰な干渉が影響していたのかもしれない。高校生になってからは、若干落ち着いてきていたが、それでも、女の子から電話がかかってきたりすると、両親の顔色が変わるのが見て取れた。一体男女交際の何をそんなに恐れているのか、雄吾には不可解であった。


 さて、雄吾がボーイになってから数週間が経ち、ぼちぼち指名も取れ、固定客もつきそうな感じであった。最初の日はさすがに指名はつかなかったが、二日目は出勤するや否や、さっそく指名があった。マネージャーの旧知の友人で、ゲイバーのマスターだった。それからしばらく勤務しているうちに、色々なことが雄吾にも分かってきた。夕方の時間は、ゲイバーのマスターや従業員の指名が多い。出勤前に一発やっていこうということだ。しかし、彼らの場合、新人が来れば必ず指名する「ご祝儀指名」というケースが多く、固定客としては定着しにくい。やはり固定客を掴むなら、普通のサラリーマンなどがいい。また、社長とか不動産のオーナー、あるいは著名人などなら、多額のお金を落としてくれる太客になる可能性もある。ボーイの中には、そういう太客に「身請け」をしてもらうことを望んでいる者も少なくない。ただ、彼らは単に「主夫」になりたがっているわけではなく、店を出したいとか、芸能界にデビューしたいとか、それなりに夢を持っている。彼らの夢を後押ししてくれるスポンサーを見付けに来ていると言っても過言ではない。雄吾には具体的な夢はなく、「とりあえず権力者と知り合いたい」という気持ちであったが、他のボーイたちが真剣に夢を語る姿を見て、自分の動機の不純さが恥ずかしくなることもあった。もちろん、単にその日暮らしの金目当てのボーイもいることはいるが。しかし、動機とボーイの人気とはあまり関係はない。ルックスがよく、テクニックがあり、その上気遣いが出来れば、日銭目当てだろうが、大きな夢があろうが、売れる子は売れるし、ダメな子はダメだ。世の中大事なのは、「心」ではなく、結局のところ「技術」なのかもしれない。確かに技術を磨くには、ある程度の心も必要なのだろうが、いくら心、心と言ってみたところで、やることが出来なければどうにもならない―これが雄吾がこの店で学んだ初めてのことであった。     

もちろん、それだけでなく、サービスの心得みたいなものも学んだと、雄吾は思っている。「お客さんに満足してもらう」というのは、どの仕事でも同じだ。それをこの年齢で学べたことは大きな収穫だったと雄吾は思った。部活でいくらチームのため、部のため、と言っても、結局皆どこかで自分が一番、という部活の世界では相手に喜んでもらうということは学べなかったであろう。加えて、雄吾の店は、ボーイの採用が実はかなり厳しかった。雄吾は割とすんなり採用されたが、雄吾が入った後には、ルックスもそこそこであったにもかかわらず、採用されずに落とされた子や、「ケツは必須。出来ないなら雇えない」みたいなことを言われていた子もいた。雄吾の採用は、かなりラッキーだったようだ。そんなところから、雄吾は自分自身にちょっと自信が持てるようになってきていた。

 

客にも色々あって、必ずしもセックス目当てとは限らない。ある日雄吾は、それまでとはちょっとタイプの違う客と接することになった。雄吾が店に行くと、マネージャーが次のように告げた。

「ねえ、ハマちゃん。出張お願いできるかな?サザンホテルのプチスイート二三三七号なんだけど」

出張もやっているというのは知っていた。しかも、サザンホテルといえば、付近でも高級なホテルである。プチスイートというのが若干中途半端な気もしたが、まあ、サザンホテルに泊まるくらいだから、そこそこ金は持ってるだろう。雄吾は期待してホテルへと向かった。

 

ホテルに着くと、一人の中年男性が雄吾を待っていた。しかし、浅黒いスポーツマンタイプで、おじさん扱いするのが少し憚られる感じがした。彼は東京の美術系専門学校の講師だと言った。それで、雄吾を指名した目的はセックスではなく、雄吾にヌードデッサンのモデルになってほしいという。初めての経験に雄吾は戸惑ったが、たまにはこういうのもいいかなと割り切って、モデルになることを快諾した。そのまま着ているものをすべて脱ぎ、いくつかポーズをとった。一枚デッサンするごとに、その男性は雄吾に描いたものを見せた。自分の全裸を、絵でとはいえ見るのは、実際に人前で裸になるよりも恥ずかしい感じがした。

「こんなに君は素敵なんだよ」

とその男性は言ったが、雄吾は返答に困り、

「いえいえ、とんでもないです」

と答えるしかなかった。

 デッサンの時間が終わり、雄吾が服を着ようとすると、その男性は

「そのままでいてくれ」と言ってきた。モデルをやってる時はともかく、素でいる時に自分は全裸、相手は着衣というシチュエーションに何だか違和感と恥ずかしさがあったが、独特の開放感とエロさとが入り混じった感覚もあり、何だか快感であった。雄吾はふと、他にどんなモデルを書いてきたのか見たくなり、その男性に過去の作品を見せて欲しいと頼んでみた。すると彼は一冊のスケッチブックをカバンから取り出し、雄吾に見せた。見ると、どうも全員同じモデルのようだ。しかも、そのモデルの顔にはどことなく見覚えがあった。誰だろう、と雄吾が思いを巡らせていると、その男性は言った。

「それ、今人気急上昇中の俳優、武俊樹の中学時代だよ。あいつは俺の甥なんだ」

あ、そうか、と雄吾は思った。道理で顔に見覚えがあるわけだと納得した。同時に、雄吾にとって、この男性が初めて当たった有名人とつながりのある人物ということもあり、妙に興奮していた。雄吾はその男性に聞いた。

「高校時代以降の絵はないんですか?」

するとその男性は、寂しげな目をして答えた。

「ああ…ちょっと色々あってさ。中学以降交流がなくなったんだ。それからつい二年ほど前まで全然会ってなかったんだよ。今も全然」

雄吾はちょっとがっかりした。その程度の付き合いなら、紹介してもらうのは難しいだろう。クラスの女の子に武俊樹のファンがいたので、サインぐらい欲しかったが、この様子では無理っぽい。しかし、このバイトをしていれば、やっぱりそういう有名人とつながりのある人物に遭遇できるのだと思い、新たな希望も生まれた。

「大変なんですね。でも、もし機会があれば武さん紹介してくださいね」

雄吾はあくまで社交辞令ですよ、ということを強調するように言った。本気で頼んだら、相手は引くだろう、と思ったが、ほんの少しは期待もあったのだ。男性は、そうだね、機会があれば、と淡々と答えた。社交辞令には社交辞令で、ということなのだろうか。いずれにせよ、その場は丸く収め、雄吾はホテルを後にした。

 雄吾にとっては、「初めてずくめ」の一日であった。


 その次の出勤日、また出張の指名があった。同じサザンホテルだが、今度は正真正銘のスイート、それもプレミアムスイートという、さらにワンランク上の部屋らしい。いよいよVIPの真打登場か、と雄吾は胸を躍らせホテルに向かった。しかし、部屋のドアを開けて中に入ると、意外な人物がいた。

 最初に見た時は、「どこかで見たような」というレベルであったが、顔を見ているうちに、だんだん思い出してきた。そうだ、この顔はまさしく、あの国会議員先生の増田弘彦氏であった。同級生、増田昭則の父親である。これには驚きを隠せなかった。まず、国会議員の先生が雄吾を指名したこと、そしてそれが自分の同級生の父親であることに。ついでに言うと、結婚して子供がいても、女性ではなく男性が好きな男もいるのだということにも。確かに日本の、武士や僧侶の世界では、男色が流行っていたというのは、結構有名な話だ。そうした伝統が今も息づいているということなのだろうか。とにかく、ちょっと驚きの表情で増田先生を見つめる雄吾に、先生は優しくこう言った。

「僕の顔、知ってるのかい?」

雄吾はどう答えるか迷った。有名人の場合、「○○さんですよね?」と聞かれ、ちやほやされたがるタイプと、逆に、それを嫌がるタイプとがいて、出張などで有名人ところの派遣される時、特に後者の場合は事前に「絶対に○○さんですか?と聞かないように」と注意される。この先生の場合はどうなのだろうか、と雄吾は考えたのだ。事前に釘を刺されていないところを見ると、少なくとも「○○さんですか?」と聞いてはいけない人ではなさそうだ。しかし、国会議員の場合、大臣とかでない限り、顔まで知っているケースは多くないから、単に聞かれることが少ないだけで、本当は嫌なのかもしれない。そう思い、ここは特にコメントはせず、相手の質問に答えるにとどめておこう、と考え、「ええ、まあ」とだけ答えた。すると増田先生は

「まあ、あちこちに写真も出てるし、仕方ないか」

と答えた。おそらく、積極的にちやほやされたいわけではないが、ばれても別に構わない、という感じなのだろう。それから軽く談笑したあと、シャワーを浴びて本番へと突入した。先生とのセックスは、至って普通のものだった。有名人は変態が多い、というような噂を聞いたことがあるので、雄吾は若干不安だったが、先生の場合、多少ねちっこい感じはあったものの、変態というほどのものではなかった。

 先生は、雄吾のことを気に入ったらしく、行為が終わったあとも、ずっと雄吾に腕枕をしていた。普段なら、行為が終わればすぐシャワーを浴びさせ、チップを渡して帰らせるのだが、なぜかそうしたくなかった。

「この少年の力になりたい」

そうした気持ちが、先生の中に芽生えてきていた。

「君…何か欲しい物はないのかね?」

先生は雄吾の耳元でささやいた。雄吾は予期せぬ言葉に戸惑った。ここ数年は、親からですらほとんど聞いたことがない言葉だ。「欲しい物」と言われても、特に何も思いつかない。すぐに返事をしない雄吾に対し、先生はやさしく語りかけた。

「わからないか?じゃあ、次に会う時までに考えておいてくれ」

「次…があるんですか」

雄吾はまだ店に入って日が浅いせいもあるだろうが、「また次よろしく」と言われて、その「次」があったことがまだ一度もない。こんな太客がリピーターになってくれるなら、願ったりかなったりだ。「次があるのか」―雄吾は何気なく聞いたが、先生にはそれが甘えているように見えて、ますます雄吾にはまっていった。

「もちろんだよ。君は魅力的だから」

そう言われて雄吾は嬉しかったが、よくよく考えれば、高校の同級生の父親である。今の会話を録音して聞かせたら、息子である増田昭則はどう思うのだろうか。ちょっと興味が湧いてきた。二人の会話で録音してみるか、と雄吾は思った。別にそれで脅したりするつもりはなかったが、奴の動揺する顔くらいは見てみたい気もしていた。しかし、それをやってしまうと、自分も十八歳未満でそういうところで働いているということがばれてしまうかもしれない。「知り合いにもらった」とか、言い訳はいくらでもできるが、疑いは持たれてしまうだろう。雄吾は録音を諦め、他の何かを考えることにした。





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