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芝居が終わる時  作者: 井嶋一人
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※ボーイズラブがキーワードになっていますが、激しい性描写はなく、登場人物を取り巻く環境として出てくるに過ぎません。

                 1

 

濱口雄吾はその日、珍しく定時で退勤していた。久々に友人との待ち合せがあったのだ。その友人と会うのは二十年振りくらいだろうか。もっとも、友人と平日に待ち合わせということ自体、数年振りかもしれない。雄吾は二週間前に離婚したばかりだった。そうした開放感もあったのだろう。最近は家に帰る足取りも軽い。約五年の結婚生活―短いようにも見えるが、振り返ってみると、やはり長かった。友人の紹介という名目の、実質的には「お見合い」で知り合い、二年の交際を経て結婚した。食事の好みや、映画やドラマ、また「笑い」のツボが同じであったこと、専業主婦を希望していなかったことなどが互いの希望にはまり、交際から結婚までは割とトントン拍子だった。結婚後も、雄吾は家事もすすんでやり、休みの日には妻が喜ぶように、色々遊びに連れて行った。子供はできなかったが、端からはそれなりにいい夫婦に見えていただろう。雄吾は「いい夫」を「演じて」いたのだ。「演じて」いたというからには、本心はどこか別のところにあったのかと言われると、雄吾にはそれもよく分からない。日常生活においては、皆多かれ少なかれ演技はしているだろう。完全に「素」で生きていくことなど、所詮不可能だ。雄吾にとって、「いい夫」を演じることは、この世で生きるための生命線のようなものだった、しかし、その生命線は壊れかけの吊り橋を渡るごとく不安定で脆いものだった。ふっと気を抜くと落ちてしまいそうな―そんな気持ちで毎日を生きていた。

 とはいえ、「吊り橋効果」とはよく言ったもので、そんな状況だからこそ、結婚生活はそこそこの緊張感があり、雄吾を飽きさせないところもあった。しかし、芝居だけではどうにもならない、芝居しきれないところが一つだけあった。

 そう、「夜の生活」だ。

もともと雄吾は女性経験は多くなかった。結婚前に付き合った女性の数は、多く見積もっても二、三人だ。雄吾は付き合ってない女性と性行為をすることはなく、つまり経験した女性の数はそれよりもっと少ない。風俗に遊びに行ったりすることもなかったので、結婚時もそちらの方の腕前はお世辞にもうまいとは言えなかった。しかも妻は、愛情をそれで確認するようなタイプで、週に二、三回は求めてくるタイプだった。しかし実際、仕事で疲れて帰ってきた後にやる気などはっきり言って起きないし、休日もできればゆっくり過ごしたかった。恋人同士の頃は、サプリやら何やらを飲んで対処していたが、結婚後はそれすらも厳しくなってきていた。ある意味、雄吾が「いい夫」を演じ、奥さん孝行に徹していたのも、そちらの不満を埋めるためであったと言っても過言ではない。妻もそれで納得していたようだったが、結局不満を埋めることはできず、他に男を作り、そちらと一緒にいたいからということで、向こうから離婚を申し出てきたのだった。一応離婚の原因は「妻の浮気」ということであるが、実際には「セックスレス」が原因である。まあ、妻も仕事を持っていたし、住んでいたところも賃貸、お互いの通帳は別に持っていたので、慰謝料はなし、財産分与もほとんどなく、子供もいないので親権うんぬんでもめることもなく、書類一枚で離婚はすんなり成立した。

 そうしたことも救いだったが、雄吾にとっては、両親が既に他界していたことも救いだった。両親は雄吾の結婚を見届けると、安心したかのように一年後に母親が、さらに一年半後に父親が旅立って行った。両親がもし、離婚したと知ったら、きっと失望するだろう。雄吾は親の前では、常に「いい子」だったから―

 会社でも「優秀な社員」であった。しかし、このご時世、優秀であろうとなかろうと、待遇においてさほど差があるわけではない。「優秀な社員」は負担が多いばかりで、いっそ「給料泥棒」と呼ばれているくらいの方が楽に生きられるのかもしれない。「給料泥棒」はリストラ候補にされやすいという声もあるが、「給料泥棒」がリストラの憂き目に遭うならまだ納得できる。しかし、「優秀な」方がリストラされるということもあるのだ。そうなっては、何のために頑張ってきたのか、全く浮かばれないが、そうした理不尽が起こるのもこの世の常だ。出世の邪魔になると上司に睨まれたり、あいつは優秀だからすぐに次の就職先も見つかるだろうと勝手な推測をされたりといったところか。そこまで分かっていながら、「いい人、優秀な社員」の芝居をやめられないのも、性分なのだろうか。

 思えば、自分の芝居は、両親の前から始まっていた。「いい子」を演じ、それが生命線というのは当時から変わっていなかった。その両親が亡くなったことで、緊張の糸がきれてしまったようなところは確かにあった。「いい子」「いい生徒」「いい社員」「いい夫」―確実にそれらを演じてきたが、果たしてそれで本当に幸せだったのか。そこまで考えていたわけではないが、現実に芝居をするのがバカバカしくなってきていたのはあっただろう。そして、その頃から思い出すようになってきていた。雄吾が芝居をしていなかった、というより、「素」で生きていた空間があった頃のことを。雄吾が高校二年生の頃の話だ。そして、今日会う予定なのも、その頃の友人だ。それだけに、雄吾の心も踊るのであった―


 

 一九九五年。世はバブルが崩壊し、不景気の時代が始まろうとしている時であった。マスコミでは、大企業が社員を大量解雇するだの、経営が破たんするだのと騒いでいたが、多くの庶民の生活に特にこれといった影響もなく、まだ不景気という実感はなかった。相変わらず街中にはブランド物を身に着けた女性たちが闊歩していたし、ディスコやバーなどの夜の世界も盛り上がっていた。「どうせこの不景気も一時的なもの」―まだまだそういう見方が強かった頃である。濱口雄吾も、そんな時代をごく普通の高校生として過ごしている。街にはルーズソックスの女子高生や、パンツを腰履きにして、下着を見せまくっている男子高校生が溢れていたが、雄吾の学校は進学校だったせいもあって、そんな生徒を学校内で見たことはなかった。ほとんどがファッションになんか興味がないという感じの生徒ばかりで、少しばかりファッションに気を遣っている雄吾は、どちらかといえば浮いた存在であった。成績はそこそこ良かったので、クラスでの居心地は悪くなかったが、部活での成績の一年生の頃のダメさ加減がたたり、部内では「イジラレ役、パシリ役」のような役回りであった。中学の時も、部活選びに失敗し、学校内でもいわゆる「スクールカースト」の下の方に位置されており、ハッキリいって学校というものにいいイメージがない。かといって、不登校になるほどひどくもなかったので、何となく学校には行っていた。幸い、高校の二年生になってからは、部活の方も好調で、選抜メンバーに手が届くところまで来ていた。もしかしたら、ここで名誉挽回できるかもしれない、という期待が密かにあった。しかし、どうやらそれも夢に終わりそうな感じになりそうなのだが―


 教室の、窓側の一番後ろの席。席替えでここの席が当たると、雄吾は幸せな気分になった。一番好きな席だからだ。小学校の時、担任から「先生の立ってる場所からだと、前の席より後ろの席の方がよく見えるんだぞ。だから後ろの席だからといって悪いことすんなよ」と言われたが、そんなことはどうでもよかった。理屈じゃない。気持ちの問題なのだ。教師からよく見えようが見えまいが、別に悪いことをするわけではないし、生理的に落ち着くのだ。この席から、ぼーっと空や外を眺める。学校にいて感じられる数少ない幸せな瞬間であった。雄吾のクラスでは、月に一回席替えがあり、今月はこの「特等席」が当たって幸せ気分だった雄吾だが、ここしばらくはそうでもなかった。六時間目の授業の終わりが近づくにつれ、憂鬱な気分になるのだった。部活の時間が近づいているからだ。

 雄吾は水泳部に所属していた。もともと小学校の時から、スイミングスクールに通っており、小学校四年生からは選手コースに移り、小学生の部ではそれなりの成績を残していた。中学校でも水泳部に入るものと思っていたが、折しもJリーグが発足するとかしないとかで、サッカーが異様に盛り上がっていた。雄吾もつい魔が差したというか、サッカー部に入ればモテる、などと勘違いしてしまい、水泳部ではなくサッカー部に入ってしまった。ところが、やはりみな考えることは同じ、その年のサッカー部は異様に部員が多く、レギュラー争いは熾烈を極めていた。おまけに雄吾は一つ大切なことを忘れていた。球技が実は得意でないということだ。それでも、サッカーは小学校で本格的にやっていたのがまだほとんどいなかったこともあり、スタート地点が皆同じゼロであれば何とかなるだろうと思っていたが、やはり持って生まれた才能というのもあるのだろう。雄吾は一年の終わりごろにはレギュラー候補から外されてしまった。その時、水泳部に入り直したかったが、一年の初めに、同じスイミングスクールだった水泳部の友人に「裏切り者」呼ばわりされており、今更どの面下げて水泳部に入れようか、と思い、結局帰宅部員になった。高校に入学して、得意だった平泳ぎの選手として、再び水泳部に入ったものの、三年のブランクは大きかった。記録も伸びず、すぐにへたばる。それで雄吾はすっかり「ダメ部員」の烙印を押されてしまっていた。おまけに雄吾は、端整な顔立ちであったが、見るからに「いい人」そうなルックスというか、雰囲気を醸し出していたため、同級生や先輩から「イジリ」の対象にされることが多かった、「いじめ」ではない。「イジリ」である。陰湿ないじめとは違うが、部活の連中は、どこか雄吾を見下しているような、「こいつには何をやっても、言っても許される」というような扱いを受けていた。部活に出ると、あいさつ代わりに頭を叩かれたり、首を絞められたりするし、休憩中などに水着を脱がされたりなど日常茶飯事であった。また、タイムが悪いと罵られ、ちょっといいタイムを出すと図に乗るな」とたしなめられる。どういう結果であれ、褒められたりすることがない。また用事を言い渡しやすかったのだろう、使いっパシリのようなこともさせられていた。部室やプールの掃除、洗濯からゴミ捨て、買い物まで、何かと用事を言いつけられていた。これは部員に限らず、顧問の教師からもそんな感じだった。しかし雄吾は、「これも自分の実力が伴わないせいだ」と割り切って、そうした仕打ちにも笑顔で耐え続けた。「いつも笑顔でいれば必ずいいことがある」―そういう言い回しも色んな所で目に、または耳にしていたし、いつか来るはずの輝かしい日々を信じて、ひたすら耐えていた。もっとも、他の部員同士でも同じようなことがなかったわけではないが、殊更雄吾に対しては皆遠慮をしていなかったように思われた。

 

 雄吾が部員達の自分に対する扱いについて疑問に思うようになったのは、部員同士が何やら話をしている時に「何の話?」と輪に入ろうとしたところ、「お前には関係ない」と言われ、そのままその部員達がどこかに行ってしまった、ということがたびたびあったからである。本当に大事な話をしていたのかもしれないが、そういうことが何度も続くといい気はしない。また、同じクラスの友人に「街で水泳部の連中がつるんでたから、雄吾もいるかなと思って声掛けようとしたけど、いなかったな」と言われるということも何度かあった。要するに、部員達で出かけているのに、雄吾には誘いをかけていないということになる。そのことについて部員達に聞いてみようとも思ったが、たかが遊びに行くくらいでむきになるのも何だか気が引ける。ということで、知らないふりを続けていた。

それでも、部活中は部員達も雄吾に普通に話しかけることもある。ただ、イジリの方が多かったし、用事を言い付ける時にしか話しかけてこない部員も何人かいた。そうした事情から、雄吾は「自分は軽んじられているのでは」という疑念を抱くようになっていた。

 そうこうしているうちに二年生になって、ようやく練習にもへたることもなくなり、記録も伸びてきた。皆に追い着いただけでなく、トップクラスのタイムを出すまでになった。これなら夏の大会は行ける、と雄吾は自信に満ちていた。しかし、「イジリ」と「パシリ」の役目は変わらなかった。やはり一度付いてしまったイメージはそう簡単には覆せないのだろう。そればかりか、好記録を出す雄吾を段々疎んじるようになってきていたのだ。「愛すべきダメ部員」が急に頭角を現してきたのが面白くなかったのだろう。部員たちは雄吾を避けるようになった。それでも、用事だけは言い付ける。部員の雄吾に対する態度は、徐々に「イジリ」から「いじめ」の様相を呈し始めていた。しかし、それでもいつかは認めてくれるはずだ。そう信じて雄吾は歯を食いしばってきたが、ある日、その意志を挫くような出来事が訪れた。夏の大会の選抜メンバーに、雄吾が入っていなかったのだ。これに雄吾は納得がいかず、顧問のところまで行き、

「なぜ僕はメンバーじゃないんですか。最近のタイムは他の部員よりもいいはずですが」

と詰め寄ったりした。しかし顧問の反応は冷たく、

「うーん。濱口の調子が上がったのは最近だろ?まだ不安があるんだよ。そこで今回は手堅いメンバーで行こうと思ったんだ」

と素っ気無く言っただけだった。それだけなら仕方ないとあきらめがついたかもしれない。しかし、顧問のその次の一言が、雄吾の心に火をつけてしまった。

「おい、濱口。ちょっとゴミ捨ててきてくれ」

またか、雄吾はそう思った。自分はこんなに皆のために尽くしてきたのに、肝心な時には全く評価されない。そんな思いが雄吾の中に渦巻き、

「すみませんが、僕は雑用係じゃありませんので」

という言葉を吐いてしまっていた。雄吾はそのまま踵を返し、職員室を出たので、顧問がどんな顔をしていたのかはよくわからない。何も言い返してこなかったところを見ると、かなり唖然としていたのではないか、と勝手に想像していた。実際、顧問はぽかんと口をあけ、立ち去る雄吾を、ただ黙って見ているだけであった。


 そんなことがあって以来、雄吾は部活に出ていない。捨て台詞のような言葉を口にしてしまったことに対する気まずさもあったが、内心では部活自体もうどうでもいいと思っていたというところが大きかった。幸い、顧問は雄吾の授業を担当することもなかったし、二年のクラスに水泳部員はいなかったから、教室にいる間は部活のことを気にしなくてもよかった。しかし、教室の外に出て、部員とすれ違うと、やはり後ろめたい気持ちになる。当然、あいさつを交わすこともなくお互いまるで赤の他人のようにすれ違う。実際のところはよくわからないが、何か悪口の一つでも言われているような気もする。そう思うのが嫌で、学校ではほとんど教室にこもっており、授業が終わると一目散に校門を出ていた。

 家に帰るのにもやや躊躇があった。というのも、中学の時、途中でサッカー部を辞めてしまってから、「お前は根性がない」と親が嫌味を言うようになったからだ。確かに小学生の時ずっと続けてきた水泳を辞め、サッカーに浮気をし、そしてまた水泳に出戻りしたあげく退部では、そう言われても仕方がない。なので、授業が終わってもまっすぐ家に帰らず、図書館に行ったり、街をぶらぶらして時間をつぶすことが多くなっていた。雄吾の高校は、幸い私服通学だったので、街をうろうろしていても、さほど怪しまれることはなかった。

 

 街へ出るといっても、本屋やデパートを見て回るくらいで、あとはたいていファーストフード店で時間をつぶしていた。最初はシェイクを飲んでいたが、甘ったるいのと、とけるとまずくなるのとで、時間をつぶすには不向きであると分かった。コーラもぬるくなるとまずい。そこで、ちょっと苦手ではあったが、ホットコーヒーを飲んでみることにした、一口目は苦かったものの、砂糖を入れて飲んでみると、なかなかいける。さらに、熱いので、ちびちび飲むことになるため、時間をつぶすにはもってこいであった。その上、冷めてもそれほどまずくならない。雄吾は、大人がコーヒー一杯で何時間も喫茶店で粘るというのが何となく分かる気がした。

 五時半。部活が終わるのはもう少し遅いが、街から家に帰る時間を考えるなら、そろそろ出ないといけない。高校は雄吾の家から徒歩圏内にあるが、繁華街に出るにはバスか地下鉄に乗る必要がある。学校からだと地下鉄の駅の方が近いが、家に帰るとなると、バス停の方が近い。なので、帰る時はバスで帰るようにしている。

 そのファーストフード店からバス停までは少し歩く。途中、飲み屋街のような、風俗街のような所も通る。呼び込みの兄ちゃんやら姉ちゃんやらに声を掛けられることも多いが、無視して通り過ぎる。大体、興味がないわけではないが、そこまでお金もない。雄吾に与えられた小遣いは、普通の高校生のそれとほとんど変わりなかった。そんな中、毎回通るたびに気になる看板があった。そこには

「男子アルバイト募集。日給二万円以上可。週一回から勤務可。十八歳から三十歳くらいまで。寮完備」

と書かれてあった。

(日給二万円のバイトってどんなバイトなんだろう?しかも男子のみ募集って…。ホステスの男版、いわゆるホストか)

雄吾は思った。この頃、ホストという職業が、ようやく表舞台で注目され始めたのだ。それまでホストといえば、都市伝説的な職業で、そういう職業があることは知っていても、実際にやっている、またはやっていた人というのを見たことも聞いたこともないという感じであったが、現役ホストがテレビやらに出るようになり、その存在が認知されるようになっていた。(寮完備ということは、もし家出とかしても住む場所も確保できるということか?実際に働けるのは十八歳からか…でも、年齢はごまかせるかな?ま、もし現状に行き詰ったらここで働いてみようか)

雄吾はそんなことを考えながら、看板の前を通り過ぎ、呼び込みの兄ちゃん姉ちゃんをいなしながら、バス停へと向かうのだった。


「ただいま」

雄吾が帰宅すると、母親がテレビを見ながら、というより、付けたままの状態で夕食の準備をしていた。普段は節約がどうのとかうるさいくせに、こういうところは意外に無頓着だ。父親はまだ帰って来てないようだ。

「早く着替えてらっしゃい。もうすぐご飯出来るから」

雄吾は母の言葉に対して生返事をして、そのまま部屋に入った。部屋着に着替えて食卓に戻った時には既に夕食がテーブルに並んでいた。

「今日は雄ちゃんの大好きなエビフライよ。勉強も部活も頑張ってるみたいだしね。」

そう言われると耳が痛い。確かに勉強は頑張っているが、部活は今ボイコット状態だからだ。そもそも、エビフライが好きだったのは小学校高学年までだ。今も決して嫌いではないが、最近は麻婆豆腐とか、チンジャオロースとか、中華料理の方が気に入っている。また、子供の頃には苦手だった生魚も、結構好きになってきた。母親は、気を遣って刺身などはあまり食卓に出さなかったが、雄吾が食べている姿を見てからは、徐々に回数が増えてきた。それでも、母親は無理して食べていると思っているようで、必ず最初に「嫌だったら無理して食べなくてもいいのよ」と言う。どちらかと言えば、子離れできないタイプなのかもしれない。母親の中の雄吾は、小学校高学年で成長が止まっているような感じがした。その頃の雄吾は、確かに人生の全盛期といった感じで、所属していたスイミングスクールの選手コースで活躍しており、将来を有望視されていた。また、学校の成績もよく、私立中学受験を真剣に考えていたほどだった。ただ、水泳と受験勉強の両立は難しく、中学は公立でもいいだろう、という父親の一声で受験を断念したのだった。そのことを母親は今も悔やんでいるようで、時々「あの時私立に行ってれば」というようなことをぼそりと言う。そんな自慢の息子だったが、中学でサッカー部に入って、レギュラー候補から外れ、そして部活を辞めてしまった時には、「いつの間にそんなに根性なしになっちゃったの?やっぱり中学受験をあきらめたのがいけなかったのね」と半分泣きながら言った。そんなことを言うことからも、中学受験断念は母親にとっては非常に悔やまれる出来事のようだった。それでも、成績だけは何とか維持し、無事に学区一の進学校の高校に合格した時には、三年間の、胸にたまっていた不満を忘れるかのように大喜びしていた。そして、水泳部への復帰。母親は、雄吾がまた「自慢の息子」になってくれることを信じてやまないような感じであった。そんな母親に対して、今部活をサボっているなどということは、口が裂けても言えないと雄吾は思っていた。

 

 平日はそうやって時間をつぶしていたが、問題は土曜日だ。さすがに夕方までファーストフード店で時間をつぶすのは、ホットコーヒーでも難しい。何より一人では退屈だ。それに長時間粘っていると、店員に嫌な顔をされるのではないか、と思うとやはり気が引けた。それで思い付いたのが、雄吾の姉、法子の家に行くことだった。雄吾の姉、法子は雄吾と十五歳離れていた。雄吾が物心ついたころには、東京の高校に進学しており、大学もそのまま東京の大学に通ったため、一緒に暮らしたことがほとんどない。休みの時に一週間ほど帰ってくるくらいで、実際姉だという実感は雄吾にはなかった。大学卒業後は地元に戻って就職したが、なぜか実家には戻らず、同市内ではあったが、別の区で一人で暮らすことになった。法子が地元に戻ってからは実家にもちょくちょく帰ってくるようになり、徐々に二人の交流が始まり、法子も、歳の離れた弟である雄吾を可愛がって、色々と悩みの相談などを聞いてやっていた。なので、今回のことに関しても法子は快諾した。

「お母さんは私に対しても、あれやこれやうるさかったからね。雄吾が本当のことが言えないのもわかる。私が東京の高校に行ったのも、母親の束縛から逃れたかった、っていうのはあったかもね」

と、法子は雄吾に話していた。そんなに束縛していたのに、よくあの母親が実家を出ることを認めたなと雄吾は不思議に思ったが、そこに関しては法子もはっきりとは答えてくれなかった。きっと何か特別な事情があったか、裏ワザでも使ったのだろう、と思ったくらいで、雄吾も深く詮索はしなかった。


 地下鉄を乗り継いで、姉の家に行くまでに大体三十分くらいかかる。姉の家の周りは、ごく普通の住宅街であったが、駅前のコンビニの前にはガラの悪そうなのがたむろしていて、ちょっとビビったが、目を合わせないように気をつけていれば、特に何かされることもなかった。法子のマンションに着き、チャイムを鳴らした。すると「今あけるね」と言う声がインターホン越しに聞こえた。そのマンションはオートロックだったので、入り口のところでチャイムを押して、住人とコンタクトをとらないと、門が開けられないようになっていた。エレベーターで六階に上がって、法子の部屋である六〇二号室の前で再び雄吾はチャイムを押す。少しめんどくさいと思いつつ。そして扉が開き、法子が顔を出した。

「さ、上がって」

雄吾が法子の部屋を訪ねるのはどのくらい振りだろうか。考えてみれば雄吾が法子の部屋に行くことなどほとんどなかった。前回といっても、二年前くらいかなというくらいで、どんな理由で訪ねたのかも思い出せないほどであった。

 法子の部屋は、割と片付いており、さすがに女性の部屋だなと思わせるようなものであった。法子がコーヒーか紅茶かどちらがいいか聞き、雄吾がコーヒーと答えると、法子は「あら、結構大人っぽいのね」と言った。

「母さんは未だにコーラかオレンジジュースだと思ってるから」と雄吾が言うと、母さんらしいわ、と言って法子は笑った。

 二人でコーヒーを飲みながら、雄吾はここ最近部活で起こったことを話した。法子はそれについて特に肯定も否定もせず、

「いいんじゃない。部活だけが高校生活じゃないし。確かに社会に出たら色んなことがあるから、逃げるなと言いたいところだけど、環境が合う合わないってのはあるしね。それに社会は半永久的だけど、高校生活はたった三年だからね。我慢して耐えたって、卒業したらそれまでだから。学生時代の友達は一生の友達っていうけど、そうじゃない場合もあるよ。だから、部活のことはそんなに気にしなくてもいいと思うよ。ま、姉ちゃんでよかったら暇つぶしくらいなら協力するわよ」

と言った。それを聞いた雄吾は、ちょっとリラックスした気分になった。やはり法子のところに来てよかったと思った。気が緩んだ雄吾は、改めて姉の部屋を見渡す。見渡しながら、この年頃の人間なら、誰でも気になることを聞いてみた。

「そういえば、姉ちゃん、彼氏っていないの?」

法子も今年で三十二歳だ。彼氏どころか、結婚してもおかしくない年頃だ。しかし、部屋には男を感じさせるものが何もない。巧妙に隠しているのか、本当に男っ気がないのか、雄吾は聞いてみたくなった。それに対して、法子はごくあっさりと、こう答えた。

「いた時もあったけど…今はいないわ。三十歳過ぎると、合コンの誘いもめっきりだし、新しい彼氏を見付けるのも、ちょっとしんどいかな」

「ふーん。そんなもんなんだ」

雄吾は素っ気無く答えた。そう言われると、特に返す言葉もない。女性の晩婚化は進んでいるというし、チャンスはまだあるだろうが、それをあえて口に出すのも何となく憚られた。そういえば、母親は、法子が結婚はおろか交際すらしないことに対して何も言わないのだろうか。中学まで束縛が厳しかったというなら、なぜ今は違うのだろう。逆に、その分の気持ちが雄吾の方に回ってきているのだろうか。

 いろいろ話しているうちに、四時半になった。部活が終わるであろう時間を考えると、そろそろここを出ないといけない。

「姉ちゃん、じゃ、帰るわ」

「うん。またいつでもいらっしゃいよ。あ、でも来る前に必ず連絡ちょうだいね」

「うん。あ、そう。俺もやっとPHS買ったよ。番号教えとく」

雄吾は持ったばかりの自分専用の電話の番号を教えた。この時代はまだPHSが結構普及しており、高校生は特にPHSを愛用している者が多かったのだ。法子の携帯電話の番号は以前聞いて知っている。法子にPHSの番号を書いて渡し、その場は別れた。法子に色々話せたからだろうか、いつになく自宅に向かう雄吾の足取りは軽かった。


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