表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

サボサンダルのあの娘を追い掛けて

作者: keisei1

 2026年、若者がみな夢を失って「喪失世代」の時代と呼ばれた頃の物語。小さな病院で働く川崎希美は、色とりどりのフラワープリントをされたワンピースで着飾ると、お気に入りのサボサンダルを履いて街へと繰り出していく。今日は「メリーポピンズ」のプレイバック上映の日だ。希美はメリーポピンズの魔法の言葉「スーパーカリフラジリステッィクエクスペリアリドージャス」を呪文のように唱えて夢見心地になると映画館へと入っていく。彼女はそこには夢と幻想、メルヘンの世界が広がっていると信じていた。

 映画館ではお洒落に着飾った男女のカップル達、色鮮やかな軽装に身を包んだ家族連れなどが楽しげに談笑し、上映の時間を待ち望んでいた。薄紅のリップを塗って化粧っ気のほとんどない一人ぼっちの自分は場違いなのではないか、との思いに駆られながらも希美は自分の指定席へと足を運んでいく。するとその道すがら、希美の高校時代の親友、今はそれぞれファッションエディターとモデル雑誌の編集者を務める高原晃司と木元綾香に希美は逢った。

 二人は洗練されたブランドものに身を包んでいて、とても華やかだった。希美は晃司と綾香が交際しているのも知っていた。晃司と綾香はお似合いで成熟した大人の雰囲気を漂わせている。サボサンダルにワンピースの自分がとても幼く、少女趣味なのではないかと、希美は肩身の狭い思いをしたほどだった。

 希美を見つけた晃司と綾香は親しげに、希美に歩み寄ってくる。二人には嫌味や皮肉がない。ナチュラルに、スマートに成功した男女の品の良さがあった。晃司と手を繋いでいた綾香は、希美と視線を合わせると嬉しそうに両手を広げる。

「希美! 久し振り! 元気にしてた?」

 希美は、学生時代から交際していた晃司と綾香の成功振りに少し引け目を感じていたので、俯いて伏し目がちに二人に応じる。希美は口元で両手を軽く合わせると精一杯微笑んで見せる。

「晃司君、綾香。久し振り。今日は二人きり?」

 綾香はにこやかな顔を浮かべると晃司に視線をやる。晃司は大人びていて、落ち着いている。成功者特有の趣きのようなものがあった。晃司のシックなスーツ姿はとても艶やかだった。綾香は晃司の手を軽く握る。

「そう。二人きり。久し振りの休日を二人で楽しもうと思って」

「そう……」

 その言葉を残したきり希美は黙り込んでしまった。小さな街の看護師の自分と、ファッションの世界で働く晃司と綾香は不釣り合いなような気がしたからだ。早くこの場から立ち去ってしまいたい。幼稚でチープな趣味を胸に抱いている自分など消えてしまいたい。そんな気持ちに希美は囚われていた。それでも綾香と晃司は、希美の前から離れようとしない。仕事とか趣味とか、恋人のいるいないについて詳しく訊いてくる。希美にはそれがとても煩わしく、今にも逃げ出したかったが、昔のよしみもあって二人を突き放すわけにはいかなかった。

「希美は今も看護師をやってるの? 彼はいるの?」

 綾香はあけすけだ。だけど意地の悪い印象はない。何事もオープンに、そして共有して人生をエンジョイしようという気持ちに溢れている。それでも独り身の希美にとっては気まずく、居心地の悪い質問ばかりであるのに違いはなかった。希美は気まずそうに訥々と一つ一つ質問に答えて行く。晃司と綾香は特別、こだわりもなく、希美の質問の答え、そして彼女の現状に耳を傾けている。綾香は楽しげに目を輝かせて身を乗り出す。その仕草、表情、一挙手一投足、全てがファッション雑誌から飛び出してきたような煌びやかさがあった。

「看護師の仕事。素敵じゃない。どこか幻想的でメルヘンチック。白衣を着て、患者さんの心持ちをはかってあげるなんてファンタジックだわ」

 希美は看護師の仕事の辛いところも大変なところも、重々知っていて、分かっていたので、綾香の指摘が少し的外れで現実離れしているのも分かっていた。でも自分の今の仕事を肯定してくれたのは素直に嬉しかった。

 綾香と希美が話をしている間、晃司は微笑んだままだった。……カッコいい。晃司も綾香も何もかも磨かれている。センスに溢れていて、こんな表現平凡だけど「お洒落」だ。そう希美は思った。すると綾香が黙り込んでいた希美を元気付けるように趣味の話を切り出してくる。

「そう言えば、希美。趣味の写真は続けてる? 撮りためた写真を映像編集してたりもしてたよね。どう? 最近は」

 希美はこれ以上自分のフィールド、自分の趣味の世界、プライベートに踏み込まれたらたまらない。そう思ってその場を離れようとした。だけど晃司と綾香を振り切る、ていのいい言葉が見つからない。そうやってまごついていると、ずっと口を開かなかった晃司が、希美にこう話し掛けてきた。

「映像編集アプリを使ってinstagramとかにも投稿してたよね。以前は良く写真を見せあいっこしたね」

 晃司は爽やかで清々しかった。綾香も楽しげに頷く。晃司と綾香にとっては懐かしい想い出でも、キャリアに差のついてしまった今となっては、希美には痛々しい想い出だった。あの頃と今とは……、そう思って希美は心を閉ざして俯く。すると晃司は優しげに微笑むとこう頼み込んで来た。

「良かったら、最近作った映像でも見せてくれないか? お願い。図々しいとは分かってるけど、今でも変わらないだろう希美のセンスを目にしたいんだ」

 「今でも変わらない」。そう言われた事が希美は素直に嬉しかった。そして「今でも変わらない自分」を「変わってしまった二人」が受け入れてくれるということにほだされた。そうすると希美の警戒心も和らぎ、つい映像を見せるのを引き受けてしまった。こう一言言葉を添えて。

「うん。いいよ。でも二人にすれば退屈なものだと思うよ」

 そう言うと希美は、スマホに保存していた自作の映像を、晃司と綾香の二人に見せた。映像を晃司と綾香は覗き込む。その小さな宝石箱のような映像には何が収められているのか。晃司と綾香は興味津々だった。そしてその映像の世界に広がっていたのは一言で言って「ファンタジー」そのものだった。

 海岸線にたむろしていた白い鳥達が一斉に飛び立ち、青い空へと羽ばたいていく。桜の花びらが舞い散る街路を、うっすらと白く染まった髪の老夫婦が手を繋いで歩いていく。アンティークショップのウィンドウの前を人々が横切っていく。そのウィンドウにはガラス細工の少女の人形や、仮面を被った黒装束の男をあしらったオルゴールが飾られている。月夜の下で猫が静かに目を閉じる。そして最後に草原の空を白い雲が物凄いスピードで流れて行く。

 それらは「幻想」そのものだった。希美の映像はファッション業界で働く晃司と綾香にとってもとても魅力あるものだった。二人はスマホを覗きこみながら深く、深く魅了されていた。思わず綾香が吐息混じりにこう漏らす。

「素敵。素敵じゃない。希美。本当にどれもこれも素敵な映像ばかり。ファンタジーね。バックに流れている音楽も本当に心地いいわ」

 晃司も相槌を打つ。そして付け加える。

「ホント、スゴイね。学生時代からのセンスに更に磨きが掛かってるじゃないか。看護師をしているのが勿体ないぐらいだ。良かったらこういう映像制作の仕事を少し紹介してみようか?」

 希美は二人の褒め言葉が素直にとても嬉しかった。でも二人の言葉の隅っこから「看護師」という仕事がクリエイティヴじゃない。自分達の仕事と比べて低いレベルにあるという考えが少し伝わってきた。希美は二人に悪気がないのは知っていた。二人に傲慢さや不遜な心がないという事も。だからこそ切なかったし、こう口にせざるを得なかった。希美は精一杯の笑顔を浮かべて言う。

「ありがとう。二人とも。だけど私、看護師って仕事に誇りを持っているの。大好きなの。晃司君と綾香にとっては味も素っ気もない仕事に見えるかもしれないけど、そこには『ファンタジー』が広がっているのよ」

 その言葉を聞いた晃司は、失敗したという表情を浮かべ、綾香は必死に取り繕う。

「そんな、そんな! 何言ってるの? 希美。私達は看護師って仕事をちゃんとリスペクトしてるわよ。それに希美の感受性だって。だからこそ、希美のセンスが活かされる仕事をと思って!」

 希美は満面の笑みを浮かべて返事をする。

「うん。二人に悪気がないのは知ってるし、分かってる。でも私は小さな街の小さな看護師で充分。それで満足してるの。だって『メルヘン』だもの。そこにあるのは」

 そう言う希美に晃司は惹きつけられたように、彼女を見守っている。綾香はもう一度念を押す。

「あの! あのね。希美。私達二人は自分達の仕事が『上』だなんてこれっぽっちも思っていないのよ。それに……」

 するとその言葉を振り切るように希美は映画館の自分の席に向かって駆け出した。彼女の後ろ髪はほんのりといい香りをさせて、温かな余韻を残していく。希美は最後にこう言ったように晃司と綾香には思えた。

「だって。楽しいんだもん。毎日が。毎日が私にとっては『ファンタジー』」

 走り去っていく希美の背中を見送りながら、綾香はこう零すしかなかった。

「あ、あぁ……」

 そうして少し打ち沈んでいる彼女、綾香の顔をちょっと覗き込んだあと、晃司は希美の後ろ姿に目をやって口にする。

「あの娘。希美は学生時代からサボサンダルの似合う子だった。今も昔も変わってないなぁ。……どこか後ろを追い掛けたくなるような娘だった」

 そう言って目を細める晃司の言葉に綾香は頷きながら、こう言って晃司の肘をつねるのも忘れなかった。

「それも、そうね! っと!」

「イテテッ!」

 やがてメリーポピンズは始まり、凧売りになったバートに見送られてメリー・ポピンズは去って行く。メリーポピンズには「さよなら。メリーポピンズ」の言葉が投げ掛けられる。メリーの姿は希美に重なっているようにも晃司と綾香には思えた。そうして晃司と綾香の、そして希美の休日は終わった。

 後日、夜勤室でカルテを持ってうたた寝をしている希美はナースコールの音に起こされて目が覚めた。701号室の相田さんからだ。相田さんはよく深夜になると不安になって目が覚めることがあるのだ。カルテと体温計を持って希美は急いで夜勤室を出て、駆け出していく。彼女の弾むような足音のあとには、七色の光と旋律がキラキラと散らばっていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] あるんだよ。 たまに昔の同級生とかに出くわして、今なにしてんの? 独身? とかもうほっといてくれみたいな瞬間が。 もう、その日寝れないよ。 でも、看護士の仕事自体に卑下を感じているわけじ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ