マログリフルにて3
「は? トイレぇ~?」
「ミルル、声大きいよ」
二人はその白いボールをそっと持ってその場を早足で離れていった。
「なんで? 案内、無かったじゃん」
「うん。トイレって言うか、なんて言うか、……えっと」
カラルは少し匂う白いボールを遠ざけながらミルルの耳元でささやいた。
「!」
一瞬にして顔は真っ赤になった。恥ずかしいのと怒りのせいだ。
「もう! 痛恨! ……だから男の子、嫌い!」
期限は最悪。プリップリに膨れてミルルは言い捨てた。
「酒飲んでいるから、『男の子』じゃないと思うけど……」
「なにっ?!」
「ううん、ううん。……あの裏側、なんとなく立ち……してもいいような雰囲気を醸し出しているんだよね……特に酔っぱらいはふらふらと行くんだろうね……なんだろうね……」
男のカラルは、そう感じてしまう自分にがっかりしつつ、小さく独り言のように感じたことを口に出していた。
「で! なに、それはっ。蹴ってみる?」
ミルルは怒りが収まらないまま、話題を白いのに戻し、軽くつま先でつついてみる。しかし、そこはちょうど黄色いシミらしきものがが……
「! ぃや~~っ!」
二人はとりあえずその白いのを洗うために、近くの大きな川の畔にやってきた。
「でも、白いの、なんだかわからないけど竜ではなかったね」
「何で洗うの? そんなの捨てればいいじゃん」
「なんかわずかに脈打っているんだよ。生き物かなって思ってね。それなら介抱してあげないと……ね」
カラルはそう言いながら、ふてくされるミルルの機嫌を伺っていた。
「あん、もう、どうでもいいから、早く洗ってっ!」
「あ、うん。でも、堅い毛玉みたいな感触なんだよね。水で丸洗いして大丈夫かな?! 水の苦手な生き物だったらどうしようかな」
水面まで後少しと言うところでそう躊躇する。
「もう! えい!」
限界だったのか、鬱憤晴らしなのか、カラルの腕を手套で一太刀。もちろんそれほど強くではないか……
「痛っ」
チャポン!
手に持っていた白いボールは河の浅瀬の続くほとりに落ちた。そこはちょうど白いボールが浸かるぐらいの深さだ。
「ああ、なにするんだよ……あ……」
水に落ちるとそれは、溶けるように下流に向かって白い線が次々と伸びていった。どうやら、長い堅い白い毛の塊だったようだ。
「ひゃ、気持ち悪!」
ミルルは思わず叫ぶ。カラルもその変貌ぶりに驚きながらも、生き物だったら窒息してしまうのではないかと、慌てて拾い上げようと片足を河に入れた時だった。
「あ、竜だ! 竜だよ、ミルル!! ほら、翼があって首があって、尻尾があって……」
少し興奮気味にカラルはミルルに声をかけた。目をそらしていたミルルもその声に振り向いた。水の中には、ちょっとずんぐりむっくりの竜が確かにいた。
「ああっ」
竜の頭は大きく、体全体の1/3を占めるほどだ。ずんぐりした胴体に小さい二本の腕、太く短い足、尻尾も短く、シュッとした竜ではないが、河の流れに全身の長い毛をなびかせる、確かに白い竜だった。
カラルはもう一歩、水に入りその竜を両手でそっと抱えるように水中から持ち上げた。その瞬間、
「ひゃ!」
ミルルが悲鳴を上げるのも無理なかった。持ち上げたカラルも一瞬手を離そうと思ったほどだ。濡れた長い毛が竜の体にぴったりと張り付き、さらに余った毛がそのままカラルの手にまとわりついていた。
「ぬわ~~~」
最悪の感触だ。
そしてさっきまで閉じていただろう。大きな頭についた赤い二つの目がギョロリと開き、動いていた。
「わっ!」
カラルもその目玉には驚いてしまった。その声で竜も驚いたのだろう。
「ムーーーーーー!!」
そう言う音を発し、小さく畳んであった翼を広げた。そして、全身をブルブルとふるわせ始めた。
「冷た!」
全身の水を一気に周りに振り飛ばし始めた。カラルの手の上でそれをやるものだから、カラルは避けようがない。カラルは諦めて顔に水滴が当たらなくなるのをじっと待っていた。ミルルも両腕で顔にかからないようにするのが精いっぱいだった。
「もう、冷たい~!」
どれくらい水をまき散らしたのだろうか。二人はしばらく目をつぶって収まるのを待っていた。ようやくカラルの顔に当たる水が減ってきた時、そっと目を開けてみた。
すると、カラルの手の上にはきれいな白いボールが乗っかっていた。
「あ、白いボールに戻ってる……」
さっきと違うところと言えば、三ヶ所。
一つは、乗せている手のひらにプニュッとした感触とチクッとした感触があること。おそらく肉球と爪。
一つは、ふわふわした球体から白い翼がはみ出て、球体に沿って張り付いていること。
一つは、赤い目玉が二つ見えていること。さっきはギョロっとしているように見えたが、今は球体にちょこんちょこんとついているにしか見えない。
「あ、かわいい」
ミルルは顔と手に付いた水を払いながら、驚いたように言った。真っ白なふわふわなボールに赤いガラスの玉が二つ。爪の生えた足と、翼を毛の中に隠しているその姿は、先ほどの醜態を見た後でもかわいく見えた。
「ムー」
表情が全くわからないそれは、今度はさっきと違いちょっと甲高い音を発した。カラルは腕を下げ目線をあわせて見るが、やっぱり表情は読めなかった。
「さっきより穏やかな声だったね」
「にーた、これって、お父さんの連れてくるって言ってた竜なのかな?」
「うーん。この辺では見たことないからね。白いし。……でも、違うかもしれない」
「もう、はっきりしないねっ!」
ミルルは腕を組み、ちょっと呆れたように言った。
「そ、そりゃそうでしょ。わかんないんだから」
「簡単よ。お父さんが一緒に居ないんだから、別の竜じゃないのよ、きっと!」
ミルルはちょっと自信ありげにそう言った。それに対し、カラルはちょっと渋い顔で答えた。
「でも、はぐれたのかも知れない……お父さんに何かあったのかな……!?」
ふと思ったことが口をついて出てしまった。ハッとし、ミルルを見ると、さっきまでの自信ありの顔はどこへ? 両目をギュッと閉じ、口角はうなだれていた。
「あ、そ、そうだね。きっと別の竜だよね!」
慌ててフォローするも、ミルルは歯を食いしばって空を見上げた。両手のコブシは強く握られ、わなわなしていた。
(怒る? 泣く? ど、どっちだろっ!?)
カラルは白い球体を盾にするように両手で持ち、ミルルの次の動きを待つしかなかった。
カラルには長く感じた。白い球体越しに急にミルルがこちらをにらんだのを見た瞬間、視界は開けた。その次の瞬間、顔を突風が吹きつけた。風に目を閉じ、再び開けた時には、右足を蹴り上げたままのミルルの後ろ姿があった。
「うわ……、あ……竜は?」
ひゅ~~~~~~~~……・・
見上げたカラルの目に映ったのは、青空に小さく遠ざかる白い球体だった。