おーまいぷりんせす、ちょっとお話しようよ!
「エクレレ貝は見てみたいね」
「単に夜光るだけの貝だろ? そんなのより温泉でゆっくりしたい」
「えー、水が澄んでる今の時期じゃないと見れないんだよ?
絶対見てみたい、一緒に見ようよ」
「温泉から見れるなら一緒にみっ、冗談だ。
慌てるなミグ落ち着け落ち着いてその拳をゆっくりと開くんだ」
俺達は今御者台でリュフェの観光巡りについて熱く語り合っていた。
陽はそろそろ真上、昼食の準備を始めなければなるまい。
非常に残念だがこの議論は一時中止としよう。
「ほら、そろそろ昼飯にしよう! 腹が減ってるから気が立つんだって!」
「……わかった」
不承不承といった具合に馬車を止めるミグ。
風向きは変わり、馬車の右側から一陣の風か駆け抜ける。
不意に、不穏な匂いが鼻を掠めた。
「まった、血の匂いがする。多分、あの森からだ。
ミグ、あの先には何がある?」
右前方に見えるさほど広くない森を指差し尋ねる。
距離にして五百歩といったところか、俺とミグの縮地なら三歩と掛からない距離だ。
縮地は五十歩を一歩に変える歩法だという触れ込みだが、大体覚えたばかりの使い手ならその程度だという話。
慣れれば百歩を一歩にすることだって造作もない。
達人ともなれば村と村を一歩で渡り歩くことすら可能だ。
ちなみに、距離を伸ばすより距離を縮める方が難しい。
イメージは一歩の距離を百歩に伸ばすか、一歩の時間を刹那に縮めるかという違いだ。
俺は五歩くらいの距離までしか縮められない。
半歩から三百歩までを自在に瞬時に移動するミグの技量はかなりのものだと言えよう。
「あの先なら、トリア領から東に抜ける街道があるよ」
「そうか。森で血の匂いがするなんてのは珍しくないんだが……」
……何だ、この鼻につく血の匂い。
それなりの規模の戦場で流れるような量の血を連想する。
オークの巣でも壊したか?
それならもっと粘り付くような不快な匂いがするはずだ。
ミグの話を聞く限り、近くに村や集落もないようだ。
感覚が発するアラートによれば、戦闘の準備をしておいた方が良いだろう。
「武器だけ持って、いつでも動ける準備をしておいてくれ」
「うん」
それだけ言って、抱えていた二本の剣を剣帯に佩き直す。
左に二本、八年来の愛剣であるバスタードソード、シェル姉から渡された氷を宿すレイピア。
右に二本、そろそろ手に馴染み始めたマインゴーシュ、自分で魔術補助の刻印を施したスティレット。
佩き直したのは左の二本だ、正直長すぎて座るときには邪魔でしかない。
御者台を飛び降りて、それぞれの柄を撫でる。
ミグは馬車から杖を引きずり出し、俺と馬車の間程に立つ。
準備は万端、何が出る。
「馬車、と、併走する騎士。盗賊?」
「……いや、盗賊くらいなら騎士が切り伏せるだろう。
あの取り乱し様はなんだ? 一騎しか居ないし、まさか壊滅してる感じか?
この辺りは俺達もたまに魔物狩りに来るし、騎士が全力で逃げるような魔物は出ないはずだよな?」
森から飛び出してきた馬車とそれを守るように走る騎士の馬。
それを追い、黒い影が森から滲み出た。
「っ!? おいおい冗談だろ、なんで徘徊する残夢がこんなとこに!」
風貌は山羊の頭を持つ大男、その足は腹から生まれて地を蹴った後尾へと飲まれるように消えていく。
足を止めて戦えば二足歩行だが、馬車を追う今は四足の獣になっている。
高さは馬車の二倍程、全身が黒く、そして背に靄を背負ったそれがハンマーを薙いだ。
馬車は屋根を吹き飛ばされ、更には横転する。
「見てる場合じゃない! 行くぞ!!」
「はいッ!」
一歩、距離を半分まで縮める。
右手にはレイピア、左手にスティレットを握り地面を蹴る。
ミグは距離を詰めながら涼やかに詠唱、縮地中に詠唱って規格外なことを平然とやるのな!
俺も風でも練っておこうか。
馬車の横転に巻き込まれた騎士がウォーキング・グリムの左手に掴まれる!
二歩、距離を零まで縮めた俺は冷気を込めたレイピアを振るい山羊野郎の左腕を切断する!
左腕から転げ落ちる騎士を空中で抱きかかえる。
全身の骨がバキバキだ、意識も飛んでるなこりゃ。
女相手でも流石にこの状態で興奮しないものだ。
突如現れた乱入者に対応できないウォーキング・グリムの目が俺を捕らえようとする。
魔眼、こいつのは混乱と恐怖だったか?
知らんな。スティレットから風の刃を開放し、両の魔眼を切断する!
三歩目ッ!
次は縮地を使わずに野郎の胸板に魔力を込めた足をくれてやるッ!
ウォーキング・グリムは十歩程吹き飛んだ! 重いっての! 五十歩は吹き飛べ!!
その場に炸裂する炎の嵐の中でウォーキング・グリムは絶叫する。
「――――――――――――!!!?」
言語化不能な断末魔を上げ、ウォーキング・グリムは崩れ落ちた。
「ミグ、こいつの治療を頼む」
「はーい」
山羊のハンマーから滴り落ちた血を目で辿れば、点々と五つの血溜まりが見える。
少なくとも、十の命があのハンマーで潰された訳だ。
やはりデカブツは何もさせずに高火力で潰すに限るな。
さて、馬車の方は。
ああ、御者が死んでたか。
上半身が見当たらない。吹き飛んだ屋根と一緒にミンチになってそうだな。
で、馬車の中は?
「っ」
息が詰まる。
額から流す血、恐らく木片で傷つけたのだろう。
その姿は、いつか見た女神だった。
……いや、彼女にしては少し幼い、か?
脅威が少し低い。何のか、ってのは伏せておく。
女神の、妹?
いやいや女神って神だろ? その妹となれば同じく神なはずで、それなりに高位とはいえあんな魔物にどうこうされるとも思えない。
んー、ん?
他人の空似か?
いかんいかん、それより救助だ。
できるだけ変な場所に触らないように気を付けて抱きかかえる。
思ったより軽い、それと、やっぱり女神に似てるよなぁ。
彼女には劣るものの確かに素晴らしい豊かさを身に付けている。
疑問を持ちながらも、女神の妹っぽい少女をミグの近くへと連れて行った。
「変なこと、してないよね?」
「しない。気絶してる相手にそれはいくらなんでもしない。
俺を何だと思ってんだよ、こう見えて結構紳士なんだぜ?」
うわーなにその顔。
全く信じてないなミグの奴。
「本当? その割には馬車から出てくるの、遅くなかった?」
「あー……」
「やっぱり嘘なんでしょ」
「いや、本当だ。
血の匂いが酷い、とりあえず魔物が寄ってくるまでに焼いてくるよ」
「しゅーくん!」
さっと身を翻してとりあえず馬車を爆破!
吹き飛んだ屋根の残骸に火球をぶつけ大破!
縮地で森の方へ。
燃え移りそうな木をバスタードソードで一閃、すかさず地面の表面のみを焼く!
中はじゃりじゃりだよ!
同じように先ほど目にした五つの血溜まりを加熱消毒!
おい! 曲がったところからまだまだ続くじゃねーか!!
結局十本の木材を手に入れ、十三ヶ所の痕跡除去を行ってから木を抱えてミグの所へ戻った。
薪……も、こんなにいらねぇよな。
馬車に繋ぐ台車でも作ってみるか?
いや、やめておこう。そもそも作り方を知らん。
必要な分だけ薪にして、後は適当に砕いて放置で良いだろう。
ついでにウサギを二匹捕まえた。
今日のメインはお前らで決まりだな。
余ったら干し肉とか燻製にしたりするんだろうか?
「森では十三ヶ所焼いてきた。
あれが全部騎士なら、そこのお姫様はそれなり以上の立場なんだろうな」
最低でも護衛に騎士が十四人。
正直有名な冒険者か傭兵を二人くらい雇えば済む戦力ではあるが。
実際、普通の騎士はそんなに強くない。
オウロがおかしいんだよオウロが。
初めて会った時点で俺とまともに戦えた騎士はアイツだけだ。
とは言っても、防衛戦力にならないかと言えばそうでもない。
少なくとも騎士は一般人よりは強いんだよな、傭兵崩れで盗賊になる程度の相手なら難なく切り倒すし。
にしても、ウォーキング・グリム相手なら馬車を捨てれば逃げ切ることもできたろうに。
自殺願望があってもこんな指揮は取らんだろう、普通。
俺なら馬車の中の子を抱きしめる口実ができたと喜んで馬車から引っ張り出すな。
それとも、何か彼女を馬車から出せない理由でもあったか?
当事者が寝たままだと推論もままならないか。
「身なりも良いし、どこかの貴族なんじゃない?」
「会ったことはないな、少なくともファルマの貴族じゃないと思うぞ。
まあその辺りは起きたら直接聞けば良い。
二人を馬車まで運んでから昼飯の準備をしよう」
「そうだね、流石にずっと地べたに寝転がしてる訳にもいかないし」
「それじゃ、ミグはそっちのお姫様を頼むよ。
軽症だったし、俺が運んでる間に起きたら面倒そう」
「わかった」
意識の戻らない二人を馬車の中、俺とミグが使う予定だった寝具を広げて寝かせる。
うーん、荷物を考えるとやっぱり馬車の中で眠るのは無理があるな。
中で寝るのは二人が限界だ。
木材を回収し、薪を作る。
さくさくっと片付けよう。
「にしても角が二本か。それなりの臨時収入だな」
徘徊する残夢。
分類的には悪魔と呼ばれる魔物の一種だ。
錬金術や召喚術で発生する魔物、ある意味人災だな。
一部の魔物は悪魔種を召喚、使役することもあるらしい。
どちらにしても、遭遇率が低い上に素材の質も良く、売り払うのに困ることもない。
なんでも、付与系統の魔術と相性が良いんだとか。
すすすすす、と三本の木を薪に使いやすい長さに分けた。
ミグは手際良くウサギを吊るし、首を切る。
ほー、あれが血抜きってやつか。
以前野営した時は干し肉と燻製ばかりだったからな。
実は屋外で一から調理される肉を食うのは初めてだったりするのだ。
「ハンマーもね。
夢鉄は供給が少ないから、かなりの値段で売れるよ。
ハンマーだからかなり大きいしね。
ただ、街中でウォーキング・グリムの素材が『それなり』なんて言ったら大抵の人が絶句するから絶対言っちゃダメだよ」
夢鉄、か。
なぜか人が加工する時は柔らかく扱い易い。
完成品になれば途端に固まり、普段使いで壊れるなんてことはまずない不思議素材だ。
分けた木材の内の一つを空中で遊ばせながらどんどん細くする。
わざと引っかからせて空中で弄んでいるから、剣を通す度に『すりっ』と音がする。
良い太さになった物から剣先で焚火台の前方に叩き飛ばした。
ちなみに使っている剣は雑務用グラディウスである。
雑務用、というのは単に適当に物を切るときに使っているというだけで、そんなものが売っているという訳ではない。
手を洗ったミグがスープに使う野菜を切っていく。
ほうほう、あれくらいの大きさなら剣ででもできそうだな。
流石に千切り薄切りになってくると包丁やナイフでやった方が早い。
「わかってるって。
冒険者ギルドに入ったら、俺らはどれくらいのランクなんだろうな?」
冒険者、ここ十年で一気に有名になった職業だ。
発祥は十七年前、魔物の被害を抑えるためにクルクスが志願兵を募ったのが始まり。
そこから七年間はあまり見向きもされない職業だった。
ここでもクルクスか、何か引っかかる。
輪切り木材を追加。
この薪割りは少し面白いかもしれない。
ただこれができるのは俺かオウロくらいか?
まあこういうのは男がやれば良いだろう。
鍋に放り込まれる野菜、水、塩、香草。
あの後火にかけて、完成か?
「ウォーキング・グリムの討伐推奨ランクはAランクパーティだったと思う。
ソロでも討伐できる私達なら、普通にSランクからスタートになるんじゃないかな」
Sランク、か。
冒険者のランクは七つに分かれる。
下から、E、D、C、B、A、S、EX。
EXを覗いたそれぞれのランクは、それぞれに最も有名な冒険者の名の頭文字を冠している。
Eランク、イーナ・チェミターはクルクスの道すら知らず、冒険者登録後一週間で親に家へ連れ戻された。
世間知らずな貴族のお嬢様の偽名だったらしい。
連れ戻された家ではEランクの冒険者が護衛として雇われたとか、彼女は依頼で訪れた冒険者達に自らの夢を託して今は自領の統治に骨を砕いているとかいないとか。
今でもEランクの依頼として一地方から彼女の護衛兼話し相手の依頼が出され続けている……という話だ、あれはどこだったかな。
案外シェルムと近かったような気がする。
Dランクは、ドルチェ・フォー・ルフラン。
彼は自分で食材を集めようと冒険者になった料理人。
ただ戦闘はからきしらしく、街近くの森まで分け入って野草や薬草を取るのが精一杯だったんだとか。
今では腰を落ち着け、五大国の国王からそれぞれ星を送られた五つ星レストランを経営している。
彼から出される食材収集の依頼は、海洋大国ポルトスの冒険者ギルドでDランクの依頼として処理されているようだ。
Cランクはキャリー・ロイス。
彼は人々にも馴染み深い運び屋として高名だ。
村から村、街から街、時には国から国に物を運ぶ運送の依頼をこなしている。
たった一人で世界各地の冒険者ギルドに出される運送依頼の半分をこなしているらしい。
彼は現役、手紙を出せば半分は彼が運ぶことになるのだ。
それぞれのランクを冠す六人のうち、最も多くの人に顔を覚えられているのが彼だろう。
かく言う俺も会ったことがある。
お調子者だが脚は確かで、何を隠そう俺とミグは彼に縮地を教わった。
Bランクはバルタス・ボワル。
魔族との戦争で、撤退戦の殿を務めた。
千からなる魔族軍をその身一つで塞き止め、撤退する軍に追撃を許さなかった。
全身に浴びた剣や矢を意に介さず立ったまま絶命したとされるその生き様は、今も人々に英雄譚として語り継がれている。
Aランク、エース・ロア・シバルリーは初めて『迷宮』を攻略したパーティのリーダーとして冒険者を目指す全ての人から憧れを集めている。
彼の活躍を描いた本は今でも飛ぶように売れ、毎日どこかの劇場で彼を主役とした物語が語られているようだ。
現在は現役を退き、フェリガで悠々自適の隠居生活を送っているらしい。
Sランク、ソリティア・ディアマンディ。
非業にして悲劇の英雄と名高い彼女は十二年前、突如として前線まで現れた魔王を単身撃退したと言われている。
その後に残るのは地が抉れ、山は崩れ、風すら死んだよに凪ぐ戦いの跡だったと言う。
その場には一振りの剣が突きたてられていた。
透明に澄んだ刀身を持つ、彼女の愛剣である。
全ての人の絶望に立ち向かい、これを退けたのだ。
その剣は彼女の銘を刻み、『ソリティア』と呼ばれた。
燦然と煌く彼女の功績を称え立てられた彼女の像は、今も彼女の守ったクルクスの地を見守っているという。
魔王討伐を志した身としては、ソリティアと並び立つSランク冒険者というのは少しくすぐったいものがある。
それが、他でもないミグからの言葉だというのだから余計にそう思う。
ちょっとした照れ隠しに鼻の頭をかく。
剣を振る手は止めない。
「あー、今のところギルドに入るつもりもないし申し訳ない気がするな、それ」
Sランク冒険者、ほとんど全ての冒険者が求める頂だ。
志し半ばで倒れる物も多い冒険者のなかでSランクに名を連ねる者は少ない。
少し前に聞いた話しでは、全世界で二十前後の人しかその場まで辿り着けないとか。
それだけの実力を違うことに使おうとしている、その事実は幾万とも知れない冒険者達には少し申し訳ない。
「だね」
ただ、仮に冒険者になったとしてもまだEXランクが残っている。
英雄級、勇者級、超越級などといわれるそれだ。
討伐依頼では魔王、天龍を初めとした龍神、魔物の王たる鬼の王、悪魔種の王たる不死の王、くらいか。
人間で言えば、魔王討伐に成功した勇者の他ではただ一人、千年前に全ての人の盾として戦い抜いたタスク・キャヴァリエ・ウォードフォルト以外に存在しない。
歴史全てをひっくり返しても、EXランクとして名を連ねる者はそれ以外にないだろうといわれている。
冒険者ギルド創立から現在まで、ただの一人も成り得なかった最上のランクだ。
だからこそ、Sランクが頂とされる訳だが、さて。
「ありがと、もう大丈夫だよ」
昼食用の薪が確保できたようだ。
残りは野営用なんかの予備、だな。
今時分から薪を備蓄しても仕方ない。
荒野地帯まではまだ二ヶ月程旅をするらしいし。
いや、薪を売るという方法もあるのか?
少し作って、リュフェまでの道のりで売れ方を見るのも良いな。
折角だ、そうしよう。
ミグは焚火台を組み立てて、その上に先ほどの鍋をセットした。
耳が僅かな音を捉える。
「ん、起きたかな?」
布が擦れる音がした。
「見てくるね」
「これが終わったら火を起こしておくよ」
「うん、お願い」
次々と薪が積まれていく。
もう最後の輪切りか、早いものだ。
あー、薪を括る紐は馬車の中だった。
火を起こそう。
焚火台に薪を入れる。
では、着火!
うっ、危うく薪を燃やし尽くすところだった。
これはコントロールが難しいな。
新しい薪に火を移し終えたところでミグが馬車から降りてきた。
「しゅーくん、話があるんだって。
私はご飯作っておくね」
「そっか、頼んだ」
はてさて話とはなんなのやら、ミグでなく俺を呼ぶ理由は少し気になるな。
便宜上パーティリーダーは俺ってことになってたし、その辺りの絡みか?
ふと見るとウサギは足元から皮を剥がれ、それが首に達した所で首を切り落とされた。
その後腹から尻、もう一度腹から首まで切れ目を入れ、内臓が取り出される。
もう足なんかはよく見たことがあるウサギ肉だな。
おっと、いかんいかん。
貴族やら王族、あとは教会関係か? あの辺りを待たせるとうるさいんだよな。
さっさと話でもなんでもして、送り返すとしよう。
「まあ、貴方がシュリト様ですか?」
馬車に乗り込むと同時に声を掛けられた。
「ああ、俺がシュリトだ」
体を起こした姫様風の少女、騎士の方はまだ寝てるか。
あれだけの重傷だったんだ、当然だな。
「それで、俺と話したいことってのは?」
あらあらうふふと笑い声を漏らす姫様風を見る。
寝起きだというのにすっと伸びた背筋、人に見られることに慣れている感じか?
上品に笑顔の口元を隠す手、普通の人があれをやると陰口言って笑ってるようにしか見えないがそんな様子は一切感じられない。
「はい。私、イルミア・ルナ・シャンティ・アド=ミラシアは貴方のお話を聞かせていただきたいのです」
口から空気が漏れた。
あー、完全に溜め息だよこりゃ。
「もしかしなくても隣のミラシアの第一王女様、だよなぁ……」
「はい、私は間違いなくミラシアの王女です」
そりゃ知らないよなぁ、あの国は王以外の王族の情報を完全に隠すんだよ。
多分、王位継承の時に初めて関係各国と国民が知るくらいの秘密主義。
名前ですらシェル姉選りすぐりの間者を送ってようやく手に入れられたほどに鉄壁だ。
それでよく統治が続く。
「普段なら冒険者の方々と夢を語らうのですが……。
徘徊する残夢を倒すほどの方とお会いするのは初めてなのです。
是非、お話を聞かせてくれませんか?」
ん? 普段は冒険者と話してるって、あれ?
「もしかして、クルクスで……」
「はい、イーナ・チェミターとして冒険者登録をしたのは私です」
あんたがイーナか!
つか、これ聞かれ慣れてんだな!!
「こんなところで何してんだよ!
ってかあの話って十年くらい前じゃなかったのか!?」
「私が七歳の頃にクルクスに向かいましたので、もう七年前になりますね」
まさかの年下!?
「突然ウォーキング・グリムが現れたこと以外、私も詳細は知らないのです。
仔細は彼女、騎士リシア・エクエスに尋ねるしかありません」
そう言うと、イルミアは顔を伏せた。
何だそりゃ、傀儡を使った陰謀か何かみたいな構図が思い浮かぶな。
で、その傀儡は概要どころか何も知らない、と。
信じられる訳がない。
いや、どういう名目でここまで来たのか、くらいは知っているかもしれない。
ただ、それがこの件の根源にまで繋がった糸だとは思えない。
そして、彼女は今自分がどういう状況なのかもわかっていないだろう。
詳細を知らないと顔を伏せたところを見れば、何か良くないことに巻き込まれたことくらいは理解しているのか。
ただ、その渦が彼女を中心としたものなのかどうかは知らない、と。
どこまでも不確か過ぎて嫌になる。
俺は彼女と話しているこの瞬間にすら、今自分が安全か危険な状態なのかすら判然としない盤上に押しやられたようだ。
……また溜め息が漏れた。
ミグが俺と話す時、こんな感じの頭痛がするのか?
流石に自分をここまで無知だとは思いたくないぞ。
それと、こんな美人の落ち込んだ顔を見て喜べる程に腐った心根も、どうやら困ったことに持ち合わせていない。
「ああ、わかったよ。
その話はとりあえず後。俺の話が聞きたいんだっけ?
おっと、今更だけど口調どうこうは許してくれ。
こういう性格なんだよ」
「はい! ありがとうございます」
ああそうだよ!
沈んだ顔した美女や美少女を見て、それを放っておくなんて俺にはできない!!
こうなりゃとことん行ってやるよ!
危険かもしれない? ならその危険を切り開く!
罠だろうが何だろうが踏み物して安心できる所まで連れて行ってやるよ!!
「で、イルミアはどんなことが聞きたい?」
「でしたら、初めて魔物と戦った時のことを――」
どう見ても善良か、もしくは善悪が選り分けられるほどに中身が詰まっていないミラシアの姫。
ガキのちょっとした冒険譚に喜び、時に笑い、時に胸を痛め、時に涙する。
あまりにも年齢不相応な心の形が見て取れる。
純真、といえば聞こえが良いだろうが彼女の場合は底が見えないほどの世間知らずが正しいか。
――ああ、こりゃクソ野郎共だ。
彼女の周りはあまりにも腐っている。
籠を作って、その中で汚れ一つない宝珠を育て、その後は蹂躙か、陵辱か?
……この現状を見れば、生贄なのか?
心がゆっくりと一つの形を作り上げる。
俺の手によく馴染む、それは八年間使い続けた剣の形をしていた。
名前は、多分、憤怒とかその辺り。
あー、このあとミラシアまで八つ当たりに行こうか。
血が滲むほどに握り締めた手を隠しながら、俺こと元勇者候補シュリト・シェルム・ノーグレイスは生まれた初めて憎悪というものを知った。
しゅーくんスイッチ入りましたー!