おーまいでぃあー、たまにはのんびりしようよ!
「うん、いいね」
追い風はまさに順風、御者台で頬の撫ぜる風に相好を崩す。
隣にはミグ、胸には欠けることのない決意。
満ち足りて、俺達の旅は始まる!
ミグに締め落とされた後、割とすぐに復活した俺は馬車に荷物を投げ込んで出発した。
ミラとオウロが整えた出発の準備で粗方必要な物は揃っている。
この備えがあれば野営だってなんのそのだ!
「しゅーくん。一年後に帰るって約束、どうするの?」
やや不安の混じるミグの声。
「まあ、なんとかなるんじゃねえかな」
特に宛てもなく、今の心持を言葉にする。
「ダメだよしゅーくん。
竜籠、クルクスからシェルム領までだと片道でも金貨10枚は要るんだよ?
今の内から、どうやって稼ぐか考えておかないと」
あー、あの条件か。
確かに、一見無謀に思えるかもしれないな。
「ミグ。転移陣、知ってるよな?」
ある種特権的な移動手段。
危険もなく、移動の時間すら存在しないその里帰り方法を提示する。
一般人が使おうとすればワイバーンより途方もない費用の掛かるそれは、実は貴族なら無料に等しい対価で使えてしまうのだ!
「……形振り、構わないんだね」
「当然、使えるものは何でも使う。
つっても、その種はこれから行く街に植えていかないといけないな。
シェル姉の一つ目の条件はそれの事を言ってるんだよ」
基本的に、貴族は交渉の間建前しか喋らない。
依頼か、条件か、制限。
シェル姉は制限と条件に見せかけ、全てを依頼として課しているのだと俺は読み取った。
もちろん、条件の中にはそれを達するだけの前提の形成を含んでいる。
いや、言葉に出すのはその前提の部分だけだと言っても良いだろう。
一つ目の条件、主要都市の情報収集。
そしてその情報をシェルムまで送るという内容。
主要都市を治めるのは王族か、それに次ぐ程に有力な貴族だといえる。
そこでの情報収集が意味するものは、偏にその地を治める相手に対して作れる貸しを見つけ出すということ。
「まず足とネタを確保するって意味だな。
転移陣への登録と、貸しを作る土台の形成。
これが一つ目の条件の意味だ。一側面でしかないがね」
各町をある程度自由に動ける状況作り。
そのためにはやはり地方毎に信頼の置ける相手を見繕わなければならない。
そして、千年に及ぶ戦争の膠着は部位の腐敗、場合によっては、国の腐敗を促してしまった。
その凝りを取るための情報を集めろという意味だろう。
情報と知識、その二つの武器で大貴族にまで成り上がった女傑、それこそが俺の知るシェルム・トレラ・ノーグレイスその人である!
三年前から彼女の破天荒な振る舞いは落ち着いたと言われている。
一言で言えば、とんでもない。
この三年間、じっと牙を磨いでいたことを間近で見てきた俺なら分かる。
つまるところ、腐りきった地を食らい、その手を覇権へと伸ばそうとしているのだ。
ならば俺に欲することは一つ、その足場を踏み固めてこいという依頼が浮かび上がる。
ミグが息を呑む。
「で、二つ目。これは単に三つ目の開始時期のことを言ってるんだ。
一年で準備する、一年で動けるようにしろ。そういう意味だな」
逆に言えば、この時点でそれが達成できないのならこの計画は破綻する。
終戦の混乱に乗じた人間領の掌握こそがあの女侯の目論見だろう。
一年以内にその行動を開始できてこそ、その目論見は成るのだと彼女は見極めた訳だ。
この段階で、移動だけできてもダメ、情報だけが集まってもダメ。
分水嶺を引いたのだ。
「三つ目は、定時連絡の最長期間かな。
つまり、月に一度は俺達を使わせろってこと」
ミグの気配に僅かな恐怖の色が混じる。
「しゅーくん」
だが、気にするだけ無駄だとも思うんだよな。
シェル姉なら、俺達にそうと悟らせずに都合良く動かすことだっていくらでもできる。
「さて、戦争するつもりなのか何なのか。
何が起こるのかなんてのは知らねえよ?
あんな化け物みたいな脳味噌の考えになんて正直ついて行けねえもん」
息を殺して笑う。
どれだけ逃げようが、掌から飛び降りた先はもう一つの掌でそれが延々と続くことは想像に難くない。
宣言を貰っているだけマシなんだと納得するしかないところまで来ている。
俺との養子縁組の時点で既に頭の片隅にはこの形があったんだろうなと思う。
そのタイミングがたまたま今だっただけの話だ。
数百は下らないだろう策の一つに、俺達は使われる。
「でも、シェル姉ならやるだろうな。
俺はその片棒を担ぐ。
シェルム・トレラ・ノーグレイス女侯爵が人間の面倒を見てくれるなら、きっと俺達は俺達がやるべきことに専念できる。
これからやるのは、その下準備だよ」
肩を震わせるミグ。
その肩に触れ――。
「とまあ、それもやらねーとだめだけどまずは観光だよ! 観光!!
ミグ、前に打ち合わせた旅行計画のままで行けそうか?」
「あ、もう雰囲気作りは良いんだ。
うん、今のところ変更しなくて大丈夫だよ」
折角の旅なのだ、楽しまない手はない!!
シェル姉の言葉の裏の裏、『土産送ってこい』と『お忍びで連れて行け』を遂行するべく各国の情報を整理する。
まずはミラが居るフィリプス領の山間都市、リュフェで巡る予定地に思いを馳せる。
「リュフェといえば今はどんな食い物があるんだっけ?」
「しゅーくん……まずは食い気、なんだね。
今だとアルティバスが川を上ってるはずだよ。
苔をよく食べて、焼くと良い香りがするらしいよ」
「ほー、焼き魚か。川魚ってあんまり良いイメージないんだけど美味いの?」
「塩焼きにすると美味しいって聞いたことがあるから、多少は期待できるんじゃないかな。
山菜やピケルも有名だよね」
「んー、ピケルはちょっと酸っぱくて苦手なんだよなぁ。
山で取れた果物を漬け込んだルキューレなんかも有名じゃないか?」
「あの辺りの料理だと麦で作ったシェチュの方が合うって聞いたけど」
「その辺り、ミラからちゃんと聞いておけばよかったなぁ」
「だね。川の上に舞台を作って、その上でご飯を食べたりすることもあるらしいよ」
「川の上で、か。今だと少し寒いんじゃないか?」
「ファルマがようやく雨季に入ったくらいだから、山の方だと少し寒いかも。
来年の夏ごろだと涼しくて気持ちいいかもしれないね」
「だな。その時はミラにオススメの店を聞いてシェル姉も連れて行こう」
馬車の車輪が回る音、馬車を引く蹄の音を聞きながらのんびりとミグと語らう。
こう余裕のある午後もいつ以来だろうなどと考えながら、俺こと元勇者候補シュリト・シェルム・ノーグレイスとその幼馴染は旅を始めた。