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元勇者候補君の世直し漫遊記  作者: 77493
第一章 窮国のきみに花束を
6/37

おーまいしすたー、冗談はほどほどにしてよ!

「という訳でシェル姉、馬車を貸してくれ」


 シェルム邸の食堂、俺とミグ、それとシェル姉で円卓を囲んで話を切り出す。

 昔は俺とシェル姉、シェル姉の実弟チェロの三人で囲んでいた卓は三人用と言うには慎ましさの足りない大きさだ。

 具体的には、すぐ隣に居るミグには手を伸ばして手が届くかという距離、俺とミグの反対側に陣取ったシェル姉に手を伸ばしても卓の半ばにすら手が届かないくらいには大きい。


 シェル姉は俺の言葉に目を瞑る。

 いつ見ても姿勢が良く、豊満な胸が激しく自己主張する。

 ついつい視線が下がるのをなんとか堪える。


「道楽でクルクスに、か。

 しゅー坊、いやシュリトよ。

 貴族とてそのような無駄金は避けるべきだとは思わんのか?

 貴族だからこそそのような贅に浸っては民に示しがつかぬと思わんか?」


 開いた瞳は俺を冷たく鋭く射抜く。

 その怜悧で鋭利な視線は俺の背筋を刺激する。


 美女が俺を睨み付けるその構図……。

 俺は少し、いや、激しく興奮した。


 だがそれは表には出さない。

 感覚が語りかけるそれによれば、俺にはクルクスに行かないという選択肢が存在しない。

 本能が語りかける野生への跳躍は心許ない理性で押さえつける。


 なんとしても、俺はクルクスに向かわなければならない。

 だから、俺は頭の中で仮想パズルを作り上げる。

 誘惑に目を背けるように貴族の遊戯に耽る。

 記憶を掠めるその柔らかさに目を背け、空の手を握り潰しながら智謀の盤上に意識を追いやる。


 視界の端で僅かだが俺に目を向けるミグを捕らえた。

 その瞳で揺れた光が何だったのかを知ることはできない。


「確かに、もう魔王打倒という大義名分はない。

 この時勢、貴族に名を連ねることになった俺が旅行などと言い出せば、民からも他の貴族からも批判を受けることになるだろう。

 だが――」


 全力で現実から目を背ける。

 強調される禁断の果実が絵空事なのだと偽りその甘美な感触を記憶の底へと追い詰める。

 無理矢理に、目を対峙する姉の瞳へと向ける。

 底の見えない、ただ自己への誇りにしんと静まる感情の見えない瞳へと向かわせる。


「だが、だからこそ行かねばならないと思っているんだ。

 戦争は終わったと、ファルマの王も、エクレシアの王も言っている。

 俺達にしても、民にしても、その顛末は知らない。

 それを知らなければいけない。

 戦争は如何にして終わったのか、それを知らしめなければ民は安心できないだろう。

 なんなら、今だってまだ戦争に恐怖しながら、仮初の平和だと感じながら生きているかもしれない。

 このシェルム領の領民が不安を覚えているかもしれないんだ。

 その不安を雪いでこその貴族だと俺は思っている」


 大貴族たる姉、シェルム・トレラ・ノーグレイス女侯爵は顎を引く。

 その瞳は値踏みするように俺に向けられた。

 少し揺れた上体が揺らすその豊穣を、俺の視界が間違いなく俺の本能へと語りかける。

 鉄の意志でその視線の重力に抗う。

 ここで屈しては、先に進めないのだと言い聞かせて。


「後方であるこのシェルムに戦火は届いておらぬ。

 戦乱の恐怖を民は知らず、日々を安穏と享受しておるぞ。

 その言い分は少し苦しいな」


 幾分俺への興味を失う女侯の眼光。

 肩の力を抜き、彼女の魅力がふるりと震える。

 目に力を入れる、気を抜けばすぐに負けてしまうだろう。


「民とはこの領地、この国だけに留まるものなのか?

 俺の尊敬する姉、シェルム・トレラ・ノーグレイスの器は凡庸たる貴族共と同じだけでしかなかったのか?」

「何?」


 ぴくりと反応する女侯爵は、珍しく前へ体を乗り出す。

 更に強調される誘惑、その動作につられ、躍動的な柔らかさを動きにする。


 ……凄い、威力だ……っ!

 だが負ける訳にはいかない。

 今すぐその誘惑の谷へと伸ばしたくなる手を骨が折れてしまうのではないかというほどに力を込めて制す。


「貴族である俺達ですら仔細を知らないんだ。

 どこだろうと、民がそれを知っているとは思えない。

 そして、戦いへの恐怖はその中心地に近付けば近付くほど強くなる。

 山林都市ヴィーノくらいまでなら民も不安なんて覚えないだろう。

 でも、そこから折り返したポルトスは? フェリガは? リヴァディアは?」


 ここで一度言葉を区切る。

 より強い引力を発するその豊潤への警戒に釘を刺し、言葉を選ぶ。


「俺が敬愛する姉、シェルム女侯爵ならばいずれその全てを飲み込むかもしれない。

 その土台を少しでも固めておきたいんだ。

 俺の出す対価は億を超える民達からの信頼、そのために馬車を貸して欲しい」


 姉の瞳は一気にその力を増す。

 大貴族の眼光、家督を享受しただけの王よりも強い意思が俺を射抜く。

 隣で、ミグの肩に力が篭るのが分かる。


 ……大丈夫だ、ミグ。

 この場は俺がなんとかする。


 ふと、重圧が消える。

 シェル姉が体を椅子の柔らかな背もたれに預けた。

 ぐっと自己主張する精神の肥沃が俺の目を吸い付けようとする。

 歯を食いしばって密やかに値踏みする姉の目を見つめ返す。


「どこでそんな賢しさをつけた?

 少し前まで、いや、今の今までただのませた小坊主くらいにしか思ってなかったんだがな」

「俺はシェル姉の弟だぜ?

 それも、シェル姉が直接選んだ男だ。

 これくらいできなくて大貴族の弟なんて名乗れるかよ」


 シェル姉は今日始めての笑みを浮かべる。


「チェロに聞かせてやりたい言葉だな。

 分かった、馬車の一つや二つくれてやろう。

 御者はどうする?」


 その言葉に安堵し、体から一気に力が抜けた。

 ミグも同じように少し姿勢を崩した。


「平地なら私がなんとかします。

 オウロかミラなら馬車くらいどうにかするでしょう」

「そうか。

 しかししゅー坊、少しばかり私は女としての自信がなくなったぞ。

 いつも舐めるように私の胸ばかり見つめるというのにどうしたんだ?

 まだハリがなくなるような歳ではないと思っているのだが」


 まさか潰れたのかとシェル姉。


「いや、危なかったよ。

 シェル姉と交渉するのにそんな隙は見せられないからな」


 頭を戦闘モードから平常運転に切り替える。

 自然と目がシェル姉の胸に吸い寄せられる。


「そうか。ああ、そのいやらしい視線だ。

 久々に受けると少しくすぐったいような気がするな。

 だが、脂ぎった豚爺共の視線よりは幾分心地良い」

「……シュリト様」


 ミグが険の混じった目で睨み付けてくる。

 確かに、くすぐったい。

 そして心地良さにも共感できる、主に興奮をくすぐるという意味で。

 ミグに顔を向け、視線が下に吸い寄せられる。


「ど、どこを見ているんですか!」


 ばっと自分の胸を抱き隠すミグ。

 いやそれ、どっちかって言うと強調されてると思うんだよ。

 ついつい目に力が入る。


 気付いたミグは顔を赤らめて体を背ける。


「なんかその、見返り姿?

 うん、それも良い、すごく」


 恥ずかしげな上気した横顔、切りそろえた髪の下に覗く白い首筋、華奢な肩からは想像もできない実りが僅かに顔を覗かせる。

 たおやかな背から繋がる細やかな腰と、意外にも女性を主張する腰つき。


 ああこれは、百点だね!


 ミグは顔を更に赤くする。


「一度頭を冷やしますか?」


 ぐっと握られた拳をちらつかせるミグ。

 まてまて時に落ち着け、主に頭部が陥没するぞそれ。


 力の込められたそれに冷や汗が背筋を刺激する。

 この感覚は冷や汗が伝うもののはず。

 俺に殴られて喜ぶ趣味なんてない……なかったよね?


「いつも通りか。

 いや、ミグ。何があったかは知らんが良かったな」

「何がですか!?」

「しゅー坊、私がミグを侍女にくれと言っていた意味が分かったか?」

「ああ、今ならばっちりだ」


 にやにやと笑うシェル姉は爆弾を投下した。


「ところでしゅー坊、今諦めたら毎日胸を好きに触らせてやるがどうする?」

「なにっ!?」


 多分俺は光速に迫る速度でシェル姉に振り向いた。

 少し抱き寄せてこれでもかと深まるその誘惑の谷に釘付けになる。

 その少し上では悪戯っぽく笑うシェル姉。


 俺の野生が理性を食い殺すのが分かる。


「なっ!!」


 短く叫んだミグは素早く俺の頭を掴む。


「いだだだだだだ」

「何を言っているんですかシェルム様!」

「ちょっと待てミグそれ頭が割れるるるるるるるる」


 頭蓋がみしみしと聞いた事のない音を上げる。

 いやこれほんとに割れるって!

 命の危険が俺の野生を駆逐する!!


「シェル姉も笑ってないで助けてくれよ!」

「はははっ、いや冗談だよミグ。

 私は男より女の方が好きなのでな。

 ミグになら好きなだけ触らせても良いぞ。

 いくらでもねぶって良いから私にもミグの胸を揉ませてくれ」

「お断りします!」


 さっと俺を盾にシェル姉から隠れるミグ。

 頭を掴んでいたミグの手が離れて肩口に両手を乗せた。

 助かった、のか?


「そうか、それは残念だ」


 さして残念そうな風も見せずに未だににやにやするシェル姉。

 何か考えている、か?

 その表情から上手く思考まで読むことはできない。


「そういえばシェル姉。

 馬車を貸してくれ、といったのにくれるというのは何か意味があるのか?」

「ほう、何か裏があるとでも思っているのか?」


 シェル姉にやにやとした面構えを変えずに目を細めた。

 当たりだったようだ。


「何もなければ、交渉でこちらが所望した物以上なんて渡さないだろシェル姉は。

 依頼か条件か制限か、とか、その辺りまでは分からないけど何があるんだ?」

「ふむ。ま、及第点としておこうか。

 褒美に後で少しだけ触らせてやろう」

「マジで?」

「何でそうなるんですか!」

「誰が私のを、と言った?

 ミグはお前が私の胸を触るのが嫌なようだし、ミグのを触らせよう」

「だ、ダメです!」


 すっと仙術歩法・縮地まで使い自分の席の椅子まで避難するミグ。

 縮地、熟練の武芸者でも使えない奴が結構居るんだけどなぁ。

 さらっととんでもないことするね、背もたれの影から警戒するように向けられる視線が愛らしさを演出している。


「とりあえずそれは後で決めるとして、だ。

 シェル姉は俺に何をさせたい訳さ? もしくは何をさせたくないの?」

「シュリト様! ダメですからね!?」


 シュリ姉は警戒態勢に入ったミグを置いて話を進める。


「とりあえず、主要都市に入った時とそこから出る時に手紙を出すのが一つ。

 情報収集が主な目的だが、騎士と間者は出しているからな。

 しゅー坊の感覚から見た印象でも書いて送ってくれれば良い。

 心配性な姉を安心させるためだと思って近況でも報告してくれ」

「それくらいなら問題ないな、次は?」

「お二人とも聞いているんですか!?」


 背もたれから顔を出すミグ。

 俺とシェル姉の視線を受けるとまた隠れに入る。


「二つ目は、出発から一年以内に一度この家に戻ること。

 これが無理だというのなら馬車は貸せん」

「それは……向こうに着くのが半年後だとして、残りの半年以内に竜籠に乗れるくらいにはなれってことか?

 ちょっと厳しいんじゃないかそれ」

「最後の条件を満たすにはそれくらい簡単にこなしてもらわなければ困るからな。

 嫌なら私から馬車を借りなくても良いんだぞ?

 それとも、それくらいもできずに私の弟を名乗るつもりだったのか?」

「それを言われちゃ、飲まざるを得ないな。

 なんとかしてみよう。

 で、聞くのが怖いけど三つ目は?」

「ちゃんと聞いてください……」


 ミグが萎れていく。

 もうちょっと待ってくれ、っていうか涙目になるな!


「ミグ、ちゃんと聞いてるよ。

 ほら、泣くなって」


 席から立ち、ミグの頭を撫でる。

 立った時にびくっと身を引いたが気にせず抱き寄せる。


「ぅ、泣いてません」


 ミグの柔らかい髪を梳くように撫でる。

 あうあう言いながら、満更でも無さそうにミグは俺の肩口に手を置いた。


「おーおー、見せ付けてくれる。

 三つ目、最後の条件は、一年目以降月に一度この家に帰ってくることだ。

 お前を離したくない私からの嫌がらせだと思って諦めて飲め」

「月一って、往復を考えればワイバーンを買えってことか。

 全く無茶言ってくれる。

 まあ、弟離れできない姉のわがままくらい飲んでやるか」

「何を言っている。私が離したくないのはミグだぞ。

 お前なんぞに渡してたまるか」

「シェル姉、馬鹿なことも休み休み言ってくれ。

 ミグは俺のだからっ!?」

「シュリト様!」


 『きゅっ』と肩口から首元に流れるミグの手は俺の首を締め上げた。


「な、何を言おうとしているんですか!」


 私達はまだそんな……などと呟きながら俯く。

 耳まで赤くなっている辺り、可愛い奴だ。


 とかそんな場合じゃない!


「み、ぅ!!?」


 声にならない声を上げながら命を刈り取ろうとする細い指を解こうともがく!

 何だこれ! 指に引っかかりもしねぇ!!

 離してくれとミグの手を叩く!

 視界の端から黒が溢れてくる!!


「貴族の新妻、照れ隠しで夫を絞殺……か」

「シェルム様!!」


 ぶんぶんと揺らされる頭、手足にはもう力が入らない!

 あかん、これあかんやつや。


「ミグ、よく見ろ。

 しゅー坊が泡を吹いているぞ」

「えっ!?」


 ゆっくりと沈んでいく意識、解き放たれた首筋に通る血液がはっきりと感じられる。

 肩を掴んだミグの手ががくがくと俺を揺さぶった。


「きゃー! シュリト様! シュリト様!!」


 かっと頭が熱くなる感覚。

 だがもう意識は深く沈もうとしている。


「慌てるな、しゅー坊は殺しても死なんよ」

「何を言っているんですか! 早く治療しないと!!」


 黒く染まった視界、飛び立とうとする意識の中で、ふわりと良い匂いに包まれるのを感じる。

 柔らかく、温かい。


 ――あれ、これはまさか……。


「ミグ、最近寝不足だから後で私にもそれをやってくれないか?」

「嫌です!」


 頭の上のすぐ近くから聞こえるミグの声を聞きながら邪推する。

 すぐ近くから香るミグの匂いに興奮を覚えながら、俺こと元勇者候補シュリト・シェルム・ノーグレイスは意識を手放した。

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