おーまいさぽーたー、ひとりで寝させてよ!
「あーもうフィリ! 涎でぐっちゃぐちゃになってるからやめろ!」
「んー」
抱きかかえているフィリに噛み付かれながら行軍する。
そういえば剣持の連中を見ない。
屋敷を出る時に遠目に見ていた連中も綺麗さっぱりだ。
……不安になってくるな。
だが妙なことに、こうも怪しいと逆に清清しい。
もうどうにでもなれという心境、とも言えるが。
「ミグ、噛み跡とか残ってないよな?」
「んー、ちょっと残ってるね。でも朝には治ってると思うよ?」
そんなもんか。
ま、血が出るほど痛いって感じもないからそんなもんなのかもな。
「フィリ、俺なんか噛んでも美味くないだろぅふぅ!! おいイルミア! お前もかよ!!」
突如噛み付いて来たイルミアに思わず変な声が出てしまった。
「ふいおはあおいひいえう」
「っっっ! 噛みながら喋るな!」
しかもわき腹だよ!
妙にくすぐったい!
「ああういおあっおひえうああい」
「っっ!! 何言ってんのかわかんねーって!!」
「しゅーくん、多分イルミアちゃんも抱き抱えて欲しいんじゃない?」
「……そうなのか?」
「ひゃい」
「……よく分かったな、ミグ」
溜め息を一つ漏らしてミグとフィリを下ろす。
腰に回されたイルミアの手を解き、離させる。
イルミアがじっと俺を見上げた。
「しゅりとさま?」
「んじゃ、三人抱えて行くか」
イルミアとミグを抱き寄せ、抱える。
「ひゅいっ!」
「フィリ、間に飛び乗れ」
「ん!」
「ちょっと無理があるんじゃない?」
言いながらミグがフィリの背に手を回す。
確かにちょっと無茶だな。
ただ、こうでもしないとイルミアの口撃が止まらない。
わき腹とか、そんなに弱いつもりじゃなかったんだが……。
それは良い。
とにかく今はミラとリシアの部屋に行こう。
「んじゃ、行くぞ」
……つか、この抱え方は失敗だったかもしれん。
無闇に柔らかいし、匂いが…………。
少し頭がくらくらする。
ミグとイルミアの胸とか押し付けられてるような感じだし、こう、歩く度に揺さぶられるものが……。
って、平常心!
余計な事を考えるなっ!!
今は足を動かすことだけを考えろっ!
「へへ、ふいほはあ」
イルミアが肩を噛んできた。
ちなみにフィリは逆側の首に噛み付いてる。
……フィリの香りが強い。
花の匂いだ、としか言いようのないような匂い。
ただこんな花の匂いは嗅いだことがない。
花育てるのが好きだからとかそういうことか?
不快な匂いではないんだが、落ち着くんだが落ち着かない。
あー、もしかして霊気の匂いか?
近い気がする。
とか考えている内になんか、とんでもない集団を見つけた。
「……ミグ、あれ、何だと思う?」
「剣持の人たちだと思うけど」
「だよな……」
なんと言うか、やけに緩慢な動きでミラたちの部屋のドアに群がっている。
俺たちの声に気付いたのか、「あー」とか「うー」とか呻り声のようなものを上げながら指を差している。
「嫌な予感しかしない」
「私も……」
剣持の面々は気付いた順に俺たちに向けて歩き出した。
ゆっくり、というか、何か引き摺るような動作で。
なんというか、グールの類を思わせる。
そのくせ肌が妙につやつやしていて妙な違和感を演出していた。
表情は獲物を見つけたと言わんばかりのぎらぎらとした目に、どうみても香に当てられたような陶酔に近い恍惚の顔。
アンバランスさ、というか、意味の分からなさが危機感を煽りたてる。
一言で言えば、恐怖感に近いどん引きの心境を与えてくる。
「あー」
「しゅりとくんだー」
「わたしもだっこしてー」
口々に言いながらゆっくり、ゆっくりと近寄ってくる剣持のゾンビのような一団。
どこかに逃げ込みたくなる。
「……しゅーくん、下りるね。ほら、フィリちゃんも」
「んー!」
俺の腕から離れてフィリを引き剥がそうとするミグ。
フィリは俺の首筋を噛んだまま首を振って嫌がる。
「これ、どうすべきか」
「突っ切るしかない、よね?」
「……だよなぁ」
こんな奴らが群がっていた部屋にいたミラとリシアが心配ではない訳もなく、突破の方向で話が纏まる。
「フィリちゃん、わがまま言わないで。後で好きなだけ噛んで良いから」
「んんー?」
おいミグ、なんかさらっと俺を売ってないか?
まあフィリは身内みたいなもんだけどさ。
「わかった」
「じゃ、こっちね」
ミグがフィリを抱きかかえる。
抱き上げられたフィリはそのままその肩に顔を埋め……。
「ひゃっ! だ、だめ。フィリちゃんやめて」
「んー」
ミグの首元に噛み付いた。
剣持ゾンビが色めき立つ。
「みぐさまがー」
「ああ、ふぃりちゃん。いがいとごーいん……」
「みぐちゃん、ふふふふふふ」
……剣持ゾンビはとりあえず無視しておこう。
遠目に人垣を作って二人を見つめている。
「ミグ、行けるか?」
そう言いながら肩を叩くとミグは、
「ふぁっ」
と声を上げながら倒れこみそうになった。
「おい、大丈夫か?」
とりあえず倒れそうになったミグを抱きとめる。
結局全員抱きかかえてこのゾンビを越えていかないといけないらしい。
ってか、ミグ、俺それにずっと耐えてたんだけど。
ミグは首筋とか弱いのか……?
いや、今は余計な事考えてる場合じゃないな。
「っう、ごめん……」
見上げてくるミグの目は熱を帯びていて……それも今は考えるなッ!!
見るな!
というかなんなんだフィリは。
どこでそういうテクニックを身に付けたのか後で確認せねばなるまい。
「まざろ」
「のりこめー」
「わー」
とかやってるうちに剣持ゾンビどもが辛抱堪らなくなったらしい。
一気に雪崩れ込んできた。
……ゆっくりのろのろ。
で、目が捉えた訳だ。
扉の前にスペースができてる。
四が滑り込むくらい訳ないくらいのが。
こりゃ飛び込むしかないでしょ!
「跳ぶぞ」
とだけ言ってゾンビの群の頭上を跳び越える。
で、思った訳だよ。
こんだけ群がられて開かない扉……。
鍵なりバリケードなりができてるんじゃないのか?
そうなるとゾンビの包囲網の中にわざわざ飛び込んだことになる訳で……。
着地の瞬間、一気に極限まで集中する。
時間が止まったかのような錯覚。
まず扉を普通に引いてみる。
ああ、裏に何かつっかかってんね。
無理矢理開くってこともできるがそうなりゃ扉が壊れるだろう。
ゾンビの足止めができなくなる。
裏側、窓の方はどうだ?
見たところゾンビ化すると相当に俊敏性が落ちるらしい。
可能性はある。
ただ、この中にあって俺とミグにはさして香の影響はない。
多分、抵抗力みたいなものがあるんだろう。
その抵抗力を持ってるやつがいないとも限らない訳で、裏側からもゾンビのなりかけが群がっている可能性が否定できない。
とりあえずこの案は却下だ。
さて何か良い手はないものか。
……時間切れ、って訳でもないがこの場からは逃げた方が良さそうだ。
一度広い場所か安全な場所に立て篭もって対策を練ろう。
んー、俺の部屋でバリケードでも作るか。
そこまで考えてもう一度ゾンビの群を跳び越える。
「ダメだ、扉が開かん。一度俺の部屋に戻ってどうするか考えるか」
「ぅん……」
ミグの様子もおかしい。
もしかすると香の効果が出始めてるのか……?
急ごう。
ミグが似たようになったらまずいとかそういう次元じゃなくなる。
俺と同等の体裁きが可能なんだ、逃げるって手は元々使うつもりもないし、取り押さえるなんてのは考えたくもない。
何より、ミグの場合捕縛術がヤバすぎる。
一度固められると俺でも抜けられないんだ。
ミイラ取りがミイラって光景が鮮明に想像できる。
身体強化を纏わせて一気に廊下を駆け抜ける。
……ん?
ミラとリシアの匂いがするな。
残り香の跡から言うと、俺の部屋に向かってたのか?
……嫌な予感しかしねーな。
俺の部屋に向かったならなんであの部屋の扉は開かなかった?
よく分からん。
考えている内に部屋に到着。
もうどうにでもなれと心の中で叫びながら扉を開く。
「いくぞ?」
「……うん」
ミラに覆いかぶさったリシアがミラの浴衣の帯に手を掛けている。
……場所は、俺の布団の上。
いや、あれ、え?
「あの、お前ら何やってんの? ってかナニしようとしてんの?」
「ん、シュリト?」
「どこ行ってたの?」
ミラとリシアは座りなおしてそんなことを言った。
「で、部屋のはデコイだと」
「そうだ。入れ違いになったらどうするという話になってな」
二人と対面に座り、まず状況確認から入った。
ミグが右手、イルミアが左手、間にフィリという感じで、俺にもたれ掛かっている。
二人はちらちらとその三人を羨ましげに眺める。
……なんかお前ら、キャラ変わってない?
「そもそも俺の部屋に何しに来て、二人で何しようとしてたんだ?」
「それは……アゲハから聞いたのだがリュフェには夜這いという文化があるらしいのだが、それを実戦しようとしてな。
ミグとフィリに随分差をつけられているからどうにかならないかと思ったんだ。
それで、ミラと相談している内に、ミグやフィリとことを済ませて来たらどうするという話になって……なら、もう済ませた後でも奮い立つような状況を作るしかないんじゃないのかということになった。
その方法が、その、布団を捲ったときに裸の女がいればむしゃぶりつくだろうとミラが言うのでな?
だから、服を脱ごうとしていたんだ」
顔を真っ赤にしながら切々と説明するリシア。
おい、もうちょっと冷静になって欲しい。
というか、お前らからすると俺ってそういう節操なしに見える訳か。
いやー、お前らが俺をどう思ってるのかよく分かったわ。
言っておくが今まで靡くことはあっても手を出した人は一人もいないからね?
……街娼すらだよ、ほんと。
どうしよう、泣きたくなってきた。
連れ込み宿に入って緊張を解そうと顔を洗ってる間に金だけ持ってとんずらされたことなんて一度や二度じゃねーんだぞ……。
「リシア、私のせいだって言いたいの? リシアものりのりで『それなら脱がしあってみるか』って言ってた」
「ま、待て! ミラ!!」
ミラの反論に慌てて返すリシア。
……いや、その辺りはどうでも良いです。
「アゲハも、リュフェには『据え膳食わぬは男の恥』という言葉があると言っていたから、それでだな……」
「はぁ、お前らもう寝ろ! コダチの馬鹿が変な香を焚いたらしくてそれでおかしくなってんだよ。
寝たら治るらしい。だからとりあえず寝ろ!」
めんどくさい。
その一言だ。
もう夜半も回っている。
多分、明日も寝不足だろう。
せめてちょっとでも睡眠時間を長く取りたい。
「えっと。しゅーくん、二人にあの人垣越えて行けって言ってるの?」
「……あー」
あの中に放り込むってのはさすがに忍びない。
「人垣とはなんだ?」
「イルミアみたいな状態の奴らがお前らの部屋に突撃しようと扉に群がってんだよ」
「っ!?」
そういえば、あいつらはなんで向こうに行ったんだ?
……考えられるのはあれか。
ミグとフィリの部屋をコダチに抑えられて、ならもうイルミアたちの部屋しかないと突っ込んで行った訳か?
そのあとどうするつもりだったんだ……。
ありそうなのは、その部屋で一晩コースかその部屋のヤツに託けて俺の部屋にって流れか。
ってか、ミグの部屋にはコダチとサヤがいるんだったな。
「……はぁ、ならもうこの部屋で泊まってけよ。ただ変な気起こす気はねーからそのつもりで」
と言って、いやそれまずくねと気付く。
つまりあれか、一晩中俺は自制心を保たないとダメな訳か。
言っておくが俺だってむらむらしてない訳じゃないんだぞ。
ミグとかイルミアの胸とか三人の匂いとか……ってやめろこの記憶は掘り返すな!
余計に自制が効かなくなりそうだ。
「分かった。あの……」
「どうした?」
歯切れの悪いリシアに問いかける。
リシアは、たまにこうなるよな。
「い、一緒に寝て良いか!?」
えっと、何を言っているんです?
一瞬ミグの殺気に身構えたが、意外なことに威圧すらしてこない。
「しゅーくん、どうするの?」
それどころか不安そうに俺に尋ねてくる。
んー。ミグ、どうしたんだ?
もしかして体調とか悪いのか?
「どうするもこうするも」
「わたしもしゅりとさまといっしょにねます」
「私も」
「ん」
どうしろと言われても、この通りである。
「お前ら、勘弁してくれねーかな?」
ミグが泣きそうになってんじゃねーか。
流石に婚約者泣かされたら俺も怒るぞ?
「俺は一人で寝る。お前らは人肌恋しい奴らで集まって寝てろ」
……どうにかなったら自己責任ってことで。
とか考えていると、扉からノックの音がした。
反射的に立ち上がり、特に何も考えずに扉を開く。
そう、開いた。
リュフェにはノックの文化がないようなのに、何故ノックなどしたのかと疑問に思いもせずに。
「今だ! なだれ込んで!!」
そう言いながらコダチが身を挺して戸を閉じさせまいとする。
ヒダカを先頭に、サヤ、シノギが続く。
一瞬何が起こったのかと反応が遅れた隙に行われた早業である。
後ろには、例のゾンビの群……慌ててコダチを引き寄せ、戸を閉めた。
「にひひ、潜入成功!」
「母さん、やりましたね!」
「……お婆ちゃんたち、またあのお香使ったの?」
「ふぁ、あ。み、見ないで下さい!」
大人しく寝ていたのだろうシノギとコダチを引き連れての登場である。
そういえばシノギ、広間では何か企んでるっぽかったけど何もしてこなかったな。
……いや、何かしようと俺の部屋を訪ねたら留守で不貞寝したとかか?
どうでも良いか。
寝ている所を叩き起こされたのか、ヒダカが可愛らしく欠伸をして俺に気付くなり顔に朱を滲ませる。
……なんだろうね、なんかこう、癒される可愛さというかなんというか。
ウチのパーティにはこういう普通な子が足りないんだよ。
いや、ヒダカも普通じゃなかったか。
剣持に汚染されつつある。
素質が開花しようとしてる、が正解か?
……ではなく。
「コダチ、ことと場合によっては全身の間接を分解しなくちゃいけないんだけど申し開きはあるか?」
「ひぇ! ち、違うの……そう! お布団とか足りないでしょ? だからだよ、だから!」
その言い訳は無理があるぞ……。
ただ、確かに布団は足りない。
圧倒的に足りない。
昨日ミグと二人で寝た時にも狭かったんだ。
「……ま、良いや。布団が足りないのは事実だし。適当に出しておいてくれ」
「うん、まかせといて……って言っても、一部屋八組しかないんだよね。
旦那様が二人抱き寄せて寝るか、旦那様が一人だけ可愛がってもう一組女の子同士で仲良くしないと眠れないかも」
「いや、俺一人で寝るから。お前ら親子同士で寝てろ」
「そんなぁ、後生だから私と寝ようよ」
「断る、要らん火を起こすな」
ってか、断ってもこいつの場合潜り込んで来そうなんだよな……。
やっぱ今日もゆっくり眠れないのか?
「では、私はミグ様とフィリ様の下敷きになって寝ます!」
「……自分で頼めよ? 俺は知らんぞ」
「お断りします」
「ん」
「そ、そんな!」
袖にされても表情が悦んでいるサヤ。
多分剣持で一番面倒な相手の一人だな。
何かコイツの対策になるようなものはないか。
「……樋高ちゃん、一緒に寝る?」
「お母さん、それちょっと恥ずかしいよ……」
ヒダカはなんだ、結構照れ屋なのか?
その割には風呂では結構思い切ったことしたな。
「……久々に樋高ちゃんの育ち具合を見るのも良いね」
「ううっ、は、恥ずかしいけど……」
言いながら浴衣の帯に手を掛けるヒダカっておいお前何する気だよ!
まさか露出か羞恥に興奮覚えるタイプか!?
よく見なくても浴衣の掛け合わせが広い!!
今にも零れそうだ!
これは見逃せない……じゃなくて!!
「その手、動かすなよ? とにかくお前ら、布団出すならさっさとしてくれ」
「はーい。旦那様、ご褒美期待しちゃうよ?」
「次は足にしとくか」
「冗談っ! 冗談だからね!? ほらみんな、お布団出すよー」
コダチが三人を引き連れて布団を引っ張り出し始めた。
それを眺めながら、なんとも言えない不安、というか、嫌な予感を気のせいだと思い込むことにした。
もう、ここまで来たら逃げ場なんてのは存在しない。
無事に明日の朝日が拝めますように、などと似合いもしない祈りを捧げる。
警戒しっぱなしで眠れそうにないなどと考えながら、俺こと元勇者候補シュリト・シェルム・ノーグレイスはその後訪れる最後の戦いの予感に気付かない振りをした。




