おーまいでぃあー、僕はきみのところに戻ってきたんだよ!
「あ、あのー。これはですね…………?」
「はい」
彼女が笑顔を貼り付けた顔で俺に視線を向ける。
……考えろ、考えろ!
最善解はどこだ?
どうすれば彼女の怒りを買わずに済む……?
頭が上手く働かない。
だが、恐怖はもう感じてはいなかった。
感じるのはただ偏に、諦観……。
既に手遅れなのだという理解の他に感じるものなどなかった。
ああ、受け入れてしまっている。
自分が死ぬという未来を、それから逃れようがないという事実を。
諦めは急激に俺の思考へと滑り込み、無駄な抵抗だと騙り掛ける。
齢にして十五年。
ようやく気付いた意というものに従って意中の相手に思いのたけをぶつけた。
色好い返事をもらい、さあこれからだと何かを成すこともなく死んでしまうというのか。
思い返せば悔いばかりだ。
思いを伝えたと言っても、俺は彼女とまだ触れ合うことすらできていない。
思い描くのはなんでもないような日常で、そこには俺と彼女が居る。
ただただそんな日々に、拙い憧れだけを抱いて死んでしまうことになるんだろう。
なんとなく吹っ切れる。
例え届かなかったとしても、最期は彼女に触れていたい。
そう思うと、身体は立ち上がり、ただ彼女を求めるように歩み始めた。
彼女の瞳を見た俺の目は、俺に語りかける。
彼女の姿を認めた俺の心は歓喜する。
足はかわらず、何気なく彼女へと歩を進める。
俺の心は、一つだけ、彼女に触れたいという思いだけを募らせていく。
「なんで、こうなるのかなぁ?」
思ったことがそのまま口から溢れた。
彼女は計りかねたようにすこし困惑を滲ませた顔で俺を見つめ返した。
後に控えるのは、圧倒的な、死という逃れようのない運命だけだというのだろうか。
どこまでもどうでも良くなって、ならもう心の赴くまま好きなようにやらせてみようかと考えることも放棄する。
望みに辿り着くことはないだろうどん詰まりの迷宮を思い描いて手を伸ばした。
手が、彼女に触れた。
頬にすこし、掠るように。
でも、確かに触れた。
触れることができた。
それだけで満足しようとする心があった。
それだけでは足りないと騒ぎ立てる心もあった。
彼女の頬を掠めた手は、彼女の髪を掬うように動いた。
彼女は少し肩を驚かせ、胸の前で自らの手を抱く。
不安を訴える彼女の面持ちになんとなく昔を思い返してそっと髪を撫でた。
彼女は目を瞑る。
頭を撫でた。
彼女は目を開き、俺を見上げる。
不意に愛おしさが強くなって、彼女をもっと強く感じていたくなって、抱き寄せる。
彼女は俺の胸の中で、息が詰まったように身を固めた。
構わず、抱きしめる。
ずっとこうしていたいと思った。
胸の中に福音が響いたのを確かに聞いた。
まだ足りないのだと喚き散らす声を聞いた。
手を、彼女の肩に置く。
彼女の肩が跳ねる。
ゆっくりと身を離した時、耐え難い喪失感が俺を襲う。
彼女は、俯いていた。
ずっとああしていれば良かった!
それが失われるまでずっと、そうしていれば良かった!
どうしようもない衝動のまま彼女を抱きすくめようとする。
より強く彼女を見つめる目が彼女の小さな手を捉える。
俺の胸元で、服を弱く握るその手を見つける。
それがどうしようもなく大事なものに思えてその上にそっと手を置いた。
彼女は顔を上げる。
彼女の手を柔らかく握る。
彼女は俺を見上げて、そっと目を閉じた。
肩に置いたままの手を彼女の背に回し、抱き寄せる。
握った手を解いて彼女の髪に触れる。
胸の中に燃え盛る何かを感じた。
幾度となく感じてきた熱が導くまま、俺は彼女に触れる。
彼女の唇に触れた。
堪え様もない熱が体中に広がるのを感じる。
その熱は尚も彼女を求めようとする心を焼き尽くすのを感じた。
どうしようもなく全てを諦めた、俺の想いがその瞬間に蘇っていた。
まだ惜しむ心にそっと幕を掛けて彼女の唇から離れた。
触れ合うだけの拙い口付け。
それが、得も言えぬ何かで俺の中を満たすのを感じる。
俺の中で何かが形になろうとしているのだと確信する。
それが何なのかを俺は知っている。
その想いは形になる前に二つだけ、言葉を発した。
「ずっと、傍に居る。だから俺の傍にいてくれないか?」
「……はい」
そして、千々に散った心が一つの像を結んだ。
……何やってんだ、俺?
結果の一つを言おう。
俺は生き残った。
どうしようもなく逃れようのない『死』という運命から、俺はまんまと逃げおおせた。
死を覚悟してこれ以上ないくらいに踏み込んで、ついでに願望の赴くままに行動して自分でもよく分からない内にミグの唇を奪って。
それで、なんというか、抜けそうなくらい歯が浮くような事を言った気がする。
ただ、それが唯一の活路だったのだ。
ちなみに直前に何を言ったのかはよく覚えてない。
それくらい極限の状態だったんだよ!
仕方ないだろ!?
あ、でもミグの唇の感触は……ってこれはやめておこう。
これは違う意味でまずいことになる。
ほら見てみろよ。
致命的な部位を避けて一撃必殺の攻撃が飛んで来るんだよ。
肩、膝、お、次は生きてる肘を折りにくるか?
ってかこの位置でそっちの膝潰されると……。
「すまん、ミグ。支えてもらうぞ」
「ひゅいっ!?」
肩と肘が壊れてるとか、もうどうでも良いや。
柔らかくて、温かい。
それが全てだと思い込むことにする。
痛みなんてのに一々反応してても誰も幸せになれないだろ?
しかもそっちに意識を割くとどうしても俺が不幸になるのだ。
なら、無視するのが一番。
「治してくれねーと退けねえぞ」
とりあえず開き直る。
そう。
俺は開き直ることにしたんだ。
結果の二つ目。
何と言うか、今近くに居る人物全員が注視してる中でやらかしてしまった感が半端ではないのだ。
もう開き直るしかないよね!
そうすりゃミグといちゃいちゃする機会の増加も狙えるのだ!
これぞ一石二鳥!!
ああ。はっきり言って照れを隠してどうこう弄くられるより開き直って見せ付けるくらいに引っ付いた方が精神衛生上良いんじゃないのかと開き直っただけだよ!
ほら、アゲハよ。
これを弄ってみろ!
見せ付けるようにいちゃついてくれる!!
そんなことを考えていると……、
「んー!!」
チビが俺の折れた足に蹴りを入れた!
脳髄全てが白く染まるように痛みが全身を駆け巡る!!
「ッ!? ちょ、ちょい待て! っ! おい!!」
「シュリト様……お食事の時間ですから、お席にお戻りになってください」
イルミアが肩が砕けた方の腕を取って引っ張ってくる!!
ちょま、そっちはだめだろ!!
「ッ、ぁ!!」
無視していてもお構いなしに押し寄せる痛みで意識を失いかける。
無理矢理に飛びかけた意識を引き寄せると、やけに粘つく汗が浮かぶのを感じた。
お、お前らちょっと待てよ!
骨折れてる所は神経剥き出しになってるようなもんなんだぞ!!
それを、ッ!? イルミア! 今わざと肩ぶつけなかったか!?
「み、ミグ!! 早いとこ治してくれ!!」
痛みというものに生まれて初めて恐怖を感じる!
この痛みがずっと続くなら、三日と経たず俺の精神が死んでしまう!!
ってか、二人とも急にどうした!
俺は何かを間違えたのか?
「ま、待ってね? すぐ治すから!
蹴っちゃダメ!! イルミアちゃんも離れて!
骨が変にくっ付いちゃうよ!」
「ミグ様……ずるいです。ずるいです!」
「んー!」
チビっ子が俺の服の裾を引っ張りながらぴょんぴょん飛び跳ねてる。
どうしろと……。
どっちにしても俺とお前じゃ犯罪的過ぎてどうにもできんぞ!
手が後ろに回るわ!!
イルミアも、そろそろ離してくれ……そこ、割と本気で辛い…………。
傷が抉られるとかそういうのの比じゃない。
砕いた剣を飲まされた後、手を腹にぶち込んで混ぜられるような感じ。
いや、ほんとに意識を保つのも難しくなってきた……。
とか、考えていると、ミグから妖しい気配が……いや、これはミグが俺以外に本気で怒った時に発する空気だ。
久々に肌で感じた。
というか、こんなに間近で受けたのは初めてだ。
どうしよう、全身鳥肌が立って寒気が止まらない。
寸前まで脳を焼きそうなくらいに熱かった肩と膝まで冷たい気がする。
「イルミア様。シュリト様の治療の邪魔ですから離して頂いても?
貴女も、シュリト様を好くのは勝手ですが、そんなに身勝手でシュリト様に好かれるとでも思っているんですか?
後で少しお話をしましょう。
ああ、イルミア様も当然ご同席なさいますよね?
兎に角、二人とも一度離れてください。
治療が終わってもしばらく無理なことをしてはいけませんよ?
……いえ、私が許可するまで触ることは許しません。良いですね?」
強さで言えばアゲハが俺に向けてきた殺気に近い強さの威圧。
それを静かに燃やすミグの声と言葉は棘が強くなるものの冷静そのものだ。
問題は、俺の顔の隣。
そしてこの実体化しているのではないかと勘繰ってしまうようなオーラ。
抱き合うように寄りかかっていてミグを見る事はできないが……。
想像できるな。
周りの空気からしても例の顔をしているだろう。
目だけ隠せば完全、完璧な笑み。
その目は見られただけで魂までを掴み取られたような錯覚すら覚えさせる怖ろしい色に染まっているはずだ。
そしてこのオーラ。
実際に目で見えてしまうのだ。
ミグの淡い青みを持った銀髪とは真逆、青くどす黒いそれが。
その威力たるや、アゲハの気配がこれまで感じたこともない程の警戒に染まっている、といえばその凄まじさが分かるだろうか?
ミラとリシアの息を呑む気配。
そして、イルミアとチビはがくがくと首を縦に振りながら言葉を発することすらできずにいる。
「すぐ治すからね。今日は無理しちゃダメだよ?」
「ああ、頼むよ」
オーラを沈め、棘をなくした優しげな声でミグが囁く。
治療自体はアゲハでも可能なんだろうけど、今この場でミグ以外の手による治療を受けるなんてのは不可能だ。
この場は既にミグが掌握していると言って良い。
格上である鬼の王、アゲハを差し置いて。
俺の言葉を聞いたミグはすぐさま治療術を展開した。
今回は四重、かな?
この術式の複数同時展開は何度見てもどうすれば実現できるのか分からない。
などと考えていると、肩と膝、あと肘からも痛みが引いていく。
「もう大丈夫だよ。でも、身体強化は禁止だからね?」
「ああ、ありがとう。助かったよ」
ゆっくりと身を起こし、右肩と左肘、そして左膝の調子を確かめる。
治療直後特有の倦怠感はあるが、すぐに戦闘に入れるくらいには問題なく動く。
「うん。ありがとな、ミグ」
言いながらミグに抱きついてみる。
……予想した顎と胸板、そして腹部への三連撃の衝撃は来なかった。
代わりにあったのは胸元に収まる柔らかい感触。
おお、これは初めて何でもない抱きつきが成功した瞬間じゃないのか?
これまで成功したのは大抵どちらかの精神状態が不安定になっていた時だけだと記憶している。
うん。貴重な体験だ。
ミグの髪をくすぐるように撫でる。
「うゅ……」
「……そろそろ飯にしようか」
またミグから身を離して振り返り、朝食を宣言する。
「ミグ、大丈夫か?」
固まっているミグに声を掛ける。
目をやると……手を俺に向かって伸ばしていた…………?
……気にしないでおこう。
今日は少し急いでしまった気もするけど、もう少しゆっくりと、進めていきたい。
一足飛ばしも無理って訳じゃないんだろうけど、それでどちらかが嫌になってしまうのではないかという想像がどうしようもなく怖いのだ。
もどかしくは思ってもどうしても振り切れない恐怖を感じながら、俺こと元勇者候補シュリト・シェルム・ノーグレイスは二度目の一歩目を踏み出せた。
段落解禁。
過去の話でも段落あった方が良い箇所がちらほらあるのでそちらにも手を加えようかと思いつつ。




