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元勇者候補君の世直し漫遊記  作者: 77493
第一章 窮国のきみに花束を
19/37

おーまいでぃあー、今日は言いたいことを言うよ!!

「酷い目に遭った」


 結局アゲハが現れたのはあれから数刻が過ぎ、夜半。

 誰もが寝静まる、そんな頃になってからだった。

 それまでミグ、イルミア、アユミの三人に纏いつかれ、時折飛んでくるミグの拳に晒され続けた。

 そう、それだけの時間、理性と本能の戦いに費やし消耗と言うのも生易しいほどに神経を磨り減らしたのだ。

 逃げ出そうとする本能を、理性で抑える。

 逃げて何になる、後の悔いになる他ないだろう。

 逃げたいという恐怖、逃げた後を考えたときの恐怖。

 結局、一歩とて足を動かすことはできなかった。


 色欲、彼女達の柔らかさ。

 そういったものが頭を掠めなかったと言えば嘘になる。

 嘘になるが、そんなものを気にする余裕もない程に恐怖が心を占めていたのも事実だ。

 守れないかもしれない、そんな恐怖よりずっと軽いものだったとしても、俺自身、恐怖というものに余りに弱い。

 心を強く持たなければならない。

 俺がそんな素振りを見せれば、きっと彼女はそれを見逃さない。

 それを見つけたなら、彼女はそんな俺に罪悪感を抱くかもしれない。

 そんな様も、胸の傷も、彼女に見せる訳にはいかない。


「……隠せた、よな」


 他の誰でもない、ミグからだ。

 ミグは、俺の胸に残る古傷を、自分が付けてしまったのだと思っている節がある。


 全くの逆だ。

 この傷は自業自得、己の不明が己に牙を剥いたに過ぎない、そんな傷痕だ。

 それどころか、この傷は彼女を晒すことになった危機の形なのだ。

 俺の、俺自身の過失が身を結んだものなのだ。

 ミグに、過失などあるはずもない。

 逆に、俺自身の無能で彼女が感じた恐怖、そして彼女の身に迫った危機。

 それが形になったものでもあるのだ。

 俺がそれに後悔を感じるのは当然だ。

 だとしても、それでミグが負い目を感じる必要なんてのはない。

 負い目を感じることがあるとすれば、力が足りなかった俺の方こそ感じるべきことなのだ。

 だからこそ、この傷はミグからは隠し通さなければならない。

 あの時、あと三日でも良い、それだけ早く剣を取っていたのなら……。


 ……やめよう。

 あの時は、あれが最善だった、そう思おう。

 ミグは傷一つなく、俺も生き延びることができた。

 あの時、あの場で、それ以上の何を望むことができただろうか。

 満身創痍だったとしても、魔物に狙われてそれだけで済んだのだ。

 あれ以上ない程に成果を上げたはずだ。


 頭を振り、空を見上げる。

 折角の温泉、楽しまなくては損というものだ。


 俺は今、各部屋毎に備え付けられた露天風呂で湯を楽しんでいる。

 心地良い。

 この湯が、古傷を覆い癒してくれたならこの心の重さも幾分か軽くなるんだろうか。


 益体もない考えだな。

 下らない考えを振り切ろうと空を見上げる。


「ああ、月が綺麗だ」


 満月から少し欠けた月。

 あの満ちたりない場所は俺の傷とどっちが広いだろう?


 不意に耳が何かを捉えた。


 ……布が、擦れる音?


 そちらの気配を探る。

 誰かが風呂に入ろうとしてい、る……!?


「待て! 今入ってるから後にしてくれ!!」


 空気の揺れ方、気配の消し方、気配の探り方、これはミグだ!

 何だって彼女が俺の脱ぎ散らかした衣服を見落とす?

 まだ酒が残っているのか?

 アゲハの酔い冷ましってのが効いてなかったのか?

 何が薬神だよ! 酔い一つ飛ばせないでどんな病が治せるってんだ!!


「しゅーくん、気にしなくて良いよ。うんん、気にしないで」


 戸が開く。

 間違いなく、ミグだ。

 声も、気配も、何もかもが。

 反射的に肩まで湯に浸ける。

 彼女に背を向けながら、風呂の縁、向かい側まで移動する。

 一瞬、ミグの気配が揺らいだ。


「気にしなくても良いのに。しゅーくん、一緒に入って良い?」

「頼む、戻ってくれないか? 風呂に入るならすぐに出るから」

「……ダメ?」

「……頼む」


 また、ミグの気配が揺らぐ。

 この揺らぎは、何だろうか。

 不安、なんとなくそんな言葉が脳裏を過ぎる。


「どうしても?」

「……」


 泣きそうな声。

 拒絶の声を上げようとした喉が詰まる。

 なんで? なんだってミグは一緒に温泉に入ろうなんて思った?

 お前、こういうのは嫌いなんじゃないのか?

 いつもいつも、暴走しかかる俺を殴って止めるのはお前じゃないか、ミグ。


「……入るね」


 ゆっくりと近付いていたミグは、桶で汲んだ湯を浴びてから湯に足を浸ける。

 恐る恐る、湯に入っていく気配を読み取る。


「初めて、だね。一緒にお風呂入るのなんて」

「……」


 恐々としたミグの声。

 何か考えようとするが、どうしても思考が形を結ばない。


「やっぱり、私なんかじゃ、嫌だった?」

「そんなことは、ない」

「どうしてそんなに遠くに居るの?」

「……」

「……っ、そっか。しゅーくん。ごめんね? もう、出るから」

「ミグ」

「はい」


 何を思っていたのか、なんてのは分からない。

 何を考えていた、なんてことも覚えていない。

 ただ、悲しそうなミグの気配に耐え切れなくなって声が出た、それだけだった。


「……しゅーくん。ずっと向こう向いてても、わからないよ」


 ミグの言葉に、意を決して振り返る。

 顎先まで湯につけて、ミグは俯いていた。

 ただ、目だけは俺を見つめている。

 泣きそうな顔で、何かを堪えるような顔で。


「しゅーくん。泣きそうな顔してる」

「ミグも」


 どうやら俺も似たような顔をしているらしい。


 湯が濁っていてよかった、なんて思う。

 肩口まで湯に付けていれば、傷痕なんてのは見る事ができないから。

 でも、ミグの目は見えない俺の傷を見ようとしているように伏せられている。


「しゅーくん、あのね」

「いや、待ってくれ」


 どうしようもなく怖くてずっと言えなかった言葉を、もう、言ってしまっても良いんじゃないかなんて気になってくる。

 このまま有耶無耶に、なんてことはできない。

 ずるずると、言わなくても互いに引き摺ってしまう。そういう所まで、表まで上ってきてしまったものがある。

 俺とミグは、俺のパーティの生命線だ。

 そんなしこりのようなものはきっと後々俺達の、いや、もっと多くの人たちの致命傷に繋がるだろう。

 早ければ、イルミアや、リシア。

 遅かったとしてもミラやオウロには確実に。

 そんな物を放っておけるわけもない。


 一つ呼吸を置いて、当たって砕けろとばかりに声を絞った。

 酷く掠れて聞こえる自分の声。

 それでも、言う。

 言ってしまった。


「ミグ。あの時、怖い思いをさせてすまなかった。

 もっとお前を気に掛けてれば、あんなことにもならずに済んだはずだ。

 もっと真面目に鍛えていれば、無理をさせずに済んだはずだ。

 そうすれば、ミグは俺なんか気にせず、もっといろんなことができたはずだ」


 言って、しまった。

 でも、はっきりと言った。

 どうしようもなく、痛みより鋭く古傷に走るものがある。

 これはなんだろう? でも、そんなものでミグを縛り付ける訳にはいかない。

 俺なんて気にせず、ミグはミグのやりたいようにやってくれ。

 後に言おうとした言葉、それを、ミグは遮る。


「違うよ、しゅーくん」


 思わずミグの目を見る。

 真っ直ぐ、俺の目を見つめていた。

 泣き出しそうな声で、ミグは続ける。


「あの日、私を助けてくれたのは、しゅーくんだから。

 いつも通り、村に戻ってればしゅーくんだってあんな危ない目に遭わなくて済んだのに、どうしても追いかけたくって。

 それなら追いつけるくらい、私が鍛えればよかったんだ。

 そうすれば、しゅーくんも私も無事で、きっと……」


 目に涙を溜めてミグが言葉を紡ぐ。

 手を伸ばしたい、ミグの傍に行きたい、そんな衝動が胸を衝く。

 けれど、胸の古傷を見せるのがどうしても怖ろしくて手が湯を掻いた。

 目はミグから離せなかった。

 ミグの目から、涙が零れそうになる。

 衝動が本能(恐怖)を食い殺したのが分かった。

 涙を零しながら、ミグが、言った。


「しゅーくんは、私なんて気にしないで、どこにだって行けたから。

 きっと、私だけなんかじゃなくて、世界を救う本当の勇者様にだって、なれたから」


 手を伸ばす。

 湯から身を起こし、ミグを抱きしめる。

 傷痕なんて、もう気にもならなかった。

 俺はどこも欠けてなんていない。

 この傷はミグが俺を埋めてくれた証なんだと、今初めて理解した。


「違うよ。違うんだよ、ミグ。

 俺は、ミグが居なきゃそんなことできない。

 ミグが居てくれたから、俺は勇者候補なんてものにもなれたんだ」

「そんなこと、ないよ」


 嗚咽を噛み殺しながらミグが声を上げた。

 もう何も、隠したって仕方ないだろ?

 とにかく言葉にしよう。

 ミグの涙を止められるような言葉を探そう。


「俺さ。この傷ができたときに、せめて目に映る範囲で守れるものくらい守りたいと思ったんだよ。

 だから、才能があるなんて言われたことがあった剣を鍛えた。

 この傷がなきゃ、今でもずっとあの村で、そろそろ自警団にでも入ってたかもしれないな。

 それで、目に付く女の子に声掛けてさ。そんな風に暮らしてたと思う」


 うん。十分ありえた人生だよな。

 もしかしたら浮気が過ぎて女の子に刺されたり……いやそれは良いや、考えないでおこう。


「この傷って、ミグを探しに森に入ってできた傷だろ?

 今まで、この傷はミグを危ない目に遭わせた罰だと思ってた」

「ち、違うよ」

「ああ、今は違うと思ってる。

 親父が死んでからこの傷ができるまでさ、親戚の家で育っただろ?

 で、森に入り始めたのって、よく考えると親父が死んでからなんだよな。

 親父が死んだ時、遺体も何も帰って来なかった。

 後から聞いたら唯一、親父が使ってた剣が残ってたくらいらしい」


 毎日森に入り浸ってた頃のことを思い出す。

 うーん、間違いないよな。


「あの頃は、さ。親父が死んだってことをちゃんと理解できてなかったと思うんだ。

 だから、森に入れば親父を見つけられるかもしれないって。

 親父が帰って来れないのは、何かすげー強い魔物と戦ってるからなんじゃないか、ってさ。

 剣は村で一番だったらしいしな。

 それで、親父を探したくて森に入ってたんだと思う」


 ミグはまだ泣き止まない。

 なんとなく髪を撫でてみる。

 くすぐったそうに目を細める、でも涙は止まらない。


「どっか、壊れてたんだよな。

 親戚の家の大人たちも、村の大人達も、親父は死んだんだって何度も俺に言い聞かせてた。

 死ぬってことが理解できてなかった訳じゃないぞ。

 ただ、森で親父を見つければ親父は死んでなんかないって証明できると思ってたんだよ。

 お袋は俺が生まれた時に死んだらしいし、俺にとって唯一の家族だったからな。

 形見の剣だけ渡されて、親父が死んだなんて言われても納得なんてできなかった」


 そういえば、もう親父の顔も思い出せないな。

 今でも俺は寂しいんだろうか?

 ……あれだけ騒いで、寂しいもないか。


「で、ある日のことだ。どこか、どころじゃなく全部壊れそうになった」


 ミグの肩が跳ねる。

 そういうことじゃないよ、ミグ。

 そう思いながら、またミグの頭を撫でる。


「森の奥で魔物を見た日だったな。

 帰って大人に話したらぶん殴られて説教だよ。

 それで、ミグにもしばらく森に入らないようにって言いに行った」

「それ……」

「ああ、その日だよ」


 ミグは怯えるように僅かに震えている。

 だから、違うって。


「ミグは、村中探しても居なかった。

 聞いて回ったら、俺達の後を追って森に入ったらしい。

 頭が真っ白になったよ。

 気が付いたら親父の剣を持って森の中に居た。

 ミグが親父みたいに帰ってこなかったら、いや、死んでしまったらどうしようって想像するだけで気が狂いそうになったよ」


 ミグを抱く腕の力を少し強くする。

 本当に、生きててくれて良かった。


「必死で探し回って、ようやく見つけた。

 致命傷は受けたけど、ミグも守れた。

 上出来だと思ったよ」

「わ、私っ!」


 少し強く頭を撫でてミグの言葉を遮る。


「ミグに治療してもらってるときさ、妙に納得したんだよな。

 死に掛けて、意識とかも飛んで、その中で妙に懐かしい感じがした。

 親父に会ったような気がするんだよ。

 で、目が覚めたら目の前にミグだ。

 あの親父のことだし、『女の子泣かせて何やってんだ! とっとと帰れ!!』とでも言いたかったのかもな」


 くくっと笑いが漏れる。

 もしあれが本当に親父なら、間違いなくそう言ってるだろうな。


「目が覚めて、親父が死んだこと、妙に納得できたよ。

 あと、俺には親父が居なくてもミグや、村の連中が居るって分かった。

 あの狼の魔物はさ。

 多分、親父を殺したヤツなのかもしれない。

 で、いつまでも愚図ってる俺に親父が業を煮やして怒鳴りつけに来た訳だ。

 それで、どこか壊れてた場所が治ったと俺は思ってる」


 一度腕を解き、ミグの肩に手を乗せる。

 真っ直ぐ、ミグの目を見る。


「治してくれたのはミグだ。

 この傷は、壊れた場所をミグが埋めてくれた跡なんだと今は思う。

 だから、ミグが気にすることなんて何一つないよ」


 ミグが目を見開いた。

 思ってもいなかったこと、なんだろうか。

 俺だって、ついさっきまで俺のせいでミグに重荷背負わせた傷だと思ってた。

 でも、今は違うと思う。

 ミグはゆっくりと口を開いた。


「私はその傷を、私のせいでしゅーくんが死に掛けた傷だと思ってた。

 でも、違ったんだね」


 赤い目で、ミグは花が咲くように笑った。


「その傷は、しゅーくんが私を助けてくれた傷。

 しゅーくんが、私の勇者様になったときの傷なんだ」

「ばっ、お前! 勇者とか!!」

「しゅーくんは勇者様だよ」

「っんー! 俺は『元勇者候補』! 勇者なんて大層なものじゃねーよ!」


 この照れが何に対する照れなのかはよく分からない。

 分からないが、真っ直ぐ見るのが気恥ずかしくなって顔を逸らす。

 ってか、多分一番恥ずかしのはこの後どうしても言いたくなった言葉なんだけど。


「ミグ」

「はい」

「この旅が終わったらさ、何かやりたいこととかある?」

「……しゅーくんの傍に居たい」

「っっっ、なら、旅が終わったらさ」

「うん」




「俺と、家族にならないか?」




 言ってしまった。


 言ってしまった!

 何だこれ! 顔が熱い!

 返事聞かずにさっさと寝具に入りたい!

 入っても身悶えして眠れないんだろうけどさ!!


「はい!」


 ミグも顔、真っ赤じゃねえか!

 つか、それより、か、可愛い!!

 どうすんのこれ、どうする!?


「い、いいのか?」

「うん」

「浮気とか、するかもしれないぞ」

「私が一番なら、我慢する」

「でもさ!」

「しゅーくん」

「ん」




「私を、お嫁さんにしてくれる?」




 心臓が、弾けた。


 お嫁さんにします!

 絶対幸せにするよ!!


「ああ!!」


 否なんていえるわけがあるかー!!



 煩過ぎるくらいに高鳴る心臓の音を聞きながら、俺こと元勇者候補シュリト・シェルム・ノーグレイスは人生の絶頂を味わった。

シュリト「俺、故郷に帰ったら幼馴染と結婚するんだ」

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