おーまいえんぷれす、悪ふざけはほどほどにしてよ!
「っ……お、おかえり」
言葉が詰まる。思考に熱が篭っていくのを感じる。
視線をどこへとなく彷徨わせる。
見たこともない内装、そして見たこともない服装。
初めは、変わったものだな、程度にしか思っていなかった。
初めは、艶やかだとこそ思っても動揺するほどに訴えるものはなかった。
違う。
何もかもが違う。
そう、理解していなかったのだ。
この浴衣というもの。
これはただの寝巻きなんてものじゃない……。
全て、全てが計算され尽くしている……ッ!!
そう強く感じた。
帰って来た五人の濡れた髪、上気する顔、朱を差す首元。
まずいと思って目線を下げる。
素足。
感じる。
偏執的なまでに覆い隠すことで溢れる色香を感じるっ!
確かに胸元が大きく開いているなどということはない。
それどころか、この衣服の構造上なのかそういった部分は形や大きさなんてものが計り切れないほどに隠しつくされている。
だが、不意に見る背筋、腰元、何よりも、少し熱を持った、項……っ。
一つ一つの慣れない要素が悉く、酷く俺の心をかき乱すのを感じる!
「ああ、起きたのですね」
「ただいま戻りました、シュリト様」
アゲハとイルミアの声。
アユミが目礼し、リシアが一つ頷く。
ミラはおざなりな感じに手を適当に動かして返事にする。
堪えられる、だろうか。
珍しく弱気が顔を覗かせる。
ただ浴衣を着ただけでは計り知れないこの破壊力。
これは、間違いなく、風呂上りに着ることで戦闘力を引き上げる計算の元作り上げられた戦闘服に違いないッ!!
そして俺はまんまと術中に嵌っている、という訳だ。
理性の如何という以前に、一目見ただけで白熱するものが滾っていることが手に取るように分かる。
不意に手にある温かさを感じる。
そっと目を向ければ、そこに小さな手が俺の手を握っていることが分かる。
その手の先を目で追う、ミグだ。
温泉に行く暇もなく介抱してくれた少女。
幼い頃からずっと傍にいる彼女は俺の視線に気付いたのか、こちらに目を向ける。
目と目が合う。
微かに微笑んだ。
心臓が一つ大きく音を立てた。
落ち着け、落ち着け。
コレは罠だ。
まだ慌てるような時間じゃない。
呼吸のリズムを戦闘時に使う極限集中時のそれにする。
時間が、止まる。
いや、時間が止まったように感じるほどの集中で、心の状態を恐慌から平常、冷静へと無理矢理に切り替える。
焦っては、死、それ以外の未来がない。
「そろそろ飯、か?」
「はい、間もなく食事が運ばれてくるはずですよ」
不意打ち。そう、まさに不意打ちだった。
寝具が敷かれた寝室からミグを伴って出る、その時を見計らったように五人は帰って来た。
まずは、仕切りなおさなければならない。
そうしなければ、俺に明日の夜明けはない。
努めて冷静に声を出す。
「そうか。とりあえず、座ろう」
その言葉を聞いて、座椅子、と呼ばれるらしい座布団という敷物の置かれた背もたれに腰を下ろす。
各々が好き勝手に席に着く。
俺はミグを左手に、右にはイルミアとリシアが座る。
俺の対面にはアゲハ、その左手にミラ。
アユミはアゲハの後ろに腰を下ろそうとし、
「亜弓。そちらに座りなさい」
「ですが」
「私は主従という物を好きません。それとも、神社に戻りますか?」
アゲハに釘を刺され、恐々とアゲハの右手の席に着いた。
涙目になりながら。
……何か違和感を感じる。
「失礼致します。お料理をお運びしても宜しいですか?」
入り口の戸から声がする。
リュフェにはノックという文化がないのか?
アゲハが俺を見る。
俺に返事をしろということか?
立場的にお前が返事した方が宿の人も喜ぶんじゃないのか、と思った所で僅かに殺気を飛ばしてきやがった。
やはり、俺の思考はどこかから漏れてるんじゃないか?
そう思わざるを得ない。
じっと扉の外で待つ気配もする。
膳を持っている人が五人、か?
何か得体の知れないカートのようなものを引く気配もする。
なんとも、待たせるのも悪いか。
「ああ、頼む」
「失礼致します」
返答から僅かに間を置き戸が開かれる。
流れるように座ったまま部屋に入った女性がそのまま頭を垂れ一礼。
立ち上がり、後ろに控える盆を持つ人たちを招き入れる。
盆を持っていた女性達はそれぞれ別の料理を持っているらしい。
順々に俺達の前に並べられていった。
スープの少ない煮物、のようなもの。
横長の小皿に三つ盛られた料理。
生の魚らしきものが盛られた皿と、黒いソースのようなものが入れられた小皿。
火鉢に載せられた小さな鍋が二つ。
それぞれが人数分配置される。
えっと、この紙に包まれた木の棒は何だ?
それと並ぶように、フォークとナイフが置かれている。
もしかして、リュフェではこの棒を使って飯を食うんだろうか?
「それはお箸という食器、だそうですよ。
使い慣れれば、それで大抵のものが食べられるらしいです」
ミグがそっと俺の疑問に答える。
ほー、これで、どうやって食うんだろう?
「よくご存知ですね。フォークをご用意しておりますので、そちらでお召し上がりください。
一度箸を使って土産話にするのも良いかもしれませんね」
一番に部屋に入って来た女性がミグの言葉に反応する。
愛想の良い笑顔だ。
こういう対応にも慣れているんだろう。
「それでは料理の説明を。
まず左手の小鉢にありますのが、酢の物になります。
次に手前の三つの料理、煮凝り、煮野菜の和え物、昆布巻きですね。
これらはそのままお召し上がりください。
その奥、生のお魚をそのまま食べる料理で、お刺身と言います。
右手の黒いソース、お醤油につけてお召し上がりください。
緑のペースト、わさびを添えておりますので、お好みでお使いください。
ただ、わさびは多すぎると鼻を抜けるような痛みがありますのでご注意ください。
小鍋の方はそれぞれ、湯豆腐、貝の酒蒸しになっています。
後ほど火を入れますので、その火が消えてから蓋を取ってお召し上がりください。
他の料理も折を見てお運びします。
お飲み物や何かご入用のものが御座いましたら、控えている者に何なりとお申し付けください。
それでは御緩りと、夕食をお楽しみくださいませ」
「では、清酒を三種、冷で五合ずつ」
アゲハが早速酒を頼んだようだ。
流石酒好きを噂される鬼だけある。
五合とはどの程度の大きさだろうか?
「ワインの一本より少し多い程度ですよ」
「なら、シェチュを一杯」
とりあえず頭に浮かんだ酒を頼んでみる。
「シェチュ……ああ、焼酎、ですか?
それを痛く気に入った学者が居ましたが、彼女は字が汚かったのを覚えていますよ。
きっと、あまりにも字が汚くて間違った名が広まったのでしょう」
なんとも。
神社関連の名称は間違っていなかったというのに。
ならリュフェにあるもので俺達が知っているものの名前は半分くらいは間違ってる、と思った方が良いんだろうか。
いや、酒か食い物関連だけか?
酒が入ったら名前がどうこうなんてのは気にしないだろうし。
「飲み方と種類はいかがなさいますか?」
そんなのもあるのか。
「アゲハ、オススメは?」
「私は麦の焼酎に氷を浮かべて飲むのが好きですね」
「ならそれで」
「山イチゴのリキュール。甘めが良い」
「……同じものを」
「私もお願いします」
「私はしょうちゅうを、今頼んだもので良い」
「畏まりました。
そちらのお客様はどうなさいますか?」
「えっ、わ、私は、お茶で」
アゲハの目が鋭く光る。
「亜弓、飲めない歳という訳ではないでしょう?」
「い、いえ。私は揚羽様の」
「飲みなさい。リキュールをもう一つ」
「そ、そんな」
「私と酒は飲めない、そう言いたいのですか?」
「滅相もありません!」
「なら良いですね」
「……はい」
アユミは飯や酒よりアゲハの世話の方が大事なんだろうな。
アゲハは、あれはもしかして煩わしいから酒で潰そうとしてるとかそういうパターンか?
ふむ……。
というか、アユミの見た目は十二、三にしか見えんのだが酒を飲ませて大丈夫なのか?
「アユミ、何歳なんだ? 酒が飲めるような歳には見えないんだが」
「な! 私は今年で十八ですよ!!」
「あ、ああ、そう」
興味本位で突いてみたら藪だった、と。
アユミは顔を真っ赤にして睨み付けてくる。
正直、可愛いと思うけど悪い程度にしか思えない。
迫力が一切ない、かわい……ミグ、それ以上やったら手の骨が折れる。
ミグと手を握ったままなの、ちょっと忘れてたよ。
「では、清酒を三種、五合ずつと山イチゴのリキュールを四つ、麦焼酎のロックを二つ、以上で宜しいでしょうか?」
「それで良い、頼む」
「わらひらってもーころもやらいんれふよー!
ひゅッ、りとさん、聞いてるんれすかー!?」
何だコレ。
「シュリト様……。今回の件が終わったら、是非我が国に……」
何だコレ。
「姫様! こんな男に何ができるというのです!!
戦うことくらいしかできないでしょう! 仕方ないから騎士団で拾ってやる!
シュリト、分かってるな!?」
何だコレ。
「リシアさんにしゅーくんの何がわかるの!?
い、イルミアちゃんもそんなにくっ付いたらだめっ!
だめだからね!! アユミちゃんも離れてよぉ!」
何だコレ。
なんなんだコレ。
少し目を離すまではみんないつも通りだったはずだ。
何があった、考えろ。
僅かに澱む思考でとりあえず状況を整理する。
あの後、アユミとアゲハに箸の使い方を教わりながら飯を食った。
それは良い。
どれもこれも美味かった。
一口食って皆テンション上がって、ちょっと騒がしいくらいに騒ぎながら酒飲みながら飯食ったんだよな。
気が付いたら酒が無くなってて、追加を頼んだんだよ。
俺が頼んだのは米と芋の焼酎、そのあとアゲハが飲んでた清酒ってヤツだったかな。
テンプラって料理が美味かった。
油で煮る? 揚げる? らしい。
網焼き? って肉やらエビを焼いて食うのとかも美味かったし、ちゃわんむし? ってヤツも初めて食う食感だったな。当然美味かったよ。
何か口にする度、作り方を教えてもらうとミグも張り切っていた。
あれが食えるなら今後の旅も期待できそうだ。
……いや、現実を見よう。
できればこのまま見ないふりして寝たい、とは思うのだが。
様子がおかしくなり始めたのは、アゲハがデカい瓶、一升瓶って言うらしい。アレを五つ開けたところからだったか。
「女将、『殺し文句』はありますか?」
「御座います。瓶で持ってきますか?」
「あるだけ持ってきてください」
ここから、全てが狂った。
お猪口、という手で握りこめそうなほど小さい杯で一杯ずつ、アゲハのオススメだからということで皆飲んだんだよ。
俺も飲んだ。濃い、と思ったが、それがすっと解けて甘味が通ったと思ったら腹の中で何かが満たされるような、今まで飲んだ酒で間違いなく一番美味い酒だった。
もう一杯、と思ったんだが、嗅覚がそれを止めた。
あれをあと三杯も飲めば、きっと俺もこの乱痴気騒ぎに絡む側で参加してたことだろう。
そうなれば、きっと取り返しのつかないことになっていた。
アゲハは『ずいっ』ともう一杯薦めてきたが、きっぱり断った。
何か、面白くなさそうな顔して回りの五人に飲ませ始めた。
止めるべきか、とも思ったんだが、少しくらい羽目を外すのもたまには良いか、と考え直した。
思えば、この瞬間が今回の分水嶺だったんだろう。
やけに酒を勧めてくる鬼。そう、その時点で気付くべきだったんだよ。
初めは良かった。
皆楽しく飲んでいるだけだったんだから。
イルミアとリシア、祖国の窮地を忘れるという訳にはいかないが、たまにはその重荷から開放されることも必要だと思ったんだ。
アユミにしたって、待ち焦がれた主の帰還だ。
これを喜ばずにどうするのか。
俺達のパーティは、ま、出発の祝いみたいなところだろうな。
そんな軽い気持ちが災いした。
流石に飲みすぎだ。そう思ってアゲハを止めようとしたとき、俺の右手に何かが絡まった。
「シュリト様。私は、まだシュリト様に感謝を伝えきれていないと思うのです」
背骨が抜かれてしまうのではないかと思うほどに甘い声、心臓が破裂するかと思った。
驚いてそっちを見れば、イルミアが俺の右腕を抱きすくめている。
柔らかい感触、思わずそれに心を奪われた。
「イルミアちゃん、ダメ! しゅーくんは私の!!」
「ひ、姫様! 抜け駆けはズルいです!!」
「ぉぅぃぇ……」
ミグとリシアが叫んだ。
同時に叫んでいたから、何を叫んだのかは分からない。
ミグは俺の左手を捕まえ、イルミアを目で牽制し始めた。
右と左、柔らかい感触に包まれ思わず天にも昇るかと思った。
もちろんそんなはずもなく、生まれた意識の空白に黒い何かが飛んできた。
「ひゃぅい!?」
「おごっ!?」
アユミだった。
アユミの頭が俺の腹を貫いた。
いや、貫くかと思った。
暗転した視界に直前の視界が僅かにフラッシュバックした。
アゲハだ。
アゲハがアユミを投げやがった。
俺に向かって、俺じゃなければ死んでいたんじゃないのかという勢いで。
というか、アレでアユミにダメージがないのが解せない。
「なーんれふかーあげはさまー」
アゲハの投擲を受け、二歩分ほど後ろに押し出された俺の座椅子。
それでもミグとイルミアは俺の腕を離さない。
目を開ければ、懐から顔を上げるアユミと目が合った。
「あー、しゅりとさん、わらひをころもだとおもってたんれふえー!」
俺の胸の上に圧し掛かって文句を垂れるアユミ。
その両脇にはアユミ衝突の衝撃でそうなったのか俺の手に抱えられたようにミグとイルミア。
当然同じように俺の上に圧し掛かっているわけで……。
ッ! 堪えろッ!!!
認識した瞬時、理性と恐怖が号令を上げる。
柔らかく圧し掛かる重みを楽しめと囁く本能と、その本能を殺そうとする理性と恐怖の連合。
俺の中での一大決戦が幕を開ける。
「少し飲みすぎたようですね。亜弓を見ていなさい。
私は部屋で楽しんで……いえ、酔い冷ましを作ってきます」
今何て言った?
おいアゲハお前今何て言った!?
お前が座ってたところに残ってる魔力、それ、目だろ!
絶対このあとおたおたする俺見て楽しむ腹積もりだったんだろ!?
という言葉は、
「しゅ、しゅーくんのばかー!」
と、不十分な体勢から放たれたとは思えない程に芯の入ったミグの一撃により止められた。
「あ、アゲハ! はやく来てくれー!!」
現在に追いつき、俺は叫び声を上げる。
隣室でこの様子を見てほくそ笑んでいる鬼に頼るしかない現状を嘆きながら。
『かちり』と頭の中で何かがはまる音がした。
この部屋で初めに感じた違和感が繋がった。
アイツ……なんでこっちの部屋で飯食ってんだよ!
絶対騒ぎにして傍から見るためだけにこっちに混ざってたろアゲハ!!
あ、ちなみにミラは酔ったら眠くなるらしく、その騒ぎの中で意に介した様子もなく自分の席で座ったまま寝てた。
いつ来るとも知れない救援を待ちながら、俺こと元勇者候補シュリト・シェルム・ノーグレイスは天国と地獄を存分に味わった。




