おーまいでぃあー、今日はもうゆっくり休もうよ!
「ちょっとまて! ミラ! あとミグも落ち着け!!」
部屋に入り、一つ息を落ち着けてから、さて何をしようかという話になった。
部屋の端、縁側というらしい囲いに覆われた小さなテラスで風景を楽しむにしてももう日も落ちている。
結局、温泉にでも入るか、と話は落ち着いたのだが、そこからが大変だった。
「大丈夫です、落ち着いていますよ」
「シュリト。観念すべき」
温泉に行くなら正装はこれだ、とミラが出してきた着物、浴衣というらしいのだが、それを突き出されても俺にそれの着方なんてのはわからない。
そこいらを言い訳に、とりあえず楽な格好で温泉に行くかと腰を上げたとき、ミグが動いた。
俺には真似のできない超精密な縮地で背後に回るミグ。
一瞬不穏な空気を感じ、そして場の空気の流れから反射的に俺も縮地。
部屋の隅、天井の角に張り付いた。
そこからは流石パーティメンバーと言うべきか、後衛仲間と言うべきか、恐るべきコンビネーションでミグとミラに追い立てられた。
身体強化の油断ならない速度で切り込むミラ、超絶技巧の縮地で逃げ道を潰してくるミグ。
当然、中途半端な縮地と部屋どころか建物を壊しかねないような身体強化を使えない俺は即座に追い詰められる。
そして、部屋の隅で得も言えぬ恐怖に小動物の如き震えを見せながら冒頭の台詞が口をついた。
イルミアとリシアはテーブルに座りつつ、肩を寄せ合って不穏な光の宿る目を向けてくる。
……いや、期待と不純が丁度半分になった光だとだけ言っておく。
ミラも似たようなものだ。
ミグが、ミグの瞳が不味い。
見て一目で脊椎を貫く嗜虐、有効な行動、つまるところ部屋の外に逃げるという行動は全て潰してくる周到さ。
何より、まさかあれが、あれがミグの目なのかと思わせる目の光があった。
部屋を照らす光よりなお目映く揺れるその光、その光はきっと俺がよく知る光で、俺の心を折るには十分な光が灯っている。
恐怖した。
そう、俺は寸分の狂いもなく恐怖という感情を思い出している。
ミグに追い詰められた非力な贄のように震える以外にできることはなかったのだ。
そこへ……、
「お邪魔します。隣の部屋になったのですね。
まずは挨拶に……何をしているのです?」
ノックすらなく開け放たれた扉。
いや、今はそんなことはどうでも良い。
ただただ彼女、八代目弦慈公にして鬼の王、玉王尊揚羽の登場に安堵したのだ。
それはまさに天啓、というのだろうか?
今この場に現れた彼女こそが、女神からの救いを担う天使のように思えた。
いや、ともすると彼女こそがその女神なのかもしれないとすら思いながら、なんとか言葉を紡ぐ。
「あ、アゲハ! 来てくれたか!!
た、助けてくれ! ミグとミラの様子がおかしい!
どうやら精神操作の呪いでも受けたみたいなんだよ!!」
一気に捲くし立てる。
対して、ミラが取った行動はシンプル、そして簡素なものだった。
ただ一度手に持った浴衣を強調するように軽く揺らしただけ、なのだから。
そして、その瞬間に俺の命運は決まった。
いや、部屋が一つしかない段階で決まっていたのかもしれない。
もしかすると、温泉に入ろうなどと言い出さなければ回避できていたことなのかもしれない。
それは、意味のない『if』だった。
そこから後のことは覚えていない。
一つだけ、確信を持って覚えていることがあるとするのなら、尊厳だけは、ただ一枚の布切れだけは守りきったのだという、ただそれだけの記憶に他ならない。
「シュリト。似合ってる」
「こういった装束に身を包んだシュリト様も素敵です」
「軽い言動とは裏腹にしっかりと身体を作り込んでいるようですからね。
かといって、無駄に大きくもない。
見立て通り、着物の映える体格をしていました」
気付けば俺は、膝を抱えながら、両の手で顔を覆いながら泣いていた。
なぜ泣いているのかは分からない。
ただ、涙が止まらなかったのだ。
仕方がなかったのだ。
「その……シュリト様。よく、お似合いですよ?
もう大丈夫ですから、機嫌を直してください」
一つ距離を置いて眺めてくる一団。
そしてそれより近くから、気遣わしげに視線を送ってくるミグ。
ミグの姿を目にする度、よく分からない恐怖がどこか頭の片隅の方を走るような気がした。
けれど……、
「大丈夫ですから。安心してください。
私がいつでも、シュリト様をお傍で支えます」
そんな、ミグの言葉。
涙腺に走り、鼻まで突き刺さる僅かな痛みを感じた。
「ミグぅ……」
「はい」
僅かに零れた声に、ミグは俺の手を握り答えてくれた。
それで、俺のどこかが壊れた音を聞いたように思う。
「ミグ! ミグっ!! ごめんよ!
あのとき、怖い思いさせてごめんよ!!
ずっと傍に居られなかった!
自分勝手にミグちゃんのこと考えなくて、なんで、それで……」
「大丈夫です。シュリト様……」
その手を離したら、ミグがどこか、見つけられないような場所まで行ってしまうような気がして。
ミグの手を握り返して、離さないように抱きついて、多分、生まれて初めて、泣いた。
「ミグちゃん、僕が守るから、ずっと、ずっとずっと、守るから!!
っ、だから、行かないでぇ!」
「……大丈夫だよ、しゅーくん。
私、ずっとしゅーくんの傍に居るから。
しゅーくんに着いて行けるくらい、私、頑張るから」
後は、多分言葉になっていないような喚き声を上げながら泣いたんだろうと思う。
部屋に入ってから、次にミグに手を握られながら目が覚めるまでの記憶はない。
いや、それを思い出すのはかなり先のことになる、が正しいんだろうか。
どちらにしても、俺が何故こんなにも壊れたのか、そのときに何を考えていたのか、なんてのは、その後もずっと思い出すことはできなかった。
the other side, Ageha's...
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「うーん、やはりリュフェの湯は良い物ですね」
場所は旅館備え付けの露天風呂。
この湯は間違いなく私が穿った岩から流れ出たもの。
これを聞かれれば、自画自賛だなどと笑われるでしょうか。
笑いたければ笑えば良い、偏にそう思うのです。
そうすれば、その者に不敬を押し付けて戦うこともできるでしょうから。
けれど、傍に居る娘たちは感動とも放心とも取れぬ息を漏らすばかり。
少しと言わず、やはり張り合いがありませんね。
この場に居るのは私を含め五人。
私の側仕えを申し出た亜弓、シュリトという人間のパーティメンバーらしいミラ、シュリトに助けられたというイルミア、リシア。
亜弓は初め、同じ湯に浸かることを固辞しましたが、では誰が湯で私の世話をするのかと無理矢理に連れて来たのです。
今も緊張してしまっている。
主従などと下らないことを忘れ、今は湯を楽しめば良いというのに……。
そして、他の三人はシュリトを案じているように物憂げで、少し心がささくれ立つのを感じてしまうのです。
折角の湯、楽しまなければどうするというのでしょうか。
……ただ、確かにあのシュリトの豹変には少しばかり思うところもある、それは理解できるのも確か。
なら、その原因を探ってみる、というのも一興というもの、でしょうか。
「あのシュリトという男、多少のことでは動じそうにないと見たのですが。
何があそこまで彼を揺さぶったのでしょうね」
「普段、剥かれる側じゃなくて剥く側だから?」
ミラの返答。
それは確かに、あの男はなかなか類を見ない程に女好きだというのは間違いないでしょう。
私の威圧を受けながら、意にも介さず私の身体を舐めるように見渡したものなど初めてですから。
逆に言えば、私の威圧、殺気、それすら気にも留めずに話し続け、寸分の隙も作らず警戒を続けられる男があんな状態になったのには興味がある。
その原因は何なのか……。
思えば、自分以外の相手に興味を持ったことなど初めてかもしれない。
そんな思いを露と消し、話を続けることとしましょう。
「あの男なら、その程度で心が壊れるようなことなど無いと思うのですが。
むしろ、自分から喜んで脱ぐような性質に見えますが?」
「確かに」
妙に納得するリシア、そして無言で頷くミラ。
イルミアは気取られないように気をつけながら、少し俯いていますね。
これは、何かを知っている?
「イルミア。何か知っているのですか?」
「えっ!? い、いえ。私は何も存じて、おりませんよ?」
分かりやすすぎるほどに嘘。
私も嘘は苦手ですが、彼女ほどではありません。
聞けば王族の子女だというのですから、彼女の治める国の先が心配になってきてしまいます。
「何も弱点を探ろうというつもりはありませんよ。
私と戦うとき、それで本気を出せないとなれば困るのです。
本気も出せずにシュリトが殺されてしまうのは、貴女も嫌でしょう?」
恋慕というには憧れが勝ちすぎる彼女のシュリトへの思いには感づいています。
その彼と戦いたがる私を警戒するのは当然でしょう。
ただ、私はただ勝ちを拾うような戦いを望まない。
互いに死力を尽くし、魂の底まで満足しあえるような戦い以外に興味はないのです。
「シュリト様が貴女のような人に負けるはずがありません!」
突然の大声。
資質こそそれなりに有してはいても、結局は温室で培養されただけの女、ということでしょう。
彼我の実力差、格の違いすら読み取れないとは、悲しい生き物だと少し哀れみが沸いてきますね。
ですが、今はそのような感傷を感じている時ではありません。
あの男の心を不用意に折ってしまわないよう、情報を集めることに注力すべきでしょう。
「では、負けないためにも、私との戦いでああならないようにする必要があるとは思いませんか?」
「……以前、姫様の前で上着を脱いだ時にはああまで取り乱していなかった」
「リシア!」
リシアの言、そしてそれを咎めるようなイルミアの声。
嘘はなさそうですね。
「では、素肌を晒すということへの忌避感などではない、ということですか?」
「恐らくな」
考えるにしても少し材料が足りない。
恐らく後一つか、二つ。
大き目の欠片が揃えば事実に肉薄できるのではないかと勘が告げる。
今回も、私の勘に外れはないのでしょう。
見落としている欠片はないかとあの時のことを思い出す。
イルミアの目を視界の端で捕らえる。
口を開くまいと、心を固めている目だと言えるでしょう。
あの時にあった不自然な点は、二つといったところでしょうか。
「シュリトが上着を脱いだって、本当?」
ミラの声。
あの場を思い出しながらもう一つの思考を用意する。
情報を取り逃す気は欠片たりともありません。
「ああ。後に聞けば、姫様がシュリトの胸に残る傷を見せてくれと」
「リシア」
凍えるようなイルミアの声が遮る。
なるほど。不完全ではあるものの、王の欠片程度の威は持ち合わせているようですね。
事実、私以外の三人は萎縮してしまっている。
そしてこの場に出た言葉を並べるまでもなく出る一つの結論。
だとすれば、彼の鍵はミグという少女が握っていることになる。
「彼は、その胸の傷を誰かに見られることを恐れている。
そして誰よりもきっと、ミグ、彼女に見られることに恐怖を感じているのでしょう」
仔細を聞けばより的確な結論を出せるかもしれない。
けれど、恐らくはそういうこと、なのでしょう。
生まれてから外れたことのない勘が、確信を伝えてくれているから。
イルミアが息を吐く。
決然たる光を湛えた瞳で私を射竦めようとする。
良い目、純粋にそう思う。
できることならば、彼女が私を打倒せしめるくらいに鍛え上げたくなってしまうほどに。
「その傷は、シュリト様がミグ様を庇いできた傷痕です。
シュリト様は、その傷痕に大きな後悔を抱いている様子。
けれど、私はそれを恥じることはないと思うのです。
あの傷痕は、シュリト様がミグ様を救った証。
そして、ミグ様がシュリト様を救った証。
その証が、私とリシアの命を救ってくださったのだと思っています。
もしあの傷痕を貶めるつもりならば、私は……。
私は、イルミア・ルナ・シャンティ・アド=ミラシアの全てを以って貴女を殺します」
「なるほど。貴女の決意、よく分かりました。
安心なさい、そのような無粋は私自身が許しません。
戦うときにはそのような古傷を抉ることなく、全力で彼と戦いましょう」
そして一つ、分かったことがある。
きっと彼が倒れれば、彼と関わった全てが私に牙を剥く。
もちろん、本命は彼自身、シュリト以外にないけれど。
素晴らしい、偏にそう思う。
この種を芽吹かせず腐らせるなどということは、許せることではない。
だから、
「彼を殺されたくないというのなら、貴女が私を討ちなさい。
もし私の心に残るほどの強敵になれたのなら、彼とは戦わないかもしれませんよ?」
今のうちにその芽を育てよう。
私と戦えるような、そんな強者の大樹を育てよう。
the other side, Mig's...
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驚いた、といえば嘘になるだろうか。
私の心に深く食い込み続ける恐怖を、まさかシュリト様自身も感じているとは思っていなかった。
不謹慎の謗りを受けるかもしれないが、嬉しいと思ってしまった。
シュリト様は今、泣きつかれて眠ってしまった。
私も湯浴みをしようにも、私の手を離さず、不安そうに目を閉じるシュリト様を放っておくことなどできはしなかった。
手を離すと、泣きそうな顔になるのだ。
また手を握れば、安心したような穏やかな寝息を立てる。
しばらくすると、また不安そうな顔に戻ってしまうのだけれど。
「っ、みぐ、ちゃん」
「しゅーくん、私はここにいるよ」
寝言だけれど、昔のように私を呼んでくれる。
嬉しい、と、そんな音が私の中に響き渡るように感じた。
「ぅうっ」
『きゅっ』と、私の手を握るシュリト様の手に力が入る。
それをそっと握り返し、思いつきで頭を撫でてみる。
シュリト様の寝顔が穏やかになった。
喜び、慈しみ、というものだろうか、胸が温かくなったように感じる。
シュリト様に頭を撫でてもらったときのように。
「しゅーくん。起きたら、私も一杯撫でてね」
こくと頷くシュリト様。
ああ、この時間がずっと続けば良いのに。
そんなことを思いながら、私はシュリト様が目を覚ますまで、シュリト様の頭を撫でていた。
"Brave" boot...
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「み、グ……?」
目を覚ます。
記憶を呼び戻す。
宿のエントランスであった一件から、どうにも記憶が繋がらない。
何かあったか? 記憶の混乱、毒か、酒か?
だが腹具合から見ればあれから半刻と少し経ったかどうかというところだろう。
喉や口、あと鼻や周囲の匂いにもそんな痕跡はない。
少し、自分の汗の匂いがする、程度だろうか?
記憶の不整合からすれば、脳を揺らされるような一撃をもらったというところが妥当か?
だが、傍で俺の手を握るミグの表情にはそうと思わせないだけの穏やかさがあ……る?
「しゅーくん、おはよう」
『ばっ』と身を起こす。
なんだこの状況!
イルミアとリシアは? 彼女達は護衛対象だ。
目を離す訳にはいかない。
次にミラは?
彼女なら危険を察知して逃げる、というのは容易だろう。
無理だとすれば、俺達よりも格の高い相手に狙われたとでも思わなければ辻褄が合わない。
だが整合性が取れない。
なんだってミグはこんなに落ち着いている?
……最悪の可能性が脳裏を過ぎる。
手遅れなら、ミグはきっと慌てるなんて無駄なことをしないだろう。
そういう悪い想像だ。
さっと頭から血が引くのを感じる。
「ミグ、今どういう状況だ?」
少し口早にミグに現状を確認する。
「どういうって、しゅーくんが眠って、みんなが温泉に行ってるだけだよ?」
……は?
「えっ」
どういうこと?
と、言いかけて、ミグが先を続ける。
「もうすぐで晩御飯だから、それまで温泉にでも浸かろうって話になったの。
しゅーくんは、アゲハさんとのやり取りで疲れちゃったのかな。
それで、魔力が切れたゴーレムみたいに寝ちゃったの」
魔力の容量はほぼ完全に近い状態だ。
いくら効率よく休憩を取っても、半刻程度では半分程度までしか回復できないことを知っている。
「まさか、何か攻撃でも受けたのか?」
立ち上がろうとして、ミグに止められる。
「大丈夫だよ。ここには何も、怖いことなんてない」
ミグに、抱きすくめられて。
「っ!」
「もうすぐみんな帰ってくる頃だから、その後でご飯だよ。
それを食べて、今日はゆっくり休もう」
「ミグ……?」
僅かに胸の古傷が痛んだような気がした。
胸に手を当てようにも、ミグの身体が遮っていてそれもできない。
仕方なく、俺はミグの背に手を回した。
なんとなく、大丈夫だという気になってしまう。
嗅覚に異常な反応はなく、ただミグの匂いと、畳というらしい床材の匂いだけが感じられた。
力が抜ける。
「そっか。うん、もう夜だもんな。今日は、ゆっくり休もう」
小さく柔らかいミグの温かさを感じながら、俺こと元勇者候補シュリト・シェルム・ノーグレイスは久々に『幼馴染』に触れたように思う。
貴重なしゅーくんの剥かれシーン。
若干試験作です、評判悪かったら今後この形式はなしということで。




