おーまいえんぷれす、ちょっとは話聞いてあげてよ!
「んー、普通の泉だな」
時刻は陽が落ちた直後という所。
エクレレ貝の生息地に向けて歩き出し、深い森の中にぽっかりと開いた泉の畔まで辿り着いた。
アゲハが居て良かった、と初めて思う。
彼女の案内がなければここまで辿り着くことはなかっただろう。
あの場から真っ直ぐに進むことができたが、本来ならこの泉には、下流から頼りない小川に沿って登ってこなければ辿り着くことすらできなかっただろうから。
すぐ側には登山道があるというのに遭難しかねないほど険しい森を越えた先にこの泉はあったのだ。
アゲハに向けた視線、その先で彼女は泉を指差す。
木々から漏れ出す月明かりがなければ、その姿を捉えることも叶わないだろう。
「もう直ですよ。光泉は、この時間が最も美しいのです。
見逃してはここまで連れてきた甲斐もないというもの。
折角の観光、なのでしょう?
髄まで楽しむことをお薦めしますよ」
予想の外にある言葉だった。
彼女の目は泉へと向けられている。
懐かしむような、どこか遠さを感じさせる目だ。
視線を落とし、ミグを見る。
出発から、ミグとの距離は短い。
いや、肩が腕に触れるほど傍にいるのだ。
そのミグの目もまた、泉へと向けられている。
期待に焦れたように、けれど瞬き一つせずじっと水面へとその視線は向けられている。
俺も、泉を見やった。
途端、水面に広がる波紋を見た。
その波紋がゆっくりと静まる。
暗所だというのになぜそれを目で見る事ができたのか、それを疑問に思う前に、水底から光が漏れた。
水底で膨れる光、その光に照らされて、それは貝の端から発されたものだとわかる。
初め、指で摘まむ程度だったそれが膨れ、手で掴む大きさにまでなったころ、ふと貝から離れた。
光の珠は水の中を昇り、水面を打った。
はっきりとわかる光を纏った波紋が広がった。
その光珠は波紋に揺られながら水面を漂う。
視線を下に向けると、同じような光珠がいくつか膨らみ始めていることがわかる。
光珠を離した貝は、その珠を発した端から少しずつ光を帯び始めていた。
また、光珠が水を舞う。
三つ、そのうちの二つは互いに踊るように絡み合いながら水面へと昇る。
水面でその二つが交わり、弾けた。
粒になった光が水底へと沈んでいく。
先の一つと、今の一つ、その光珠が所在無く光る波紋に揺れる。
また、いくつかの光が水を舞った。
水面へと辿り着いたうちのいくつかが弾けて粒を水底に落とす。
また光が水を舞う。
見れば、先に光を放した貝は今やその全体で光を放っている。
水面で珠と珠が触れた。
弾け、光の粒を水底へと落とした。
次々と舞い昇る光珠と、水面で揺蕩う光珠。
出会い、弾ける光珠、白雪のように舞い落ちる光の粒。
目を見張る。
息を呑む暇すらなく、息を吐く隙すらなく、魅入る。
ただじっと、その泉を見つめる。
辺りからは同じように、その泉、光泉へと注がれる視線の気配だけを感じ取る。
四半刻ほどそうしていただろうか。
果たして、その光景から目を離すことは終にできなかった。
水面に漂う光珠の二つ、そして水底で光る無数の貝だけが残る。
光珠は波紋に乗り、少しずつ引かれ合う。
ミグの肩にそっと手を置いた。
目は変わらず光珠を捉えている。
ミグも変わらず泉を見つめていた。
光珠が交わり、弾ける。
そっと、ミグの肩に置いた俺の手にミグの手が触れる。
光の粒が、水を泳ぐ。
そして、水底にゆっくりと降り立った。
ほう、と、溜め息が漏れた。
幻想的、とでも言うのだろうか。
水底で光る数多の貝、それも確かに美しい。
しかし、先ほどまで水を舞っていた光に比べればどうだろう。
確かにアゲハの言葉が正しかったのだと理解する。
『光泉は、この時間が最も美しい』
反論の余地もない。
今の、貝が光を発す泉の姿も確かに美しい。
けれど、それがこれほどまでに心を打つだろうか。
「こうせんの
ついぞはじける
こいのたま
いくよとなれど
かくはかなけり」
アゲハの詠うような声が耳を打つ。
「光泉を詠った唄です。
あれは、薬貝の、エクレレ貝の交配なのですよ。
水に濁りのない今の時期でしか見ることはできません。
幾夜かに渡って見ることができますが、途中で力尽きるものも少なくはない」
アゲハは泉へと歩み寄った。
「力尽きた貝は、自然と下流へと流れて行きます。
その下流に柵を仕掛け、その役目を終えた貝を取るのです。
ですが、明日にもなれば交配の最中に力尽きる貝も出てきます。
それが出れば交配の邪魔になってしまう。
あの珠は、触れると、死んでしまうのですよ。
だから、毎夜役目を終えた貝を間引かなくてはならないのです」
アゲハはサンダルのような履物、下駄と言うらしいそれを脱ぎ、その下、足袋と言う履物も脱いだ。
素肌を晒した足をゆっくりと泉に入れる。
「久しぶりですが、これなら問題はなさそうですね」
そう言って、アゲハは泉の中ほどまで水の上を歩いた。
手にはどこから取り出したのか、彼女の胴を丸々と覆い隠してしまうような大きさの朱色に光沢を放つ杯を持っている。
それを両手で持ち、目を瞑った。
アゲハの足元から波紋が広がり、光る貝がいくつか浮き上がる。
水面で一度止まり、次に彼女の杯へと入っていく。
またも、目を奪われる。
水底から光に照らされ、杯に零れんばかりの光を集める美女。
杯の貝に照らされた彼女の顔は、慈しむような微笑みを湛えていた。
「揚羽様! どうかお戻りください!!」
「何卒、何卒神社へ!!」
あの後、杯にこれ以上ないほどに満載された貝を持って一先ず宿に向かった。
宿が見えた時点で嫌でも目に入る人だかりに嫌な予感はしたんだよ……。
その人垣も、アゲハに気付いた途端に割れた。
取って返す暇もなかった。
その先には、見覚えのある巫女少女と、見覚えのないおっさんが居た。
アゲハの神社に居たアユミと、多分その父親の神主だろう。
二人はアゲハの姿を目にした瞬間、涙を流しながら床に頭を擦り付けて懇願した。
そして現状へと戻る。
「一日くらい良いではないですか。
確かに久しぶりの帰郷ですが、これまで千数百年も家を空けていたのですから一日や二日戻らなくともそう変わりはないでしょう?」
アゲハは神社の主。一言で言えば神だ。
その神が戻ってきたとなればこうなるのもわからなくはない。
とはいえ、今までの平和さはどこに行ったのか。
二度見、三度見する人は居ても話しかけてくるような人は居なかった。
まして、人垣を作るような人たちも。
「我等の一族は幾代とも知れぬ年月を待ち続けていたのです!
どうか代々の悲願を! 遠き祖から守り続けてきた神社でお休みください!!」
アゲハが俺に視線を投げてきた。
どうしろと?
はっきりと言えば、自業自得だろう、これ。
たまに帰ったんだからそれまでほったらかした配下の願いくらい聞き届けてやれよ。
そういう思いをできるだけわかりやすく顔に出してみた。
アゲハは嫌な顔をした。
「……確かに、私が不在の間よく家を守ってくれたようですね」
その言葉に顔を上げた二人の涙は先ほどより多い。
感涙、という奴だろうか。
それも無上と呼べるレベルの。
「で、では」
「ですが、今戻っているのは私だけです。
他の家の者たちがどうしているのか、私が伝えなければならないでしょう」
神主のおっさんの言葉を遮ってアゲハは続ける。
これはよく知ってる。
勢いで言い包めようという姿勢に他ならないだろう。
俺もよく使う手だからよくわかるよ。
「まずはこの旅館、『幸白扇』を視察します。
『五条武王家』の全てを見た後、私も神社に戻りましょう。
それまで、私に会いにくることを禁じます」
「そ、そんな……」
絶望、それ以外に言い表し様のないほどに絶望した二人の涙の質がまた変わった。
同じ泣き顔だというのに、涙というものも案外表情豊かなものだなと場違いに考える。
「せめて、せめて側仕えだけでも!
亜弓だけでも傍に置くことをお許しください!!」
おっさんの絶叫にも似た悲痛な声での懇願。
あー、他人事だからいいけど、ありゃキツそうだな。
なんというか、大の大人、それもいい歳こいたおっさんの泣き顔の懇願なんてのは直視に堪えない。
本気で、命懸けで頼み込んでるのが傍で見てるだけでわかる分余計に。
というか、ある程度譲歩しないとこのまま宿に上がれない気がする。
宿の人に迷惑だろ、と思いきや、宿の人も共感するように頷いている。
鬼に仕える人間ってのは、そんなもんなんだろうか?
忠誠とか忠義とかそういう言葉が随分軽く見えてくる。
なんか二人に貰い泣きしてる人まで居るし。
流石にここで立ち往生ってのも正直勘弁して欲しいところだ。
かと言って俺が出て行けばアゲハは着いて来そうだしなぁ……。
それで逆恨みでも買えば目も当てられない。
多分、そうなると観光とか寝泊りとか言ってられなくなる。
仕方ない、一つ助け舟でも出そうか。
こんな所で恩を売れるなら儲け物だし。
アゲハにしても、神社の二人にしても。
「……あー、あのさ。アゲハ。
千年も前から放置してた一族が未だに忠誠を誓ってるって、どれだけありがたいことかわかってるか?」
「な、なんですか急に」
予想外の方向から質問を浴びせられ、アゲハはたじろいだ。
戦闘は得意でも、舌戦は不得意らしいな!
その隙、頂くぜ!!
「鬼のあんたからすりゃ大した時間じゃないのかもしれないが、人間って百年そこらで死ぬだろ?
顔も見たことのない主に、それどころか、親も、その親も、そのまた親も、顔すら知らない相手にこれだけの忠誠心を持ち続けるってのがどれだけ大変なことか考えたことあるかって聞いてるんだよ」
「……」
苦い顔で押し黙るアゲハ。
黙ってたら押し切るぞ。
「その上、いつ帰ってくるのか分からない、本当に帰ってくるかすら分からない相手のために毎日毎日寝床や食事の素材まで確保して、だぞ。
いつ帰ってくるか分からないから探しに行きたくても神社を守らないといけない。
本当に帰ってくるか分からない場所を何代も、何代も、守り続けてきた相手だってわかってるか?」
「それは……」
アゲハの酷くばつが悪いような表情。
苦楽を共にしてきただろう宿屋の店主が泣き崩れる。
野次馬の中にも何人か嗚咽を噛み殺す奴がいるな……。
そっちに言ってるんじゃないんだが、その泣き声はアゲハにも届いている。
アゲハの表情が硬くなっていく。
いいぞ、もっと追い詰めろ。
その方が楽になる!
怪我の功名というか、この不意に吹く追い風に乗るしかない!!
「……どうやら分かってはいるみたいだな。
なら、まず一言言ってやる言葉があるんじゃないか?」
俺の言葉を値踏みするように、アゲハは目を瞑った。
そして目を開き、目の前で泣き崩れる二人に言葉を投げかける。
「この千年余り、よく家を守ってくれました。
それどころか、見も知らぬ私に尽くすその忠義、嬉しく思いますよ」
二人は瞠目し、ついに大声を上げて泣き出した。
「有り難きお言葉! 有り難きお言葉に御座います!!
我等の先祖も、墓の中で新たに忠を誓っていることでしょう!!」
さて、もう一押し。
最後の詰めと行こうじゃないか。
ここは、先々代鬼の王、人間と初めて出会った鬼の青年の言葉を借りるとしよう。
「忠を見て応えぬは主にあらず、儀を見てせざるは人にあらず、だったか?」
歯噛みしそうな顔で俺を睨み付けるアゲハ。
これだけ人が居てはそうそう威圧もできまい。
俺に効果があるような威圧なら、最悪気の弱い人間がそれだけで死にかねないからだ。
まあ、威圧だけなら俺には効かないんだがな。
構わず言葉を続ける。
「二人が仕えてるのはそれはそれは立派な鬼の王のはずなんだがな。
当然、さっき神主さんが言ったように、アユミくらいは側仕えを許すんだよな?」
一瞬俺にだけ殺気を向けてきやがった。
何か不都合でもあるのかねえ?
アゲハでも守りきれないような場所に行くなら、こっちで預かるくらいはしてやっても良いんだが。
殺気が止み、少し考え込むような動作をしたアゲハはしかし直に真っ直ぐに二人に目をやった。
「……良いでしょう。その娘の側仕えを許します。
ただし、この地に居る間だけ。
私は現状を他の五家に伝えるためにも一度鬼の国に戻らなくてはなりません。
そこは人が生きるには過酷な場所。
忠心篤い配下だからこそ、その場に連れて行く訳にはいきません」
ま、妥当なところか。
おっさんは大声で泣きながら声にならない謝辞を上げている。
あーあ、それなりにダンディな顔なのにぐちゃぐちゃにしちまって。
「亜弓でしたか、行きますよ」
アゲハはアユミを伴い部屋へと向かった。
なんというか、多分この場の空気が絶えがたかったんだろう。
おっさんと同じように可愛らしい顔が台無しなくらい泣きはらしているアユミと最上位の部屋に泊まるようだ。
アゲハの姿が見えなくなった頃、店主と、人込みから飛び出てきた三人のおっさん、計五人のおっさんが暑苦しく抱擁していた。
一言で心情を表すなら、『うわぁ……』という感じか。
なんとなく見るに堪えない絵面から神主のおっさんが飛び出してきて、俺に礼を言った……のだと思う。
もういろいろと残念なことになっていて、感謝の言葉すら聞き取ることはできなかった。
ただ、身振りや空気を見るに、ああ、猛烈に感謝しているんだな、ということだけは感じ取ることができた。
イルミアはその様子に若干の涙を瞳に溜め、さすがシュリト様です、と呟いていたが、何が流石なんだか。
途中からこの後の展開をある程度コントロールするために落とし所を修正していたんだが、もしかしてその辺りのことか?
一頻り感謝の念を伝え終わったのか、神主のおっさんと人込みから飛び出してきたおっさん三人は戻っていった。
神たる鬼が引っ込んだことで人垣も疎らになっている。
その様子を伺っていると、後ろから店主のおっさんが声を掛けてきた。
「弓紀の願いを叶えて下さり、ありがとうございます。
先ほどの三人と我々は、別々の五家の側仕えをしていた一族でしてね。
幼馴染のようなものなんですよ。
皆さんもお泊りでしょう?
親友の悲願を叶えてくれた方々だ。お代は要りません、一番良い部屋に泊まってください」
そう言って鍵を渡された。
一つだけ。
「良いんですか? お安くはないようですが」
「なに、構いません。それに弦慈公揚羽様は鬼の国で他の『五条武王家』様に話すとおっしゃっていました。
幸白扇様もお戻りになられるかもしれない。
この命が尽きるまでに、主にお目通りできるかもしれない望みが見えたのです。
聞けば、貴方が揚羽様をお呼びしてくれたそうじゃないですか。
我等五人に希望を見せてくれた、お代はそれだけで結構ですよ」
ありがたい、といえばありがたい話なんだが。
ある意味狙いとは少しずれている。
考えてもみて欲しい。
見渡せば可愛い系、美女に変身中の美少女、勝気な美女に人形めいた美しさを持つ美女。
女ばかりなのだ。
これで、一つの部屋で寝ろと?
はっきり言おう、俺の命が持つだなんて幻想、俺は抱けない。
主に、トチ狂った俺がミグに撲殺されるという意味で。
「そ、そうか。無理しなくても、もう少し安い部屋でも良いんだぞ?」
「滅相もない! 大恩あるお方にそんな粗末な対応できませんよ!」
身振り手振りで否定する店主。
取り付く島もないとはこのことか。
「そうか……」
その反応に勘違いした店主が補足する。
「もちろん皆様ならいつ来て頂いてもお部屋を空けておきますから、いつでもいらっしゃってください」
やはり斜め上っ……!
対応に不満がある訳じゃなくて、自制心に不安があるだけなんだよ。
気を使わせてしまってすまないな!
「すまないな、ありがとう。
それじゃ、早速部屋で少し休ませてもらおう」
「ごゆっくり。一刻程でお料理をお持ちしますので、それまで湯や風景をお楽しみください」
深々と礼をする店主。
あの礼の仕方は好感が持てる。
貴族風のはどうしても鼻に付くんだよな。
そんなことを考えながら、俺達は部屋へ向かう。
期待と不安を綯い交ぜにしながら、俺こと元勇者候補シュリト・シェルム・ノーグレイスは死地へと向かった。
サービスシーンは、どうしようかと。




