おーまいでぃあー、せめて手加減してよ!
「え? 何? 示談成立って何?」
齢にして十五、ようやく使命と展望とに折り合いを付けようという折々である。
成人の儀を済ませてさあ魔王討伐だと勇んで準備している間にも当然世の中は回っていく訳で……。
「ですから、クルクスの勇者様と魔王の間で講和条約の締結が合意されたそうなんですよ」
クルクス。対魔族における最前線だ。
予定では各国代表への挨拶回りで世界中を行脚した後、件の地を通って魔族領に乗り込む算段だったはず。
という名目の元、南北を海に挟まれたクルクスでは魚介類食い倒れの計画を立てていただろう? え、アレもナシなの?
ではなく、いくら勇者といえど一領地に過ぎないクルクスと魔王本人が戦争の如何を決めるような会合?
少しどころではなく不自然に感じるのだがどうだろう。
折角の旅行が決行目前に取り止めになったという憤りなど感じてはいない。
旅行などという遊山気分ではなく、世界を救うための、世界の命運を背負う旅なのだから。
……命懸けで旅するんだからちょっとくらい遊びまわっても良いよねと仲間内で話していたのは墓場まで持っていくことにしよう。
「クルクスの勇者ぁ? あんな辺境に勇者なんて居たのか?
それになんだって戦争始めて千年も経った今になってそんな平和的な解決手段が出てくる訳?」
「八年前から話題になっていたではないですか。
ちゃんと報告もしましたよ? もしかして……『また』聞いていないとでもおっしゃるつもりですか?」
背に黒い炎を纏うチビ眼鏡を幻視する。
なにこの子! 魔族よりコワイ!
明確な怒気を視覚化させるチビ眼鏡こと、幼馴染のミグ・ラテール・アルマタイルの姿に背が凍る錯覚を覚える。
でも、負けない! だっておいらは勇者だから!
「ミグ落ち着けよ聞いてたって確かタスクって言ったっけ?赤い髪と目の確かクルクスを要塞化した人と同じ容姿でその英雄から名前を頂いたとか何だとか」
「聞いていたなら惚けないでください。
クルクスの勇者様は魔族側、ルナリア領とパイプを持っているのではないかという噂話もお話したはずです。
ルナリアの領主といえばイルマ長公主。魔王の実の姉だということは有名でしょう?」
クルクスとルナリアは隣り合い、千年以上人間と魔族の最前線として敵国の矢面に立ち続けていたというのは有名なところだ。
特にイルマ女史は千年以上その前線を指揮した手腕と千年を経て変わらぬ美貌で人々から魔王の次に恐れられる存在。
是非お近づきになりたい。
「クルクスの勇者はそのイルマ女史のコネを使って魔王を懐柔したと?」
「真偽の程は流石に定かではありませんがクルクスの勇者様、タスク様はイルマ長公主と婚約したといった話も流れて来ますね」
なにぃ! クルクスの野郎絶世の美女と名高いイルマ女史と毎晩キャッキャウフフだと!?
許せん! これは許せんよ!!
今からクルクスまで行って野郎の顔を見れなくなるまでぶん殴ってやる!
「下らないことを考えられているようですが、タスク様はどうやら当代魔王と同等の実力をお持ちのようですよ?
シュリト様なんて軽くあしらわれるか、逆にボッコボコにされちゃいますよ。
もしイルマ長公主に手を出そうなんて考えたら……切られちゃうかも」
ゆっくりと視線を俺の下の方に向けるミグ。
な、なんて怖いことを口走るんだこの娘は!
というか何でそんなに正確に考えていることが分かるんだよ!
思わず『キュッ』となってしまう俺を見て、ミグは深くため息を吐いた。
「それで、どうなさるんですか『元勇者候補』様。
国王は講和条約の締結と武装解除を宣言されました。
要は、シュリト様は明日から無職ですがどうされるおつもりです?」
無職……十五になって、無職。
普通、この国で十五っていうと弟子入りした店や働きに入った畑でそろそろ一人前半くらいの扱いは受ける歳だってのに俺は……。
いやよく考えてみろ。
この状況は何が原因だ?
言うまでもなく魔王を討伐するなんて言い出した国王が志願者を募ってそれにホイホイ応じたのが原因だ。
そして俺は並みの近衛騎士よりは強い!
というか、王国騎士団長のオッサンより確実に強い!
騎士になって王国の税を吸わせてもらうか?
まてまて、その前にクルクスの野郎に文句言って推薦状でも書かせた方が良いのか?
いや、手にできたかもしれない名声を盾にクルクスで養ってもらうって手も捨てがたい。
だって騎士になったら朝早くの訓練やら要人警護によく分からない所の番とかでめんどくさい。
ううん、知らないけど絶対そう!
暇すぎて瞳の光がなくなってる騎士を何人も見たことあるもん!
「俺はこのキラキラに輝く瞳を捨てたくない!」
「シュリト様の瞳はキラキラというよりギラギラでしょう、間違いなく」
こんなに澄んだ瞳だというのにこのチビ眼鏡はなんてことを言うんだ!
未発達なお前なんて眼中に……、いや、まさかそんな!
確かに野外訓練の時にちらちら目に入る所を思い出せばそんなに小さくはないと思っていたがそんな、まさか……ッ!
あれは限られた者にのみ現れるという『三』の字ではないのか?
俺の胸元程までしかない体躯に、あの聖なる御印を持つというのか!?
いつも身近に居るからなのか? 見落としていた場所に宝が眠っていたというのか!
神よ! まさかあなたはこの状況を見て笑っていたとでも言うのか!!
いや、もはや覆いは取れた。
今ここから曇りなき眼を持って世のすべてを見晴らそうではないか。
十五年余り、腐れ縁のごとく常に傍に居た癒し手の少女を盗み見る。
僅かに青みを帯びる銀の髪はショートボブに纏められ、流れるようにその幼い顔立ちを凛と彩っている。
仄かに高まる心音の一つを聞き、すぐに心を落ち着ける。
実践訓練で身に付けた、明鏡止水の境地で以って十五年の無理解を雪ぐ。
その中で生まれた言葉を、飾らずに口にしよう。
心が澄み切っていくのを感じる。
こんな時、俺はいつだって全てを成功させてきたんだ。
どんな不可能だって可能に蹴り飛ばしたし、きっと今回も上手くいく。
「ミグ、とりあえず胸を揉ませゲェッ!」
「無理です。気持ち悪いです。死んでください」
迷いなく俺の喉に突き出される拳。
不意に受けた衝撃は、俺の意識を刈り取るに十二分の威力を秘めていた。
それどころか首の後ろでピキピキ音が立っている。
薄れ逝く意識を奮い立たせ、せめてひと時でも届けと両の手を伸ばす。
「どこを狙っているんですか」
無情な音が聞こえる。
ああ、分かるよ。これは骨が折れた音だ。
多分、右の肘と左の前腕肘よりのところ。
ミグの冷ややかな目に幾許かの興奮を覚えながら、俺こと元勇者候補シュリト・シェルム・ノーグレイスは死んだ。