丘の上で待ってる 2
「残念ですが、今のところ貴一さんの意識が戻るかどうかはわかりません。明日不意に目を覚ますかもしれないですし、何日、何か月、何年後かになるかもしれないですし、このまま戻らないという可能性も……」
医者の冷静な声が病室に響いた。
低い声に冷静沈着にそう言われると、冷静と言うよりも、何故か冷淡に聞こえて見えた。命を取り留めてもらったというだけでも大きな恩を感じるのに、恩知らずにも殺意が湧いた。
弟がつい数日前、トラックに轢かれたそうだ。自転車で道路を渡っていたところ、曲がり角を曲がろうとしてぶつかったらしい。そんな事が実際あるものかと、電話で震えながら泣く母の声に疑問を隠せなかった。急いで何年も前に上京した東京から実家に戻ってきて、貴一のいる病院に行き、ベッドの上でピクリとも動かない貴一を見て、さらに疑問を覚えた。本当に生きているのだろうか。貴一の居るベッドの横の機械は、一定上の線を描きながら貴一の心音を表している。これは本当に貴一の心音で良いのだろうか。まさか誰か違う人のモノなんじゃないんだろうか。こんなにも動かないのに生きているのだろうか。死んでいるんじゃないんだろうか。
「まだ生きてるわっ!」
母親が俺に一喝した。馬鹿な事を言わないでと言った。馬鹿馬鹿しい光景を見ているんだ。言いたくもなる。
「とりあえず、みなさん。辛いかとは思いますが、もう少し様子をみましょう」
医者がそういう。
だから殺意を覚えた。
ハンカチで口を押えながらすすり泣く母を父と妹に任せて、俺は病室を後にした。病室に居るのが何故だか億劫に感じたのだ。病室を出てもそれは収まらず、薬品臭い病院を抜けた。病院は意外にも意外な程広く、庭が付いていて、その向こうから海を見渡す事が出来る。勿論患者が落ちない為の柵も立てられている。庭には辺り一面芝生が散らばっていて、大きな大木が数本並んでいる。その木陰にベンチがあり、療養には心地の良い風景が広がっていた。
緩やかな丘の中に建てられた病院。文字で見てもなんとも鮮やかで良い病院だと分かる。身内や本人が重体の状態でここに担ぎ込まれてさえいなければ、入院と言う環境になってしまっても割と楽に過ごせたりするんじゃないんだろうか。
だから俺には大木の木陰の下で心地よく涼む事も出来ないし、ゆっくり風景を眺める事だって出来ない。
とぼとぼと病院の庭を揺られるように歩く。病院のその先の向こうに、まだ道があるのが見えた。横幅が3メートル程で、やっぱり一面は芝生なので、どうも車では行けそうにない。立ち入り禁止の柵も注意も書かれていなかったので、ブラブラとその気紛れに足を踏み込んだ。ゆっくりとゆっくりと進みこむ。向こうから海の潮の香りがする。塩辛くもなく、鼻にスーっと入り込んできた。
5分程進んで、終わりが見えた。大きいとも言わないが、広い広場に出た。淵々に柵が建てられている。下を覗くとどうやらこのまま落ちてしまえば海に身を投げてしまう事になる。ここはあまり入院患者は立ち寄りそうにもない。
そう思い、疲れた脳を少しばかり休めていると、男が一人、柵に腕を置きながら海を眺めているのが見えた。ここにはその男と俺しかいない。
普通の恰好をしている。入院患者ではないらしいし、身内や知人の見舞いがてらここに来たのだろうか。なんともスッキリとした顔立ちの男だった。
ジーっと男を覗いていると、男が俺に気付く。慌てて目を逸らした。
「あぁ、どうも。お見舞いですか?」
男が俺に声をかけてきたので、少しばかり笑みを作りながらそれに返した。
「えぇ、……ちょっと弟が入院してまして」
「そうですか、それはお気の毒です」
「そちらもですか?」
「いえ、俺は……」
別に、身内や知人の見舞いがてらというわけでも無いらしかった。
じゃあ何でこんな病院の裏に……?
「人を待ってるんです」
男が優しく微笑みながらまた海を眺めた。
「大切な人が来るのを、待ってるんです」
男がとんでもなく優しくそういうので、俺は少し、疑問を覚えた。
*
トラックと衝突して、気付いたら日本が鎖国している時代のフランスに来ていた。しかも女の姿。全く意味が分からん。傍から見れば何言ってんだコイツ? とか、頭打ったんじゃねぇの? だとか、一回有給でも取って休めば? 的な事を言われたり思われたりするのだろう。
だが生憎、ここには、この時代にはきっと『有給』なんて言葉自体が無いだろう。家族も友達も部長も同僚だって、俺を見知っている奴は誰もいない。
そんな意味の分からん言葉をばんばん口から出す俺を拾ってくれた男はクラヴリー・ロビンと言った。ロビンは相変わらず怪我人だからと俺を匿ってくれた。じっくり休めと言う。
療養中はずっとロビンの家の磨かれた窓から映る外の景色を見ていた。フランスの街初体験。外の世界は綺麗で、でもだけどそれは景色だけで、人間は別だった。それこそ高貴な姿をした綺麗な人達だっている。そしてその逆。汚い恰好で、フケと誇りまみれの人達。綺麗な景色に居る人は、絶対にそのどちらかだった。
「未来のフランスじゃあきっと、こんな差はもうあまり無いんじゃないかな」
疑問系なのは、俺はフランスに行った事が無いから。
「そうか、……未来じゃ皆平等か?」
貧富の差。
「んー、全部が全部平等じゃないよ。金持ちはそりゃ居る。だけどきっと俺等平民は皆平等だよ。少なくとも俺の居るところはそうだった。他の国じゃそうじゃないとこもあるけどさ」
「そうか……それは良い事を聞いた。全部が全部じゃないのはアレだが。それじゃあきっと、幸せだろうな」
それを想像するかのように、ロビンが目を閉じる。
「ホントだって、信じろよ」
「そうだな。お前が淡々と喋る言葉は、何故か妙にリアルだ」
「ホントの事なんだから当たり前だろ」
「はいはい、お。熱は引いてるな。少しずつだが良くなってる」
突然ロビンが顔を近づけて、おでことおでこをぶっつけて来たので、俺はびっくりして腹筋に力を入れてしまった。傷が痛い。
「いっ……! っ…くぅ…な、なにすんだバカ! 俺は男だって!」
「あのなぁ、……仕様がないだろう。俺はお前の男の姿は見たことが無いんだから」
「俺が男だってんだから男だろ!」
「男って言われてもお前は今女の姿だろ?!」
そうやって言うと、ロビンは胸をフニっと押すと言うよりは、むぎゅっと掴んできた。
「いてぇ!」
「うるせーオトコオンナ」
「おまっ! ……それ女に言ってみろ! 殺されるぞ」
「お前は男なんだろ?」
「男だってんだろバカ!」
こんな感じでずっと家に居座らせてもらっている。居座ってる分、こっちも何かしなきゃいけないってのもよく分かる。だけれど体が動かない。でかい口叩けないってもの分かってる。けれどもロビンの性格は俺ががみがみいっちゃいそうな性格をしていた。なんて言うか、ちょっと気にくわないと言うか。そんな事言う権利がないってのも分かってるつもりだ。それでも止まらない。
もう、何がなんだかよく分からない状態になってきていた。
「ようロビン、回診に来たぞ。キイチの具合はどうだ?」
古い地味な色の服を来た男が家の窓から顔をだした。ところどころ穴が開いて、それを違う布で縫い付けているところが多々ある。
「相変わらずクソウルサイくらいにピンピンしてるぞ」
「クソうるさくて悪かったな!」
「おはようキイチ、どこか痛いところはある?」
家に入ってきてそうそう、俺のいるベッドの横にある椅子に座りながら俺に問いかけて来た。名前はジルと言うらしい。貧乏な医者をしていて、いつも患者を見て回って居て、安い治療代と、はたまた無料で回診したりと、まぁそりゃ貧乏になるわ。と言ってしまいそうなほど心の広い事をしている。
「胸」
「へ?」
ポツリと呟いてみると、聞こえなかったのか、きょとんとした顔がこちらを凝視してきた。
「ロビンに触られた、痛ぇ」
目を逸らしながらそう小さく、だけどさっきより大きく呟く。それからコンマ3、4くらいたった一瞬に、近くから何かを落とすガシャンとした音が聞こえた。
「おいおいロビン、キイチは怪我人だぞ」
冗談交じりに呆れながら椅子の背もたれに腕を回し、ロビンに振り向く。
「誤解だジル! 俺はただ……あ、っおい! お前何ちょっと笑ってんだ!」
「笑ってねぇー!」
血相掻いて俺に大声出して怒鳴りつけてくる。低い声が傷に少しだけ響いて痛い。骨がギリギリ言ったきがして、自分の腹をさすった。柔らかい肌がぎこちない。
二人は良く言う『幼馴染』らしい。昔から、小さい頃から仲が良く、父親は二人共同時期に同じ戦争に出て、そして戦士。母親は流行り病にあって、さきにロビンの母親が、数年たってジルの母親が死んだそうだ。二人分の4つの死を共に見て刻んだ二人の絆ったら、多分俺には踏み込めなさそうな領域だった。
「飯も食えてるみたいだし、……まぁ、もう少し安静にしてれば大丈夫かな」
「あ、……ありがと」
「誰かさんが襲わなきゃの話しだがな」
「勘違いだ」
「だと良いけど?」
真剣に冗談を撤回しようとするロビンと、茶化したようにふふんと笑うジル。なんだか本当に仲が良いんだなと実感した。
だから、なんかちょっと居づらい。
「じゃあ、俺は行くよ。キイチ、ちゃーんと寝てるんだぞ」
そうして俺の頭を優しくポンポンと撫でた。ジルのこれは、一体子供扱いなのか、はたまた女としての扱いなのか。
「ん、」
分からなかった。
それから医療道具が入った鞄を持って、ジルは家を後にした。検診も終わり、部屋に差し掛かった日差しを見ながら一息吐いていると、何故か盛大な舌打ちが聞こえた。
「え」
ロビンだった。
でかいくらいに響いたその音を辿ってロビンを見ると、何やらぎこちなく俺を睨みあげている。
「え、なんだよ……?」
わけの分からないその態度に、少しだけ息が詰まった。
「お前は男なんだろう?」
「だから、そうだってんだろ」
「……」
ため息を吐きながら黙ったまま腰を下ろした。
「俺にはやめろとか言うくせに、ジルには触らせるのな」
「……はぁ?」
「男だから触るなとか言うくせに、……あいつだって男だぞ」
「……はぁ、」
「俺の言ってる事、わかってるか?」
「いやぁ…全く」
何に対して不機嫌になっているのか、それが一番の謎で、一番分からない。
まぁいいと、ロビンがゆっくりと息を吐きながら椅子へと座った。
「それよりお前、怪我治ったらどうするつもりだ?」
いきなりの質問。
どうするもこうするも――。
「どうしよう?」
家に帰ると言っても、ここに俺の家はない。ここにと言うか、この時代に。国のちがいと、時代のちがい。ええと、……幾重の傷害になるんだ?
「まぁいいさ。生憎、俺は貧乏だがお人好しなんだ。当てが見つかるまでいればいい」
そんなお人好しな言葉に、俺は耳を疑った。
俺のいた日本にだって、知らん人間を当てが見つかるまでいればいいなんて言って家に転がりこませる奴はいないだろう。それなのにコイツは見ず知らずの俺にそんな事を言う。
「過去の人間はそんなもんなのか?」
「なに?」
妙な優しさに不安を抱きながらも、まぁそれはそれで多いに嬉しいことなので。
「いや、あ。……じゃぁ、お言葉に甘えて」
ついついお礼を言ってしまった。
そうしてから、考える。怪我が治って、それからどうするんだ。このまま元の日本には帰れず? このまま女の姿のままで? こっちの生活にも慣れて? そんなのは絶対に嫌だった。別に携帯が使えないからじゃない、テレビが見れないからじゃない、貧乏だからじゃない。
このままじゃ未練があるから。
あそこに居た俺の証明がなくなってしまう気がした。トラックに衝突して、俺のあの日本人生活は終了するのだろうか。親の死に目にも会えず、兄にも妹にも別れを告げず。
そんなのは無い。
ていうかあれだ、こっちに来てしまったにも必ず理由があるはず。こっちに来たのなら帰る方法だって必ずあるはず。
それを見つけよう。まぁ、怪我を治してからなんですが。
まずは眠いし、もう一眠りでもしよう。
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