丘の上で待ってる
――俺、死んだ?
会社帰りに自転車に乗っていて曲がり角を曲がろうとしたら、いきなり出て来た大型トラックに轢かれた。体がトラックとぶつかって痛い。そのまま5、6メートルは飛ばされて腹の奥底が絶叫マシン乗った時みたくヒュンてなった。でもそれからコンクリートに叩きつけられてまた痛い。体が尋常じゃないくらい重くて、熱い。視界が霞んで、気付いたら病院に居た。体はその時はもう痛くはなかった。逆になんかフワフワして、妙に身軽な感じがする。
俺は個室の病室に居て、俺が寝ているベッドの周りには暗い顔をした母と父と兄と妹。俺に向かって何か呟いているような気がしたけど、やっぱり聞こえない。母に近寄ったり、兄と妹の目の前を横切ってやったりしたけれど、誰も一切として暗い顔を上げたりしない。
――もしかして俺……。
病院のベッドに寝ている俺の横に、心臓の動きを表すような機械があった。ちゃんと動いてる。少しだけホッとした。
――いや、まだ死んでねー。
そしてまた寝ている俺を見つめる。なんだか不思議な感じがする。目の前に自分が居て、重症なままベッドで寝ている。これは、幽体離脱? なんて言うんだろうか、こういう事。体と魂がかけ離れたというか、なんというか。気持ち悪い風景だ。
ていうか、俺はどうやったらこの寝転がってる俺に戻れるんだろうか。声は聞こえないが意識はある、魂だけ。もしこのまま俺の体が死んでしまったり、あるいは脳死なんて事になってしまったりしたらどうしようか。
――脳死はともかく、亡霊だ。
まだ20後半も生きて無いのに死んじまうのか。
でもそれは凄く悲しい気がする。この前買ったゲーム、まだクリアしてねぇし…って、そういう事じゃねぇか。発注の件で先方に連絡入れなきゃいけないのに、もう少しでボーナスもらえる時期だったのに。最近調子良かったから、部長に今度飲みに行こうとか誘われてたのに。
「どーやったら戻れんだコレ」
神経の機能さえ遮断されているのか、間隔は何一つなく、それでも歩ける、…というか浮いてる。幽体離脱なんか20ちょっと生きてきて初めての出来事だし、とりあえず案外ススっと戻れるかもと横たわる俺の胸の辺りに手を置いてみたけれど戻れない。少し時間が経てば大丈夫かと思えば何の変化も無し。
待ってたらだんだん眠くなったきたし、でも寝たら本当にもう戻れなくなるんじゃないかと不安で眠れない。逆に、寝れば戻れるかもという希望だって芽生え始める。二つの選択。どちらにせよ未知だ。
もしかしてこのまま死んじまうとしたって、もう全然嫌な気はしない。ただ悲しいなってだけで、あまり抵抗なんてものはなかった。今の状況、抵抗したってなんの意味も無いって理解でもしたんだろうか。
――それじゃあ寝ちゃおうか。
寝て起きて、それで死んでるか、生きてるか。もしかしてまだこのままか。それだけだ。
俺の体が寝ているベッドは少しだけ広くて、左右に少しの余裕があったので、俺は出来るだけ縮まってそこに横になった。でもやっぱり誰も気づかない。少しさびしい。うとうととした意識に目を瞑り、シーンとした何も聞こえない空間で、俺は少しずつ眠りに落ちて行った。
ユラユラユラユラ、赤ちゃん時みたいな揺り籠の中に入っているみたいに、何故だか心地がいい。もしかして今雲の上まで上がって神様ん所にでも導かれているとか、こんなに心地いいんなら、そりゃ生きる気力もなくなってくるだろう。
「神様って残酷な。」
小さく呟いて少し微笑ってみたら、なんか一気に風が吹いた。少し寒い。秋風とか、冬に吹くようなそんな匂いはしない。夏のように涼しい、そんな風。
「なにやってんだ、」
風と共に、頭上から声が降ってきた。もしかして神様? 何やってんだって、あんたのトコに行こうとしてんのに、何だってそんな質問……。
「家無しか? もしかしてさっきの……逃げてきたのか?」
どこから逃げて来たって? 逃げも隠れもせずについさっきトラックと総当たり戦してたってのに、しかも惨敗でアノザマだ。
「おい、しっかりしろ。起きろ」
なんだようるせぇ……ていうかなんで俺そんなに固執に怒られなきゃいけねぇんだよ。アンタのとこに行くんだから別に……。
「死ぬならこんなとこじゃなくてもっと良いところで死ぬんだ」
……へ?
神様にしてはあまりに不自然な台詞な気がしてならなくて、俺はその拍子に目を開いた。
「神、様……? ……って、…いて……」
薄い薄い茶色頭、目は少しばかり緑かかっている。日本人? ……いや、こんな日本人はハーフだっていない。
「俺が神様だとすれば、あんたは堕天使ってところか? まぁ、良いから動くなよ。俺ん家がすぐ近くだ」
そう言われていきなり担がれ……ていうか、お姫様だっこされたもんだから、俺はビックリした。痛くて痛くて痛すぎる体をぎこちなく暴れさせる。
「ぎゃ、……つぅ…なんっでこんなに…」
痛みが半端なさすぎる。
「動くな、俺は客じゃねぇ。生憎金は持ち合わせてなくてね。大丈夫だから、…だから大人しくしてろ」
この男が何を言っているのかよくわからなかった。
「ていうかここどこだ……っ」
現状が意味不明過ぎて言葉を声に出してしまった。俺は確かにあのトラックに轢かれて、家族に囲まれながら意識不明の重体になっていた。……という体だけの俺を、魂だけの俺が見上げて、つまり幽体離脱している状態だった。そんでイチかバチかで眠り、……。
気づいたらここは何処だ。
「ここ? フランスだ」
「フラっ?! ……いってぇぇええ!」
つい腹筋に力を入れてしまった。傷口が開いてないか心配なくらいに痛い。
「おい暴れるなって、そういえばお前の髪も目も真っ黒で珍しいな、……どこから来た?」
確かに日本人じゃない容姿と、言葉。
おかしい、何か、いや何もかもがおかしい。
――なんで俺フランスなんかに居んだ。…フランスが天国ってのか? どうやったら日本に帰れんだ。
「……ここって天国?」
「神様とか天国とか、アンタどんだけ死にたいんだ。そりゃ辛い思いして来たのは分かったが、命からがら逃げ出してきて死にたいはおかしいだろう」
命からがら逃げ出して……? だから俺は逃げも隠れもせずに大型トラックに轢かれて、意識不明の重体で、そんな体で逃げ出すも何も無いだろう。
「俺は別に逃げて来たからじゃないから、離せ……! 日本に帰る!」
「……ニホンだと? それは……ジャッポーネの事か? なるほど、……アンタそんなところから…」
ていうかなんで俺フランス語分かってんだ。勉強なんか1回もしたことないのに……。
「でもアンタもつくづく運が無いな。最近日本は第2次鎖国令が出たと聞いた。日本に来航する船も少なくなったろう」
――鎖国? 何言ってんだコイツ?
「アンタ、気だけは男みたいに強いみたいだからな。…その痛々しい体は拷問か?」
だから本当に何言ってるんだコイツは。鎖国だの来航だの拷問だの。日本のそんな話しはとっくの何百年前に終わっていて、今はアメリカとかと仲良くやってるし、船だって飛行機だってなんだって国を跨げるし、拷問は日本の明るみじゃそんなのはとてもな……アレ?
何言っているんだコイツは、……なんて考えて、俺はある一つの不思議に気が付く。
――何言って……いや、…何つった今。
『気だけは男みたいに強いみたい』
なんて言っていた。
男みたいにだと? 俺は……。
「俺は男だ」
見たまんまの、男だ。
「おいおい、間違っても現実逃避だけはするなよ、なんか色々面倒臭くなってくる」
「現実逃避って、……俺のどこが女だよ」
「どこって、お前のその胸とか、細い腰とか腕とか、柔らかい肌とか、……顔だってまんま女じゃないか…ておい、なんだその顔」
胸とか腰とか腕とか肌とか、男が俺の顔を見ずにそんな説明をするので、俺の頭は混乱した。生まれてこの方そんな物持ち合わせた事は記憶上無かったと思う。だって男だし、ちゃんと下半身にブラブラしてるし、胸なんかシリコンも入れてないから膨らんでないし、いや自然にだって膨らんでたまるか。彼女いない歴イコール年齢、なんてのはおいといて。
「ぎ、……ぎゃ…あぁああぁぁああっ?」
俺は体に負担の掛からないように出来るだけ声を抑えて雄叫びを上げた。もう頭の中はパニックで溶けかかっている。
綺麗に磨かれた窓ガラス。さすがフランス、……なんて事は心の隅できっと思ったに違いない。日本の都会もそれなりに綺麗だが、こちらの方が綺麗だと心底感じる。だってそうだ、ボロボロのワンピースを身に纏って、ボロボロ女の姿。
その女はある男にお姫様抱っこみたいな事をされちゃってるわけで、……そのある男ってのが今俺をお姫様抱っこしている奴で、じゃあそのお姫様抱っこされている俺は、ボロボロの女……?
――なん……っなんだって…え、へぇえ?
なんだってんだ、トラックに轢かれて幽体離脱したと思ったら、いきなりフランスに来て、鎖国中だの、拷問だの、女だの。
「意味……わかんね…」
体中がアチコチ痛くて、頭が状況についていけなくて溶けそうで、俺は本当に死んじゃうかもと思いながら、失神した。
男の声は遠のく。
*
「精神的肉体的な過労と…とりあえず怪我が酷い、……目は覚めても、炎症で熱は続きそうだな。ところで、……この子、本当に大丈夫なのか? どこから来たか、身元も分からん奴を…」
「彼女はジャッポーネから来たそうだ」
「今は鎖国中じゃなかったか? まさか流れ者か?」
「売春船に拉致でもされたんだろう、可哀そうに。……大丈夫だ、何故だか会話も通じる」
「おいロビン、……そういうのを世間様じゃ『怪しい』ってんだ」
「大丈夫だ、自分で決めた事だ、この子は怪我が治るまで俺が世話する」
遠い声が、だんだん大きく聞こえてきた。日差しは強いらしくて、目を瞑ると血の赤だけが透き通って視界の全体を映す。
一番最初に思った事は、「あぁ、これでも生きてる」的な感じの実感。
「まぁ、なんだ……お前は昔から頑固だな…。何かあったらすぐ俺を呼べよ。診察代は安く付けてやる。じゃあ、次の患者が待ってるんでな、俺はもう行くぞ」
「あぁ、ありがとな、ジル。また頼むよ」
ギギっと、ドアが開く音と、チリンと鈴が綺麗に鳴る音が同時に耳に響いた。心地良いと言うか、少しうるさい。
「う……っさい…」
「……起きてそうそうそれか、本当にアンタの性格はどうなってんだ」
もう少し女っぽくしてみればどうだと、後から続いて聞こえてきた。だから俺は女じゃなくて……。
「俺は男だ」
「またそれか」
目の前の男は呆れたようにため息を吐いた。
あの時窓ガラスに映った俺の姿は、脳裏に焼き付いて離れない。やっぱり夢? なんて思って自分の胸に手を当ててみたら、フニフニした感触がした。
柔らかい。女の胸とか、母親以外に初めて触った。でも自分のらしい。どういうリアクションをとればいいんだか。
「アンタ、名前はなんだ? って、先に名乗らないといつまで経っても言わなさそうだな。……俺はロビン、クラヴリー・ロビンだ」
クラヴリー・ロビン。
なんか少しかっこいい、かも。
「西島貴一」
「ニシジマキイチ?」
ドラマにありそうなくらいにド派手なカタコトだった。心なしかキイチがキーチになってる。
「発音しづらいな。……まぁいい、ニシジマキイチ、腹は減ってないか?」
「キイチで良い、腹は減ってない。とりあえず寝かせて欲しいかも、俺今まだちょっとパニック中」
「フランスの女は皆気品高く女性らしくするのが常識だってのに、……日本の女はお前みたいにみんなやさぐれてるのか?」
「俺は男だ」
「だから、……アンタは立派に女だろ。ホラ」
そういって、目の前の男はいきなり俺の胸、……っていうか、女のおっぱいをを鷲掴みにした。
地味に痛てぇ。
「フランスの男ってのはいきなり女のおっぱい触るのかよ……そういうの、常識がねぇのな」
俺が見知らぬ女のおっぱい鷲掴みした日には、数分で警察行きだ。
「俺は男だから、異性に胸触られてなんで悲鳴あげるとか、恥ずかしくなるとか、そういうの分からねぇんだ」
「まさか、…売春船で触られまくっただけだろ」
「お前それ女に面と向かって言ったら殺されるぞ」
いくら男の俺でも、さすがにヤバイ言葉とは感じる。
「だから、アンタも女じゃないか」
「俺は男だっ……てて…」
自分の声が自分の体のど真ん中にドスンと落ちてきたみたいな感覚がした。マリオゲームの中に四角形のゴツイ顔した岩みたいな奴が居ただろう、あんな感じ。重苦しい。そんでまだ痛い。
「あぁ、分かった、分かったから寝てろ。眠気は?」
「ない」
「そうか、今飲み物持ってきてやるからまってろな。アンタ、4日ばかりずっと寝てたんだ。医者は酷い過労と酷い怪我だってよ。そんな状態でよく逃げ出してこられたな、頑張った」
男の、ロビンの言っている事はやっぱり、よく分からなかった。
「今、……西暦は何年だ?」
「いきなりどうした? 今は1634年だ」
「……」
やっぱり絶対に何かがおかしい。焦るな、俺、体が持たない。数々の意識が飛びそうな程の痛みを経験し、…実際に何回か飛んでるが。……まぁ、俺も一端の大人だ、落ち着け、冷静に考えよう。
俺が幽体離脱したとき、確かに西暦は2000年を10数年は超えていた。だが今は1634年。法律どころか、金持ちが国を支配しているような時代。日本の鎖国がいつだったかなんて全く覚えてないが、今はそんな時代ってとこなんだろう。
鎖国、拷問。時代が変わったと思えば、現実感のないこの言葉だって取り位置が変わってくる。
だからつまり……。
――タイムスリップ?
トラックに轢かれた勢いでタイムスリップしたとでも言うのだろうか。あのフワフワして心地良かったのは天国に行くんじゃなくて、昔のフランスに行ってる最中の……。
だけどなんでフランス? なんで俺が女になる必要があんだ?
なんか色々無駄な副作用がありすぎだろっ。
「ほっせぇ指だな」
手を開き、女の指を見る。間隔は紛れもなく俺で、脳がまたパニックを起こしそうだ。
「お前は女だからな」
苦笑いしながら、認めろ、とでも言わんばかりにロビンが俺に言った。
そんな事、認めるわけにはいかない。
「俺は男だ」
女の体でそう言った。自分が思っても、説得力の無い言葉だった。笑いながら底の深いカップに紅茶を入れて持ってきたロビンを、俺は少しだけ睨んだ。
「まぁ、これでも飲んで落ち着けよ」
手渡されたカップの中身は、季節は夏のくせに熱かった。
一体いつ戻れるのか。もしかして機転があるとして、一体どこにあるのか、それは何なのか。
「鏡ある?」
「鏡? あるぞ、ホラ」
壁に掛かっていたらしい鏡をホックから外し、ロビンはそれを俺に渡した。覗いて女をした俺を見れば、幼いような、大人か子供が混じったような中性的な顔をしていた。十代後半くらいだろうか、妹くらいの年だ。
それにしても。
俺は鏡を覗いて少しだけ驚いた。
「似てる……」
「?」
鼻と、顔の輪郭と、目の形、大きさ。目の前の鏡に映る女みたいな俺は、男の時の俺と少しばかり似ていた。きっともし俺に双子の妹がいたらこんな感じだろうか。
「ロビン」
「なんだ? キーチ」
「アンタにとっては散々変な事言ってる風に思うかもしれないけど、今からもっと変な事言うから、それを本当だと信じて聞いてほしい」
「うん?」
「俺は、……今からずっっと未来で、トラックと衝突する事故にあった」
「トラック?」
それが未来だとすると、ここが過去。トラックなんてある筈も無し。
「馬車が馬無しで自動的に動くんだ。それのすげぇでっかいバージョン」
「っそりゃすげぇ! 馬車が馬無しで走るんじゃ、それじゃ車だなぁ」
「そうそう、その車ってのを訓読みして、未来ではそれを車って呼んでる。そんでな、でかいからもちろんトン単位の重さなんだけど、それと衝突しちまって、俺は重症ってわけだ」
「人間はそんなモノまで作れるのか」
「話しの関心を車から変えろよ……。それで、いったん意識を失って、起きて見れば俺は魂だけの、……つまり幽体離脱をしていたんだ」
「……へぇ」
信用してねぇなコイツ。……まぁ、…ここからみた未来人だって信用する奴なんていねぇんだろうけど。未来人も過去人も、感じる事は一緒ってか。
「戻れるかなーとか思ってたら眠くなってて、……寝たらあそこに居た」
「……女の姿で?」
「そう、だから勘違いしてるかもしれねぇんだけど、俺は売春船なんてのには乗った覚えが無いし、この体の傷だってトラックと……」
「いや、ちょっと待てキーチ。それはおかしい。ジルが……医者が言っていたが、お前の体にはムチで叩かれたような痕が無数に残ってたと言ってたぞ」
「は? ムチ」
「大体、その……トラック? てのがトン単位だとして、そんな重さと人間がぶつかったら、死ぬだろう」
「生きてたんだよ! 奇跡的に!」
「奇跡が起きたからって4,5日でそんなに喋れるまでぴんぴん出来る程なのか未来人ってのは?」
「……それは…」
未来人だってそこまで進んでいるわけじゃない。
言葉を飲み込んだ。ロビンの言っている事は一理ある。じゃあ本当にこの体は何なんだ――。
「キーチ、……俺はお前の言う事を信じは出来ない」
「っ……ロビン!」
「だが、不思議には思ってやろう。俺はお前が男の体をしたのを見たことは無いからな。ただ、お前がそんなに思うなら一緒に考えてやってもいい。どうして未来人の男のお前が、こんな過去に、女として居るのか」
俺の胸をまたフニッと触りながらそう言った。
「……触んな、痛ぇ」
「すまんすまん、女の体なんかあんまり触る機会も無くてな」
「スケベ、変態」
「ふは。……まぁ、まずは体を治せ、後はそれからだ」
続きます
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