音 2 ※R15
しょっぱなから性的描写がありますので、苦手な人や15歳未満の方は見ないでください。
区役所の一室にある仮眠室に、2人の音だけが存在していた。この区役所には今、俺と飛鳥しかいないだろう。掛け布団を頭まで被り、1つになってしまった体2つの脈音がうるさい。
飛鳥の体は、暖房の無い中でも温かく、熱く、冷えた俺の体を温めるように抱きしめてくる。それでも時々布団の間から冷気が流れ込んできて、余りの温度差に身震いをする。
「さ、む……っん…」
「冬だから、仕方ないです。雪でも降ってるんでしょうかね」
「きょ、は……無いかな…? はっ、ん…」
「無い」ってのは、勿論の事他国からの攻撃の事。まぁこんな状況で攻撃なんてものがあったなら、俺はきっとものの数秒で死んでしまうだろう。
「分かりませんよ。今日は天気が悪いから無いだろうって思ってたら、多くの人が巻き込まれて死んだ事例が第2次にあったそうですから」
「お、まえっ……や、めろよっ…。こんな、とき……にっ」
そして、どうしてお前はこんな状況でそんな余裕で居られるのか。
「大丈夫ですよ、日向さん」
「ぁっ……あ、っな、に?」
「もし空襲が襲ってきたとしても、俺は全裸ででも日向さんを担いで逃げる自信があります。だから安心して今の状況に専念してください」
「ばっ、か。その、礼服、は…空軍の象徴、だろ……変態」
「すみません」
ちゃんと謝っているのか怪しいような笑みの含んだ謝罪だった。
「っ……ん!」
初めて見た飛鳥の大人びた色気の含むその微笑みに、今にも溶けそうな体はズクズクと疼いた。そして、そうかと、再度思い出す。
――明日の朝には、もう飛鳥は俺の目の前には現れないのだ。
何度も俺の体中に落ちるそのキスも、これが初めてで最後。俺は明日の朝に、コイツをどう想うのだろう。仕事をしながら、区民に配給をしながら。きっと、多分、恐らく、人生で何回目の、涙を流すだろう。
その前に、深く、コイツを俺に――。
「飛鳥、……あすかっ」
刻みつけるんだ。
「『飛鳥』」
もうその顔を見て呼べないコイツの名を呼び続ける。
*
一つ、思い出した事がある。
「何ですか? それ」
「昔、俺がまだ幼稚園児くらいん時に。俺の婆さんが話してくれたんだ」
自分には前世の死ぬ時だけの記憶があるんだって。
「不思議な話ですね」
「だろ?」
今は何時くらいになっているのだろう。飛鳥と長く繋がっていた気もしたけれど、それはあっという間に過ぎてった。だから、多分きっと深夜頃。
シングルの布団に2人で横になっていた。服は着ていないけれど、これだけ密着していれば熱い程だった。
「婆さんの前世は多分戦争とか、争いの中で死んでいったと思うな。ドカンドカンうるさかったって言ってたし」
今のこの状況と同じだ。
「その前世は死ぬその一瞬に、『無音』を聞いたんだと」
「『無音』?」
飛鳥の返しに、音が薄れる。
「今のですか?」
「今よりももっと無い。確かな『無』なんだと。心臓の音も、血液を流れる音も、息も声も、耳から聞こえる外の音も何も無い。そんな無音だとさ」
「興味深い話ですね」
「俺の婆さんも不思議に思って、その無音を聞くために人生生きてきたらしい。まぁ、今思うとそれを幼稚園児に話すってのが恐ろしいけどなぁ。ワクワクしたよ、俺も。その無音っての聞いてみたいかもって。だから婆さんみたく、今の今まで生きてきたんだろうなー」
自らの手の死ではなく、自然な死に対してそれを聞くためにだ。
「何を不謹慎な事言ってるんですか」
「そう、だなぁ……」
「俺はまだ日向さんを死なせる気はありませんよ。救うんです、これから。あなたも、日本も」
「そりゃ、……心強いなぁ」
ゆっくりとこちらを向いて真正面からぎゅっと俺を抱きしめてきたので、俺は変わりにそいつの頭を撫でた。
ただ1度の繋がりを、噛み締めるように。
多分俺はきっと、こいつの見た目通りのサラサラの髪を忘れないだろう。この優しい声色も、逞しい背中も、大きな手も。
「ほんと、立派に育ったな」
「あなたのおかげですよ」
「なぁ、飛鳥。もっかいキスして」
年上なのに、こんなに甘えるのは反則だろうか。でも良いんだ、今だけ。それだけのわがまま。きっと朝になったら、全てが嘘だったかのように全ては終わってしまっている。
ゆっくりと近づいてくる唇に、引き寄せられるかのように目を閉じた。恐る恐る感覚を待っていると、くすぐったい息に続いて、暖かく柔らかな感触が響いた。
「……」
何故か奥から湧き上がってきた震えを、俺は必死に悟られないようにしていた。何故か涙腺が緩んで、涙さえ出てきそうになってきて、必死に我慢する。
なんて感情だ、これは。
死への恐怖はもう無い。あったとしても、コイツが生きていてくれるのならば、俺は一生その恐怖に耐えて行けるだろう。
こいつが朝にはいなくなる事も分かっている。嫌だなんて言う、子供じみた思いはとっくの昔に無くした。辛いなんて事も無い。飛鳥が望んだ事なのだから、俺は喜んで背中に手を振ろう。じゃあ、どうして震える。どうして泣きたい。
「……まえ、――ほんとに。」
「ひなたさん?」
「ぜってー死ぬなよ」
それはきっと、こいつが死んでしまう事への、恐怖。
人間が死ぬ確立なんか100%で、それは飛鳥に対しても例外では無い。
でも、どうか、死なないでほしい。
「死ぬなら、よぼよぼのジジイになってから死ね」
「何で、泣くんですか」
「うるせぇ」
この荒んだ時代が終わってから、逞しく生きて、そんで、誰もが尊敬するような立派な死に顔を見せてやれ。
「死にませんよ、俺は。全部終わってから、もっかい日本に戻って、この街に戻ってきて、ここに来て、日向さんの顔を見るんです。そんな最大の目標、俺が破ると思います?」
「……お前なら多分、全うしちまうんだろーなぁ」
「分かってんじゃないですか。だから、泣かないでください。安心したでしょ?」
あぁ、凄く。
お前は多分、最後まで生き残る人間なんだろう。確信は無いけど、何もないけれど、そう思う。だからきっとそうなのだろう。
安心。
そう思って、目を閉じる。
次に目を開けた時、隣に居た男はもういない。
*
分かっていたのだ。だから目を閉じた時に後悔は無い。冷めたきった隣の存在に、顔を布に埋めて少しだけ震えた。
微かに残った飛鳥の匂い。
「夢じゃ、ねぇのか」
起き上がってヨレヨレになったスーツを着てから、辺を少しだけ見回す。布団の傍に、紙切れが一枚置いてある。何やら字が書いてあったので、俺は寒い外気に歯を噛み締めながらそれを取った。
飛鳥の字だ。
「9時の、列車で出発」
表面にヒビの入った腕時計を見ると、9時半を指していた。
「……行ったか」
ただの心細さに、胸が鳴る。
その列車はもう動きだし、軍都市へ向かっているのだろう。
「昼ぐらいにはつくのかな」
そう思って、重い腰を上げる。
いつまでも温かい布団に寝転がっていたい気持ちだったけれど、いかんせん今日も今日とて仕事のため。厚着をして仮眠室から出ると、数人の区役所員がそこにいた。
「おはよう日向君。寝てたから起こさなかったんだけど」
「起こしてくれて良かったのに。一応公務員なんだし」
「この時代に公務員も何もないでしょ。9時5時なんて、もう名目上じゃん。それ守ってるんなら、区役所に仮眠室なんて今頃存在しないわよ」
「確かにね」
そう思って、苦笑。
「それに日向君、最近働きすぎ。変わってくれたら良いのに」
「この中で親も子も…ていうか家族がいないのって俺くらいだろうが。良いんだ。ちゃんと家帰って家族守ってやれよ」
「その優しいとこ。飛鳥君は日向君のそんなとこに惹かれて、そんなとこが大嫌いだったのかもね」
いきなり飛鳥の名前が出てきて、びくりと体が反応してしまった。
「なんで、そこで飛鳥が出てくんの」
平静を装って、なんとなく質問を返してみる。
「私がここに来たのが7時。その時にちょうど飛鳥君がここ出る時で、日向君の事よろしくねって言われたから」
「……なんだそれ」
「職場でいちゃつくなって、叩き起こそうと思ったんだけど、辞めといてあげました」
「……感謝します」
「日向君、今までそういう事する人じゃなかったし。飛鳥君の服装みて一発でわかったわ」
「さいで…」
「あの子は強いわね」
「何あたり前の事を言ってんだ」
ノロケと勘違いされて、ケツを蹴られた。少しばかり痛い。
「あの子は、強い子よね。本当に、この戦争を終わらせてくれる気がするの」
「あぁ……俺も、そう思う」
ヒビ割れた窓は、ところどころ安物のテープで補強してある。その間の隙間から、澱んだ空を見上げた。昔みたいな綺麗な空とは言い難い、なんとも黒ずんだ灰色の空だった。この空が、これからあいつの手で、昔のように元通りになってくれる事を期待して。
「さて、仕事するか」
「あぁ、さっき政府から物資が届いたけど、先週より大幅に少なくなってたわ」
「戦争も佳境に入ってきたからな、仕方ないさ。……おばあちゃん達がまたうるさくなりそうだけど」
「昔と違ってさ、皆生きるのに必死なんだよね」
その一言で、俺はその昔の時代を思い出した。3年前の、国家が戦闘態勢になる前の事。今よりも多く、綺麗に建っていたビルや街。今よりも多かった様々な髪の色。今よりも多かった暴力や汚職。今はそんな事をしている時間も余裕もなく。
あの時代が今よりも荒んでいたとは思わない。だけど、味気無いあの頃に戻りたいとも思わない。どうしてだろうと考える、産まれてからいままでずっとこの時代に生きていたのに。戦争は終わって欲しいと心から思う。でも、終わったとしても、前の時代にも戻って欲しくない。
国民全員が『平和ボケ』していた時代にいつか舞い戻ってしまう事を、俺はどこかで拒否しているのだ。
そう思う俺は、わがままだろうか。
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