1きゅん「私が先にすきだった」
むかしむかし。
…というほど、むかしではない頃。
この世界には、恋する乙女たちだけが行える、不思議な儀式がありました。
花に願いを。星に祈りを。夢に未来を。
そして迷ったときには、占いを。
恋する乙女たちは、そうやって自分の恋と向き合ってきました。
誰かを好きになることは、悪いことではありません。
叶わない恋に泣くことも。初恋を忘れられないことも。もちろん、罪ではありません。
ところが、いつの頃からでしょう。
儀式を行った乙女たちの中に、黒い花を咲かせる者が現れるようになりました。
恋に泣き。恋に迷い。恋に囚われた少女たち。
人々はいつしか、彼女たちをこう呼ぶようになりました。
《違法少女-イリガール-》
なぜ「違法」なのか。
誰がそう呼び始めたのか。
それを知る人は、もういません。
けれど一つだけ、昔から決まっていることがありました。
この儀式を行えるのは、乙女だけ。
男の子には、関係のないお話です。
だからこれは。
本来なら、朱雀原シオンには何の関係もないお話でした。
帰り道。花の香りがした。シオンは足を止めた。
「……金木犀?」
橙色の小さな花が、道の端に咲いている。珍しいものではない。ただ、その日はなぜか気になった。
小さな花だ。
一つだけなら見落としてしまいそうなのに、集まると遠くからでも分かるほど香る。
シオンは少しだけ立ち止まり、また歩き出した。
花は花だ。明日になれば、今日とは少し違う。
いつか散る。
だからといって、今日のうちに摘んで持ち帰ろうとは思わなかった。手に入らないものを、無理に手元へ置いておく趣味はない。
「返して」
声がした。シオンは振り返った。誰もいない。
「返してよ」
今度は、はっきり聞こえた。女の声だった。細い路地の奥。
少女が一人、立っている。
制服姿だった。俯いている。
シオンは足を止めた。関わらないほうがいい。そう思った。思ったが、少女の足元に落ちた鞄と、震える肩を見てしまった。
「大丈夫?」
声をかけても、少女は顔を上げなかった。
「私のだから」
「……何が?」
「あの人は、私のだったの」
嫌な予感がした。
失恋。喧嘩。修羅場。
どれであっても、他人が軽々しく入っていい話ではない。それでも、立ち去ることもできなかった。
シオンは、困っている人間を見捨てられるほど器用ではない。
「誰か呼ぼうか?」
「いらない」
「でも…」
「いらない!」
少女が顔を上げた。
泣いていた。怒っていた。
それだけなら、ただの失恋だったのかもしれない。
シオンは、その足元を見る。
影がおかしい。夕日は背後にある。
なのに少女の影だけが、違う方向へ伸びている。
ゆっくりと。生き物のように。
「返して」
少女がもう一度言った。
「返して、返して、返して」
黒い影の中から、花が咲いた。
一輪。二輪。三輪。
名前の分からない、真っ黒な花。
その花から、名前の知らない花の甘い香りが漂った。
シオンは一歩下がる。
少女が笑った。涙を流したまま。
「だって、最初に好きになったのは私だよ?」
黒い花が増えていく。
「あの子より、ずっと前から好きだった」
路地を埋める。
「ずっと好きだったんだから」
壁を這う。
「私のほうが好きなんだからあああああん!」
花弁が弾けた。
「っ!」
シオンは腕で顔を庇った。
風ではない。何かが頬を掠めた。触れる。
血。
「なんだよ……」
それが血だと理解する前に痛みが走る。
少女はまだ泣いている。
どう見ても苦しんでいる。
なのに、その口から出てくるのは
「返して」
ただ、それだけだった。シオンは少女を見る。
「……それ、本当に返してもらえるものなのか?」
少女の動きが止まった。
黒い花が震える。
「うるさい」
「好きだったのは分かった」
「うるさい」
「今も好きなのも分かった」
「うるさい!」
「でも」
シオンは少女を見た。
「好きだからって、それがお前のものになるわけじゃないだろ」
静かになった。一瞬だけ。
完全な静寂だった。
黒い花の香りさえ、途切れた。
時間まで止まったような気がした。
次の瞬間。
路地いっぱいの黒い花が、シオンへ向いた。
「あ」
言いすぎた。
そう思ったときには遅かった。
「返してえええええええええっ!」
「俺に言うなあああああああ!」
シオンは走った。全力で走った。
知らない少女の失恋に命を取られてたまるか。
角を曲がる。黒い花が追ってくる。
「なんなんだよこれ!」
誰も答えない。そのはずだった。
「右」
声がした。シオンは反射的に右へ飛ぶ。直後、さっきまでいた場所を黒い花が貫いた。
「次、左」
「誰だよ!」
「いいから左」
「雑なナビだな!」
左へ。花を避ける。
「前」
「前しかねえよ!」
「じゃあ前」
「なんなんだよ!」
走る。その先に、小さな何かが落ちていた。
金属のようにも見える。
花のようにも見える。
星のようにも見える。
「拾って」
「これ!?」
「早く」
シオンは走りながら、それを掴んだ。
冷たい。そう思ったのは一瞬だった。
「熱っ!」
掌の中で、それが光った。
花。星。どちらにも見える。
どちらでもないようにも見える。
刻まれていた文字が、光の中で形を変えた。読めない。
なのに、シオンにはそれが自分を呼んでいるように感じられた。
背後から少女の声。
「返して!」
シオンは振り返った。黒い花の向こうで、少女が泣いている。その胸元にも、花と星を組み合わせたような光が浮かんでいた。少女の胸元の光。自分の手の中の護符。二つが、同じ呼吸をしている。
そこで、ようやく気づいた。あの少女は怒っているんじゃない。
たぶん。ずっと、あの瞬間から動けなくなっている。
「……知らねえよ」
シオンは呟いた。
「お前が誰を好きだったのかも知らない」
掌の光が強くなる。
「何があったのかも知らない」
熱が腕へ昇ってくる。
「だから、忘れろなんて言えない」
胸元まで光が届く。
「でも、他人までそこに閉じ込めんな」
護符を握りしめた瞬間、光がはじけ
脳裏に浮かぶその言葉を叫んでいた。
《ザックバランダー!!》
シオンは女の子になっていた。
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最終更新:2026/10/13




