プロローグ プラスワン
あの日、いつもと何ら変わらない穏やかな朝だった。
朝、起きていくと大兄がいつもの席でコーヒーを飲んでいて、その向かいの席で柊ちゃんもコーヒー飲んでトースト食べてて。
俺はおはよって声かけて冷蔵庫からパンとバターとジャム取り出して。パンをトースターに入れて牛乳をコップに移していつもの席に持ってく。いつもとなにも変わらない風景。
「今日は家にいるか?」
柊ちゃんが俺に視線を向ける
「うん、いるよ」
「受取の荷物くるから受け取っといてくれ」
「いつ?」
「午前中指定にしてある」
「了解」
俺がゆっくりご飯を食べるうちに柊ちゃんはいなくなって、大兄と2人になっていた。
「大兄、今日どんな感じ?」
「朝は家で仕事して午後は人と会うから出かける」
「俺も柊ちゃんの荷物受け取ったら出かけるね。夜は各自でってことでいい?」
「そうだな」
「じゃあ柊ちゃんにも伝えとくねー」
「頼む」
すぐにスマホを取り出して柊に連絡する。
すぐ既読がついて柊から「了解」と返ってきたのを確認してスマホを置く。
顔を上げると蓮が立ち上がって流しへ食器を置くところだった。
「あ、俺洗っとくから大兄いいよ」
「ありがとう」
そう言って蓮はダイニングから出ていった。
律も自分の使った食器を流しへもっていき、一緒に洗った。
別に何をするわけでもないけど、今日はどうしようか…?バイトも無いし、映画でも見に行こうかな?何かやってたっけ…?
ダイニングから続くリビングのソファーに勢いよく沈むと近くの映画館で今上映してる映画を調べる。
話題作がちょうど封切りのようで上映回数も多い、これにしよう!と思ったところで電話が鳴る。
こんな呼び出し音だったっけ…?と思うくらい久々に鳴った気がする。電話は両親が生きてた頃の名残で解約せずそのままある。
蓮が家業を継いだため、大体蓮宛てというか、仕事でかかってくる電話しかないので基本的に蓮が在宅のとき律は取らない。
それでもほとんどは蓮のスマホにかかってくるので置物同然になっていた。
音は鳴りやんだ。
子機は蓮の部屋にあるので取ったのだと理解した。
少ししてから、階段を降りてくる気配がしてリビングのドアが開く。
「律、ちょっと出てくるが今日は家に居てくれないか?」
「えっ、何?急に」
「迎えに行かないといけない」
「誰を?」
「子供」
「…は???」
状況も飲み込めないし、訳が分からない。
「悪い、行ってくる」
「えっ大兄!!」
蓮はジャケットを羽織って出ていってしまった。
「なに…」
身体をドアの方に向けたまま固まってる自分。
ポツンと取り残された感じがした。
…迎え?
子供?
誰の??
自分の知ってる大兄ならば隠し子はない…と思う。独身だから子供を隠す必要がないし、大兄ならば自分の子供の存在を知りながら置いておくようなことはしないだろう。
…じゃあ知らなかった?
大兄の歴代彼女を知っているけど、隠れて子供を生むような付き合いをしてた様子はなかったと思う…いや、俺の想像が追い付かないよ!!!
柊ちゃんに連絡…いや、俺の今持ってる情報じゃ柊ちゃんを混乱させるに決まってる…もう少し分かってから連絡しよう…。
そんなことをぐるぐる考えてるうちに柊の荷物は届き、夕方になっていた。
「ただいま」
玄関から蓮の声がして程なくリビングのドアが開く。…が、蓮は子供を連れていなかった。
「大兄!何だったの?」
「律、悪かったな。家にいてもらって」
「そんなのいいよ!…で、何だったの」
「ひとまず座ろう」
蓮は落ち着いた様子でダイニングのテーブルに座るように促す。
律はソワソワ落ち着きなく蓮の言葉に従って座ったものの、当の蓮はキッチンへ行ってコーヒーを入れようとしている。
「大兄!」
「話が長くなりそうだからな」
蓮はいつもよりゆっくりした動作でコーヒーを準備している。視線もそんなに動いておらず、心がここにない感じがある。
普段の蓮と違う。何なんだろう…律は早く言ってよ!!!という気持ちを必死で抑えた。
「…律、来未叔母さん覚えてるか?」
「覚えてるよ。1回しか会ったことないけど」
来未叔母さん、父さんの年の離れた妹。
俺が小学生くらいのとき1回だけうちに来たことがある。彼氏だという男を連れてた。何かをクチャクチャやりながらうちの中を値踏みするような視線で見ていたのが印象的で子供ながらに何なんだろう?この人は、と思った記憶がある。
初めて訪ねてきた妹に、父さんはすごく喜んで俺たちを集めて紹介してくれた。叔母さんは全然興味無さそうによろしくねーと言ってたっけ…
その後、父さんに小遣いをねだった叔母さん。大人が父さんにお小遣いをくれって言ってる、と衝撃だったな…その話題が出た後、すぐ母さんに部屋から出され自分の部屋に行くように言われたのでお金のやり取りの場面は見ていないけど。
「…『お小遣い』の叔母さんだよね?」
蓮の目が一瞬見開いた。
「…そうだな」
「会ったの?」
「いや、会ってない……」
蓮が言い淀む。
「何なの?」
「子供がいるらしい」
「…子供?」
「今日はその子供のことで呼ばれた」
テーブルの上に置かれた蓮の手に少し力が入ったのが分かった。
「大兄、この話は柊ちゃんもいる場で聞いた方がいいような気がするんだけど…」
すごく話の続きが気になるのになぜかそんな台詞が出てきたことに律は自分でも驚いた。でも、何だか嫌な感じがするのだ。そんな感じのする話を聞くときは兄が2人揃ってた方が良いと思った。
「…そうだな。柊にいつ頃帰れるか連絡してみる」
「うん」
蓮はスマホを取り出し柊に電話をかけた。
柊はすぐに出たようで話はすんなりまとまったみたいだった。
「柊はあと20分くらいで戻る」
「うん」
そこから柊が帰ってくるまで2人は他愛のない会話をした。今日封切りの映画があって面白そうだとか。
律はこれからどんな話をされるのか気になってはいたものの、蓮の様子を見るとやっぱり重い話な気がして聞きたくないような気もした。
蓮は相づちを打つものの、マグカップのコーヒーを少し揺らしながらじっと見たりしていて、律の他愛のない話をBGMにしてる感じがあったが、律はそれで良いと思った。
それからいくらもしないうちに柊が帰ってきた。
柊は急に呼び出されたことに特にコメントするわけでもなく、「ただいま」と一言置いてから律の隣に座った。
「柊、悪いな」
「いや、どうしたの?」
「今朝、児童相談所から電話があって呼び出されたんだ。子供を保護してると」
柊の顔が急に険しくなった。
「…誰の子?」
「来未叔母さん」
「あぁ…」
柊には想定の範囲だったようで驚く様子はなかった。
「で?あの人何したの?」
普段はそこまで感情をあらわにしないのに今日は珍しくイライラしている。
「子供を置いて蒸発した」
「は?」
「えっ!!!!」
柊と律が同時に声を上げる。
「子供は…どうなの?」
律が少し前のめりに蓮に聞く。
「会わせてはもらえなかった。……『知らない大人の男』には怯えてしまうみたいで」
「それって…」
柊の声が強ばる。
「…ぶたれたりしたってこと?」
律の声が少し震えていた。
柊は黙って、テーブルに視線を落とした。
律は蓮と柊2人の顔を交互に見たが、2人は黙ったままだった。
「その子、今どうなってるの?」
「保護されてはいるが、ダメージが大きい」
「いくつなの?」
「4歳になったばかり…らしい」
「は??」
さすがに柊も年齢には驚いた様子だった。
律はもう泣いていた。
「まだ赤ちゃんみたいに小さい子じゃん…」
独り言のように律が言うと
「それなんだが…うちで一時預かりできないかと思ってる。俺は時間の調整がそれなりに利くし、金銭的にも子供一人くらい何でもない。ただ、お前達にも協力を頼まないとどうにもならないと思う。協力してもらえないか?」
「そんなに簡単な話ではないことも理解してる…つもりだ。」
言い切って蓮は柊と律を見た。
「……」
「…そ、そんなの協力するに決まってるじゃん!」
真っ先に律は言った。
「お前、そんな簡単に…犬や猫とは違うんだぞ」
柊は呆れたように律を見る。
「分かってるし!簡単じゃないのも分かってるつもりだよ!でも俺がやるって言ったらやる」
涙まみれの律は思いの外ノリではないらしかった。
柊は溜め息をついて蓮を見る
「…蓮、児相が来るのはいつ?」
「家族に相談してから連絡する、と伝えてある」
「予定調整するから直近で来てもらいなよ」
律は柊に勢い良く顔を向ける。
「…すまない。ありがとう、2人とも」
柊はまっすぐ蓮を見た。
「やめて。…これは俺達全員で決めたことだから」
律は柊を見てから蓮を見て泣きながら何度も頷いた。
「……」
蓮は2人を見たあとうつむいて静かに笑った。
「…で?」
「ん?」
蓮は顔を上げる。
「いつ来ても大丈夫なように部屋とか用意しとくようでしょ?何が必要?」
柊はまだ終わってない、と言わんばかりに繋げた。
「ああ」
「そうだよね!どんな部屋にしたら喜ぶかなぁ?俺が部屋を仕度してあげたい!」
「接し方講習も受けられるよね?」
「服…日用品…」
柊はスマホで調べようとしていた。
蓮は小さく溜め息をついて2人を制止した。
「待て待て、何度か子供との顔合わせをしないといけないし、明日連絡したときにもっと詳しく聞いておく」
「ところで大兄、その子の名前何て言うの?」
「つむぎ、だ。糸へんに自由の由で紬」
「紬かぁ」
律はテーブルに指で紬という字を書いてみた。
「会えるの楽しみだね」
笑って顔を上げた。
長い話ですが気長にお付き合いいただけますと嬉しいです。




