2,神崎凛の本性
筋トレ生活、開始から一週間。
俺――佐倉悠真の体は、常にどこかが筋肉痛だった。シャツを脱ぐたびに「うわ、痛っ」と小さく声が漏れる。それでも、不思議と嫌ではない。鏡の前で力こぶを作ってみる。……変化は、正直ほぼない。
「継続は力なり。三ヶ月は黙ってやること」
神崎凛先輩は、ダンベルを軽々と持ち上げながら言う。今日もトレーニング研究会の部室――いや、正確には体育館横のトレ室の隅を借りているだけの“ほぼ非公認サークル”で、俺は腕立てとスクワットを繰り返していた。ダンベル使おうとしたら先輩に怒られた。
初心者の内は自重トレーニングが1番なんだと。全身鍛えれるだとか何とか
「研究会って、何人いるんですか?」
「今? 私と君で二人」
「二人!?」
思わず声が裏返る。
神崎先輩は平然と続けた。
「ほんとは三人いる。でも一人はラグビー部の子でとりあえず入ってもらってるだけ。もう一人は幽霊部員。だから実質今は君一人」
「それ、サークルって言えるんですか?」
「言い張れば言える。問題は、部費」
部費。
その単語に、どこか嫌な予感が走る。
「大学から予算もらうには、最低3人必要。活動実績もいる。大会出場とか、イベント開催とか」
「はあ……」
「だから新入生が欲しかった」
そこで、先輩は俺を見る。じっと。まるで品定めするみたいに。
「ちょうど“筋トレです”って嘘ついた子がいたから」
――嫌な予感、的中。
「え、じゃあ……」
「うん。部費確保要員」
さらりと言われた。
一瞬、時間が止まる。
「……モテたいんでしょ? とか言ってたのは?」
「半分本気。半分勧誘トーク」
「三日坊主歓迎って?」
「本当に三日で来なくなる人多いから、予防線」
頭の中で、何かがプツンと切れた。
「俺、ただの数合わせですか」
「最初はね」
“最初は”。
その言い方が、余計に引っかかった。
「俺、本気で変わりたいって思って……」
「だから声かけた」
「部費のためにですよね」
神崎先輩は少しだけ黙った。そして、ため息をつく。
「正直に言うと、そう。研究会を潰したくない。設備も古いし、場所も狭い。予算があれば、ちゃんとした活動ができる」
「だから俺を利用した?」
「利用って言い方は好きじゃない。でも結果的にはそうなるかもね」
胸が熱くなる。悔しさか、怒りか、よくわからない感情。
俺はスクワットをやめて上着を着た。
「……やめます」
言葉が先に出た。
「そう」
あまりにあっさりした返事。
それが、さらに悔しかった。
トレ室を出て、夕方のキャンパスを歩く。
一週間、必死に続けた。筋肉痛に耐えて、食事も少し意識して。
全部、“モテたい”の先にある“変わりたい”のためだった。
それが、部費のため?
(俺、また笑われてるのか?)
第一話の教室がフラッシュバックする。“え、どこが?”という声。
拳を握る。
細い。まだ頼りない。
でも。
(悔しいって思ってる時点で、逃げたくないんじゃないか?)
足が止まる。
もしここでやめたら、俺はまた「何も続かなかった人間」になる。神崎先輩に利用されたまま終わる。それって、めちゃくちゃダサくないか?
スマホを開く。
メモには、これまでの記録。
【腕立て 10/8/8】
【スクワット 20×3】
【体重 +0.5kg】
小さい。でも、確実に前進している数字。
その瞬間、怒りの向きが変わった。
(利用されたなら、利用し返せばいい)
俺は踵を返した。
トレ室のドアを勢いよく開ける。
「戻ってきたんだ」
神崎先輩は驚いた様子もなく言う。
「やめるって言ったじゃない」
「やめません」
自分でも驚くくらい、はっきりした声だった。
「部費のためでも何でもいいです。でも、俺は本気でやります」
「……へえ?」
「見返したいんで。先輩も、自分も」
空気が少しだけ変わる。
「見返すって、私を?」
「はい。“数合わせ要員”じゃなくて、“戦力”になります」
言い切った瞬間、心臓が跳ねた。
神崎先輩は数秒黙り、やがて小さく笑った。
「面白いじゃん」
「本気です」
「じゃあ、本気メニューにする」
その日から、メニューは一段階上がった。
足の位置を高くした腕立て伏せ。ブルガリアンスクワット。体幹トレーニング。てか本気メニューとか言ったくせにダンベルは使わせないってどういうことだ?
帰るころには腕が震え、脚が笑い、階段を降りるのも一苦労。
「自重トレだけでしんどいでしょ?」
「……上等です」
息を切らしながらも、目は逸らさない。
神崎先輩は、ほんの少しだけ真剣な顔になった。
「私はね、本気で筋トレが好き。変わっていくのを見るのも好き。だから研究会を残したい」
「じゃあ最初からそう言ってくださいよ」
「言ったら、君来なかったでしょ」
否定できない。
「でも今は違う。君、自分で戻ってきた」
そう言われて、胸の奥が少し熱くなる。
「だから、ここからは対等。部費のためじゃなく、“成果”のためにやろう」
成果。
その言葉が、やけに重く響いた。
「半年後、体脂肪率マイナス5%。ベンチプレス体重の0.8倍。できたら学内フィットネス大会に出る」
「大会!?てか俺ベンチプレスやったこともないんですけど」
「だーいじょーぶ!逃げないって言ったよね?」
挑発的な笑み。
俺は息を吸う。
「……やりますよ」
その夜、プロテインを買った。
食事も見直した。夜更かしをやめ、筋トレ動画を見まくった(やってはない…..)
モテたい、という気持ちはまだある。
でも今はそれ以上に、“証明したい”が勝っている。
利用された新入生で終わらない。
笑われる側で終わらない。
鏡の前で、改めて腕に力を込める。
わずかに、ほんのわずかに、筋が浮いた気がした。
「見てろよ」
誰に向けたのかもわからない宣言。
神崎凛の本性を知った日、
俺の中の何かもまた、はっきりした。
これはモテるための筋トレじゃない。
自分を塗り替えるための戦いだ。
――本気の筋肉生活、開幕。




