1,大学デビュー失敗
筋トレしようぜ!
「今日から俺は、生まれ変わる。」
四月。桜が舞うキャンパスの門をくぐりながら、俺――佐倉悠真は静かに拳を握った。高校時代は、三年間ほぼ同じ顔ぶれの中で埋もれていた。身長169cm、中肉未満、声量控えめ、特技なし。好きな子に話しかける勇気もなく、卒業式の日に“いい人だよね”の称号だけをもらって終わった。
だから大学では変わる。
ワックスで前髪を上げ、少し高めの服を買い、昨夜は「初対面で好印象を与える方法」なる動画を三本見た。鏡の前で笑顔の練習もした。1番問題のコミュ力は入学式までチャットGPTと会話して克服。今日から俺は「”モテる側だ”」
――そのはずだった。
「新入生、こっちでーす!」
「テニスサークルどうですか?」
「飲み会タダだよー!」
校門付近は勧誘の嵐。キラキラした笑顔、軽快なハイタッチ。俺もとりあえず新入生が集まってるサークルの輪に入って声を張った
「は、はじめまして!僕もサークル入りたいです!」
声が思ったより小さい。誰にも届かない。二度目は裏返った。目が合った気がした先輩は、次の新入生に声をかけていた。
(落ち着け。自己紹介で巻き返せばいい)
オリエンテーション教室。前方の席に座る新入生たち。周りには先輩たち、順番が近づくにつれ、心拍数が上がる。隣のイケメン野郎は
「高校の時はサッカー部で、大学でもサッカーやろうと思ってまーす!ボールは友達!!」とよく分からん笑いを取った。
(何が面白いんだ?)
そうこうしてるうちに俺の番。 みんなの視線が突き刺さる。
「佐倉悠真です。えっと、趣味は……」
一瞬の沈黙が怖くて、口が勝手に動いた。
「筋トレです!」
言った瞬間、全員の視線が俺の腕に落ちる。
細い。シャツの袖が余っている。
イケメンと反対に座っている女子が小さく笑った。
「え、どこが?」
教室の空気が一度だけ波打ち、そして凪いだ。俺は椅子に沈んだ。
(そうですよね。趣味はアニメとゲームだし、てか筋トレなんてしたとこもない)
教室の空気が一度だけ波打ち、そして凪いだ。俺は椅子に沈んだ。
昼休み、学食の端。トレーの上のカレーはやけに重い。周囲ではもうグループができ始めている。笑い声が弾むたび、胸の奥が少しずつ冷える。
(変わりたかっただけなのに)
スマホを開いて閉じる。誰に連絡するでもない。連絡先は高校時代の男友達2人だけ。
そのとき、背後から女の声がした。
「その体で“趣味筋トレです”は、さすがに無理あるでしょ。」
振り返ると、スポーツウェア姿の女子が立っていた。ポニーテールが揺れ、引き締まった腕が目に入る。胸は控えめ。目は真っ直ぐで、逃げ場がない。
「……すみません」
「謝ることじゃないけど。嘘つくくらいなら、やれば?」
言い方はきついのに、声は淡々としている。
俺は言い訳を探す。
「いや、その、大学デビューっていうか……ほんとは筋トレもしたことなくて……」
「モテたいんでしょ?」
図星だった。言葉が喉に詰まる。彼女は小さく息をついた。
「筋肉つけたらモテると思ってる?」
「……多少は」
彼女は笑った。嘲笑ではなく、どこか面白がるように。
「じゃあ、試してみる? うち、トレーニング研究会。初心者歓迎。三日坊主も歓迎」
「三日坊主も?」
「どうせ最初はそうなるから」
そう言って差し出されたビラには、簡素なロゴと活動日時。派手さはない。
俺は迷う。入ったところで続くのか? また失敗するんじゃないか?てかこの人だれなんだ?
「変わりたいんでしょ」
短い一言が、胸に刺さる。
「……やります」
彼女にやっとして頷いた。「そう来なくっちゃ」
「私は神崎凛。二年。やる気あるなら今日の夕方、トレーニング室に来て」
背中を向けて去っていく。歩幅が大きく、迷いがない。
夕方。トレーニングルームのドアを開けると、鉄とゴムの匂い。ダンベルの音。鏡に映る自分は相変わらず頼りない。
「遅い」
神崎先輩はストレッチをしながら言った。
「じゃあさっそくやろうか。まずわ腕立て十回やってみて」
十回。簡単なはずだ。
一、二、三――五で腕が震える。七で床が遠くなる。十に届く前に崩れ落ちた。
「はい、これが現実よ」
悔しさが込み上げる。
俺は歯を食いしばる。
「もう一回」
二セット目は八回。三セット目は七回。情けない数字が積み上がる。
「いいよ。ゼロよりはマシだから」
「慰めですか」
「事実。今日の君は“嘘つき”から“初心者”にランクアップ」
その言葉が、少しだけ救いだった。
トレーニングが終わるころ、腕は鉛のように重い。
ロッカーで着替えながら、俺は鏡を見る。何も変わっていない。細いままだ。
「一日じゃ何も変わらないわよ」
いつの間にか隣に立っていた神崎先輩が言う。
「でも、続けたら変わる。体も、顔つきも、考え方も」
「考え方?」
「“どう見られるか”ばっかり考えてると、空回る。まずは“どうなりたいか”でしょ」
図星二度目。今日は刺さる日だ。
「明日も来なさいよ」
家に戻る道、腕の痛みがじんわり広がる。
でも、不思議と足取りは軽い。
スマホのメモに打ち込む。
【腕立て 8/7/5】
情けない数字。でも、嘘じゃない。
ベッドに倒れ込み、天井を見る。
大学デビューは盛大に失敗した。笑われた。恥もかいた。
それでも。
(今日、俺は一回も逃げなかった)
小さな事実が、胸の奥で灯る。
筋肉をつければモテるかは、まだわからない。
でも少なくとも、今日の俺は昨日よりほんの少しだけ強かなった気がした。
桜の花びらが窓辺に張り付く。
新生活は、理想とは違う形で始まった。




