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モンスター娘の生態、全部愛します。〜偏見なしの優しさが、彼女たちの世界を変えるまで〜  作者: おでこ
第一幕:モンスター娘との遭遇

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第6話「至高の手、発動」

 

 その日の森は、穏やかだった。


 魔物の重い気配は、今日は少し遠い。依頼の区域に異常はなく、動物たちも落ち着いていた。生態看破(せいたいかんぱ)が拾う情報も、いつもより穏やかで、俺の気持ちも自然と緩んでいた。


 ホロも今日は早くから近くにいた。木の上ではなく、少し離れた倒木の上に腰を下ろして、俺が作業するのをぼんやりと眺めている。最近はそういうことが増えた。距離は一定に保たれているが、その距離が少しずつ縮まっている気が、俺にはした。


 「今日は魔物の気配、薄いですね」


 「……少し奥に移動したみたい。でも、消えたわけじゃない」


 「ギルドに報告した方がいいですかね」


 「……した方がいいと思う」


 こういう会話が、自然にできるようになっていた。


---


 午前の作業を終えて、倒木の近くで記録をまとめていたときだった。


 生態看破が、何かに反応した。


 動物の気配ではない。もっと近い。すぐ隣——ホロだ。


 頭の中に、ぼんやりとした情報が滲んでくる。慢性的な疲労、緊張、特定の部位への負荷の蓄積。場所は——蜘蛛脚の、付け根のあたり。


 「ホロさん」


 「……なに」


 「脚の付け根、痛くないですか」


 ホロが、ぴたりと固まった。


 「……なんで」


 「なんとなく、わかって。スキルで」


 しばらく沈黙があった。ホロは視線を逸らして、少し間を置いてから、小さく言った。


 「……痛い、というより。ずっと、重い感じがする」


 「ずっと、というのはいつから?」


 「……覚えてないくらい前から。蜘蛛族は、脚の付け根に負荷がかかりやすいから。特に、緊張が続くと」


 「三年間、ずっとですか」


 ホロは答えなかった。でもそれが答えだった。


 三年間、一人でこの森にいた。緊張しない日なんて、ほとんどなかっただろう。人間に見つかるかもしれない恐怖、魔物への警戒、孤独な夜。そのすべてが、あの細い脚の付け根に積み重なっていたのか。


 「少し、触っていいですか」


 ホロが俺を見た。


 「……何を、するの」


 「ほぐせるかもしれないと思って。動物の体のケアをしてたことがあるので。嫌なら言ってください、すぐやめます」


 長い沈黙だった。


 ホロは俺を見て、自分の脚を見て、また俺を見た。それから、ゆっくりと、脚の一本をこちらへ差し出した。


---


 触れた瞬間、スキルが動いた。


 「至高の手(ゴッドハンド)」——ギルドで登録したとき、説明文がないと言われたあのスキルが、初めて明確に何かをした感覚があった。手のひらが、迷わず正しい場所を知っている。付け根の関節から少し内側、緊張が凝り固まっている箇所。そこへ、ほどよい力で触れる。


 俺には「なんとなくここだな」という感覚しかない。動物をケアしていた頃の経験と、スキルの直感が混ざって、手が自然に動いているだけだ。


 だから、ホロの様子に最初は気づかなかった。


 「……っ」


 息をのむ声がした。


 「痛かったですか?」


 「……ち、違う」


 「じゃあ続けていいですか」


 返事がなかったので、続けた。


 もう少し力を込める。関節の奥、蜘蛛脚の構造に沿って、ゆっくりと圧をかける。すると——


 「……ぁ」


 今度ははっきり聞こえた。


 俺は手を止めた。


 「やっぱり痛い?」


 「……っ、痛く、ない」


 ホロの声が、かすかに震えていた。顔を完全に背けていて、表情が見えない。でも、耳が。首の後ろまで、真っ赤に染まっていた。


 「気持ちいい、ですか?」


 「……っ……そういう、聞き方は」


 「ほぐれてるならよかったです。もう少しだけ」


 「……っ、ま、待っ」


 「ここ、特に固いですね」


 「……!」


 ホロが、倒木の上でぎゅっと木を掴んだ。声を必死に堪えているのが、背中越しでも伝わった。体が小さく震えている。


 俺は、それを「ほぐれているサイン」だと思っていた。


---


 少しして、手を離した。


 「どうですか」


 「……」


 「ホロさん?」


 「……少し、待って」


 しばらく、ホロは動かなかった。倒木に手をついて、ゆっくりと呼吸を整えているようだった。


 やがて、ゆっくり振り返った。


 顔は、平静を取り戻していた。でも目が、いつもより潤んでいる気がした。


 「……どうでしたか、と聞いているのに」


 「だいぶ楽になった……と、思う」


 「よかった。また固くなったら言ってください」


 ホロが、目を丸くした。


 「……また、するの」


 「ほぐれても、また固まるので。動物も同じで、定期的にやらないと意味がないんです」


 「……」


 ホロはしばらく、何かを言おうとして、言えないでいた。口が開いて、閉じる。開いて、閉じる。


 結局、小さく「……わかった」とだけ言った。


 俺は道具をまとめて立ち上がった。


 「じゃあ今日はこれで。また来ます」


 「……うん」


 「気をつけて帰ってください」


 「……気をつけるのは、あなたの方」


 「それもそうですね。おやすみなさい、ホロさん」


 歩き始めてから、何歩か進んだところで、後ろからかすかな音が聞こえた気がした。


 くぐもった、短い音。


 何かを言ったのか、息をついたのか、それとも——


 確かめようとは思わなかった。


 でも帰り道、ずっと、何故か口元が緩んでいた。


---


 一方、ホロは。


 文人の背中が木々の向こうに消えるまで、倒木の上で動けなかった。


 脚の付け根がまだ、じわりと温かい。


 (……なんなの、あの人は)


 頭の中がうまく働かない。顔が、まだ熱い。


 三年間、誰にも触れられたことなんてなかった。触れられることは、恐怖か、痛みか、そのどちらかだった。


 なのに。


 あの手は——怖くなかった。


 それどころか。


 「……もう少し、だけなら」


 誰もいない森の中で、ホロはひとりごとを言った。


 すぐに、両手で顔を覆った。


 森に、静かな風が吹いた。


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