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モンスター娘の生態、全部愛します。〜偏見なしの優しさが、彼女たちの世界を変えるまで〜  作者: おでこ
第一幕:モンスター娘との遭遇

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第2話「見知らぬ街で、まず生きる」


 森を抜けると、においが変わった。


 潮の香り、煙、焼いた肉の匂い、それから——人の、においだ。


 木々の切れ目から石畳の道が現れて、その先に建物の輪郭が広がっている。東西に走る大通り、荷を積んだ馬車、声を張り上げて客を呼ぶ屋台の主人。遠くには港の帆柱が見えた。霧の薄くかかった湾に、船がいくつか浮いている。


 俺は、その光景をしばらくぼんやりと眺めた。


 ファンタジーだ、と思った。中世ヨーロッパ風というか、港町というか。でも現実としてそこにある。においも、音も、風の感触も、全部リアルだ。


 (……とりあえず、生きないといけないな)


 死んで転生してきた、という事実の重さはまだ胸の中にある。でも今はそれよりも、目の前の問題の方がずっと大きかった。財布はない。知り合いもいない。泊まる場所も、食べるものも、何もない。


 まず、どうすればいい。


 俺は大通りに足を踏み入れた。


---


 街は、雑然としていた。


 商人らしき男が荷馬車を引き、冒険者風の装備をした集団が笑い声をあげながら歩いている。屋台には見慣れない野菜や肉が並んでいた。言葉は、不思議なことに全部わかった。耳に入る音が自然と意味に変換される。これも転生の恩恵なのか、とぼんやり思った。


 少し歩いたところで、足が止まった。


 路地の入り口に、人が座り込んでいた。


 女の子だった。年は十代の半ばくらいだろうか。うつむいたまま動かない。首に金属のリングがはまっていて、鎖が繋がれ、その先は路地の壁の杭に固定されている。


 奴隷だ。


 すぐにわかった。


 頭に獣の耳が生えていた。茶色の、短い毛に覆われた耳。犬か、狼か——そういう種族なのだろう。体に巻き付けられた粗末な布が、風に揺れていた。


 俺は一歩、そちらへ踏み出しかけた。


 「おい、よそ者」


 低い声がした。振り返ると、路地の前に立っている大柄な男が俺を見ていた。商人風の格好だが、目つきが鋭い。


 「何を見てる」


 「……いえ、何も」


 「魔人に変な情をかけるな。ああいうのは、管理されてる方が安全なんだ。わかるか」


 俺は何も言わなかった。


 言えなかった、というのが正確かもしれない。反論する言葉が見つからないわけではない。ただ、この街の仕組みも、この世界の常識も、俺はまだ何も知らない。何も知らない人間が、勢いだけで口を開いても、あの子を助けることにはならないと思った。


 男は俺を一瞥してから、路地の奥へ消えた。


 俺はもう一度、座り込んだ女の子を見た。


 顔は上がらなかった。俺の視線に気づいているのかどうかも、わからない。


 (……今は、何もできない)


 それが悔しくて、でも事実だった。俺は歯を食いしばって、前を向いた。まず、自分が生きる手段を作らないといけない。


---


 「ギルドに行けばいい」


 屋台のおばさんに聞いたら、そう言われた。「よそ者の面倒は全部あそこが引き受けてる。あの赤い看板の建物だよ」と、大通りの先を指さした。


 礼を言って歩くと、すぐに見つかった。


 《冒険者ギルド》と書かれた看板は、確かに赤かった。扉を開けると、酒と革と埃の混ざったにおいがした。広い室内には木のテーブルが並んでいて、何人かの冒険者らしき人間が飯を食ったり依頼書を眺めたりしている。


 カウンターに向かうと、けもの耳の女性が書類を捌いていた。顔を上げて俺を見るなり、「はいはい、新規ね」と引き出しから紙を取り出した。慣れた手つきだった。


 「名前、年齢、出身、職歴を書いて。出身地は大体でいいから」


 「えっと……名前は中村文人、年齢は二十七です。出身は……遠方から来ました」


 「遠方ね」と彼女は特に疑う様子もなく書き込んだ。辺境の街では、流れ者は珍しくないらしい。


 「職歴は?」


 「動物の世話とか、力仕事とか、一通りはできます」


 「ふーん。じゃあスキルの確認ね。これ握って」


 カウンターの上に、小さな透明な石が置かれた。鑑定用の魔道具らしい。言われるままに握ると——石が、淡く光った。


 受付の女性が、手を止めた。


 「……ちょっと待って」


 目を細めて、石をのぞき込む。それから俺の顔を見て、また石を見た。


 「何か出ましたか?」


 「出た、というか……」彼女は少し眉をひそめた。「『生態看破(せいたいかんぱ)』と、あとこれ——『至高の手(ゴッドハンド)』?」


 「至高の手(ゴッドハンド)……?」


 「私も初めて見た名前ね」


 俺も初めて聞いた名前だった。


 「どういうスキルなんですか?」


 「『生態看破(せいたいかんぱ)』は相手の種族特性や状態を直感的に読み取るスキル。それ自体は珍しくないけど……」彼女は腕を組んだ。「『至高の手(ゴッドハンド)』の方は、説明文がついてない。見たことない」


 「説明文がない?」


 「稀にあるのよ、そういうの。強すぎて分類できないか、特殊すぎてデータが存在しないか。どっちにしろ、登録はできる。実際に使ってみないとわからないけどね」


 俺は、自分の手のひらを見た。


 至高の手。どんなスキルなのか、まるで見当もつかない。力が強くなるのか、何かが作れるようになるのか——見つめても、何も変わった様子はない。ごく普通の、二十七歳の手のひらだ。


 「とりあえず、登録完了」と彼女が言った。「ギルドカードを作るから、今日は宿を確保して。三ブロック先の《波の宿》が一番安い。明日から依頼を選べるようになるから」


 「ありがとうございます」


 「あ、一個だけ教えとくね」


 彼女が声のトーンを少し落とした。


 「さっき街を歩いてきたでしょ。魔人の奴隷、見たりしなかった?」


 「……魔人?」


 「魔物と人が混ざった存在のことを"魔人"と呼ぶのよ」


 「先ほど、見ました……」(あの女の子のことだろう)


 「あれに手を出すと厄介なことになる。奴隷商との揉め事は、ギルドも手が出せないから。よそ者がやりがちな失敗だから、一応ね」


 忠告のつもりで言ってくれているのはわかった。


 「……参考にします」と俺は言った。


 「ま、そういうこと」と彼女は書類に視線を戻した。それから、何かを思い出したように付け加えた。


 「ちなみに——私も、魔人なんだけどね」


 さらりと言った。本当にさらりと、事務的に。


 俺は思わず、カウンターに目を向けた。けもの耳。確かに、人間ではない。でもギルドのカウンターに普通に座って、普通に仕事をしていて——俺には「ただの受付の人」にしか見えなかった。


 「ギルドの所属奴隷ってやつ。珍しくないわよ、この辺じゃ」


 口ぶりに、諦めも、怒りも、なかった。ただの、日常だった。


 それが一番、胸に刺さった。


 「……そう、なんですね」


 俺には、それしか言えなかった。彼女はもう次の書類に手をつけていて、こちらを見ていない。


 参考にする、とは言った。でも胸の中のわだかまりは、もう消えそうになかった。


---


 ギルドを出て、《波の宿》へ向かう道すがら、さっきの路地をまた通った。


 女の子は、まだそこにいた。


 さっきと同じ場所に、同じ姿勢で座っている。うつむいたまま、動かない。


 俺は立ち止まって、少しの間、見ていた。


 声をかけることは、しなかった。できなかった、という方が正しい。この街の仕組みも、何も知らない。何かをするには、まだ何もかもが足りなかった。


 (……でも)


 手のひらを見た。至高の手、というスキルが、ここに宿っているらしい。何ができるかはまだわからない。でも、いつかこの手が役に立てるなら——その時は、迷わないでいたいと思った。


 俺は顔を上げて、宿への道を歩き始めた。


 足元は、まだ少し、頼りなかった。


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