第5-2話 25%の革命
――二十五%と、小さな革命――
翌日、実験場所は研究室ではなく、大学校の庭になった。
風がある。雲が流れる。条件は良いとは言えない。
けれど室内に閉じこもると、光の当たりが偏る。乾燥室の“一点”が、あれほど分かりやすく示していた。
エミリアは板を運ばせ、白布で反射を抑え、器具を丁寧に並べていった。
石英プリズムは見た目には地味だ。だが光を通すと、机に落ちる虹の「見える端」の外側で――見えないはずの場所で、銀の薬が反応する帯が、ほんの僅かに現れる。ガラスでは途中で消えてしまった“外側”が、石英ならわずかに透過する。
「条件が揺れるぶん、回数で確かめたいの。……付き合ってくれる?」
クラリスは肩をすくめた。
「ええ。風に負けるのは嫌だものね」
エミリアはツノウサギのひまわりの種くらいの小さな魔石を、ずらりと並べた。
同じ大きさ。似た色。似た手触り。――似ているからこそ、数で差が見える。
日よけ布を張る。プリズムを固定する。虹の帯の外側を少し削り、青から紫のあたりがなるべく安定して当たるように整える。余計な色を混ぜない。条件を揃える。それだけで、実験はぐっと静かになる。
そしてエミリアは、もう一枚、長い紙を広げた。
「こっちは……銀の薬品、だっけ」
「うん。見えない帯を“目で見る”ための手順が、本に載ってたの」
エミリアは本を開き、指で行をなぞりながら、落ち着いた声で読み上げた。
「まず紙に食塩水を塗るの。次に銀の化合物を塗る。光が当たると色が変わっちゃうから、乾かすときは暗い箱の中。……乾いたら、観測用の暗箱で、プリズムの虹の上に置く」
黒布を貼った木箱の蓋を閉めると、昼の庭に小さな夜がひとつできた。
乾いた頃合いで紙を取り出し、虹の上へそっとずらしていく。
のぞき窓に目を当てて、横から余計な光が入り込まないように、ぴたりと顔を寄せる。目の前には、細いスリットから出る光がプリズムで分けられた虹が並んでいた。
最初は何も起こらない。けれど――紫の端の、さらに外側。何も光がないように見える場所で、紙がわずかに沈んだ色を帯びた。
「……そこ、虹の外よね」
「うん。ここに“目には見えないけど、薬が反応する光”がある」
クラリスが箱の蓋を開け、エミリアが定規で距離を測る。
変色はじわじわ広がる。だからこそ、最初の点を取り逃がさない。
「銀の薬品が反応するってことは……その光が、薬品を変える力を持ってるってことだよね」
エミリアが言うと、クラリスは短く頷いた。
「うん、つまり、化学反応を起こす力が強いということよね」
「だから、エネルギーの密度が高いって考えられる。魔石にも“エネルギー”が届きやすいはず」
ただし、とエミリアは紙から目を離してプリズムに触れた。
「ガラスだと、この帯がほとんど届かないの。虹は出るけど、“外側”は消えちゃうみたい。石英だと、僅かだけど外側まで透す」
「だから、今日は石英プリズムなのね」
「うん。ここからが本番」
*
青から紫、その外側。
そこだけがなるべく混ざらないように、エミリアは板に印を付け、置く位置を決めた。
小魔石を並べる。時間を測る。記録する。
ただ――すぐに、彼女は首を傾げた。
「わたしの触った感覚だけだと……“入った”ことは分かるんだけど……“どのくらい入ったか”までは言い切れないみたい」
「昨日、指の感覚が狂ったって言ってたものね」
「うん。だから今日は、別の測り方にしたい」
エミリアは、クラリスの杖を見た。
そこには“基準”がある。戦場で毎日使われ、勝手に嘘をつかない基準だ。
「クラリス。お願いがあるんだけど……“使い切る試験”をしてもらっていい?」
「使い切る?」
「うん。チャージした石を、いつもみたいに使ってもらうの。空になるまで。そうしたら、その石がどれくらい入ってたか、だいたい見当がつくでしょう?」
クラリスは少しだけ考えて、頷いた。
「いいわ。手順を決めて。私の“使い方”が揺れたら、意味がない」
「ありがとう。……同じ魔法を、同じ強さで、同じ回数。できるだけ一定にする」
エミリアはノートに短い手順を書いた。
杖の魔力通路のくぼみに小さな魔石を収めると、クラリスが魔法を放つたび、その石の魔力も引っ張られて一緒に出る。石に魔力があるうちは火球が少し強くなり、石が空になると火球は元の強さへ戻る。つまり“戻った瞬間”が、空の合図になる。
再現しやすい技に合わせるため、クラリスが普段から使い慣れている「短い火球」を一定距離へ飛ばす手順にした。
「じゃあ、まず一本目」
小魔石を、紫の外側の帯へ置く。
しばらく当てる。取り上げる。
クラリスへ渡す。
クラリスは庭の端へ歩き、手順どおりに魔法を撃つ。
一定の間隔。一定の出力。ぽん、ぽん、ぽん。
……そして、ふっと、火球が小さくなった。
「はい、終わり。今のが“空”」
エミリアはすぐに受け取って記録する。
何回で空になったか。最後の数回でどれくらい弱ったか。
「次。今の石を、また同じ場所に置く」
「さっき空にした石を? また?」
「うん。チャージして、また使って、また空にする。これを繰り返すと、“増え方”と“頭打ち”が見えてくると思うの」
クラリスは笑った。
「地味だけど、分かりやすいわね」
地味な作業が続いた。
チャージ。容量試験。空。
またチャージ。容量試験。空。
雲で日が隠れたら待つ。日が出たら時間を数える。
三十分当てた石、一時間当てた石、もっと長く当てた石――同じ手順で比べると、最初の数回は明らかに差が出た。
クラリスが使える回数が、じわじわ伸びる。
「増えてるね」
「うん。……でも、ずっとは伸びない気がする」
その予感は当たった。
長時間チャージしても、あるところから回数が伸びにくくなる。わずかに増えるけれど、増え方がだんだん鈍ってくる。
エミリアはノートに線を引き、同じ石の記録を縦に並べた。
「……ここが限界」
「限界?」
「うん。これ以上、長く当てても、使える回数が増えない。増えたとしても誤差の範囲。……たぶん、ここが、光で“入る量”と、自然に“抜ける量”の釣り合いなんだと思う」
クラリスは腕を組んで、感触を確かめるように首を傾けた。
「私の杖の石を“満タン”だとすると……今のは、だいたいその四分の一くらいの感触ね」
エミリアが顔を上げる。
「四分の一……」
「うん。ざっくりだけど。――二十五%くらい」
数字にすると素朴だった。
けれど素朴だからこそ、嘘をつかない響きがある。
エミリアは別の石でも同じ試験をした。結果は似た形で、同じあたりに収束した。
「……やっぱり二十五%前後に集まる。太陽光の“青の外側”だけでチャージしても、それ以上には上がらない」
クラリスが肩をすくめる。
「……正直、ちょっと“それだけ?”って思った」
発見の凄さは分かる。見えない帯があって、それが確かに石の魔力量を押し上げる。
でも上限が二十五%。しかも小石で二十五%。
「大きい魔石でもできるんでしょうけど、大きい分だけ時間がかかる。――私の杖みたいな高品質の大きな魔石なら、年単位になりそうね。実戦で今すぐ役に立つ、って感じじゃないわ」
エミリアは小さく笑った。否定しない笑いだった。
「うん。そう思うの、自然だと思う。私も最初は同じだったよ」
そして、と彼女は言葉を継いだ。
「でもね。“それだけ”でも、工夫次第で、できることが増えると思うの」
*
エミリアは研究室の隅から、粗い魔石を持ってきた。見た目だけは立派だが、魔力の入りが悪く、出力も安定しない。現場では「外れ」として避けられやすい石だ。
クラリスは頷く。
「低級魔石は、使い切ったら終わり。どのくらい使えるか分からないから、いつ空になるかも分からない。戦闘用には使えないね」
「うん。……でも、終わりじゃないかもしれない」
エミリアは低級魔石を、青から紫の帯へ置いた。時間を置く。取り上げる。
クラリスに渡す。
容量試験。ぽん、ぽんと火球を撃って、わざと魔力を消費する。
容量はとても小さい。
――けれど、ゼロではない。
「……これでも、二回の火魔法には使えるわけか」
クラリスが言うと、エミリアは嬉しそうに頷いた。
「うん。低級魔石は高級魔石みたいに二十五%までは届きにくい。石の性質で上限は低いと思う。でも――ゼロから、火球二回分くらいの“使える”ところまでは戻せる」
言いながら、エミリアは付け足すのを忘れなかった。
「もちろん、火球一回分も戻らない石もあると思う。……でも“戻る石がある”ってだけで、世界が変わる」
クラリスはゆっくり笑った。
「ゴミとされた魔石でも、一回二回は“使えるもの”になる。……これは革命ね」
「……うん。小さいけど、確かに革命だと思う」
エミリアはノートに、決定的な二行を書いた。
《太陽チャージ上限:≈25%(青の外側で収束)》
《低級魔石:再チャージ可能(上限は低いがゼロではない)》
庭の光は雲で一度弱くなった。
けれど石英の上に落ちる帯の“青い端”は、また戻った。
*
研究室へ戻ると、隅に麻袋が積まれていた。口を縛りきれていない袋から、黒い欠片がこぼれている。
「それ、何?」
「空になった魔石。戦場と工房の……残りもの」
「残りもの?」
「普通は削って張り合わせて、杖の魔力伝導路にする。それでも余る分は炭素質だから、炉で燃やされる。……そこで終わり」
エミリアは欠片を一つ摘まみ、指先で転がした。軽い。冷たい。
――そして、どこか“通り道”の気配だけが残っている。
「……でも、量がある」
「量?」
「捨てるほどあるなら、捨て方を変えれば、使い方も変わるかもしれない」
クラリスは肩をすくめた。
「また、危ないこと考えてる顔」
「まだ考えてるだけ。今日の革命は、二十五パーセントと再チャージ……それで十分」
エミリアは袋の口を縛り、机の下へ押し込んだ。
しまったのではない。保管したのだ。
白い光の端は、石を少しだけ満たす。
少しだけ――けれど、その少しが、捨てられるはずだった石を、もう一度“使える”へ戻す。
それだけで、戦場は変わる。
変わり方は静かだ。けれど静かな変化ほど、後で大きく効いてくる。
「……すごいのは分かる。でも、まだどう変わるかが私には想像できないわ」
クラリスが言うと、エミリアは頷いた。短く、けれど優しい頷きだった。
「うん。だから、次を考えるの」
机の下で、麻袋が小さく鳴った。
黒い欠片が、未来の形を待っている音だった。
ある日の夕方、研究室の扉を叩いた下級職員が、伝聞めいた話を落としていった。
グレンウッド領から、水晶を産出する鉱山へ――水晶の“大量注文”が入ったという。
単位は、箱でも樽でもなく。トンだった。




