第23話 兵站と保存食
-駐屯地馬車集積地--
前線の少し後ろに、馬車の集積所がある。地図では丸印ひとつで済まされる場所だが、実際には荷車が並び、人が動き、馬が白い息を吐き、桶の水が揺れ、干し草が積まれている。ここは荷の出入り口であると同時に、馬の出入り口でもあるので、どうしても混雑しがちである。
補給量は、風景を説明してもものすごく混んでいるとしか言えないので、数値で表したほうがまだイメージしやすいだろう。大雑把に数値で表現すると、水を別にしても、兵五千人が一日に使う食料と日用品、調理の燃料などは、平均して一人あたり十キロほどになる。十キロを五千人分で五万キロ、五十トンだ。馬車一両に三百キロ積めるとして単純計算すると百六十七両ということになる。もちろん道の具合もあるし、馬の調子もあるし、積める量も日によって揺れるのだけれど、それでも「毎日、百六十両前後を回すつもりで馬車を見積もる」くらいの目安にはなる。
百六十両が毎日出入りするなら、荷車の通路と荷の置き場だけでは足りなくなる。馬を休ませる場所が要るし、水を飲ませる場所も要るし、飼い葉を食べさせる屋根も欲しくなる。馬が汗をかけば塩も減るので、塩を舐める場所もあると助かる。そういう荷を運ぶための設備が揃っているかどうかで、馬車の運用のやり方が変わる。
輸送交易ギルドから駐屯地に先行した馬車に、板束と工具箱と釘が積んであるのは、そのためだった。集積地を作るのは軍事であればよくあることだ。毎回、倉庫の奥から必要な資材を一本ずつ拾い集めるのは面倒で、拾い忘れがあるともっと面倒であり、現場に着いてから何かが足りないとさらに困る。そういう手間を嫌って、ギルドの倉庫には同じ大きさの梱包が並べられている。
――水場用梱包。
――餌場用梱包。
――塩台用梱包。
「梱包」と書いてあるだけで、立派な言葉があるわけではない。現場でいつも使うものが、だいたい同じなので、まとめて縛っておいた、それだけだ。樋にする板、梁、杭、縄、釘、工具。簡易屋根にする板と角材。塩台にする板と杭。使うものが似通っているなら、似通った形で置いておいたほうが、後が楽になる。
集積所に着くと、ギルド職員は荷札を見る前に地面を見る。水が取れそうか、排水ができそうか、通路が確保できそうか、馬を並べる幅があるか。たまたま湧き水があったりすると、ギルド職員は喜ぶ。
「……水が湧いてますね。ここ、湧き水みたいです」
「本当か?」
「はい。これならきれいな水場が作れます」
馬は一頭で数十リットルの水を飲む。井戸しかない場所だと、井戸の水汲みそのものがきつい一日仕事になりやすく、人が水運びに取られて、その分手が足りなくなる。だから湧き水があると、現場は素直に助かる。
職員は水場梱包の包みを開け、板と縄と釘を地面に並べ、樋の線を引く。樋は板を合わせて溝形にし、つなぎ目に布を噛ませ、釘と縄で固定する。泥が入りにくいように少し浮かせ、詰まりを掃除できる余地も残しておく。次に馬をつなぐ梁を組む。排水溝も最初に切る。そこまでは最優先だ。
荷物の積み下ろしや箱運びのような単純作業は、五千人の兵から人手を借りれば進む。責任者は司令部へ伝令を出して、必要な人数を回してもらう。人数が増えれば前に進む仕事は、兵の人数にまかせてやってもらう。ただ、水場づくりや屋根づくりのように腕と慣れが要る仕事は任せにくい。だから責任者は要請する人数を考える。
「積み下ろしに二十、藁運びに十、空樽に十、そんな感じで四十人から五十人お願いできますか」
「了解です」
「水場のほうは、ギルドの人に見てもらって、必要ならば兵で運ばせるとか掘らせるとか、指示してもらいましょう」
「分かりました。声かけておきますね」
餌場梱包も開けられる。柱を立て、梁を渡し、板を並べて釘で留め、縄で補強する。立派な建物ではないけれど、飼い葉が濡れない場所があったほうがいい。塩台梱包も同じで、塩の塊を泥で汚さないよう小さな台を組み、屋根の端の雨が当たりにくい場所へ置き、杭で固定する。塩は減るので、補充の袋も近くに置いておく。
桶へ水が落ち始めると、係の肩の力が少し抜ける。
「湧き水があると楽ですね」
「楽ですね。井戸だけの場所だと、汲むだけで手が取られやすいので」
◇◇◇
一方、王都では、宰相が取次と調整のために机に向かっていた。王宮の仕事は書類が中心で、王との取次や、貴族同士の利害のすり合わせや、予算の根拠づくりが主になる。宰相はその手際がよく、そういう業務では宰相にふさわしい。ただ、現場の手触りを掴んでいるとは言えず、どうしても現場からは遠ざかりがちである。
そこへ息子のレオポルドが入ってきた。まだ決まった仕事というのは無い息子だ。 だが宰相は最近、息子にそろそろ肩書があったほうが都合がいいと考えていた。戦時は役職が増え、そこにうまく座らせられれば箔がつく。貴族としては実績になる。 宰相はその程度の感覚で、息子を置く場所を探していた。
「父上、兵站が揉めてるそうですね」
「戦時だからな。数字が増えると揉めごとも増える」
「だったら僕がやれますよ。責任者にしてください」
「責任者か……分かった。名目は私が整える」
「本当ですか?」
「上に立つ役だ。書類に判を押して、報告を受ければいい。細かいところは参謀と交易ギルドが動くからな」
宰相はそれで話を切り上げ、次の書類へ戻った。息子の肩書が決まれば、ひとまず形は整うだろう、と。
◇◇◇
王都でウィリアムは帳簿を見て眉を寄せていた。出発記録と到着記録が合わない箇所が増えている。特に生鮮品が妙に遅れている。ルートが途中で変わった形跡もある。
ギルドの先輩が小声で言う。
「宰相の息子が兵站の責任者にねじ込まれたらしいぞ」
「あいつですか……それが駄目にしているのかもしれませんね」
そこへ前線から連絡が入る。生鮮食料品だけが薄い日が続き、札は揃っているのに中身が揃わない、という話だった。ウィリアムの中で、帳簿の端と現場の感覚がつながる。
ウィリアムは写しをまとめ、司令部へ向かった。
兵站部の参謀と面会できたのは、ウィリアムが「筆頭辺境伯爵家グレンウッド」の名を使ったからだった。扉が閉まると、参謀は短く言った。
「面会の理由は?」
ウィリアムは帳簿の写しを広げ、生鮮品だけが遅れる傾向、ルート変更の痕、数字と現物の食い違いを順に説明した。参謀はすぐに理解した顔をしたが、同時に渋い顔もした。
「こちらでも兆しは掴んでいる。だが、政治の筋が絡むとこちらでは対応しにくい」
「宰相の息子殿が責任者になった件ですね」
「そうだ。アレは肩書上は上になるからな」
ウィリアムは一度だけ迷い、腹を決めて言った。
「彼を、実務から少し離してもらえませんか」
「……離す、というのは」
「判子のところだけお願いして、発注とか検品とか、ルートの判断には触れない形にできると助かります。一応は宰相殿の息子さんなので、メンツだけは残しておきましょう」
「簡単ではないな」
「分かっています。だから……グレンウッド家から強い意見があった、という形で構いません。こちらは帳簿と荷車のほうで支えます」
「参謀殿が主導で、発注と検品を進めてもらえると、こちらも動きやすいです」
「私はギルド側で帳簿と荷車の動きを追って、変なズレが出たら先に潰していきます」
参謀はウィリアムを見て、短く息を吐いた。
「……よし。形としては、判子の役をお願いして、実務はこっちで回す方向で考えよう」
「ありがとうございます。助かります」
その日から、兵站部の空気が少し変わった。
レオポルドは会議の席に座る。けれど、机に並ぶ帳簿や地図の意味が分からないので、口を挟みたくても挟めない。何を聞けばいいかも分からない。分からないことを素直に聞いて覚える、というやり方もできるはずだが、彼はそれを選べなかった。上に立つ側のつもりで来ているので、部下に「教えてくれ」と言うこと自体が、本人には言い出しにくい。だから、話は自然に彼を避けて進んでいく。
参謀が指示を出し、担当者が「はい」と答え、帳簿が回り、判が押される。その判は確かにレオポルドの判なのだけれど、そこに至るまでの判断には、彼は関われない。必要な書類だけを回し、必要な報告だけを置き、議論は別の場所で済ませてから戻ってくる。
レオポルドは自分が外されていると感じて苛立つが、苛立ちをぶつければ余計に周りは遠ざかっていく。結局、彼は判を押すだけの役になっていき、周囲の会話の中では存在感が薄くなる。本人の態度と知識の不足が重なって、参加できる余地が小さくなっていった。
その一方で、実務が回り始めると、兵站は少しずつ戻り始める。ただ、生鮮食料品は急に増えるわけではない。生鮮食料品は何日も経つと使えなくなるし、一日あたりの収穫量にも上限がある。なのですぐに全体に行き渡ることはない。その空白を埋めるのは、現場の工夫になる。
◇◇◇
--野戦調理所--
前線の野戦調理所では、オリビア・グレンウッドが朝から皿を洗っていた。高等学校生で、調理所では手伝いの立場だが、保存食や調理の工夫には自信がある。兵たちにも可愛がられていて、いつの間にか“調理所の妹分”のようになっていた。
その朝、届いた木箱の蓋が開き、責任者が固まった。
「……野菜、これだけか?」
しなびた玉ねぎが数個。葉物はなく、根菜もない。保存が効く干し肉と乾物は届いているのに、生鮮だけが目に見えて少ない。兵たちの不満もじわじわ出る。野菜がない飯は飽きやすいし、体が重いと言う者も増える。
皿拭きをしていた古参兵が、ふと声をかけてきた。
「困ったことになったのう、お嬢ちゃん、豆はあるか」
「豆なら、山ほどあります」
「昔の戦ではな、豆を水に漬けて芽を出して食ったもんだ」
「芽を……食べるんですか?」
「そうだ。豆は水をやれば芽が出る。土がなくても増える」
オリビアは責任者に相談した。
「豆を芽にして食べられるそうです。試してもいいですか」
「豆を……芽に?」
「はい。箱と布と水でできるみたいです」
「やってみようか。鍋に入れる前に、一度こちらでも確認しておいて」
「はい。記録も取っておきます」
その日のうちに、オリビアは作業台の隅に広い木箱を置いた。底に豆が入っていた布袋を敷き、布袋がひたひたになる程度に水を含ませ、豆を重ねずに薄く広げる。底に水がこぼれないように箱を水平にして、板をずらして置いておく。朝と夕に布を湿らせ、乾いたところがないように均す。同じことを続けるだけだが、担当者が変わっても続けていけるようにマニュアル化する必要があった。
三日目、布をめくると白い芽が見え始める。五日目には芽が揃う。オリビアは一部を取り、鍋に入れる前に別鍋で試した。湯にさっと通し、油と塩で軽く和える。煮すぎないようにして歯触りを残す。責任者に一口食べてもらう。
「……食べられますね」
「歯触りもあります」
「鍋に入れるなら、最後のほうがよさそうだな」
「はい。仕上げで入れてみます」
その日、配給の列に少し白いものが混ざった。たったそれだけでも、列の空気が少し変わる。
「白いのが入ってる」
「久しぶりに野菜を噛んだ感じがするな」
「同じスープでも、今日は違うね」
野戦調理所は五千人を一箇所で抱えない。千人対応を目安に五箇所に分けてある。鍋も薪場も配給列も分けたほうが混乱が少なく、火の扱いも整えやすい。分けてあるということは、工夫も分けて広げられるということだ。
オリビアは記録紙をもう一枚書き直した。難しい言い方は要らない。木箱、布、豆、水。豆は重ねない。水は溜めない。朝と夕に湿らせる。三日目に芽。五日目に使える。鍋に入れるのは最後。やることが少ないほど、伝わりやすい。
「これ、他の調理所でもできそうです。豆はどこも余っていますし」
「調理所は五箇所だったな」
「はい。箱と布があれば始められます。最初だけ伝えれば、あとは続けられると思います」
「そうか。じゃあ、各調理所に回してみようか。担当も一人ずつ決めて、様子を見ながらで」
「はい。私、書き方をもう少し分かりやすくしておきますね」
「頼む。助かるよ」
伝令が走り、五箇所の調理所へ紙が配られる。各所で木箱が用意され、布が敷かれ、豆が広げられる。五千人分を供給するための同じ実験が始まっていく。生鮮食料品が戻るまでの空白を埋めるために、そして戻ったあとも揃わない日を支えるために、前線で豆が芽を出し始める。
◇◇
エミリアはグレンウッド領のグレンウッド邸に滞在していた。最近は王立大学校の用事で王都のグレンウッド辺境伯爵邸にいる日も多いが、今日は久しぶりに領内へ戻っている。午後の時間を使って、紅茶を片手に本をめくっていた。
廊下の足音が近づき、部屋の前で止まる。続いて控えめなノックが二つ、三つ。
「お姉様、オリビアです」
「どうぞ」
扉が開き、オリビアが顔を出した。背筋が伸びていて、勢いがある。挨拶より先に、目が言いたいことを言っている。
「お姉様。携行ケーキというものを聞きました」
「携行ケーキ?」
「はい。お姉様のところの……砂糖研究会で作ったって」
エミリアは本を閉じ、指先でしおりを挟んだ。言い方は落ち着いているが、内心では少しだけ身構える。妹のこういうときは、話が早い。
砂糖研究会と呼ばれてはいるが、最初から決まりや組織があったわけではない。エミリアがケーキを焼いたときの甘い香りに惹かれて、気づけば人(甘味の亡者)が増えただけだ。名札も規約もない。ただ、セリーヌ王女が「顧問ですわ」と名乗ったあの日だけは、外から見れば“研究会らしい形”に見えるのかもしれない。
「所属しているって言われると、ちょっと違うのよ。正式な団体というより、勝手に集まって、勝手に増えていった感じで」
「それでも、お姉様のところで作ったんでしょう?」
「まあ……そうね。結果としては」
オリビアは一歩踏み込んだ。声が少しだけ強くなる。
「どうして教えてくれなかったんですか。わたし、そういうの作るの好きなのに」
「忙しかったのよ。あれは、思いついたからすぐできるものでもなくて――」
言いかけて、エミリアは口を止めた。説明を始めると、今の勢いは止まらない。オリビアは腕を組み、首を少し傾ける。
「じゃあ、どうすればいいですか」
「……どう、って」
「わたしも混ざりたいです」
エミリアは瞬きを一つして、椅子の背にもたれた。ここまで来ると、もう結論は決まっている。
「研究会に入りたいの?」
「はい」
「なら、来ればいいわ。砂糖研究会は、申し込みの紙があるわけでもないし、名簿もきっちりしてない」
「じゃあ、連れて行ってくれますか」
オリビアは言い切る前に、少しだけ言葉を足した。
「……お願い、です」
エミリアは小さく息を吐いて、笑った。
「分かった。王都へ戻る日に一緒に来なさい」
「ほんとに?」
オリビアの声が少し明るくなる。エミリアは紅茶を一口飲んで、妹の顔を見た。
「ただし、研究会は単純じゃないわ。みんなそれぞれの専門家ですもの。それでもいい?」
「大丈夫です。むしろ、そういうのがいいです」
エミリアは頷いた。
「じゃあ、決まりね」
「はい。じゃあ……連れて行ってくれますね」
「ええ。一緒に行きましょう」
その日のうちに、砂糖研究会の話題がグレンウッド邸の食堂に一つ増えた。




