第16話 軍編成
王国軍の骨格は、長く変わっていない。
王国軍本軍は二万。第一軍一万、第二軍一万。編成の枠は第一軍、第二軍ともに同様とし、必要があれば任務を交代することもある。編成をそれぞれ別にしてしまうと、訓練も補給も命令系統も、入れ替えたときにまともに運用できなくなるからだ。
次に、自衛に各領の領軍がある。これは各領が独自に編成する軍で、隣国との境界に位置するような国では、それなりの自衛軍を持ち、王国軍本軍が到着するまで耐えるための軍である。これは、全部合わせれば、ざっと6万を動員できると推定されており、王国軍本軍と合わせると8万人、これがアヴァロン王国の全戦力である。ちなみに隣国と辺境を接するグレンウッド領では、最大5000人を動員できるように準備されている。
第一軍は主に王都と王宮の護衛が任務に組み込まれており、王族の親衛隊の色が濃い。平時に剣を抜く相手が外とは限らない分、統制と礼式が厳しい。誰の前で、どの列が、どの速度で動くか。そういう部分が評価されやすい軍だ。
第二軍は主に国境線の防衛を担う。敵の侵攻を止め、遅らせ、押し返す。外の泥と風に揉まれる軍で、同じ本軍でも空気が違う。
ただし、隣国が全力で押し寄せるなら話は別だ。その時は第一軍と第二軍を合わせ、場合によっては近隣の領軍も合わせて合同軍を編成する。王都の護りを残しながら、外へも出す。そのために、平時から枠組みだけは崩さない。
第一軍の大将は、陛下の弟君である王弟殿下――レオナール・ド・アルクール侯爵だ。王都と王の直衛を任せるなら、信頼できる血筋が一番安全であり、合同軍を編成するなら、間違いなく元帥に立つ位置だ。
そして、もう一人の王弟殿下――ジュリアン殿下は、少将として第一軍の下で前線寄りの大部隊を率いる。比較的現場の状況を聞いて、無理のある部分を直せる人物との評価である。過去には、大敗して壊滅状態だった大隊を立て直した功績がある。
エステルが普段見ている紙の束は、その骨格の上に積まれていく。誰がどこへ動くか。どの道が使えるか。どこが詰まるか。――机の上で、戦争の形が先に決まっていく。
参謀長室の隣の小部屋は、紙と蝋とインクの匂いが濃い。火薬も血もないのに、ここには戦争の前触れが積み上がっている。まだ開戦していない。けれど境界の向こうで相手が準備している、という報せは、もう何度も届いていた。
エステルは封筒をひとつずつ開け、内容を読み、種類ごとに分け、要点を短くまとめて父の机へ渡していく。父は参謀長として、報告を読むだけではなく、次に何を確認し、どこへ人を動かし、どの順で判断を重ねるかを決める立場だ。その判断の材料を、曖昧さの少ない形で揃えるのがエステルの役目だった。
斥候の報告は短い。官僚の報告は長い。だが長文の中身は、結局いつも同じところへ集まる。物資、道路、兵の数、そして「どこを押さえれば相手の動きが止まるか」。敵は王国軍全軍と真正面から戦う気が薄い、という匂いが行間に染みついていた。狙いは短期間で拠点を奪い、要所を固め、占領する。――そういう、短期決戦的な戦い方を狙っているらしい。
エステルは地図の上に報告の要点を書き込み、最後に指先で一点を押さえた。そこは街道が細く絞られる場所で、迂回路は雨季に沈む。橋も弱い。荷車が止まれば補給が止まる。
「……ここを塞がれたら、補給が詰まります」
言った瞬間、父が顔を上げた。エステルは「口を滑らせた」と自覚したが、父の目は怒りではなく、確認の目だった。
「どうしてそう言える」
「街道が一本しかありません。迂回路はぬかるみやすく、車輪が埋まります。ここの橋脚も弱くて、増便したら壊れる可能性が高いです。補給が滞る危険性があります」
父は短く頷き、隣の参謀に命じた。
「工兵に現地の見立てを取れ。橋と迂回路の耐荷重もだ」
夕方、父の机に司令部からの書状が届いた。封蝋の重みが、内容の種類を先に告げていた。
「これは司令部からだな」
父が封を切り、エステルに差し出す。エステルは目を走らせ、心臓が一段だけ跳ねた。
――軍士官候補生 採用試験 受験の上申について。
嬉しいというより、胃が冷えた。筆記試験は問題ない。数字の整理なら負けない。地図の読みもできる。だが軍は机の上だけで終わらない。
――最低限の自衛能力。前線における急襲や状況の急変に対し、自身の身を守れる程度の体力。
父は淡々と言った。
「頭は足りている。問題は体力だ」
その一言で、紙の上の未来が現場の現実へ変わった気がした。
◇◇
数日後、司令部は“前線を知る教官”を探し、砂糖研究会の縁からクラリス・バークレイ少尉に話が回った。
訓練場で、クラリスは最初から結論だけ言った。
「千回、木剣を振れるようになってね」
「……千回?」
「昔からある話よ。剣の訓練では百回やそこらは普通に振るわ。その程度は準備運動。そのあとで打ち合いをして稽古するの。千回なんて、思ったほど多い運動量じゃないわ」
エステルは木剣を受け取った。重い。重さが、腕の弱さをはっきり示す。最初の数十回で呼吸が乱れ、百で肩が上がらなくなる。頭の中では動きの要点が分かっているのに、身体が追いつかない。
クラリスは慰めを言わなかった。
「止めない。形が崩れたら、そこからやり直し」
稽古は地味で、残酷だった。手のひらに豆ができ、翌日には潰れて、また硬くなる。腕は熱を持ち、背中は張り、息は浅くなる。それでも回数だけは減らない。数える声が、途中から自分の意識を外へ押し出していく。
ある日、クラリスが木剣を肩に預けたまま言った。
「打ち込んできてみて」
エステルは踏み込み、当てるつもりで振った。クラリスは打ち込まれた剣を、くるりと払う。右へ、左へ。角度が変わるたび合わせ直すうちに、腕が熱を持ち、剣先がわずかに遅れた。
次の瞬間、クラリスの剣先がエステルの剣先を押さえた。叩き落としたわけではない。ただ押さえただけなのに、剣が上がらない。
「と、こうなるってわけね」
クラリスは剣を離し、平然と続けた。
「敵が一般兵くらいなら、剣で払う練習をしておけば一瞬の攻撃くらいは躱せる。でもそれは、最低限の筋肉がある前提よ。腕が上がらなくなったら、技も判断もそこで終了」
エステルはうなずいた。言い返す余裕がないのではない。言い返せないほど、正しかった。
◇◇
訓練が続いた頃、エステルは久しぶりに砂糖研究会の部屋へ顔を出した。用事があって行くつもりだったのに、扉の前で一度立ち止まってしまう。自分の足音が、前より高い。
中に入ると、甘い匂いと焦げた匂いが混じった空気が迎えてくれた。机の上には粉砂糖の小瓶と、焼き色の付いた試作品。いつも通りの光景……のはずなのに、視線が自分の腕に刺さる感覚がある。
「……え、エステルさん?」
最初に声を上げたのはフローレだった。口元に木べらをくわえたまま固まり、次に視線がエステルの肩から背中へ、そして腕へと滑っていく。
「その……服、きつくないの?」
「きついというか、前は余ってたところが……当たるようになっただけ」
今度はエルザが工具を持ったまま近づき、縫い目や布の張りを一目見て頷く。
「肩、幅が増えましたね。背中も。……姿勢まで変わってます」
エステルは反射的に背筋を伸ばした。伸ばした瞬間、周囲がさらに静かになった。静かすぎて、魔素の話題をしていたはずのエミリアまで手を止めてこちらを見ている。
ミレイユが小さく息を吸う。
「軍の訓練?」
「……うん。最低限、自分の身を守れないと駄目だって言われて」
フローレが目を丸くする。
「最低限って、どれくらい?」
「木剣を……千回」
一拍の沈黙のあと、部屋のあちこちから小さな「ひっ」という声が漏れた。
「千回……?」
エルザが真顔で頷く。
「千回は……工具でも嫌ですね」
「筋肉肥大の速度を考えると、数カ月でその変化は――」
「その変化の前に、息が上がって腕が上がらなくなりますよ」
エステルが真面目に返すと、今度こそ笑いが起きた。笑いが起きたのに、視線はまだ刺さったままだった。
フローレが急に口を押さえる。
「クラリスさんも相当だけど、エステルさんもいいかも」
◇◇
数カ月の訓練を経て、司令部の面談の日が来た。エステルは礼式通りに名乗り、質問に答え、最後に志望理由を問われた。素直に言った。
「皆が任務を滞りなく遂行できる命令を出せるようになりたいので、現場を知って勉強したいです」
面談官は一度だけ頷いた。
面談の帰り道、エステルは王立大学校へ寄った。砂糖研究会の部屋に顔を出すと、エミリアがいた。黒い粉を指に付けたまま、いつも通り研究の顔をしている。けれど、その奥には、まだ形にしきれていない重さが沈んでいるのが分かった。
「エステルさん? どうしたの」
「話を聞きたくて。……魔砲のこと」
エミリアは一瞬だけ瞬きをしてから、小さく頷いた。
「実物はここにはないよ。試作品でも、簡単に持ち歩けるようなものじゃないし」
「うん、分かってる。今日は話すだけでいい。試射で何が起きたのかと、本番でどこまで行きそうかを教えて」
エミリアは少し息を整え、机の上に紙を引き寄せた。説明するための紙だ。
試射で焦土になった範囲は十メートル四方。草が消え、土が焼けたということ。轟音は外へ漏れたが、敵にも味方にも中身はほとんど知られていないこと。事実上知っているのはセリーヌ王女だけで、軍の多くは「何か魔法兵器を開発しているらしい」程度の噂で止まっていること。
「当初の予定では、あの火力を十倍くらいにするつもり。縦横長さがそれぞれ二倍ちょっと増えるから、試作の十×十が、本番では三十×三十くらい焦土になりそう」
三十メートル四方。それだけあれば、密集隊形の一部を飲み込むことができる。
エステルは言葉を絞り、位置づけだけを置いた。
「密集隊形が野戦で一番強いのは昔も今も同じだよ。槍隊や弓隊を含めた重装歩兵が密集陣形で突撃して、真正面から相手の隊列を潰す。それが、戦争の勝敗を決める形になる。敵もそれをやるし、こちらもそれをやる前提で隊列を組むんだ」
「その勝敗の決め方を、あなたの魔砲は変えられるかもしれない。密集しているから強い隊形は、密集しているからこそ、面で削られると崩れる。初撃で何割か削れたら、それは人数が減るだけじゃない。命令系統や機能が壊れて、突撃が突撃として成立しなくなる」
エミリアが唇を噛む。
「……でも、まだ試作品だし」
「だからこそ、使い方を先に決めないと危ない」
エステルはそこで、いちばん大事な“基本の使い方”を短く置いた。
「遠距離の武器は、戦いの最初に使う。だから魔砲も、最初に撃つ武器になる。逆に、乱戦になったら捨てて退くしかない。砲を守って人が倒れるより、人を残して立て直す方が軍は維持できるから。だから撃つ前に決めるのは、『どこまで来たら砲を諦めるか』だよ。誰がその判断をするのか、判断したらどこへ下がるのかも、先に決めておく」
「……ありがとう。撃てるようにすることばかり考えてた」
「うん。撃つだけじゃ終わらないからね」
エステルはそう言って、エミリアの引いた三十メートル四方の枠をもう一度見た。紙の上の線は細いのに、その中身は重い。
「次に話すのは、使う前にまた機会があればいいね。今は……この大きさを、忘れないで」
エミリアが小さく頷く。エステルも頷き返し、紙を畳まずに机の端へそっと戻した。
外へ出ると、冬の空気が冷たかった。




