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第15話 試射

 霜の残る草原は、音が少ない。踏みしめた草がかすかに鳴り、風が低い音で林を撫でるだけだ。人の気配が薄いぶん、こちらの息づかいと道具の音がやけに大きく感じられる。


 グレンウッド領の外れにある使われていない荒れ地を、エミリアは試射の場所に選んだ。ここなら人里から距離があり、万が一が起きても巻き込みが少ない。そう考えたからだ。


 今から撃つのは小型の試作魔砲であり、魔力放出時に生じる熱を利用して対象を焼く兵器である。人類や魔獣は、魔力を火炎魔法――いわゆるファイアボールのような形で使うことが多い。他にも利用法はあるが、熱による攻撃はもっとも単純で、しかも効果が高い。そして魔砲も、その熱を使用した攻撃法の一つだった。


 今日ここにいるのは、軍というより、研究と工房の延長のような顔ぶれだった。ヘンリーがいる。鉄の専門家だから、砲身や砲架が耐えられるかを先に見抜けるし、危ないかどうかを落ち着いて判断できる。侍女のアニーとベラもいる。二人はエミリアの傍にいるのが仕事だが、今日は補助として現場の手になる。それから、グレンウッド領と縁の深い魔道具工房から借りてきた技師が一人いて、普段は治具や軸受を整え、若い者に道具の扱いを教えている人だった。彼の後ろには板を抱えた見学の若者が一人だけいて、記録役として線の外に座ることになっている。


 エミリアは砲身へ近づきすぎない距離を保ったまま、皆に向けて言った。


 「今回のこれは、1号型です。小型の試作品で、目的は最低限の点火と、それに伴う

威力と挙動の確認です。撃てるかどうか、どのくらい広がるか、危険の形がどのようになるかを確かめるために作りました」


 工房の技師が静かに頷いた。


 「今日は狙いを付けるのではなく、撃てるかどうかを見て、次の設計に必要な情報を集める実験ということですね」


 「はい。……隣国が戦争の準備を始めているという話が出ています。まだ確かなことは分かりません。規模も時期も分かりませんが、分からないからこそ、必要になった時に間に合うように、いまのうちに作って確かめて次へ進めておきたいのです」


 口にした瞬間、胸の奥が冷えた。噂話にしたくない言葉ほど、現実を連れてくる。それでも言葉にしないと、今日やることの意味が浮ついてしまう。


 ヘンリーが岩を指さして言った。


 「最初は、この岩の前に据えよう。砲架が耐えきれなくて動いても、岩に当たる。もちろん、あちこちに杭を打って徹底的に縛り付ける。撃つことより、暴れたときに人に向かないことが先決だよ」


 工房の技師も頷いて補った。


 「線を引きます。人は線の外にいてください」


 アニーとベラは杭の位置を覚え、縄を手渡し、結び目を確認した。二人の動きは無駄がない。研究室で危険な器具を扱う時と同じ静かな手つきで、作業の途中に余計な言葉を挟まない。記録役の若者は線の外に座り込み、板を膝に置いた。風向を見るための細い布が揺れるたびに、炭の棒が動き、短い記号が増えていく。


 エミリアは全員に改めて言った。


 「合図は二段にします。白旗が準備完了で、赤旗は中止と退避です。赤が出たら理由は聞かなくていいので、線の外へ逃げてください」


 「承知しました」


 ヘンリーも技師も、声を揃えずに答えた。揃えないのが良い。個々が理解している証拠だからだ。


 準備が整うと、草原の静けさが戻った。静けさは、これから破るためにある。


 エミリアは耳栓を押し込み、耳栓の上からさらに手で耳を塞いだ。祈りのように見える自分の仕草が少しだけ嫌だったが、祈っているのではなく確認しているのだと、自分に言い聞かせることで息を整えた。


 「……撃ちます」


 この声だけは高く響いた。


◇◇

 砲口の奥で熱が一気に立ち上がり、続いて空気が膨らむ前触れのような圧が来る。コールタールとアスファルトは燃え上がるためではなく、吹き出させるために入れてある。白熱した魔石の高温に触れた瞬間、それらは液体の形を保てず、ほとんど一瞬で気化して膨張し、砲の中に押し広げる圧になる。


 その圧が魔石を粉砕しながら押し出した。粒と破片が熱を帯びたまま噴き出し、同時に気化した成分が霧のように広がる。霧は空気を吸って混じり、条件が揃った瞬間に燃焼へ移る。燃えるというより高温のガスに移行する、と言ったほうが近い。


 空気が膨らみ、その膨らみが衝撃になった次の瞬間、音が来た。耳ではなく胸に当たる音だった。雷が落ちる時の衝撃波に似ている。地面の霜が跳ね、草が伏せ、息が一瞬止まる。


 理解が追いつかないまま、結果だけが先に見えた。百メートルほど先で草原の草が黒い焦土と化した。燃え方は点ではなく扇形に広がり、最大で十メートルほどまで幅が広がって、風に煽られて燃える線がじわりと走る。薄い黒煙が上がり、燃え方が穏やかに見えるのがかえって怖かった。焼ける面積が大きいほど火は静かに見えるのだ。


 火の扇が草原に刻まれていくのを、エミリアは言葉もなく見た。刻まれた形はすぐには消えず、それは兵器の結果というより、土地の記憶のように見えた。


 「……成功、です」


 エミリアはそう言ったが、喜びは追いついてこなかった。成功という言葉が口の中で乾いていく。ヘンリーが燃える扇形を見たまま低く息を吐き、「小型、だよな」と確かめるように言った。


 「小型、のはずです」


 答えながら、エミリアは自分の指先が震えているのに気づいた。指を握って開いても震えは止まらない。寒さではない。怖いというより、身体が勝手に反応している。工房の技師は歓声を上げず、縄の張りを目で追い、楔の位置を順に確認した。記録役の若者は板に何かを書こうとして手が追いつかず、いったん呼吸を整えてから炭の棒を動かした。アニーは黙って外套をエミリアの背に掛け直し、ベラは唇を噛んで、視線を燃える面から外せない。


 ヘンリーが、ようやく言葉を続けた。


 「いま見た通りだ。百メートル先であれだけ燃える。だから固定が甘いと怖い。砲が暴れて向きを変えた時、その距離がいきなり縮む。近い距離で同じことが起きたら、避けるという発想が間に合わない」


 エミリアは頷いた。威力は強い弱いで終わらせられない。広がり方、燃え方、風の影響、音の届き方。人が扱えるかどうかは、そこに全部ぶら下がっている。


 燃える扇形を見ながら、エミリアは喉の奥が乾くのを感じていた。自分は剣を握って前へ出られる人間ではないと、よく分かっている。誰かを斬って道を開くこともできない。だからこそ距離が欲しかった。遠くから届く力があれば、自分が前へ出なくても戦いが成立する。その代わり、届く力は間違いなく人を焼く。いま目の前で燃えている草が、その事実を静かに教えていた。


 「これで次に進めます。戦争の規模も時期も分かりませんが、これを下に2号機を設計します」


 火の音は小さい。ぱち、ぱち、と乾いた音が遠くで続くだけだが、それでも、あの音が遠くまで届くことをエミリアはなぜか確信していた。


◇◇


 王都の窓は堅牢であることが誇りだ。厚い硝子と分厚い枠と頑丈な留め具で、風が鳴っても簡単には揺れない。ところが昼間の空気の中で、雷とも違う腹に落ちる音が一度だけ走り、その直後に硝子が小さく震えた。書類の端が持ち上がり、羽ペンの先が一瞬だけ紙を外れる。


 官僚が固まり、衛兵が互いの顔を見た。誰も「何が起きた」と言えない。言った瞬間に責任が生まれるからだ。その沈黙の中を、早足の足音が切った。


 セリーヌ王女は立ち止まらない。扉の前で状況を問うより先に、廊下の空気を読み取ってしまう種類の人間だった。


 「いまの音、報告はありますの」


 随行の侍従が息を整えながら答える。


 「まだ正式な報告は上がっておりません。ただ、王都の外、西方からのようです。窓が鳴ったという声が複数から届いております」


 王女は眉を動かさないまま命令を置いた。


 「騎士団長。出動。西方へ。原因の確認と、発生源の身柄確保。首謀者が貴族であっても例外なし。確保は生存優先で、抵抗させないこと」


 騎士団長が一礼し、「承知いたしました。人数は」と尋ねると、王女は迷いなく答えた。


 「必要なだけ。早さを優先します」


 官僚が半歩踏み出し、「殿下、軍の判断を待つべきでは――」と言いかけたが、王女の視線が一度だけ官僚を通り過ぎた。見ているのに相手が視界に入っていないような目だった。


 「軍はまだ何が起きたかを知らないでしょう。知らない間に噂は先に走ります。走った噂が先に軍を動かすこともあります。なら、私が先に押さえます」


 王女は続けた。


 「王都の窓が鳴りました。これは気象かもしれませんし、かけ崩れ、あるいは敵の攻撃かもしれません。何が原因かで意味が変わります。だから先に情報を押さえます」


 騎士団長が踵を返して去った。


◇◇


 揃った馬蹄の音が草原に入ってきた。迷いのない速度で、隊列の乱れがない足音だった。さっきまで火の様子を見ていた頭が、別の規則に切り替わるのをエミリアは感じる。


 騎士団だった。王家の印を付けた旗はなくても、装備と立ち居振る舞いで分かる。先頭の騎士が下馬し、礼儀正しく距離を取って頭を下げた。


 「失礼いたします。エミリア・グレンウッド殿でいらっしゃいますね」


 丁寧な声だった。丁寧すぎて、ここが火の跡の前だということを一瞬忘れそうになる。エミリアは反射で姿勢を正した。自分でもなぜそうしたのか分からないが、丁寧にされると丁寧に返してしまう。


 「……はい。私がエミリアです」


 騎士は頷き、同じ調子で続けた。

 

 「王都へお越しいただきます」


 「王都、ですか。いま?」


 聞き返すと、騎士は申し訳なさそうに眉尻を下げた。


 「はい。大変恐れ入りますが、いまです」


 恐れ入りますと言いながら、足は一歩も引かない。丁寧さだけが前に出て、肝心の選択肢は最初から存在しない。アニーが半歩出かけ、ベラも後ろに付こうとしたが、騎士は手のひらを軽く上げて制した。


 「侍女のお二人は同行できます。ただし、動きは我々の指示に従ってください」


 「同行できるのは、ありがたいですけれど……」


 ベラが言いかけたところで、エミリアは言葉を整える。


 「私は歩けます。自分で行けます」


 騎士は深く頷いた。


 「承知しております。しかし、申し訳ありません。今回は確実を優先いたします」


 確実という言葉が出た瞬間、左右から別の騎士がすっと寄ってきた。寄ってきた動きがあまりに滑らかで、断るための間がなかった。


 「え……」


 両腕を肘のあたりから丁寧に持ち上げられ、エミリアの足が地面を離れる。


 「ちょっと待ってください、私……っ」


 声が裏返った。礼儀を守ろうとした努力だけが宙に浮いて、身体も宙に浮いた。


 「落ち着いてください。痛くはいたしません」


 「痛いとかそういう話では……!」


 ぶらーん、と身体が揺れ、視界が少し高くなる。燃える草原が遠ざかっていくのが見えるのに、怖さは遠ざからない。アニーが顔色を変え、思わず声を掛ける。


 「お二人とも、腕の角度だけは……! お嬢様、あとで痣になりますので……!」


 騎士が真顔で頷く。


 「承知しました。角度を調整いたします」


 「そういう問題ではないのですが……!」


 ベラが口元を押さえた。その漏れ方が場の緊張を一瞬だけほどいた。ほどけたぶん、いまの状況がはっきり滑稽に見えてしまう。


 工房の技師がぼそりと言う。

 

「さっき魔砲を撃っただけで、ここまで早いのか」


 先頭の騎士が天気の話のように答えた。


 「王都で窓が鳴ったそうです。殿下はそれで動かれました」


 エミリアはぶら下がったまま目を見開いた。窓が鳴ったというだけで王女が動いたのだ。軍でも官僚でもない速度で。


 馬へ移される時も騎士は丁寧だった。丁寧で逃げ道がない。その丁寧さが、エミリアには怖かった。


◇◇


 王宮の石畳は音がよく響いた。甲冑の擦れる音、靴音、息の音が整いすぎていて、逃げ場がない。エミリアは歩ける形に戻されている。二人の騎士に拘束されている。そう思うと、喉がさらに渇いた。


 扉の前で止められ、整えられ、深呼吸する暇もなく押し出される。部屋は広く天井が高い。灯りは落ち着いているのに空気だけが冷たく、その奥にセリーヌ王女がいた。


 椅子に座っているだけなのに、場の温度がそこだけ違う。怒鳴られていないのに叱られている気配があり、笑っているのに笑えない。怖いのはその目だった。


 騎士が礼儀の型通りに膝をついた。


 「殿下。対象、確保いたしました」


 エミリアは膝が勝手に曲がりそうになるのを必死でこらえた。こらえた結果、変な姿勢になり、アニーが背中をそっと押してようやく礼を作る。


 セリーヌ王女の声が落ちた。静かで、薄く、逃げ道がない。


 「エミリア・グレンウッド」


 名を呼ばれた瞬間、さっきまでの草原も火も全部が遠くなった。残ったのはこの部屋の冷たさと、自分の喉の渇きだけだった。


 「……はい」


 セリーヌ王女は言った。


 「砂糖研究会の席で、あなたが鉄と砲の話をしていたのを、私は聞いています」


 そこで一拍、間が落ちる。怒っているより先に、整理が終わっている間だった。


 「王都の窓が鳴りました。――説明してちょうだい」


 後にエミリアは、生涯でもっとも恐ろしいものを見たと語った。


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