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第13話 鉄と炭素

 砂糖研究会の机の上には、相変わらず甘い匂いが漂っていた。焦がし砂糖と、焼き菓子と、薬品の匂いが同居する、あの研究会特有の空気だ。


 その中でエミリアが、いつもの調子で言った。


「魔砲を作ろうと思うと、砲身を頑丈に――鉄か何かで作ってもらわなきゃならないの」


 研究会の一人が、いかにも物語の王道という顔で頷く。


「鍛冶屋に発注するんですね」


 ジュリー・ベルナール(話が“それっぽい展開”に乗ると先回りして口にする子)だった。


 その瞬間、周りもつられて頷きかけた。甘味の会合でも、剣と鍛冶の話は通じる。鉄といえば鍛冶屋。常識である。


「うん」


 エミリアは否定しなかった。否定しないのが、たちが悪い。


「婚約者が鉄関係の仕事をしていてね」


 途端に、空気が恋バナに傾きかける。


「えっ、鍛冶屋さん?」


「……鉄関係」


 眉をひそめたのは、マルゴ・デュラン(整合が崩れるとすぐ気づく子)だった。


「でも、貴族の辺境伯爵家の令嬢の婚約者が鍛冶屋って……釣り合わなくない?」


「釣り合うかどうかは知らないけど、仕事は本当に鉄よ」


 エミリアは平然と言う。


「ここで働いてるの」


 彼女は紙束を取り出した。地図――というより、設備図に近い。図面の線が多くて太い。さらに見たことのない記号がある。


「へえ、鍛冶場の地図なんだ」


 誰かが勝手に納得した。


 エミリアは、その紙を広げる。皆が覗き込む。


 そして、全員が黙った。


 そこに描かれていたのは、鍛冶場ではない。裏庭にあるような炉でもない。山の斜面に沿って組まれた石積み、塔のように立ち上がる炉の断面、下から空気を押し込む送風口。鉄が溜まる“底”の絵。


「……でっか、この小さい印が人間1人分の大きさよね?」


 誰かが正直に漏らした。


 エミリアは淡々と言う。


「高炉」


「こうろ?」


「鉄を作る炉。製鉄所」


 砂糖研究会の面々は、甘味の席で“国家の威信”を見せられた顔になった。


 翌日、彼女たちはその製鉄所へ連れて行かれた。


 近づくほど、音が大きくなる。金床の音ではない。水車が回る音、風が押し込まれる音、炉全体が唸るような低い響き。空気に煤の匂いが混じっている。土と石と火の匂い。甘い匂いは一切しない。


 見上げるような炉があった。十メートル近くある。山の斜面を背にして立っているのは、重さと熱を受け止めるためだろう。炉の下部には開口があり、そこへ空気を押し込む設備が繋がっている。水車と、ふいごと、歯車と、人。


「村の鍛冶屋のレベルじゃない……」


 誰かが呟いた。


 エミリアは頷く。


「そう。鍛冶は“鉄を形にする”仕事。ここは、鉄そのものを作る場所」


 製鉄というのは、どうしても巨大になる。小さければ小さいほど、熱が逃げてしまって温度を保てないからだ。東洋のたたら製鉄だって、人の背を超える炉が要る。鉄は、こぢんまりとした炉では生まれてくれない。


 そこへ、煤の匂いをまとった青年が現れた。革前掛けではなく、厚手の手袋と帳面を持っている。鍛冶師というより、工房の監督に近い。


「来てくれたんだね。危ないから、線から先には出ないで」


 ヘンリーだった。


 砂糖研究会の“王道の恋バナ担当”が、遅れて反応する。


「えっ、ヘンリーさんって……鍛冶屋じゃ」


「違うよ?」


 あっさり言われて、ジュリーが小さく崩れ落ちそうになった。


「僕は製鉄所の技術員。高炉担当」


 ヘンリーは高炉を指差す。


「ここでは、鉄鉱石から銑鉄を作る。――最初にできる鉄が銑鉄、という言い方もするけど、正確には“銑鉄が先に溶けて流れ出る”んだ」


「先に?」


 クレマンティーヌ・ロシュ(疑問を真正面から投げる子)が、すぐに食いついた。


「鉄にも、溶けやすいものと溶けにくいものがある。炭素が多いと、比較的低い温度で溶ける。だから高炉の中で溶けやすいものから溶け出して、下に溜まるのはまず銑鉄になる」


 ヘンリーは、炉の断面を指でなぞるように説明した。


「高炉の中には炭素がたくさんある。だから、もし鋼に近い状態や、もっと炭素の少ない鉄が一瞬できたとしても、長くそこにいれば炭素が染み込んで、結局は銑鉄に寄っていく。高炉は“銑鉄を取り出す装置”なんだ」


 砂糖研究会の面々は、揃って頷いた。分かったような顔だが、半分いけばいいほうだろう。


「で、鉄鉱石ってほとんど鉄錆なんですよね?」


 クレマンティーヌが質問を投げる。砂糖研究会らしい、現象の突き方だ。


「そう。黒錆や赤錆。酸化鉄だ」


「じゃあ、どうやって錆から鉄にするんですか?」


 ここでヘンリーは、言葉を慎重に選んだ。燃焼のための空気や、炭素を含んだ熱い気体――高炉の中は複雑だ。


「炭の強い火の中だと、錆は長く錆ではいられない。鉄に戻ろうとする。その“戻る”のを助けるのが炭の火で、だから高炉には炭やコークスを使う」


 そして、声を少しだけ強めた。


「それと――水分は絶対に嫌われる」


「水分?」


「ちょっとでも水が残っていると、せっかく鉄に戻りかけたものが、また錆に引き戻される。だから場所によっては、鉄鉱石やコークスを高炉に入れる前に加熱して、水を飛ばすところもある。地味だけど、効く」


 料理担当のフローレが、ぼそっと言う。


「下ごしらえ……」


「似てるね」


 ヘンリーは笑う。だが笑っても炉は待ってくれない。


 その時だった。


「せんぱぁぁぁい……!」


 甲高い声が、炉の脇の建屋から飛び出してきた。


 若い女性が駆けてくる。煤が頬に付いているのに拭う余裕もない。目が赤い。泣きかけているというより、もう半分泣いている。


 レオニー・シャルパンティエ(反射炉担当の後輩。親方の弟子で一通り学んでいるが、親方不在の今日は判断の重みで泣きが入っている)だった。


「反射炉が……反射炉が言うこと聞いてくれないんですけどぉ……!」


 砂糖研究会が一斉に固まった。“反射炉”という単語が、甘味の会合には馴染まない。


「……反射炉?」


 クレマンティーヌがすかさず拾う。


 ヘンリーが頭を抱える。


「親方は?」


「今日お休みです……! 一応、私は弟子ですけど! でも、今日に限って!」


 レオニーは必死に言う。言い訳ではなく、状況報告だ。現場の人間の叫びは、だいたい状況報告になる。


「反射炉は、鉄を直接加熱する炉じゃないんです。火の熱気を天井で反射させて、間接で鉄を溶かすんです。だから炉全体の熱量が、ものすごくて……!」


 砂糖研究会の面々は、聞きながら顔を引きつらせた。熱量がものすごい、という表現が軽くない。


「溶けたところで、今度は鉄の下から空気を吹き込んで、炭素を燃やして減らすんですけど……鉄が固まってたら、空気なんて入るわけがないんです!」


 レオニーが泣き声で続ける。


「入れるなら高圧で押し込まないといけない。でも無理に押し込んだら配管が破れるし、継ぎ目が抜けるし、親方がいないし……!」


 ヘンリーは、砂糖研究会の方を一瞬見てから言った。


「今のが、製鉄と精錬が別である理由の見本だよ。高炉は“鉄を生む”仕事。反射炉は“鉄の性質を決める”仕事。だから難しくなる」


 エミリアが頷く。


「精錬ね。炭素を調整する」


 ヘレーネが、覗き穴の前へ進み出た。工学系女子の顔だ。仕組みを見れば、問いを投げる。


「お聞きしますが、温度はどうやって測ってますか?」


 レオニーは涙目のまま、覗き穴を指す。


「炉の覗き穴の光を見るの。オレンジ色の具合で決まるわ」


「もっと温度を上げると、どう変わりますか?」


「黄色から白に近くなっていく、でもあまり高温にすると熱を反射させる耐火レンガが保たない」


 ヘレーネは頷いた。数字はない。だが段階はある。


「素人の推測ですが……一度黄色くらいまで上げて、空気を吹き込めるようになってから、オレンジ色まで温度を下げるというのはありですか? 空気が入れば、鉄の炭素そのものが燃えるでしょうから、そこでも熱が出ますよね」


 レオニーは、すぐには否定しなかった。否定しない時点で、可能性がある。


 ヘンリーが、その意見に肯定の頷きを返した。


「筋はいい。黄色まで上げてもすぐに駄目になるわけじゃない。黄色まで上げて“溶け”を作る。空気が溶けた鉄の中を通り始めたら炉の温度を下げる。炉壁を壊さないように黄色はできるだけ短時間に留めるのはありだな」


 レオニーは一度息を吸い、現場の声に戻った。


「……空気が入るまで黄色を維持。入ったら、炉の空気を絞ってオレンジまで落とす。やるわ」


 作戦が始まった。


 レオニーの指示に従って、工員たちが動く。コークスが次々と投入される。山のように積まれた黒い塊が、投入口から飲み込まれていく。熱量が大きいぶん、必要な空気量も大きい。ふいごの側では十人ほどの工員が汗まみれで機構を回し、押し、合わせていた。


 ごう、という音が増す。燃える音ではない。炉全体が唸っている。


 覗き穴の光が、オレンジから黄色へ寄っていく。


 しばらくして、ふいご側の工員の一人が、大きく手を上げた。続けて、もう一人。さらにもう一人。合図が連鎖する。


 レオニーが鋭く顔を上げる。


「……入ってきた」


「空気が?」


 砂糖研究会の誰かが思わず聞く。


「鉄溜まりに空気が通り始めた合図よ」


 レオニーは覗き穴を凝視したまま、口だけで答えた。


「……親方のタイミングなら、もう一息待ってたはず」


 黄色を維持する時間は、炉壁の寿命を削る時間でもある。その“もう一息”が怖い。


 次の瞬間――鉄溜まりの方に、空気が届き始めた。


 覗き窓の奥で、内部が激しく燃え上がる。火花が散る。鉄の中で、炭素が燃えている。燃えた分だけ、鉄の性質が変わっていく。


「来た」


 レオニーの声が少し震えた。


「よし、炉の火力を絞って!」


 ふいご側の工員たちが即座に動く。音が変わり、唸りが低くなる。覗き穴の光が黄色から少しずつオレンジへ戻っていく。


 熱を下げたのに、火花は消えない。鉄そのものが燃えている。炉の熱ではなく、鉄の中の炭素が、仕事をしている。


 レオニーはやっと息を吐いた。


「……これなら、炉壁が耐えきれる」


 ヘンリーが短く言う。


「よくやった」


◇◇


 砂糖研究会の面々は、ようやく息ができるようになった。

 そして気づく。


 気づいたときには、もう遅い。


 この日の午後は、まるごと炉に吸い取られていた。


 誰かがぼそっと言った。


「……製鉄所見学って、午後が溶けるものなんだ……」


 ここで現実に引き戻す声を出したのは、サラ・モロー(場を戻すツッコミ役)だった。


 エミリアは覗き穴から目を離さず、淡々と答えた。


「溶けてるのは午後じゃなくて、鉄よ」


 軽く笑いが起きた。だが、その笑いは長く続かない。


 炉の唸りが少し落ち着いたあたりで、レオニーは覗き穴の光を見つめながら、小さく呟いた。


「……親方なら、多分、黄色とオレンジの間の絶妙な所に調整したんだろうな。炉を傷めない温度で、燃料も無駄にしないで……」


 ヘンリーは、頷いてから言った。


「たぶんね。親方は“壊れない温度”と、“もったいなくない温度”を狙う。あれは技だ」


 それから、言葉を少しだけ柔らかくして続ける。


「でも、今日は君一人だ。親方の目と勘まで真似しようとすると、逆に炉を壊すかもしれない」


 レオニーが唇を噛む。


「……」


「もったいないのは分かる」


 ヘンリーは炉の方へ視線を戻した。


「けど、今日はちゃんと燃料を焚こう。黄色で扉を開けて、空気が入ったら落とす。炉壁を守って、事故を出さない。まずそれを成立させる」


 レオニーは、短く息を吐いた。


「……はい。今日は、成立を優先します」


 ヘンリーは小さく頷く。


「それでいい。燃料代は稼げるけど、炉が壊れたら簡単には戻らないから」


「はい、ありがとうございました」


レオニーは、頭を下げると反射炉の方に戻っていった。


◇◇


 覗き穴の光を見ながら、クレマンティーヌが次の疑問を投げる。


「ねえ……さっきから出てくる“炭素”って、結局なんなの? そんなに大事?」


 ヘンリーは、炉から少し離れて答えた。ここから先は、今の騒ぎの“意味”の話になる。


「大事だよ。炭素の量で、鉄の性格が変わるから」


 彼は指を三本立てた。


「まず、炭素が多すぎると――銑鉄。硬いけど脆い。落とすと割れる。剣にしたら砕ける」


「でも溶けやすいから、高炉では先に溶けて流れる」


 ヘレーネが復唱する。理解の確認だ。


「そう」


 ヘンリーは頷く。


「次が、鋼鉄。炭素を適量にした鉄。ここに幅がある。刃物用は切れ味寄り。バネ用は戻る力が欲しいから、少し性質が違う」


「同じ鋼でも同じじゃないのね」


 エミリアが言う。


「そう。そして――」


 ヘンリーは最後の一本を立てた。


「炭素をさらに減らすと、低炭素鉄。柔らかくて加工しやすい。針金や金具、台枠などに向く。曲げられるから、いきなりぽっきり折れることは少ない」


 砂糖研究会の面々は、ようやく頷いた。

 硬い、切れる、粘る。

 その順番が、炭素の量で決まる。


「じゃあ……」


 クレマンティーヌが、核心に触れる。


「魔砲の砲身は、どのへん?」


 ヘンリーは迷わず答えた。


「刃物用の鋼じゃない。もう少し炭素が少なめで、粘る鉄。割れにくさ優先」


 エミリアは静かに頷いた。ここまで来ると、もう強いとか弱いだけでは語れない。


 必要な性質を、必要な工程で作る。

 それを成立させること自体が、技術だった。


 炉の火は、まだ生きている。

 覗き穴の光は、オレンジに落ち着いていた。


 砂糖研究会の誰かが、半ば放心して言った。


「……鍛冶屋に頼むってレベルじゃなかった……」


 エミリアは、淡々とまとめる。


「鍛冶は最後。

 その前に、鉄が“生まれて”、性質が“決まって”、ようやく形になる。

 魔砲は、その全部が必要なの」


 その言葉に、砂糖研究会の面々は頷いた。甘い世界に戻っても、今日の熱はしばらく残るだろう。


 午後が溶けたのは、冗談ではなかった。

 溶けた鉄の向こう側に、工程の深さが見えたからだ。

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