第9話 「そこの柱の陰にいるジャージの物体は何だ? カビか?」「ふぁっ!?」
「いいこと?」
私はジト目でミナを見る。
私の「嫌な予感」の命中率は、天気予報より高い自信がある。
「いいから来て! 善は急げだよ!」
ミナは私の腕を強引に引っ張る。私は痛む頬をさすりながら、小脇にうずくまるモフ太を抱え直した。エレナに叩かれたところが、まだズキズキする。
「ちょ、どこ行くの。私のメンタル、ゼロだから。ベホマ唱えても回復しないレベルだから」
「うちの店!」
「は? ミナんちのコスメショップ? 行かない! あそこガラス張りじゃん! ジャージで入ったら『不審者発見』でセ〇ム呼ばれるわ!」
ミナの店はオシャレだ。キラキラした瓶、良い匂いのする空間。私みたいな日陰者が入れば、光の浄化作用で消滅してしまう禁断の地。
「大丈夫だって。今、ちょうど兄貴が帰って来てるから」「お兄さん? どんな人?」
ミナはニヤリと笑った。
「毒を以て毒を制す、最強の劇薬」
♢ ♢ ♢
「いい、モフ太? 絶対に声出すなよ……!」
「キュ!」
ミナに腕を引かれながら、私はモフ太を盾にしてお店に入った。
店内は、相変わらずキラキラの結界が張られている。
ミナは迷いなく「Staff Only」と書かれたドアを開け、そのさらに奥にある、別ドアを開けた。プシュウ、と空気が抜けるような音と共に、アロマの香りとは違う、もっと鋭い薬品のような匂いが鼻をくすぐる。
「お兄、入るよー」「……ノックくらいしろ。作業中は入るなと言っただろう」
部屋の奥、ガラス越しのデスクにその人はいた。
「しがない兄貴のキョウヤです」とミナ。
「しがないは余計だ」
白衣に眼鏡。切れ長の目。計算され尽くした黒髪のセンター分け。顕微鏡を覗き込むその横顔は、神様が気まぐれで『美貌』のステータスをカンストさせたような造形美。
年齢は25くらいだろうか。凡人が足を踏み入れたら凍り付いてしまうのでは?と思わされるほど、完璧主義のオーラを放っている。
(イケメンだ……。直視したら両目が焼けるタイプのガチのやつだ……)
私は反射的に、腕の中のモフ太を持ち上げた。モフ太のモフモフしたお尻と尻尾で、自分の顔を完全に隠す。これぞ奥義・『モフシールド』! 今の私はただのジャージを着た足だ。顔はない。
「チッ……計算が合わない。天然香料の配合比率を変えても、吸着率が0.02%もズレる。既存のポリマーじゃ限界なのか……? 湧き水を使ったオーガニックラインは失敗か」
キョウヤさんはフラスコみたいな容器を光にかざし、この世の終わりのような顔をしていた。イケメンが眉間にシワを寄せると、彫刻みたいで怖い。
「お兄、またブツブツ言ってんの? キモいよ」
ミナが容赦ない言葉を浴びせる。
「邪魔をするな。僕は今、開発中の美容液が理想のテクスチャにならなくて、極めて機嫌が悪い」
「はいはい」
どうやらミナのお兄さんは、化粧品メーカーの〝中の人〟らしい。オーガニックうんたら言ってたから、田舎を活かした化粧品開発でもしてるんだろう。
「で、そこの柱の陰にいるジャージの物体は何だ? カビか?」
ギクリ。
キョウヤさんの鋭い視線が、私に突き刺さる。私はさらにモフ太を顔に押し付けた。モフ太が「ギュ」と苦しそうな声を上げる。
「あ、えっと……裏山のJKです……」
「……そうか。営業妨害だから帰ってくれ。君にかまっている時間はない」
キョウヤさんは私を一瞥しただけで、興味なさそうに視線を戻した。
(帰ろう、モフ太。お家でサバ缶食べてアニメ観よう! )
私がきびすを返そうとした時、ミナが叫んだ。
「お兄! これ見てよ!」
ドンッ。
ミナがデスクの上に叩きつけたのは、さっき私がスライムから採取した『ジェル』。その小瓶。
「なんだそれは。市販の安いジェルなら間に合ってる……」
キョウヤさんが冷たく眼鏡を光らせた、
と思いきや、
「…………ッ!?」
キョウヤさんの顔が、釘付けになった。
切れ長の目が見開かれ、指先が震える。彼は無言のまま、そのジェルを親指と人差し指で擦り合わせ、伸ばし、匂いを嗅いだ。
「な、なんだこのテクスチャは……! ありえない……! 弾力があるのに、体温で瞬時に液状化して浸透する!? シリコン? いや、完全な天然由来……? ヒアルロン酸の百倍以上の保水力……!」
ガタッ!
キョウヤさんが猛烈な勢いで椅子を蹴って立ち上がった。さっきまでのクールな態度はどこへやら、獲物を狙う狩人の目だ。
「ミナ! これをどこで手に入れた! どこのメーカーだ! いや、国内じゃない。NASAか!? NASAが開発したのか!?」
「あー、それ持ってきたの、そのジャージの子」
「き、きみ……!」
キョウヤさんがデスクを回り込み、私の目の前に立った。近い。顔がいい。オーラが強い。無理、蒸発する。
「これを、どこで手に入れたんだ!」「ふぁ、ふぁい……」
モフ太を盾にしたまま後ずさる。スライムの鼻水です、とは死んでも言えない。
「ひ、秘密です……企業秘密……」
「秘密……そうか、独自のルートがあるんだな」
キョウヤさんは私の肩をガシッと掴もうとして、モフ太に「ウーッ!」と威嚇されて手を引っ込めた。
「頼む! この素材を僕に譲ってくれ! これがあれば、僕のブランドは世界に行ける! いくらだ? 言い値で買おう!」
ドンッ!
ミナが強くデスクを叩いた。
「お金なんていらない!」
「ふぇ?」私の間抜けな声と、キョウヤさんの「なんだと?」という声が重なる。
ミナは仁王立ち。
「お兄、うちらはお金が欲しいんじゃないの」
「……何が望みだ。技術提携か? それとも共同開発権か?」
ミナはビシッと、モフ太の後ろに隠れる私を指さした。
「譲る条件は、たった一つ!」
ゴクリ、と私が息を呑む。
ミナ、まさか「一生分のコスメ」とか言うんじゃ……。
「この子を、お兄のブランドの『プロモーションモデル』として起用して!」
「…………は?」
時が止まった。
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