0-6 そして私は辿り着く
私はいつものように〈迷猫〉の最奥、壁際のカウンター席にいた。今日も一人、紫煙を燻らせながらスコッチを嗜む。
仕事終わりの一杯は、冷めた心を慰撫するような優しさである。
私はカウンターに広げられたタブロイド紙を眺めていた。
見開きには「G県G温泉街の外れにある別荘にて死体を発見――同宅に住む男を殺人と死体遺棄の疑いで逮捕。自公党代議士、老松和人(65)氏の長男か――」と、センセーショナルな見出しが躍っている。
裏庭から掘り起こされた白骨化死体は、所持品やその他の特徴から、やはり鹿島麗子であると推定されていた。断定されていないのは科捜研の分析待ちなのだろうが、実名を出しているのはずいぶん攻めた記事だ。文責には「MK」との署名があった。
私が見つけ出したのは、深雪ではなく麗子だった。
すると、あの時このバーで出逢った女はいったい誰だったのか?
深雪の写真を持ちこんで、私に依頼した亡霊のような女。
それに、電話で会話した相手は?
老松の屋敷に乗り込む時、気をつけろと助言をくれたじゃないか。
私は酷く混乱し、動揺し――そして酒杯を重ねた。
*
何杯グラスを空けただろうか。
〈迷猫〉に一人の女が現れた。
黒のショートヘア。
濃い黒のサングラス。
白いジャットとパンツの活動的なスタイル。
足元は使いこまれたパンプスで、清潔だが実用本位。
地味な装いで化粧も薄いが、首に巻かれた赤いスカーフが印象的だ。
まさか、君は――鹿島深雪?
この数日間、探し続けた調査対象が、私の目の前にいた。
深雪は私を真正面から見つめていた。
探していたんだ、君のお姉さんに頼まれて。
でも、本当は彼女はすでに亡くなっていて――。
そう説明しようとするが、何故か言葉にならない。
「あなたが、姉を見つけてくれたのね――」
そういいながら深雪は、一枚の古ぼけた写真をテーブルの上に置いた。今時珍しい紙焼きであるが、透明なジップ袋に入っている。写真は、長い間捨て置かれていたようで、汚れ、退色し、茶色い染みができていた。
その写真に写っていたのは――。
それは学生服姿の私の横顔であった。短く刈りこんだ髪、眠たそうな眼。頬杖をつき、退屈そうに授業を聞いている、そんな風情である。いつ、誰によって撮られものか定かではないが――何故こんなものが、こんなところに。
深雪は何度もカウンターの写真と、呆然とする私とを見比べた。
まるで私の心の奥底を見透かすように――。
――いや、待て。
何かがおかしい。
深雪は明らかに私の背後にあるものを気にしていた。
何故だかとても、厭な予感がした。
後ろは見ない方がいいと直感では感じている。
だが、確かめずにはいられない。
私が、恐る恐る背後を振り返ると、そこには――。
テーブルには一輪挿しが飾られている。
あの花はたぶん勿忘草。
常連客達の写真が壁面を賑やかしていて、その一番下。
最近になって飾られた小さな額縁に収まっていたのは――。
それもまた私の写真だった。
このバー催されたパーティーで撮られたものだ。
写真の前には献じるように一杯の酒が注がれていた。
スコッチ。シングルモルト、オン・ザ・ロックス。
そうだ。
深雪は私を見てはいない。
飾られた私の写真を見ていったのだ。
――そこで私は全てを思い出した。
高校当時、鹿島麗子は写真を趣味としていた。
弁護士の父から借りたという、高価そうなライカを首から下げて。
「探し物を見つけてくれた、お礼に」といってシャッターを切った。
若い頃の妹の写真も私のも、撮影者は彼女なのだ。
私がこの店で顔見知りだったのは深雪の方だった。
常連客だけを招いた内輪のパーティーで見かけた雑誌記者。
良く似た姉妹だったから勘違いをしていた。
だから彼女は、私に「妹を見つけて」と依頼したんだ。
死者であるはずの彼女が、私に依頼できた理由。
そう、つまり私はすでに――――。
(File.00 了)