0-5 怯えて震える男
私は愛車のユーノスを飛ばして、G県G温泉街の外れにある老松の別荘へとやって来た。ログハウス風の平屋造りで、3LDK程度の広さだろう。
初めての場所に踏みこむ時のセオリーどおり、私は密かに周囲を確認して回った。辺りには他に人家はなく、道の行きつく先がこの別荘であり、山中は深閑としていた。
山肌が迫る裏庭には小さな花壇があったが、建物北側に位置しており日当たりはあまり良くはない。滅多に外出しないという老松の、唯一の慰めなのかもしれない。
ぐるりと建物を一周して、正門以外に逃亡ルートがないことを確認し、私は玄関へと向かった。
チャイムを押すが反応はない。
だが、建物内に人気はあった。
私は玄関扉のドアノブを握り、そっと回した。
鍵はかかっていないようで、扉は音もなく開いた。
*
「えッ――だ、誰だお前ッ! どこから入ってきた!?」
「玄関からですよ、老松雅人さん。不用心ですね、夜間はしっかり施錠しないと」
「何いってる。鍵はいつも掛けてあるはず――いや、そんなことより! 今すぐ出ていかないなら、こいつでお前をひっぱたくぞッ!」
私の姿を見て狼狽した老松は、そういって暖炉から火搔き棒を持ちだし、威嚇するように振りあげた。普段着なのか寝巻なのか判別しかねる、くたびれたスエットを上下に着こんでいる。
リビングには北欧風調度が置かれ、生活感を感じないほどに整然としていた。
いささか潔癖症のきらいがある男は突然の訪問客に驚き、混乱しているようであった。招かれざる客の来訪である、致し方あるまい。
私は穏便に事を済ませようと、冷静かつ無遠慮に質問した。
「私は探偵です。依頼を受けてここに来た。端的にお伺いしますが――あなた、三年前に女性を手にかけましたか?」
「な、何をいってるんだか、い、意味がわからな――」
老松は明らかに動揺して、火搔き棒を取り落とした。毛足の長い絨毯に金属棒がポトリと落下する。
「鹿島深雪さんを御存知ですね? あなたの学生時代の恋人だ。三年前、彼女は取材に行くとだけいい残し、職場である新聞社を出た。そして、その後行方不明となった」
言葉が染み渡るようににゆっくりと、私はしゃべった。そして老松の顔色をうかがう。
「同僚には『政界汚職にまつわる特ダネを掴んだ』と話していたそうです」
「そっ、それがオレと何の、か、関係が――」
「『代議士である父に関して有力な情報がある』――とでもいって、深雪さんを誘い出しましたか。来たんでしょう、この家まで?」
そういって私は交通系ICカードを、これみよがしにヒラヒラと振ってみせた。このカードはもちろん深雪のものではないし、そうであったとしても3年前の履歴を追うことはできない。しかし、老松がどう解釈するかは、老松に任せておけばいい――。
「いや、あ、あれはそんな、そんなんじゃあ、あっ――」
老松は見る間に蒼ざめていった。
まるで過去から現われた亡霊にとり憑かれたかのように。
そして慄然と体を震わせ、その場にへたりこんでしまった。膝を抱えた幼子のように無力で哀れな有様である。記憶が逆行再現しているのか、老松はぶつぶつと過去を独語し始めた。
「――あの時は、深雪の方から独占取材がしたいって連絡をよこしたんだ――なのにあの女はオレをなじった。不正を知りながら見過ごすのは加担してるも同然だとか。親父の気まぐれにつきあわされる、オレの苦悩も知らないくせに。だからつい、カッとなって首に」
「手をかけたのか?」
「ちがうちがうオレはあいつの罵倒を止めようとしたんだそしたら両手が勝手に動いて首を絞めて床に倒れたからオレは助けを呼びに行こうと外に飛び出してでも誰も見つからなくて帰ってきたら――もう消えていた。なのに、なのに――」
「なのにどうした?」
「あいつは何故かまた戻ってきたんだ。そして深雪は何処だとオレを責め立てた。オレは黙らせるためにまた首を絞めたんだ。そしたら動かなくなったから――今度こそ帰ってこないように――裏庭に埋めた」
証言は次第に支離滅裂になっていったが、自供としては十分だろう。ICレコーダーで録音もしておいた。私は震える老松を後に残して、再び玄関から外へと出た。
そして、すぐさま携帯電話で警察に通報する。別荘の住所を教え、裏庭に死体が埋まっていると伝えた。念のため、レコーダーの音声も電話ごしに聴かせた。
これで捜査の手が及ぶのは間違いあるまい。いくら代議士の息子とはいえ、もみ消すのはもう不可能なはずだ。
私はようやく肩の荷が下りた気がした。残念な結果になってしまったが、旧友の力にはなれたという満足感もあった。深夜ではあったが、調査結果の一報を入れるため電話を掛けることにした。
鹿島麗子は、私を労ってくれるだろうか。
1コール、2コール、3コール――相変わらず麗子はなかなか電話にでない。
4コール、5コール、6コール――その時である。
私は微かに鳴る電子音を耳にした。建物の北側から聞こえる。
何故だろう、厭な予感がする。
私は恐る恐る裏庭の方へと回った。
10コール、11コール、12コール――おかしい、なぜ麗子は電話にでないんだ。
電子音はまだ続いている。
それは携帯電話の着信音であると思われた。
裏庭の片隅、何もない花壇の土の中から音がすると突き止めて、私は携帯電話を切った。すると、土中の着信音も止んだ。