0-4 電話に出ない女
「――殺されるかと思ったわ」
そういった中原美由紀の顔は真剣そのもので、冗談をいっているわけではなかった。給与は魅力的だったが、結局はその時の恐怖心から家政婦の職を辞したとのことだった。
その際、たった半年の勤務であるにもかかわらず、老松家は退職金まで支払ったという。分厚い封筒の中身は50万もの大金で「これは口止め料を兼ねているんだ」と、ミユキは思ったらしい。
――なるほど。どうやら私は最初に核心を突いた証言を引き当ててしまったようだ。それは、あまりに危険な悪癖だと私も思った。
「因みにだけど、別荘でこの女の人を見たことあるかい?」
「――いいえ、ないわね。綺麗な人――誰なの? 」
鹿島深雪の写真を見せてみるが、やはり知らないらしい。
「尋ね人さ。三年前から行方不明なんだ。失踪前に会った人物というのが、どうも老松らしいんだが」
「えっ、それは心配ね」
「別荘の内部に詳しいと思うけど、地下室とか人目につかない場所はあったかな」
「いいえ、そんな部屋なかったと思うわ。掃除のために全部の部屋に出入りしたから」
「じゃあ少なくともその別荘で人を監禁しているなんてことは、考えられないわけだ」
「ありえないわね。あたしの知る限り炊事も洗濯も一人ぶん。外出だってほとんどしてないはずよ」
「つまり、別の監禁場所を確保している可能性も薄い、と」
略取誘拐の線は消えたといっていいだろう。他人に気づかれず、3年間も人を閉じこめておくのは困難だし危険だ。
「あの人、そんなヤバイ人だったの?」
「学生時代の元恋人を、十年に渡って追いかけるくらいには、ね」
「うっそ、マジ!? あたし、さっさと辞めて正解だったかも」
そういって顔をしかめたミユキに、礼をいって茶封筒を渡した。ささやかではあったが、厭なことを思い出させてしまった詫び料のつもりだった。
「ありがとう、もう十分だ。もし、何か困ったことがあったら、名刺の番号へ電話してくれ。力になるよ」
「そうね、そうさせてもらうわ――いってらっしゃいませ、御主人様」
宵闇迫るなか、少々やさぐれたメイドに見送られながら、私は雑居ビルの非常階段を降りた。
*
事務所へと戻った私は、依頼者である鹿島麗子に中間報告をいれるべく電話をかけた。紙コースターに書かれた番号は携帯電話のもので、すぐに捕まると思ったのだが、10コールしても電話にでない。諦めて切ろうかと思った矢先、12コール目にしてようやく相手がでた。
『あなた、相当にしつこい男ね。数コールで相手がでないなら、さっさと諦めなさいよ』
「生憎とそれが仕事でね。しつこいくらいで丁度いいんだ」
『そういう男はモテないわよ、大神君』
「やっぱり私が何者か、最初から知ってたんだな」
『そうね。旧友が警察を辞めて探偵家業を始めた噂は耳にしていたし、あなたの実力も信頼していたわ』
まったく、勝手をいってくれる。相変わらずのお嬢様ぶりだ。
「じゃあ自己紹介も、契約に際しての面倒な手順も省いて、中間報告に移らせてもらうぞ」
『そうして頂戴――』
私は失踪時の鹿島深雪について、現在判明している事実を伝えた。もみ消されたストーカー事件の他にトラブルらしきものはなかったし、老松自身が失踪に絡んでいる可能性は高い。それに、最後に会ったであろう人物が危ない嗜好の持ち主となると、最悪の事態も想定しておかなければならなかった。
「君は最初から老松が怪しいと踏んでたんじゃないのか」
『――そうかもね』
「なんで最初からそういわない? それに妹が消えて3年もたってから調査依頼なんて――」
『彼女の母親が――私の叔母でもあるんだけど――つい最近、亡くなっちゃったの。長期入院していたのだけれど、治療の甲斐なく、ね。どうしてもそれを知らせたかったのよ』
「母親が亡くなった? 叔母ってことは、母親同士が姉妹ってことか。そりゃまた――」
『複雑な家族関係ってところね』
「片親が違うのに、双子のように瓜二つなのはそういう理由か」
『それでも私たち姉妹は仲が良かったわよ。父は妹を認知していたし、叔母の治療費だって面倒見ていた。世間では奇異な目で見られていてもね――』
それは麗子のいうとおりなんだろう。高校時代の印象とも重なる。確か親は弁護士で、その振る舞いは令嬢然としていたが、誰にでも分け隔てない友人関係を築いていたように思う。
「――どう考えて老松は、何か知っている。奴に直接会って確かめてくるよ」
『ええ、お願いするわ。ねぇ、大神君――』
「なんだ?」
『くれぐれも、気をつけてね』
それだけいい残して、通話はプツリと切られた。
まったく、つくずく勝手な事ばかりいってくれるじゃないか。